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愛野時一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
愛野時一郎

愛野 時一郎(あいの ときいちろう、1900年2月19日 - 1952年12月31日[1])は、日本実業家政治家祐徳自動車創立者、衆議院議員(4期)、佐賀県藤津郡鹿島村(現・鹿島市)長[1][2]

経歴

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1900年明治33年)祐徳軌道2代目社長愛野文次郎の息子として、佐賀県藤津郡鹿島村(現・鹿島市)に生まれる。1921年大正10年)[注 1] 中央大学経済学部卒業後、横浜興信銀行(現在の横浜銀行)に入行。

1931年昭和6年)横浜興信銀行を退職。翌1932年(昭和7年)祐徳軌道の廃止・会社解散(1931年)に伴い、地元の要請により同社の乗合バス事業を承継するため、祐徳自動車を創立[3]

1935年(昭和10年)6月鹿島村長に就任。

1936年(昭和11年)第19回衆議院議員総選挙佐賀2区に、立憲民政党から立候補し初当選[4]1937年(昭和12年)[4]1942年(昭和17年)と再選[4]

1946年(昭和21年)、翼賛政治体制協議会推薦で当選していたため公職追放となり、鹿島村長を退任。

追放解除後の1952年(昭和27年)10月第25回衆議院議員総選挙佐賀県全県区に、無所属で立候補し当選[5]。選挙後の10月23日に改進党に入党[6]。だが同年12月31日、現職のまま死去、52歳。死没日をもって勲四等旭日小綬章追贈、正八位から正六位に叙される[7]。一度、議員を退任後に闘病生活を送り、薬で治療を続ける中で立候補、登院していた[8]。翌1953年(昭和28年)、次点の江藤夏雄繰り上げ当選した。

陸軍輜重兵少尉を経た後[1]、鹿島村信用組合長[2]、肥前鹿島運送社長[1][2]、佐賀県農業会初代理事長、佐賀米穀取引所理事長[1]、東日本観光バス社長、佐賀県の畜産組合連合会、酪農連合会各会長、乗合自動車組合理事長を務めた[8][9][10]

家族

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  • 愛野興一郎 - 長男。祐徳自動車社長。衆議院議員、経済企画庁長官[2]
  • 福岡政文 - 息子。佐賀日産自動車社長[2]
  • 愛野克明 - 息子。東日本観光バス社長[2]
  • 愛野孝志 - 息子。愛野耳鼻咽喉科院長[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』9頁と『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』4頁には「大正11年」と記述。

出典

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  1. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』9頁。
  2. ^ a b c d e f g 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』4頁。
  3. ^ 会社案内 祐徳自動車、2023年5月29日閲覧。
  4. ^ a b c 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』112、121、132頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』361頁。
  6. ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』612頁。
  7. ^ 『官報』第7805号131頁 昭和28年1月14日号
  8. ^ a b 第15回国会 衆議院 本会議 第26号 昭和28年2月5日
  9. ^ 愛野 時一郎」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和 / 20世紀日本人名事典』https://kotobank.jp/word/%E6%84%9B%E9%87%8E%20%E6%99%82%E4%B8%80%E9%83%8Eコトバンクより2023年9月9日閲覧 
  10. ^ 愛野時一郎」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E6%84%9B%E9%87%8E%E6%99%82%E4%B8%80%E9%83%8Eコトバンクより2023年9月9日閲覧 

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ(編集・発行)、2003年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。