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{{otheruses|1940年生まれの政治家|この人物の祖父である1887年生まれの実業家|麻生太郎 (明治時代)}} |
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{{半保護}} |
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{{存命人物の出典明記|date=2016年11月}} |
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{{Otheruses||祖父|麻生太郎 (明治時代)}} |
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{{政治家 |
{{政治家 |
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|人名 = |
| 人名 = 麻生 太郎 |
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|各国語表記 = あそう たろう |
| 各国語表記 = あそう たろう |
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| 画像 = Tarō Asō 20170920.jpg |
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| 画像サイズ = 230px |
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|画像説明 = |
| 画像説明 = [[内閣広報室]]より公表された肖像<br>([[2017年]] 撮影) |
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|国略称 = {{JPN}} |
| 国略称 = {{JPN}} |
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|生年月日 = {{生年月日と年齢|1940|9|20}} |
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1940|9|20}} |
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|出生地 = {{ |
| 出生地 = {{JPN1870}} [[福岡県]][[飯塚市]] |
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|没年月日 = |
| 没年月日 = |
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|死没地 = |
| 死没地 = |
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|出身校 = [[学習院大学]] |
| 出身校 = [[学習院大学]]政経学部卒業 |
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|前職 = [[麻生セメント]]代表取締役社長<br |
| 前職 = [[麻生セメント]]代表取締役社長<br>[[日本青年会議所]]会頭 |
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| 所属政党 = [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]([[宏池会|宮澤派]]→[[志公会#大勇会時代|河野G]]→[[志公会|麻生派]]) |
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|現職 = 衆議院議員<br />[[副総理]]<br />[[財務大臣#日本|財務大臣]]<br />[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|金融担当大臣]]<br>[[デフレ脱却担当大臣]]<br>自由民主党福岡県支部連合会最高顧問 |
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| 称号・勲章 = [[学士(政治学)|政治学士]](学習院大学・[[1963年]]) |
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|所属政党 = [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]([[志公会|麻生派]]) |
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| 配偶者 = [[麻生ちか子]] |
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|称号・勲章 = [[学士(政治学)|政治学士]](学習院大学・[[1963年]]) |
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| 子女 = 長男・[[麻生将豊]]<br>長女・[[麻生彩子]] |
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|親族(政治家) = [[立花種道]](高祖父)<br />[[大久保利通]](高祖父)<br />[[大久保満寿子]](高祖母)<br />[[三島通庸]](高祖父)<br />[[麻生太吉]](曾祖父)<br />[[加納久宜]](曾祖父)<br />[[竹内綱]](曾祖父)<br />[[牧野伸顕]](曾祖父)<br />[[吉田健三]](養曾祖父)<br />[[麻生太郎 (明治時代)|麻生太郎]](祖父)<br />[[吉田茂]](祖父)<br />[[加納久朗]](大伯父)<br />[[竹内明太郎]](大伯父)<br />[[吉田健一]](伯父)<br />[[麻生太賀吉]](父)<br />[[麻生和子]](母)<br />[[鈴木善幸]](岳父)<br />[[鈴木俊一 (衆議院議員)|鈴木俊一]](義弟)<br />[[麻生泰]](弟)<br />[[寬仁親王妃信子]](三妹) |
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| 親族(政治家) = 高祖父・[[立花種道]]<br>高祖父・[[大久保利通]]<br>高祖母・[[大久保満寿子]]<br>高祖父・[[三島通庸]]<br>曾祖父・[[麻生太吉]]<br>曾祖父・[[加納久宜]]<br>曾祖父・[[竹内綱]]<br>曾祖父・[[牧野伸顕]]<br>養曾祖父・[[吉田健三]]<br>祖父・[[麻生太郎 (明治時代)|麻生太郎]]<br>祖父・[[吉田茂]]<br>祖母・[[吉田雪子]]<br>大伯父・[[加納久朗]]<br>大伯父・[[竹内明太郎]]<br>伯従父・[[杉山元太郎]]<br>伯父・[[吉田健一 (英文学者)|吉田健一]]<br>父・[[麻生太賀吉]]<br>母・[[麻生和子]]<br>岳父・[[鈴木善幸]]<br>義弟・[[鈴木俊一 (衆議院議員)|鈴木俊一]]<br>弟・[[麻生泰]]<br>三妹・[[寬仁親王妃信子]]<br>義弟・[[寬仁親王]] |
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|配偶者 = [[麻生ちか子]] |
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|サイン = |
| サイン = Tarō Asō signature.svg |
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|ウェブサイト = http://www.aso-taro.jp/ |
| ウェブサイト = http://www.aso-taro.jp/ |
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|サイトタイトル = 麻生太郎オフィシャルサイト |
