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山村新治郎 (10代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山村新治郎 (10代目)
やまむら しんじろう
生年月日 1908年3月2日
出生地 千葉県佐原市(現香取市
没年月日 (1964-10-02) 1964年10月2日(56歳没)
出身校 佐原中学
所属政党 自由民主党
称号 正三位勲一等旭日大綬章
親族 長男・山村新治郎 (11代目)

内閣 第2次池田第3次改造内閣
第3次池田内閣
在任期間 1963年7月18日 - 1964年7月18日

選挙区 千葉2区
当選回数 9回
在任期間 1946年4月11日 - 1964年10月2日

その他の職歴
第6代 自由民主党国会対策委員長
(総裁: 池田勇人
1960年 - 1961年
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銅像

10代目山村 新治郎(やまむら しんじろう、明治41年(1908年3月2日 - 昭和39年(1964年10月2日)は、日本政治家実業家。元衆議院議員。予算委員長、議院運営委員長、自由民主党の国会対策委員長等の要職を歴任し、池田内閣において行政管理庁長官を務めた[1]。他に佐原造船社長、山村産業社長、会長も務めた[2]

よど号ハイジャック事件で運輸政務次官として乗客の身代わりとなったことで知られる山村新治郎(11代目)(旧名直義)の父。

来歴・人物

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千葉県佐原市(現香取市)出身。先代新治郎の長男[3]佐原中学卒業[3]肥料米穀商を経営[2]

千葉県議を経て昭和21年(1946年)以来千葉県から衆議院議員当選9回[2]第2次池田第3次改造内閣第3次池田内閣で行政管理庁長官を務めた。新東京国際空港建設にあたっては富里村への空港建設(運輸省が推進した当初案)を支援し、「北総の発展のためだ。(用地買収価格は)かならず反当り百万円をとってやる」と農民に説いて回った[4]。昭和39年(1964年)10月2日、56歳で死去。

死後、正三位勲一等旭日大綬章追贈。後継候補として息子の11代目山村新治郎が出馬し、当選を果たした。

趣味スポーツ読書[3]宗教浄土宗[3]

家族

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山村家

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千葉県佐原市(現香取市))

脚注

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  1. ^ 加藤万吉君の故議員山村新治郎君に対する追悼演説
  2. ^ a b c 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』658頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『第二十一版 人事興信録(下)』1961年 や一二〇頁
  4. ^ 佐藤文生 (1978). はるかなる三里塚. 講談社. p. 161 


議会
先代
船田中
日本の旗 衆議院予算委員長
1961年 - 1962年
次代
塚原俊郎
先代
保利茂
日本の旗 衆議院議院運営委員長
第12代:1957年 - 1958年
次代
江﨑真澄
公職
先代
川島正次郎
日本の旗 行政管理庁長官
1963年 - 1964年
次代
增原惠吉
党職
先代
小沢佐重喜
自由民主党国会対策委員長
第6代 : 1960年 - 1961年
次代
江﨑真澄