佐藤啓 (帝国議会議員)
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佐藤 啓(さとう ひらく、1868年2月29日(慶応4年2月7日[1]) - 1941年(昭和16年)4月21日[2])は、戦前日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党→国民同盟)、山形県西山村長。
経歴
[編集]出羽国村山郡西山村(現在の山形県西村山郡西川町)に佐藤里治(衆議院議員)の子として生まれる[3]。東京専門学校(現在の早稲田大学)政治科を卒業後、山形日報の経営にあたった。
西山村長、山形県会議員を経て、1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は6回を数えた。
その他、山形民報社長、羽陽銀行(山形銀行の前身の一つ)取締役、三山電気鉄道取締役を務めた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 森岩吉『国民同盟陣営展望』政界評論社、1934年。
- 『衆議院要覧(乙) 昭和十二年十一月』衆議院事務局、1937年。