玉置一徳
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玉置 一徳(たまき いっとく、1912年7月3日 - 1978年11月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。京都府相楽郡加茂町出身。息子は、民主党元衆議院議員の玉置一弥。
玉置 一徳 たまき いっとく | |
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生年月日 | 1912年7月3日 |
出生地 | 京都府相楽郡加茂町(現・木津川市) |
没年月日 | 1978年11月26日(66歳没) |
出身校 | 京都帝国大学法学部卒業 |
所属政党 |
(日本社会党→) 民社党 |
称号 |
正四位 勲二等 |
子女 | 息子・玉置一弥(元衆議院議員) |
選挙区 | 旧京都2区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1960年11月20日 - 1969年12月2日 1972年12月10日 - 1978年11月26日 |
経歴
[編集]桃山中学校、第四高等学校を経て、1936年に京都帝国大学法学部卒業。浅野セメントに入社するも兵役で中国各地を渡る。1943年除隊となり、朝鮮の鉱山会社勤務時に終戦を迎える。
戦後、農業を経て日本社会党結成に参加。相楽郡選出の京都府議を経て1960年の第29回衆議院議員総選挙で民主社会党公認で旧京都2区に立候補し初当選。以後通算当選5回。国対畑を歩み、党国会対策副委員長、国対委員長を歴任した。1978年11月26日、胸部大動脈瘤破裂により死去した。66歳没。死没日付をもって正四位勲二等に叙された。追悼演説は同年12月22日の衆議院本会議で、前尾繁三郎により行われた[1]。
玉置一徳の死去により欠員が2名[注釈 1]となった事から、翌1979年1月14日に京都2区の補欠選挙が実施されることになり、息子である一弥が民社党公認で立候補し初当選[注釈 2]、地盤を継承した。
年譜
[編集]- 1951年5月京都府議会議員当選、以後3期務める。京都府農業共済連合会会長などを歴任。
- 1960年1月民社党結成に参加。11月第29回衆議院議員総選挙にて初当選。民社党唯一の新人議員であった。
- 1977年11月、民社党国対委員長就任。
- 1978年11月、党国対委員長、衆議院議員在職のまま死去。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 第87回 衆議院 本会議 第1号 昭和53年12月22日 - 国会会議録検索システム