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蔭山貞吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蔭山貞吉
かげやま さだきち
生年月日 1886年12月27日
出生地 日本の旗 日本 大阪府
没年月日 (1950-06-13) 1950年6月13日(63歳没)
出身校 京都帝国大学
陸軍士官学校卒業
前職 日本造機所社長
所属政党 立憲政友会

選挙区 兵庫2区
当選回数 3回
在任期間 1928年3月12日 - 1930年1月21日
1932年2月20日 - 1937年3月31日
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蔭山 貞吉(かげやま さだきち、1886年12月27日[1] - 1950年6月13日[2])は、日本の政治家衆議院議員(3期)。

経歴

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大阪府出身[2]1907年陸軍士官学校卒。卒業後、京都帝国大学に入り、政治、経済学を学ぶ[2]。陸軍歩兵少佐に進み、その後、全国土地区画整理組合顧問、三和特殊製鋼、阪神急行自動車、日ノ丸無尽各(株)重役、(株)日本造機所社長となる[2]

1928年第16回衆議院議員総選挙において兵庫2区(当時)から立憲政友会公認で立候補したが次点で落選[3]。しかし、選挙後同じ選挙区で当選した山邑太三郎の死去により繰り上げ当選となった。1930年第17回衆議院議員総選挙で落選[4]1932年第18回衆議院議員総選挙で復帰[5]1936年第19回衆議院議員総選挙で再選[6]1937年第20回衆議院議員総選挙で落選[7]1942年第21回衆議院議員総選挙では非推薦で出馬したが落選した[8]。1950年死去。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第六十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1932年、6頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』168頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』85頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』94頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』102頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』110頁。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』119頁。
  8. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』129頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。