山田長司 (政治家)
表示
山田 長司(やまだ ちょうじ、1908年(明治41年)3月23日[1] - 1972年(昭和47年)3月2日[2][3])は、日本のジャーナリスト、農民運動家、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。
経歴
[編集]栃木県安蘇郡新合村閑馬(田沼町を経て現佐野市閑馬町)で生まれる[4]。1925年(大正14年)に上京し、苦学して1932年(昭和7年)日本大学法律科を卒業した[2][3][4]。萬朝報、時事新報、名古屋新聞の記者を務めた[2][3][4]。1935年(昭和10年)時事新報社解散反対ストライキを主導した[4]。1936年(昭和11年)日本無産党栃木県支部連合会長に就任[2]したが、1937年(昭和12年)12月の人民戦線事件で検挙された[4]。その後、情報局嘱託、日本移動展協会専務理事、日本輿論研究所長などを務めた[2]。
戦後に帰郷して農民運動を推進[4]。日本農民組合栃木県連顧問、全国借地借家人組合連合会副委員長、日中友好協会理事、全日本農民組合中央執行委員などを務めた[2]。また、日本社会党に入党し、中央委員、栃木県連書記長となる[1]。
1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙に栃木県第2区から社会党左派から出馬して当選し、その後第30回総選挙まで連続当選し、衆議院議員を6期務めた[2][3][4]。この間、日本社会党栃木県連合会長、党調査会企画局情報部長、党政審会決算部長、党綱紀粛正特別委員長、党会計監査を歴任した[2][3]。
その他、日米会話学院理事長、日本週報社長も務めた[2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社、1995年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。