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2020年8月2日 (日) 21:58時点における版
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第19回衆議院議員総選挙(だい19かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1936年(昭和11年)2月20日に日本で行われた帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。
概説
1936年(昭和11年)1月21日、立憲政友会は衆議院に岡田内閣不信任案を提出した。衆議院の任期満了が近づいていたこともあり、岡田啓介首相は衆議院を解散した。
前年、岡田内閣は選挙の腐敗を是正する為、革新官僚(新官僚)の働きかけの下、選挙粛正(選挙革正)をスローガンとする選挙粛正委員会令を勅令にて公布し、選挙粛正中央連盟(会長・斎藤実前首相)を結成していた。
第19回総選挙は選挙粛清中央連盟下で行われる初の選挙となり、買収・供応の取り締まりなどが行われ、政党も連盟の監視を意識しながら選挙戦を戦う事となったが、それはあたかも選挙粛正中央連盟下で総選挙が運営されているかのような様相を呈していた。
各党とも挙国一致体制の確立を掲げており、野党・政友会も政府に対しては「挙国一致性において、岡田内閣は弱体である。」と消極的な態度を取っていた。また軍部・革新官僚に対してもやや迎合的な姿勢が見られた。
総選挙の結果、与党であった立憲民政党が第一党となり、逆に政友会は鈴木喜三郎総裁が落選するなどの大打撃を受けた。このため、岡田内閣の政権基盤は安定化すると思われたが、総選挙からわずか6日後、二・二六事件が発生し、岡田内閣は総辞職する事となる。
北海道の色丹島で初めて選挙が適応された。
選挙データ
内閣
解散日
- 1936年(昭和11年)1月21日
公示日
投票日
- 1936年(昭和11年)2月20日
党派別獲得議席
- 立憲民政党 205議席
- 立憲政友会 175議席
この選挙で当選
立憲民政党 立憲政友会 昭和会 社会大衆党 国民同盟 無産諸派 国家主義団体 中立
補欠当選
- 香川県第2区 山下谷次(1936.6.5死去)→長尾秀太郎(1936.6.26補欠当選)
- 福岡県第1区 藤勝栄(1936.7.12死去)→原口初太郎(1936.8.3補欠当選)
- 岐阜県第1区 山田道兄(1936.8.27死去)→匹田鋭吉(1936.9.11補欠当選)
- 奈良県全県 岩本武助(1936.9.6死去)→福井甚三(1936.9.25繰上補充)
- 長野県第2区 春日俊文(1936.9.19選挙法第6条ノ6)→山辺常重(1936.10.22補欠当選)
- 新潟県第1区 山本悌二郎(1936.10.14辞職)→田辺熊一(1936.10.22繰上補充)
- 東京府第5区 伊藤武七郎(1936.10.26死去)→鏑木忠正(1936.11.4補欠当選)
- 秋田県第1区 中田儀直(1936.12.5当選無効)→石川定辰(1936.12.12補欠当選)
- 埼玉県第3区 山森利一(1936.12.10当選無効)→門田新松(1936.12.22更生決定)
- 鹿児島県第2区 富吉栄二(1936.12.12選挙法違反)→天辰正守(1936.12.15補欠当選)
- 長野県第4区 畔田明(1936.12.19死去)→田中耕(1936.12.25補欠当選)
- 群馬県第2区 畑桃作(1936.12.28当選無効)→木暮武太夫(1937.1.9補欠当選)
- 高知県第1区 田村實(1937.2.16当選無効)→長野長広(1937.2.22補欠当選)
- 北海道第5区 三井徳宝(1937.2.16辞職)→木下成太郎(1937.2.24補欠当選)
- 北海道第4区 深沢吉平(1937.2.18当選無効)→板谷順助(1937.2.27補欠当選)
参考文献
- 衆議院事務局編『衆議院要覧 昭和17年11月 丙』内閣印刷局、1942年。