紅露昭
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紅露 昭(こうろ あきら、1887年10月20日 - 1967年6月15日)は日本の政治家、弁護士。元衆議院議員(当選4回、立憲政友会→日本進歩党)。
略歴
[編集]1887年(明治20年)10月20日に徳島県那賀郡桑野村(現・阿南市桑野町)にて生まれる。1914年(大正3年)に法政大学法科、1916年(大正5年)に日本大学法科高等専攻科を卒業、税務署に勤めた後、弁護士となる。
1932年(昭和7年)に第18回衆議院議員総選挙に当選し、立憲政友会に所属する。戦後、日本進歩党に入り、幣原喜重郎内閣で農林政務次官を務める。1946年(昭和21年)に公職追放される。
日本弁護士協会理事、日本大学評議員、日満法曹協会理事、サンケエ株式会社社長などを歴任し、1955年(昭和30年)に日本住宅福祉協会を設立する。
1967年(昭和42年)6月15日死去、79歳。墓所は世田谷区の行善寺。
家族
[編集]妻は元衆議院議員・参議院議員の紅露みつ。子の紅露昭通は一般財団法人日本住宅福祉協会の会長を務めた。