コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

山田又司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山田又司
やまだ またじ
生年月日 1884年9月3日
出生地 日本の旗 日本 新潟県
没年月日 (1963-07-21) 1963年7月21日(78歳没)
出身校 慶応義塾大学政治科卒業
前職 鉱業
所属政党憲政会→)
立憲民政党→)
立憲政友会

選挙区 (新潟県第2選挙区→)
新潟県第3選挙区
当選回数 5回
在任期間 1924年 - 1937年3月31日


テンプレートを表示

山田 又司(やまだ またじ、1884年9月3日[1] - 1963年7月21日[2])は、日本の政治家衆議院議員(5期)。

経歴

[編集]

新潟県出身[2]1908年明治41年)、慶応義塾大学政治科卒。鉱業に従事する。長岡市議、新潟県会議員を務め[2]、長岡市青年会長、新潟港湾調査会顧問、長岡商業会議所特別議員、日本金鉱、会津石膏各(株)社長、大阪機械製作所、日蘭公司、北越新報、中央証券取引所各(株)取締役、長岡鉄道、北越印刷各(株)監査役となる[2]

1924年大正13年)の第15回衆議院議員総選挙において新潟2区(小選挙区制)から憲政会公認で立候補して初当選[3]1928年昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙において新潟3区(当時)から立憲民政党公認で立候補して再選[4]1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙では立憲政友会公認で立候補して三選[5]。以後、1936年(昭和11年)の第19回衆議院議員総選挙まで政友会から立候補した。1937年(昭和12年)の第20回衆議院議員総選挙には出馬せず引退した。

エピソード

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、8頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』686頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』73頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』82頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』92頁。
  6. ^ 漕ぎ初め式、古希艇や還暦艇も出場『東京日日新聞』(昭和15年11月1日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p549 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年

参考文献

[編集]
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。