比佐昌平
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比佐 昌平(ひさ しょうへい、1884年(明治17年)3月3日[1] - 1941年(昭和16年)11月23日[2])は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)。
経歴
[編集]福島県石城郡湯本村(常磐市を経て、現在のいわき市)出身。早稲田大学政治経済科卒業。
1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に出馬。対立候補は星製薬社長の星一(立憲政友会)であったが、「薬は星、政治は比佐」のキャッチフレーズで勝利を収めた。
以後、当選回数は6回を数え、第2次若槻内閣と第1次近衛内閣で陸軍参与官を務めた。
1941年(昭和16年)現職のまま死去。戦後、『公職追放に関する覚書該当者名簿』に公職追放者として掲載された(追放理由は「陸軍政務官」)[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
- 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年 。