西村金三郎
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西村 金三郎(にしむら きんざぶろう、1876年(明治9年)1月24日[1] - 1957年(昭和32年)12月14日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。
経歴
[編集]京都府伊勢田出身[2][3]。同志社予備学校、第二高等学校を経て[3]1904年東京帝国大学政治科卒[2]。二高と東大では吉野作造と同期だった[3]。京都市会議員、同府会議員、京都市都市計画委員、同方面委員、同教育会理事長、マスフェックチェーラス生命保険会社日本中央部総支配人、京都同志社理事、同財務部長、両丹電気(株)社長、大門製作所専務取締役となる[2]。
1928年の第16回衆議院議員総選挙で京都1区(当時)から立憲民政党公認で立候補したが落選[4]。1930年の第17回衆議院議員総選挙で初当選[5]。1932年の第18回衆議院議員総選挙で落選[6]。1936年の第19回衆議院議員総選挙で当選[7]。1937年の第20回衆議院議員総選挙で当選[8]。1942年の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した[9]。終戦後、公職追放となった[10]。1951年追放解除[11]。追放解除後の1957年死去。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第七十二回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年、3頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』481頁。
- ^ a b c 『同志社山脈』160-161頁
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』84頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』93頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』102頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』109頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』118頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』129頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿438頁。公職追放の該当事項は「推薦議員」。
- ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊1面。
参考文献
[編集]- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 同志社山脈編集委員会編『同志社山脈』晃洋書房、2003年。ISBN 4771014086