コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

松田三徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(まつだ みのり、1886年明治19年)6月11日[1] - 1962年昭和37年)12月19日[2])は、明治末から昭和期の実業家政治家衆議院議員。旧姓・小島。

経歴

[編集]

香川県[2]三野郡、のちの三豊郡詫間村[3][4]詫間町を経て現三豊市詫間町)で小島家に生まれ[5][6]、1897年(明治30年)松田寛吾の養子となり家督を相続した[5][6]。1909年(明治42年)慶應義塾大学部法律科を卒業した[2][3][5][6]一年志願兵として入隊し陸軍三等主計に任官し除隊した[5][4]

台湾総督府秘書官、同官房秘書課長を務めた[2][3][5][6]。帰郷して農業、塩業を営む[2]。讃岐産業取締役、讃岐米肥社長、日本マグネシユーム取締役などを務めた[2][3][6]

政界では香川県会議員、所得税調査委員、相続税調査委員、官有財産調査会委員、小作制度調査会委員などを務めた[2][3][4][5][6]。1917年(大正6年)4月の第13回衆議院議員総選挙で香川県郡部から憲政会所属で出馬して初当選[7]。その後、第14回(香川県第6区、無所属[8])、第15回(香川県第6区、憲政会公認[9])、第16回総選挙(香川県第2区、立憲民政党公認[10])でも再選され、衆議院議員に連続4期在任した[2][4]

著作

[編集]
  • 『世界大戦後の我国民思潮』警文社、1919年。

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院『第三十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1917年、25頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』600頁。
  3. ^ a b c d e 『新代議士名鑑』413頁。
  4. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』420頁。
  5. ^ a b c d e f 『大衆人事録 昭和3年版』マ31頁。
  6. ^ a b c d e f 『人事興信録 第8版』マ93頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』96頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』25頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』28頁。
  10. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第16回』453頁。

参考文献

[編集]
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
  • 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 昭和3年版』帝国秘密探偵社、1927年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第16回』衆議院事務局、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

関連項目

[編集]