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赤路友蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

赤路 友蔵(友藏[1]、あかじ ともぞう、1904年明治37年)12月1日[2][3] - 1987年昭和62年)9月16日[2][3][4])は、昭和期の農民運動家、実業家政治家衆議院議員(6期)。

経歴

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鹿児島県[4]鹿児島市で生まれる[2][3]。1925年(大正14年)大阪市民労働学院を卒業した[2][3][4]

実業界では、鹿児島鉄工常務取締役、高千穂電機工場長、汎東亜工業常務取締役などを務めた[4]。戦後、鹿児島県専門委員、同県農地委員、同県地方労働委員を歴任した[4]

1947年(昭和22年)8月の第1回参議院議員通常選挙補欠選挙鹿児島県地方区から日本社会党公認で出馬して落選し[5]、1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙鹿児島県第3区から出馬したが落選した[6]

1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙鹿児島県第1区から出馬して初当選し[2][3][4][7]、以後、第28回総選挙まで再選された[4][8]。1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙では落選[9]。1963年(昭和38年)11月の第30回総選挙では再選され、次の第31回総選挙でも当選して[10]、衆議院議員に通算6期在任した[2][3][4]。この間、国土総合開発審議会委員、米価審議会委員、九州地方開発審議会委員、日本農民組合鹿児島県連会長、社会党漁民部長、同地方議会対策部長、同地方行政部長、同朝鮮問題特別委員会事務局長、同農林水産委員長、同水産政策委員長、同中央執行委員、同水俣病対策特別委員長、同政審副会長、同国会対策副委員長、同沖縄対策特別副委員長、同両院議員総会副会長、同漁民局長などを務めた[2][3][4]。その後、第32回総選挙に立候補したが次点で落選した[10]。1975年(昭和50年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[11][12]

1987年(昭和62年)9月16日死去、83歳。死没日をもって従四位に叙される[1]

脚注

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  1. ^ a b 『官報』第18191号10-11頁 昭和62年10月7日号
  2. ^ a b c d e f g 『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』9頁。
  3. ^ a b c d e f g 『新訂 政治家人名事典』10頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』14頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』533頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』385頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』386頁。
  8. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』386-387頁。
  9. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』387頁。
  10. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』388頁。
  11. ^ 赤路 友蔵」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E8%B5%A4%E8%B7%AF%20%E5%8F%8B%E8%94%B5コトバンクより2023年9月10日閲覧 
  12. ^ 『官報』第14499号4頁 昭和50年5月6日号

参考文献

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  • 日外アソシエーツ編『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』日外アソシエーツ、1988年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。