生田和平
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生田 和平 いくた わへい | |
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生年月日 | 1877年4月26日 |
出生地 | 徳島県石井町 |
没年月日 | 1955年9月10日(78歳没) |
所属政党 | 自由党 |
称号 |
正四位 勲三等瑞宝章 |
親族 | 生田宏一(長男) |
選挙区 | 徳島1区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 |
1917年 - 1920年 1924年 - 1930年 1930年 - 1942年 1949年 - 1953年 |
生田 和平(いくた わへい、1877年(明治10年)4月26日 - 1955年(昭和30年)9月10日)は、日本の政治家。実業家。衆議院議員(8期)[1]。徳島県石井町出身。幼名は彦右衛門[2]。
経歴
[編集]先代の生田和平の長男として名西郡石井村石井で生まれる[2]。1903年(明治36年)より和平の名を襲名した。実家は藍商で、後に製糸業に転じ、阿波共同製糸会社、徳島水力電気等で重役、社長となった[3]。
徳島県石井町議員から同町長、名西郡議員を経て1915年(大正4年)、徳島県会議員に当選。徳島県町村会長、全国町村会長、麻名用水組合議員、徳島県蚕糸同業組合長、大日本蚕糸会評議員などを歴任[3]。
1917年(大正6年)には政友会に所属し衆議院議員総選挙に出馬、当選を果たす。以来、戦後は自由党に所属し衆議院議員総選挙で8回の当選を果たした。また徳島瓦斯(現在の四国ガス)、阿南鉄道取締役社長、四国生糸取締役なども務めた[3]。
1955年(昭和30年)9月10日死去、78歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈(勲四等からの昇叙)、正四位に叙される[4]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『阿波人物志』原田印刷出版、1973年。
- 『徳島県歴史人物鑑』徳島新聞社、1994年。
議会 | ||
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先代 岡田伊太郎 |
衆議院請願委員長 | 次代 浅川浩 |