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小松幹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小松 幹(こまつ もとき[1] / かん(通称[1])、1914年大正3年)9月9日[2]1990年平成2年)8月11日[2][3])は、昭和期の教育者労働運動家、政治家衆議院議員

経歴

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大分県[2][3]速見郡日出町で生まれる[1]。1938年(昭和13年)大分県師範学校専攻科を卒業[1][2][3]。大分県下の小学校教員を務めた[1][2]太平洋戦争に出征し陸軍伍長復員した[2]

組合運動に加わり、大分県教職員組合速見支部委員長、同教組副委員長、日本教職員組合中央執行委員、同副書記長などを務め、1952年(昭和27年)大分県労働組合総評議会委員長に就任した[1][2][3]

1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙大分県第2区から出馬して初当選[1][2][3][4]第26回総選挙では次点で落選[5]。1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙で再選[3][5]。以後、第31回総選挙まで再選され[6]、衆議院議員を通算6期務めた[1][2][3]。この間、裁判官訴追委員、国土開発縦貫自動車道建設審議会委員、日本社会党政策審議会主査、同災害対策副委員長、同会計監査委員、同九州開発特別委員会事務局長、同政審財政金融副委員長、同党大分県連会長、同本部委員長などを務め[2][3]、社会党の闘士・理論家として知られた[1]

政界引退後、学校法人佐藤学園(現学校法人別府大学)常任理事に就任して別府大学の経営に参画し[1][3]、その他、日本文理大学理事、別府霊園理事なども務めた[3]

著作

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  • 『青い代議士の回想』小松幹、1984年。

脚註

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『大分県歴史人物事典』210頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』255頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』248頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』376頁。
  5. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』377頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』377-378頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。