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青山憲三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青山 憲三
あおやま けんぞう
青山憲三の肖像写真
生年月日 1879年9月21日
出生地 石川県鳳至郡曽福村
(現:鳳珠郡穴水町字曽福)
没年月日 (1953-01-27) 1953年1月27日(73歳没)
出身校 和仏法律学校法律科
所属政党立憲政友会→)(政友本党→)
翼賛政治体制協議会

選挙区石川県第4区→)
石川県第2区
当選回数 6回
在任期間 1924年5月10日 - 1936年1月21日
1937年4月30日 - 1945年12月18日

選挙区 鹿島郡選挙区
当選回数 5回
在任期間 1908年9月30日 - 1924年5月
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青山 憲三(あおやま けんぞう、1879年明治12年)9月21日[1] - 1953年昭和28年)1月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。

略歴

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1879年(明治12年)9月に石川県鳳至郡曽福村の坂本三郎四郎の七男として生まれ、2歳のときに能登島の青山家の養子となる。1901年(明治34年)に和仏法律学校(現・法政大学)法律科を卒業する。

三等郵便局長、石川県会議員、同県参事会員を経て、1924年大正13年)に第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選する。以後、第16回第17回第18回第20回第21回総選挙でも当選した。

1930年(昭和5年)五私鉄疑獄事件を通じて収賄容疑で起訴されたが、1933年(昭和8年)に東京地方裁判所で無罪判決を受けた[2][3]

立憲政友会総務米内内閣第2次近衛内閣において内務参与官を務める。

また、中央水産業会会長、帝國水産会副会長、石川県水産連合組合長、石川県出漁協会長、石川県水産振興会長、北陸漁業社長、能登島汽船役員などを歴任した。

戦後は公職追放され、1953年(昭和28年)1月27日に死去。

親族

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  • 青山正一 - 長男[4]。参議院議員、北海道開発政務次官。

顕彰碑

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石川県に顕彰碑銅像が建立されている。

栄典

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脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、24頁。
  2. ^ 1936年9月20日付報知新聞(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
  3. ^ 一審無罪の小川元鉄相に懲役二年『東京朝日新聞』昭和9年11月18日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p276)
  4. ^ 人事興信所編 『人事興信録 第14版(下)』 人事興信所、1943年。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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