天辰正守
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天辰 正守(あまたつ まさもり、1886年(明治19年)8月19日[1] – 1963年(昭和38年)8月2日[2])は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(立憲政友会)。
経歴
[編集]鹿児島県薩摩郡平佐郷天辰村(現在の薩摩川内市天辰町)で[3]、医師・天辰登雲の二男として生まれた[4]。医師の道を避けて[4]1917年(大正6年)京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。福岡地方裁判所所属の弁護士となった。その後、判事となり、那覇地方裁判所判事、鹿児島地方裁判所判事、熊本地方裁判所判事を歴任した[4]。1923年(大正12年)に退官し、衆議院嘱託として欧米各地を視察した。翌年に帰国し、再び弁護士を鹿児島市で開業した[4]。1927年(昭和2年)鹿児島県会議員に選ばれ[4]、参事会員にも選出された。冨吉榮二の勧誘を受け労働農民党に所属した[4]。
1932年(昭和7年)第18回衆議院議員総選挙に出馬し当選。1936年(昭和11年)にも補欠当選を果たした。
その他、第一産業無尽株式会社や鹿児島無尽株式会社(ともに現在の南日本銀行)の社長を務めた[3]。
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。
- 南日本新聞社編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。
- 川内郷土史編さん委員会『川内市史 下巻』川内市、1980年。