作田高太郎
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作田 高太郎(さくた たかたろう、1887年(明治20年)5月15日[1] – 1970年(昭和45年)3月15日[2])は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。文部政務次官、文部参与官。弁護士。
経歴
[編集]広島県沼隈郡藤江村(現在の福山市)出身[1]。1915年(大正4年)、中央大学を卒業[1]。1917年(大正6年)、弁護士試験に合格し、開業した[1]。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第21回に至るまで6回連続当選を果たした。その間、廣田内閣で文部参与官を、阿部内閣で文部政務次官を務めた。
戦後、日本進歩党に加入するが、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となった[3]。
その他、常磐採炭株式会社取締役、日英醸造株式会社取締役、大日本醸造株式会社監査役、千代田毛織株式会社監査役、関東航空計器株式会社社長、和田製本工業株式会社社長などを務めた[1][2]。
著書
[編集]- 『中産階級憂国慨世録』(中産階級団、1921年)
- 『天皇と木戸』(平凡社、1948年)
- 『日本権力史論』(平凡社、1958年)
- 『続 日本権力史論』(平凡社、1964年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。