八木逸郎
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八木 逸郎[1](やぎ いつろう[2]、1863年10月21日(文久3年9月9日[3][4]) - 1945年(昭和20年)1月4日[2])は、日本の医師[1][5]、政治家。衆議院議員(奈良県選出、当選10回)[2]。ドクトルメジチーネ[2][5]。族籍は奈良県平民[3][6][7]。
経歴
[編集]大和国奈良出身。八木重義の長男[3][8]。大阪医学専門学校で学んだ後、東京帝国大学医科大学別科を卒業[5]。その後、ドイツに留学し、ロストック大学を卒業し、ドクトルメジチーネの学位を授けられた[5][9]。
帰国後、静養する[4]。東京帝国大学医科大学附属第一医院副手となるが[1][2]、間もなくこれを辞して奈良に帰る[5]。医業に従事する[2]。奈良町会議員、奈良市会議員、奈良県会議員、同参事会員、添上郡会議員に挙げられる[2]。
1908年の第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。立憲政友会[7]、政友本党、立憲民政党に所属。その他、奈良市医師会会長、奈良県医師会会長、日本医師共済生命保険相互会社専務取締役などを務めた[2]。
人物
[編集]宗教は神道[8]。住所は奈良市東向中町[3]、東向北町[6][7]、東京市牛込区市谷仲之町[4][8]。
家族・親族
[編集]- 八木家
- 父・重義[3]
- 母・えい(1837年 - ?、奈良、森澤勇の長女)[3][6]
- 妻・なつ(1874年 - ?、兵庫士族、石川季造の三女)[3][6]
- 長男[8]あるいは二男[3]・一男(1911年 - 1976年、日本社会党衆議院議員、部落解放運動家)
- 養子・高次(1892年 - ?、奈良、長女節の夫、金居楢太郎の二男)[8]
- 娘[3]
- 孫[8]
- 親戚
栄典
[編集]- 勲章
脚注
[編集]- ^ a b c 『衆議院要覽 大正13年12月編 乙』議員履歴(やノ部)252頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『議会制度七十年史 第11』516頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第5版』や3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月8日閲覧。
- ^ a b c d 『昭和之日本 御大典記念』93頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月8日閲覧。
- ^ a b c d e 『代議士詳覧 大正13年5月当選』369 - 370頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月8日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第6版』や2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月9日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』や2 - 3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第13版 下』ヤ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月8日閲覧。
- ^ Immatrikulation von Itsuro Yagi, University of Rostock (ロストック大学)
- ^ 『官報』第4506号「叙任及辞令」1942年1月19日。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 『衆議院要覽 大正13年12月編 乙』衆議院事務局、1924年。
- 『御大典記念 昭和之日本』東京毎夕新聞社、1929年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。