佐藤与一
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佐藤 与一(與一、さとう よいち、1882年(明治15年)1月3日[1] - 1940年(昭和15年)3月25日[2][3][4])は、昭和期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]新潟県中蒲原郡亀田町[4][5][6][7](現新潟市江南区)で、豪農・佐藤与四郎の長男として生まれる[5][7][8][9]。早稲田大学で学んだ[2][3][4][6][注釈 1]。1927年(昭和2年)家督を相続し農業を営む[5][4][8][9]。
沼垂銀行取締役、亀田実業補習学校講師、亀田町教育会長、同町農会長、同町消防組頭、亀田農業倉庫組合長、亀田信用購買組合長、亀田町青年会長、中蒲原郡青年会長、新潟県青年団長、同体育協会副会長、同農民道場講師などを務めた[2][3][4][5][6][7][8][9]。
政界では、亀田町会議員、新潟県会議員を務めた[2][3][4][6][7][8][9]。1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙に新潟県第1区から立憲民政党公認で出馬して当選し、1937年(昭和12年)4月の第20回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続5期在任した[2][7]。この間、雪害対策調査会委員、神社制度調査会委員などを務めた[4]。1940年3月、衆議院議員在任中に死去した[10]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『人事興信録 第12版 上』サ57頁では卒業。
出典
[編集]- ^ 衆議院『第七十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年、8頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』279頁。
- ^ a b c d 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』288頁。
- ^ a b c d e f g 『総選挙衆議院議員略歴』200頁。
- ^ a b c d e 『越・佐傑人譜 昭和14年度版』さ17頁。
- ^ a b c d 『粛正選挙代議士名鑑』92頁。
- ^ a b c d e 『越佐人物誌 上巻』429頁。
- ^ a b c d 『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』サ之部55頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第12版 上』サ57頁。
- ^ 『官報』第3965号、昭和15年3月27日。