浜田光人
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浜田 光人(はまだ みつと、1912年〈大正元年〉11月20日[1] - 1988年〈昭和63年〉1月31日[2][3])は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]広島県[3]呉市[2]出身。1941年(昭和16年)横須賀海軍砲術学校特修科を卒業し[2][3]、海軍少尉で終戦を迎えた[3]。
戦後、駐留軍要員(船長)となる[3]。以後、全駐留軍労働組合中央執行委員、同広島県本部執行委員長、全国連軍離職者同盟理事長、呉地方労働組合協議会長などを務めた[2][3]。
呉市議会議員(1期)、広島県議会議員(3期)に選出され、呉市失業対策特別委員長、広島県国連軍引揚対策特別委員長、同総務副委員長、同民生副委員長、同労働副委員長、瀬戸内海総合開発特別委員、中国地方開発審議会委員などを務めた[2][3]。
1967年(昭和42年)1月の第31回衆議院議員総選挙で広島県第2区に日本社会党公認で出馬して当選し[2][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。その間、社会党広島県本部県民生活局長、同地方議会対策部長、同呉総支部委員長などを務めた[3]。その後、1969年(昭和44年)12月の第32回総選挙で落選[4]。1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙では社会党は広島2区の公認候補を元広島県議の森井忠良にしたため、浜田は無所属で立候補したが落選した[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『読売年鑑 昭和44年版』読売新聞社、1968年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。