船田享二
船田 享二 ふなだ きょうじ | |
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1952年 | |
生年月日 | 1898年1月13日 |
出生地 | 日本 栃木県宇都宮市 |
没年月日 | 1970年3月14日(72歳没) |
死没地 | 日本 東京都八丈町 |
出身校 | 東京帝国大学法学部英法科卒業 |
前職 |
京城帝国大学教授 東京大学講師 船田教育会理事 作新学院学院長 |
所属政党 |
(日本協同党→) (協同民主党→) (国民協同党→) (国民民主党→) (改進党→) 無所属 |
称号 |
従三位 勲一等瑞宝章 勲二等旭日重光章 法学博士 第35回日本学士院恩賜賞 |
配偶者 | 妻・船田文子 |
親族 |
兄・船田中(元衆議院議長) 弟・藤枝泉介(元自治大臣、元衆議院議員) 甥・船田譲(元参議院議員、元栃木県知事) 大甥・船田元(衆議院議員) 義大姪・船田恵(元参議院議員) 義祖父・岡田良一郎(元衆議院議員) 義伯父・岡田良平(元貴族院議員) 義伯父・一木喜徳郎(元貴族院議員) 義兄・竹山道雄(小説家) |
初代 行政管理庁長官 | |
内閣 | 芦田内閣 |
在任期間 | 1948年7月1日 - 1948年10月15日 |
第2代 賠償庁長官 | |
内閣 | 芦田内閣 |
在任期間 | 1948年3月10日 - 1948年10月15日 |
第3代 行政調査部総裁 | |
内閣 | 芦田内閣 |
在任期間 | 1948年3月10日 - 1948年6月30日 |
選挙区 | 旧栃木1区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1946年4月10日 - 1952年8月28日 |
船田 享二(ふなだ きょうじ、1898年〈明治31年〉1月13日 - 1970年〈昭和45年〉3月14日)は、日本の法学者(ローマ法)、教育者、政治家。教育者として作新学院院長。政治家として衆議院議員(当選3回)、行政管理庁長官、賠償庁長官。叙従三位、叙勲一等授瑞宝章。
政治家一家として知られた「船田三兄弟」の次男で、衆議院議長となった船田中は兄、自治大臣や運輸大臣などを歴任した藤枝泉介は実の弟にあたる。また夫人の船田文子は主婦連副会長をつとめた。
来歴
[編集]1898年1月13日、船田兵吾(作新学院創設者[2])の次男として、栃木県宇都宮市に生まれる。一高を経て1921年東京帝国大学法学部英法科卒業。1924年から1926年までローマ法研究のためフランス・ドイツ・イタリア・イギリスに留学[3]。1926年京城帝国大学助教授、1928年に同大教授となり、ローマ法を担当する。1943年、「羅馬元首政の起源と本質」で法学博士号を取得。
戦後、公職追放中の兄、船田中の代理として地盤を引き継ぎ、1946年栃木1区から第22回衆議院議員総選挙に立候補し当選する。以後、3回当選。1948年芦田均内閣の行政調査部総裁兼賠償庁長官に就任。兄の追放解除を受けて、政界を引退し学界に戻る。以後は、東京大学・名古屋大学・東京都立大学・武蔵大学・愛知大学・天理大学・東北大学・早稲田大学などの講師や作新学院院長を務めた。
1968年叙勲二等授旭日重光章。1970年3月14日、八丈島において72歳で死去[3]。叙従三位、叙勲一等授瑞宝章。
人物
[編集]1937年にドイツやオーストリアの著名な法学者が所有していた蔵書を入手し、それを京城帝国大学図書館に納めた。船田の寄贈書は現在のソウル大学校図書館に引き継がれ、世界の法学会においても貴重な資産となっている[2]。
著書に『ローマ法入門』、『羅馬法』(全5巻、昭和45年日本学士院恩賜賞受賞)、『法思想史』、『法律思想史』など。
著書
[編集]- カントの法律哲学(日本大学 1923年)
- 羅馬法(刀江書院 1930年)
- 羅馬元首政の起源と本質(岩波書店 1936年 京城帝国大学法学会叢刊)
- 羅馬私法提要(有斐閣 1941年)
- 法律思想史(河出書房 1943年)
- 羅馬法(全5巻 岩波書店 1943年-1944年)
- 法律思想史(愛文館 1946年)
- 法思想史(勁草書房 1953年)
- ローマ法入門(有斐閣 1953年)
- 法思想史入門(宝文館 NHK教養大学 1956年)
- 法思想史の話(勁草書房 1968年)
- 春日遅々(栃木新聞社 1969年)
共編著
[編集]翻訳
[編集]脚注
[編集]公職 | ||
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先代 新設 |
行政管理庁長官 初代:1948年 |
次代 吉田茂(事務取扱) 殖田俊吉 |
先代 笹森順造 |
賠償庁長官 第2代:1948年 |
次代 吉田茂(事務取扱) |
先代 斎藤隆夫 |
行政調査部総裁 第2代:1948年 |
次代 廃止 |
党職 | ||
先代 結成 |
協同民主党政務調査会長 初代:1946年 - 1947年 |
次代 解散 |
先代 結成 |
日本協同党政務調査会長 1946年 |
次代 解散 |