椎名隆
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椎名隆 しいな たかし | |
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生年月日 | 1900年9月12日 |
出生地 | 千葉県海上郡西銚子町 |
没年月日 | 1983年1月17日(82歳没) |
出身校 |
早稲田大学専門部法律科卒業 千葉県立銚子商業学校卒業 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 |
(民主党→) (日本民主党→) 自由民主党 |
親族 | 椎名一保(孫) |
選挙区 | 旧千葉県第2区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1955年2月27日 - 1958年4月25日 |
在任期間 | 1940年1月 - 1947年 |
椎名 隆(しいな たかし、1900年(明治33年)9月12日[1] - 1983年(昭和58年)1月17日[2][3])は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]千葉県[3]海上郡西銚子町[4](現銚子市[2][4])で、椎名八十二郎の長男として生まれる[5]。千葉県立銚子商業学校(現千葉県立銚子商業高等学校)を経て[4]、1920年(大正9年)早稲田大学専門部法律科を卒業した[2][3][5][4]。
1923年(大正12年)弁護士を開業した[3][5][4]。銚子市会議員に選出され4期在任[3][4]。1940年(昭和15年)1月[5]、千葉県会議員に当選し7年間在任し[3][4]、参事会員(3期)、同補充員(2期)も務めた[4]。その他、銚子市消防団長、銚子市西漁業協同組合長に在任した[4]。
1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で千葉県第2区から民主党公認で出馬して次点で落選[6]。以後、第26回総選挙まで連続3回立候補していずれも次点で落選[7]。1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙に出馬して当選し[2][3][8]、衆議院議員に1期在任した[2][3][4]。この間、日本民主党幹事、自由民主党政調会法務副部長、同党幹事などを務めた[3]。その後、第28回、第29回総選挙に立候補したがいずれも落選した[8]。
著作
[編集]- 『陪審法の知識』大日本法令出版、1925年。
- 『第二十二特別国会売春問題』洋々社、1955年。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 衆議院『衆議院議員名簿.第22回国会』〈衆議院公報附録〉、1955年、10頁。
- ^ a b c d e 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』293頁。
- ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』303頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『光芒の人 千葉県人物事典2』276頁。
- ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』千葉16頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』157頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』99-100頁。
- ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』100頁。
- ^ 「椎名一保」『新訂 現代政治家人名事典』255頁。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 石井暉二『光芒の人 千葉県人物事典2(政治編-国会議員)』ぎょうせい、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。