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太田信治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

太田 信治郎(おおた しんじろう、1873年明治6年)2月5日[1] - 1957年昭和32年)5月17日[2][3])は、明治から昭和前期の実業家政治家衆議院議員

経歴

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東京府葛飾郡、のちの東京市[4][5][6]深川区で、材木商・太田重吉[注釈 1]の長男として生まれる[7]。家業を継承し材木商を営む[4][5][7][8]

万信材木店社長、大日本林業社長、東京材木問屋組合役員、東京製材組合組長などを務めた[2][3][4][6][7][8]

政界では、深川区会議員、同議長、同学務委員東京市会議員、内閣国有財産調査委員、同特別都市計画委員などに在任した[2][3][4][6][7]

1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙に東京府第4区から出馬して当選し[3]、以後、第17回総選挙まで連続して再選された[2][6]。1936年(昭和11年)2月の第19回総選挙でも再選され、立憲民政党に所属して衆議院議員に通算5期在任した[2][3][6]

関東大震災では財産が灰燼に帰し本人も大火傷を受けたが、復興に尽力して復活を果たした[4]。また、1905年(明治38年)本所若宮町に無料宿泊所を設けて所長を務め、社会事業活動も行った[2][4][6][7]

戦後、1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙東京都第1区から無所属で立候補したが落選した[9]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録 第14版 上』オ177頁では重右衛門。

出典

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  1. ^ 衆議院『第六十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、2頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』141頁。
  3. ^ a b c d e 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』112頁。
  4. ^ a b c d e f 『新代議士名鑑』7頁。
  5. ^ a b 『粛正選挙代議士名鑑』9頁。
  6. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴』103頁。
  7. ^ a b c d e 『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』オ之部46頁。
  8. ^ a b 『人事興信録 第14版 上』オ177頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』175頁。

参考文献

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  • 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
  • 『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』帝国日日通信社、1935年。
  • 『粛正選挙代議士名鑑』選挙粛正中央会編纂部、1936年。
  • 衆議院事務局編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。