山下谷次
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山下 谷次(やました たにじ、1872年3月30日(明治5年2月22日[1]) - 1936年(昭和11年)6月5日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、教育者。妻は画家の山下(中田)紅畝[3]。
経歴
[編集]香川県仲多度郡十郷村(現在のまんのう町)に山下重五郎の四男として生まれた[3]。琴平町の明道黌で学んだ後、京都の尽誠舎を卒業した。さらに東京に出て、英語・漢学・数学を学んだ。1893年(明治26年)より中等教育に従事し、1903年(明治36年)に神田区に東京商工学校(現在の埼玉工業大学)を創設し、校主と校長を兼ねた。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、5回の当選を重ねた。その間、犬養内閣で文部参与官を務めた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院要覧(乙)昭和十一年三月』衆議院事務局、1936年。
- 大石末吉『普選の勝者 代議士月旦』東京平和新報社出版部、1928年。