岡幸三郎
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岡 幸三郎(おか こうざぶろう、1876年(明治9年)1月24日[1] - 1955年(昭和30年)11月23日[2])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、久留米市長。
経歴
[編集]三潴県三井郡通町(現福岡県久留米市通町)で、3代・岡茂平の三男として生まれる[1]。父の死後、兄が事業に失敗して朝鮮に渡ったため、岡家の再興を志し、1924年(大正13年)母が死去すると直ぐに中国・青島に渡航して沈没船引揚業を営んだ[1]。私財を蓄えて帰国し、久留米絣 (株) の支配人を経て絣問屋を設立した[1]。その後、久留米商工会議所議員、久留米縞同業組合議長、久留米絣同業組合議長、地方森林会議員、福岡県教育会評議員、同県国防会参与、久留米絣工業組合連合会副理事長、久留米畜産組合長などを務めた[2]。
政界では、久留米市会議員、同参事会員、同議長、福岡県会議員、同参事会員を歴任[2]。1936年(昭和11年)2月、第19回衆議院議員総選挙で福岡県第三区から出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた[2]。
1947年(昭和22年)4月6日、公選初代の久留米市長に就任し、戦災からの復興に尽力[3]。近隣自治体との合併、絣産業の復興などに取り組んだ[1]。1952年(昭和27年)2月、市長を退任した[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、1985年。
- 篠原正一『久留米人物誌』久留米人物誌刊行委員会、1981年。