コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

改野耕三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
改野耕三

改野 耕三(かいの こうぞう、安政4年3月5日[1]1857年3月30日) - 昭和3年(1928年5月19日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員自由党憲政党立憲政友会)、南満洲鉄道株式会社理事を歴任した。

経歴

[編集]

播磨国揖東郡東南村(現在の揖保郡太子町)に、改野重五郎の長男として生まれた[2]。生家は熊本藩の用達を務めながら、農業を営んでいた[3]1874年明治7年)に飾磨県小学校掛・東南村戸長に任命され、さらに矢田部村戸長、糸井村戸長、揖東郡村戸長総代を歴任した[3]1880年(明治13年)に揖東郡書記に転じ、農会議員・学務委員を経て、兵庫県会議員に選出された[3]

やがて大同団結運動愛国公党に参加し、自由党再興に貢献した。1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、11回の当選を重ねた。その間、1900年(明治33年)から翌年まで農商務省官房長を務めた[4]。また自由党(政友会)の宣伝機関であった『自由通信』の社長を務めている。

1914年大正3年)、南満洲鉄道株式会社の理事に就任。1919年(大正8年)まで在任した[5]

その他、網干銀行取締役、日本水産販売株式会社社長なども務めた。

家族

[編集]
  • 父・改野重五郎 ‐ 農業
  • 長男・改野五郎 ‐ 妻雪子は浜岡光哲の孫[6]

脚注

[編集]
  1. ^ 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。
  2. ^ 『兵庫県代議士候補人物公評録』p.15
  3. ^ a b c 『第二十八議会衆議院議員写真列伝』p.28
  4. ^ 『新選代議士列伝』p.54
  5. ^ 南満洲鉄道株式会社庶務部調査課編『南満洲鉄道株式会社二十年略史』、南満洲鉄道株式会社、1927年
  6. ^ 浜岡雄一『人事興信録』13版下、1941

参考文献

[編集]
  • 鷹居匡『第二十八議会衆議院議員写真列伝』経済時報社編輯局、1912年。 
  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。 
  • 藤井公平等『兵庫県代議士候補人物公評録』大東社、1898年。