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玉置一徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

玉置 一徳(たまき いっとく、1912年7月3日 - 1978年11月26日)は、日本の政治家衆議院議員(5期)。京都府相楽郡加茂町出身。息子は、民主党元衆議院議員の玉置一弥

玉置 一徳
たまき いっとく
生年月日 (1912-07-03) 1912年7月3日
出生地 日本の旗 京都府相楽郡加茂町(現・木津川市
没年月日 (1978-11-26) 1978年11月26日(66歳没)
出身校 京都帝国大学法学部卒業
所属政党日本社会党→)
民社党
称号 正四位
勲二等
子女 息子・玉置一弥(元衆議院議員)

選挙区 旧京都2区
当選回数 5回
在任期間 1960年11月20日 - 1969年12月2日
1972年12月10日 - 1978年11月26日
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経歴

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桃山中学校第四高等学校を経て、1936年京都帝国大学法学部卒業。浅野セメントに入社するも兵役で中国各地を渡る。1943年除隊となり、朝鮮の鉱山会社勤務時に終戦を迎える。

戦後、農業を経て日本社会党結成に参加。相楽郡選出の京都府議を経て1960年第29回衆議院議員総選挙民主社会党公認で旧京都2区に立候補し初当選。以後通算当選5回。国対畑を歩み、党国会対策副委員長、国対委員長を歴任した。1978年11月26日、胸部大動脈瘤破裂により死去した。66歳没。死没日付をもって正四位勲二等に叙された。追悼演説は同年12月22日の衆議院本会議で、前尾繁三郎により行われた[1]

玉置一徳の死去により欠員が2名[注釈 1]となった事から、翌1979年1月14日に京都2区の補欠選挙が実施されることになり、息子である一弥が民社党公認で立候補し初当選[注釈 2]、地盤を継承した。

年譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1978年4月実施の京都府知事選挙に、同選挙区選出の山田芳治が立候補したため、この時点で欠員が1名生じていた。
  2. ^ もう一人の当選者は落選していた谷垣専一谷垣禎一の実父)が返り咲いた。

出典

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