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山中郁子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
秋元有子から転送)

山中 郁子(やまなか いくこ、1932年3月15日 - 2022年2月26日[1] )は、日本労働運動家政治家参議院議員日本共産党公認・3期)。日本共産党中央委員会名誉幹部会委員[2]

秋元有子(あきもと ゆうこ)のペンネームで創作活動も行っていた。国文学研究資料館名誉教授の山中光一(1926-2021)。

来歴

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東京都練馬区出身。東京都立豊島高等学校を経て、早稲田大学第二文学部卒業。1952年日本電信電話公社(現・NTT)へ入社し、電話交換手として勤務。同年に日本共産党へ入党し、のち全国電気通信労働組合(全電通)中央委員および東京市外電話支部書記長などを務める。また、1970年に電電公社を退社した後は党中央委員会の労組部へ入り、後進の育成に当たる。

1974年の参院選全国区から出馬し初当選を果たす。以後比例区から連続3期当選し、1992年で引退を表明する。議員時代は党婦人局長などを歴任した。1979年6月6日の参議院本会議では、日本共産党代表として元号法案反対の討論を行った[3]

政界引退後は鹿児島県に移住、同地の日本民主主義文学会会員として小説を執筆していた[4]

2022年2月26日、老衰のため鹿児島市老人ホームで死去[5]。89歳没。

主著

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山中郁子名義

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秋元有子名義

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脚注

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  1. ^ しんぶん赤旗』2022年2月28日付
  2. ^ 名誉役員と顧問を承認 あらたに31氏 日本共産党第21回大会 1997年9月26日
  3. ^ 官報 (号外)(PDF) 24-25頁(通号 582-583頁).昭和五十四年六月六日.国会会議録検索システム。2017年3月28日閲覧。
  4. ^ 『倦まざりて来たりし-私的覚書と半生の記』紹介文光陽出版社ホームページ[リンク切れ]
  5. ^ “山中郁子さん死去 元共産党参院議員”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2022年3月1日). https://web.archive.org/web/20220301135732/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022030101127 2022年3月1日閲覧。 

参考文献

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関連項目

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