竹尾茂
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竹尾 茂(たけお しげる、1852年2月24日(嘉永5年2月5日[1])- 1937年(昭和12年)1月16日[1][2])は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、福井県会議長、福井県大野郡上庄村長。旧姓・真柄(まから)[1]。
経歴
[編集]越前国大野郡猪ノ島村[1][注釈 1](福井県[2]大野郡上庄村[3]を経て現大野市[4])で、真柄重右衛門の二男として生まれた[1][4]。1873年(明治6年)7月、同郡稲郷村(上庄村を経て現:大野市)の旧家・故竹尾五右衛門の婿養子となり、その長女はま と結婚した[1][4][注釈 2]。農業を営む[2]。
1881年(明治14年)4月、福井県設置初の県会議員選挙で当選し[1][4]、1899年(明治32年)9月まで通算6期在任した[1][4]。この間、同議長(第5代1885年11月-12月)、同副議長(第6代1885年12月-1887年12月、第13代1892年11月-1893年9月)も務めた[1][4]。また、上庄村長に3度在任(1891年4月-1892年1月、1892年11月-1894年8月、1904年8月-1906年6月)した[1][2][3]。
1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(福井県第1区)で当選し[1][5]、第4回総選挙でも再選され[1][6]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3]。
竹尾は、県政界で杉田定一と対立し、竹尾派と杉田派は抗争を続けたが、1907年(明治40年)の議員涜職事件によって竹尾派は勢力を失った[1][4]。しかし事件そのものは、1908年(明治41年)12月、名古屋控訴院で無罪の判決が出ている[1]。
国政選挙歴
[編集]- 第1回衆議院議員総選挙(福井県第1区、1890年7月、自由党)次点落選[5]
- 第2回衆議院議員総選挙(福井県第1区、1892年2月、無所属)落選[5]
- 第3回衆議院議員総選挙(福井県第1区、1894年3月、自由党)当選[5]
- 第4回衆議院議員総選挙(福井県第1区、1894年9月、自由党)当選[6]
- 第13回衆議院議員総選挙(福井県郡部、1917年4月、無所属)次点落選[7]
福井県会選挙歴
[編集]- 1881年4月当選(1期)[8]
- 1884年6月当選(2期)[8]
- 1887年12月当選 – 1888年12月県会解散(3期)[8]
- 1889年1月当選 – 1890年3月半数改選抽選退職(4期)[8]
- 1891年8月当選 – 1894年3月辞職(5期)[8]
- 1898年7月当選 – 1899年9月府県制改正退職(6期)[8]
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 福井県議会史編さん委員会編『福井県議会史 議員名鑑』福井県議会、1975年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『福井県大百科事典』福井新聞社、1991年。