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中村純一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村 純一(なかむら じゅんいち、1901年明治34年)10月28日[1][2] - 1985年昭和60年)10月2日[1][2][3])は、昭和期の逓信官僚政治家衆議院議員愛媛県宇和島市長

経歴

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愛媛県[3]北宇和郡宇和島町[1](現宇和島市[1][2])で、中村惣八の長男として生まれる[4]。宇和島中学校[1](現愛媛県立宇和島東高等学校)、第一高等学校を経て[1][5]、1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格した[4][5]。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した[1][2][3][4]

1925年、逓信省に入省し電務局属に任官[5]。以後、逓信局書記官、逓信省事務官、逓信書記官・郵務局規画課長、関東局監理部逓信課長、関東逓信局長、逓信省経理局主計課長、同管理部現業調査課長、同電務局業務課長、興亜院書記官・経済部第三課長、同調査官・華中連絡部在勤、逓信省電務局長、逓信院貯金保険局長などを歴任し[1][2][3][4]、1945年(昭和20年)6月に退官した[1][2]

1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙愛媛県第3区から民主党公認で出馬して落選[6]。1949年(昭和24年)1月、第24回総選挙民主自由党公認で出馬して当選し[1][2][3][7]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。この間、衆議院通商産業委員長、民主自由党政調会逓信部長などを務めた[3]。その後、第25回総選挙に立候補したが落選した[1][7]

1955年(昭和30年)5月、宇和島市長に選出され1期在任し[1][2]、財政再建、来村の合併、市公会堂の建設などに尽力した[1]。その他、関東港湾労務厚生協会長、前田学園理事、日本電話番号簿社長、通信文化振興会理事長、郵政審議会委員などを務めた[3]

脚註

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『愛媛県史 人物』448頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』447頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』455頁。
  4. ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 東京篇』709頁。
  5. ^ a b c 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、248頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』509頁。
  7. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』337頁。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 『愛媛県史 人物』愛媛県史編纂委員会、1989年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
公職
先代
中平常太郎
宇和島市旗愛媛県旧宇和島市長
1955年 - 1959年
次代
中川千代治
議会
先代
小金義照
日本の旗 衆議院通商産業委員長 次代
坪川信三