浜田尚友
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浜田 尚友 はまだ ひさとも | |
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生年月日 | 1909年6月29日 |
出生地 | 鹿児島県 |
没年月日 | 1988年3月3日(78歳没) |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部 |
所属政党 | 無所属(無所属倶楽部) |
選挙区 | 鹿児島県第2区 |
在任期間 |
1942年4月30日 - 1943年10月25日 1944年12月22日 - 1945年3月1日 1945年3月20日 - 1945年12月18日 |
浜田 尚友(はまだ ひさとも、1909年(明治42年)6月29日[1] - 1988年(昭和63年)3月3日[2][3])は、日本の政治家。帝国議会衆議院議員、国分市議会議長。
経歴
[編集]鹿児島県の国分村(現・霧島市)出身[1][2]で国分小学校卒業[1]。1927年(昭和2年)鹿児島県立加治木中学校 (旧制)卒業[1]。1932年(昭和7年)[1][3]早稲田大学政治経済学部政治科卒業[1][2][3]。同年[1][2]東京日日新聞社(現・毎日新聞社)に入社し[1][2][3]、社会部・政治部記者[1][2]。厚生大臣秘書官(1940年(昭和15年))などを経て、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)で翼賛政治体制協議会推薦候補として鹿児島県第2区にて当選[1][2][3]。1943年(昭和18年)現職議員中より第一号陸軍二等兵として応召、硫黄島戦闘参加[1]。選挙無効判決による1945年(昭和20年)の再選挙でも当選。1946年(昭和21年)公職追放、1951年(昭和26年)解除[1]。
戦後、国分市議会議員[3]、同議長[1][2][3]、同社会教育委員長[3]を歴任し、政治評論家としても活動[2]。
著作
[編集]- 『西郷隆盛のすべて : その思想と革命行動』久保書店、1972年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年
- 鶴岡正夫編『青少年の座右銘 現代鹿児島の百人』育英出版社、1976年