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内藤久一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

内藤 久一郎(ないとう きゅういちろう、1905年明治38年)3月12日[1] - 1989年平成元年)10月20日[1][2])は、昭和期の実業家政治家衆議院議員新潟県刈羽郡石地町長。

経歴

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新潟県[1][2]刈羽郡石地町[3]朝日町西山町を経て現柏崎市西山町石地)で、素封家・内藤鷲郎[注 1]内藤久寛養子)の長男として生まれる[4][5]。1930年(昭和5年)早稲田大学経済科を卒業した[1][2][3][4]

1931年(昭和6年)9月、新潟県会議員に当選し、同参事会員も務めた[1][2][5]。1936年(昭和11年)2月、第19回衆議院議員総選挙に新潟県第3区から立憲民政党公認で出馬して当選し[1][2][3][6]、衆議院議員に1期在任した[1]。その他、石地町長、新潟県町村長会副会長、刈羽郡町村長会長、新潟県大陸開拓協会副会長、大政翼賛会刈羽郡支部長、柏崎税務署管内家屋賃貸価格調査委員、青少年団長、帝国在郷軍人会石地分会長、石地町農会長などを務めた[1][2][5]

実業界では、石地町信用組合長、柏崎瓦斯監査役、長岡銀行取締役、北越銀行監査役、七洋工芸取締役などを務めた[2][5]

戦後に公職追放となった[7]。追放解除後、1952年(昭和27年)10月、第25回総選挙新潟県第3区から改進党公認で出馬したが落選した[8]

親族

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  • 祖父 内藤久寛(実業家、衆議院議員、貴族院勅選議員)[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『越佐人物誌 中巻』655頁では紫郎。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』424頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』435頁。
  3. ^ a b c d 『越佐人物誌 中巻』655頁。
  4. ^ a b 『人事興信録 第12版 下』ナ9頁。
  5. ^ a b c d 『新潟県人名辞書』174頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第19回』81頁。
  7. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿399頁。公職追放の該当事項は「郷軍石地町翼賛郡支同石地村翼壮県同刈羽郡同石地町」。
  8. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』169頁。

参考文献

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  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
  • 金子信尚『新潟県人名辞書』新潟県人名辞書編纂事務所、1941年。
  • 牧野利平編『越佐人物誌 中巻』野島出版、1972年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。

関連項目

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