長延連
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長 延連(ちょう のぶつら、1881年8月4日 - 1944年4月21日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事、警視総監。
経歴
[編集]静岡県出身。長唯連の二男として生まれる。第一高等学校を経て、1907年に京都帝国大学法科大学を卒業。文部省に入り普通学務局属となる。1908年11月、文官高等試験行政科試験に合格。文部省普通学務局第三課長を務める。
内務省に移り、香川県事務官、高知県事務官・警察部長、山梨県警察部長、福岡県警察部長兼港務部長、大分県・山口県・京都府の各内務部長などを歴任。
1922年6月、岡山県知事に就任。以後、島根県知事、石川県知事、兵庫県知事を歴任した。1931年12月、第35代警視総監に就任したが、1932年1月、桜田門事件により罷免され退官した。
その後、東京乗合自動車社長、復興建築助成社長などを務めた。1944年4月21日死去。享年62。
栄典
[編集]関連項目
[編集]- 長氏
- 息子に、長文連(元読売新聞論説委員)著書『天皇 元勲 重臣』208頁及び214頁
脚注
[編集]- ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。