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阿部喜元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阿部 喜元(あべ きげん、1923年大正12年)12月25日[1] - 1998年平成10年)4月4日[1])は、昭和期の政治家、議員秘書衆議院議員(2期)。

経歴

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愛媛県[2]西宇和郡[1]出身。1949年(昭和24年)早稲田大学政治経済学部政治科を卒業した[1][2]

参議院議員・林屋亀次郎の秘書となり、第4次吉田内閣に林屋が国務大臣として入閣するとその秘書官を務めた[1][2]

1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙愛媛県第3区から出馬したが落選[3]第29回第30回総選挙でも落選したが[3]、1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙に出馬して初当選[2][3]第32回総選挙では次点で落選し[4]、1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙で再選され[4]、衆議院議員に通算2期在任した[1][2]。この間、第2次田中角栄内閣行政管理政務次官三木改造内閣運輸政務次官、鉄道建設審議会委員、自由民主党四国開発副委員長、同党広報教宣局次長、同党愛媛県連顧問などを務めた[1][2]。その後、第34回第37回総選挙に立候補したがいずれも落選した[5]

のちに愛媛放送(現テレビ愛媛)取締役を務めた[2]

1998年(平成10年)4月4日、急性心不全のため東京都世田谷区の自宅で死去、74歳[6]。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、従四位に叙される[7]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『現代物故者事典 1997〜1999』20頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』5頁。
  3. ^ a b c 『国政選挙総覧 1947-2016』338頁。
  4. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』339頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』339-340頁。
  6. ^ “訃報”. 産経新聞. (1998年4月5日). オリジナルの2001年2月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20010222012101/http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9804/05/paper/today/dead/05dea002.htm 2023年9月11日閲覧。 
  7. ^ 『官報』第2378号8-9頁 平成10年5月12日号

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 1997〜1999』日外アソシエーツ、2000年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。