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奥山亀蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奥山亀蔵

奥山 亀蔵旧字体奧山 龜藏、おくやま かめぞう、1876年明治9年)9月10日[1] - 1941年昭和16年)5月17日[1][2])は、日本の土木技術者、内務技官、実業家政治家衆議院議員

経歴

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山形県田川郡古関村(東田川郡大和村余目町を経て現庄内町)で、豪農・奥山重右衛門の三男として生まれる[3][4][5]。荘内中学校(現山形県立鶴岡南高等学校)、第四高等学校を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業した[1][2][3][4]内務省に入省し、新潟県技師、新潟県加治川改良事務所長、西川改良事務所長、寺泊築港事務所長、能生築港事務所長、国幣中社弥彦神社再築工営所長、新潟県土木課長、秋田県土木課長、宮城県土木課長、同県河川事務所長、同県臨時電気経営事務所長などを歴任した[1][2][3][4]

退官後、1923年(大正12年)7月、新潟水力電気(後の新潟電力)嘱託となり、同年12月、取締役に就任した[1][3][4]。その後、新潟電力取締役・技師長に就任し、1928年(昭和3年)庄内電気鉄道の設立に参画し、1929年(昭和4年)12月、鶴岡湯野浜間(庄内交通湯野浜線)が開通した[3][4]。同年、新潟電鉄が創立され専務に就任[3]。1933年(昭和8年)8月、白山間(新潟交通電車線)が開通した[3]。その他、東北六県鉄道同志会会長、新潟鉄道局管内軌道連合会長、日本乗合自動車協会理事などを務めた[2][4]

1928年(昭和3年)2月、第16回衆議院議員総選挙で山形県第二区から立憲民政党所属で出馬して当選[1][2]17回第19回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算3期務めた[2][3][4]

伝記

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  • 『奥山亀蔵君とその事業』新潟さきがけ社、1927年。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『近代日本土木人物事典』79頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』155頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『鉄道史人物事典』115頁。
  4. ^ a b c d e f g 『新編庄内人名辞典』211頁。
  5. ^ 『大衆人事録 第13版中部篇』新潟13頁。

参考文献

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  • 高橋裕、藤井肇男共著『近代日本土木人物事典: 国土を築いた人々』鹿島出版会、2013年。
  • 鉄道史学会編『鉄道史人物事典』日本経済評論社、2013年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 庄内人名辞典刊行会編『新編庄内人名辞典』庄内人名辞典刊行会、1986年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第13版中部篇』帝国秘密探偵社、1940年。