古川喜一
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古川 喜一(ふるかわ きいち、1915年1月2日[1] - 1989年1月11日[1][2])は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(4期)。
経歴
[編集]富山県出身。1927年道下尋常高等小学校卒[2]。日本通運魚津支店に勤務し[2]、その後、陸軍に召集される。
復員後日本カーバイト魚津工場に入り、労働組合を結成し[1]、書記長、委員長となる[1][2]。その一方、日本社会党に入り、富山県議となる[1][2]。
1967年の第31回衆議院議員総選挙で富山1区から日本社会党公認で立候補して初当選する。以来連続4期。この年の国会でイタイイタイ病を取り上げ、政府に公害病認定を迫った[1]。国会内では石炭対策特別委員長を歴任[1][2]、党内では社会党富山県本部委員長、イタイイタイ病対策特別委員会事務局などを務めた[2]。1979年の第35回衆議院議員総選挙には出馬せず引退。1985年に勲二等瑞宝章を受章した[1]。1989年死去。
その他
[編集]魚津市交通安全協会会長、日本棋院魚津支部長などを歴任した[2]。
新東京国際空港(現・成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
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