国松福禄
表示
国松 福禄(くにまつ ふくろく、1890年〈明治23年〉6月9日[1] – 1958年〈昭和33年〉2月15日[2])は、日本の弁護士。愛媛県宇和島市長。
経歴
[編集]愛媛県北宇和郡高近村(現在の宇和島市)に愛媛県会議員・参事会員を務めた国松磊奇智の長男として生まれた[1]。宇和島中学校を卒業後、中央大学に学んだが、第三高等学校に転じた[2]。1917年(大正6年)、東京帝国大学法科大学法律科を卒業[1]。大阪市で弁護士を開業したが、翌1918年(大正7年)に宇和島市に移り、民事・商事事件を扱い、破産管財人にも選出された[1]。1928年(昭和3年)、宇和島新聞社社長となり、『南予毎日新聞』と改題した[3]。また宇和島市会議員、同議長、愛媛県会議員などを歴任した[2]。
戦後に宇和島市長に選出された。
脚注
[編集]- ^ a b c d 愛媛県人物名鑑 第三輯 1923.
- ^ a b c 愛媛県生涯学習センター. “データベース「えひめの記憶」- 愛媛県史 人物” (日本語). 2016年11月6日閲覧。
- ^ 伊予の宇和島 p.142 1935.
参考文献
[編集]- 『愛媛県人物名鑑 第三輯』海南新聞社、1923年。
- 『伊予の宇和島』愛媛郷土研究会、1935年。