| サイトタイトル = 麻生太郎オフィシャルサイト |
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|国旗= JPN |
| 国旗 = JPN |
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|職名= |
| 職名 = 第92代 [[内閣総理大臣]] |
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|内閣= [[麻生内閣]] |
| 内閣 = [[麻生内閣]] |
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| 就任日 = [[2008年]][[9月24日]] |
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|選挙区= |
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| 退任日 = [[2009年]][[9月16日]] |
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|当選回数= |
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| 元首職 = 天皇 |
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|就任日= [[2008年]][[9月24日]] |
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| 元首 = [[明仁|上皇(明仁)]] |
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|退任日= [[2009年]][[9月16日]] |
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| 国旗2 = JPN |
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|所属委員会= |
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| 職名2 = [[副総理]]<br>第17-20代 [[財務大臣 (日本)|財務大臣]]<br>[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|内閣府特命担当大臣(金融)]]<br>[[デフレ脱却担当大臣]] |
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|議員会館= |
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| 内閣2 = [[第2次安倍内閣]]<br>[[第2次安倍内閣 (改造)|第2次安倍改造内閣]]<br>[[第3次安倍内閣]]<br>[[第3次安倍内閣 (第1次改造)|第3次安倍第1次改造内閣]]<br>[[第3次安倍内閣 (第2次改造)|第3次安倍第2次改造内閣]]<br>[[第3次安倍内閣 (第3次改造)|第3次安倍第3次改造内閣]]<br>[[第4次安倍内閣]]<br>[[第4次安倍内閣 (第1次改造)|第4次安倍第1次改造内閣]]<br>[[第4次安倍内閣 (第2次改造)|第4次安倍第2次改造内閣]]<br>[[菅義偉内閣]] |
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|元首職= 天皇 |
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| 就任日2 = [[2012年]][[12月26日]] |
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|元首= [[明仁]] |
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| 退任日2 = [[2021年]][[10月4日]] |
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|国旗2= JPN |
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| 国旗3 = JPN |
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|職名2= [[副総理|(副総理)]]<br />{{Flagicon|JPN}} 第17・18・19代 [[財務大臣]]<br />{{Flagicon|JPN}} [[内閣府特命担当大臣(金融担当)|内閣府特命担当大臣(金融)]] |
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| 職名3 = 第132-133代 [[外務大臣 (日本)|外務大臣]] |
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|内閣2= [[第2次安倍内閣]]<br />[[第2次安倍内閣 (改造)|第2次安倍改造内閣]]<br />[[第3次安倍内閣]]<br />[[第3次安倍内閣 (第1次改造)|第3次安倍第1次改造内閣]]<br />[[第3次安倍内閣 (第2次改造)|第3次安倍第2次改造内閣]]<br />[[第3次安倍内閣 (第3次改造)|第3次安倍第3次改造内閣]]<br />[[第4次安倍内閣]]<br />[[第4次安倍内閣 (第1次改造)|第4次安倍第1次改造内閣]]<br />[[第4次安倍内閣 (第2次改造)|第4次安倍第2次改造内閣]] |
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| 内閣3 = [[第3次小泉内閣 (改造)|第3次小泉改造内閣]]<br>[[第1次安倍内閣]] |
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|選挙区2= |
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| 就任日3 = [[2005年]][[10月31日]] |
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|当選回数2= |
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| 退任日3 = [[2007年]][[8月27日]] |
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| 国旗4 = JPN |
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|退任日2= 現職 |
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| 職名4 = 第3-5代 [[総務大臣]] |
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|国旗3= JPN |
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| 内閣4 = [[第1次小泉内閣 (第2次改造)|第1次小泉第2次改造内閣]]<br>[[第2次小泉内閣]]<br>[[第2次小泉内閣 (改造)|第2次小泉改造内閣]]<br>[[第3次小泉内閣]] |
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|職名3= 第138・139代 [[外務大臣 (日本)|外務大臣]] |
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| 就任日4 = [[2003年]][[9月22日]] |
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|内閣3=[[第3次小泉内閣 (改造)|第3次小泉改造内閣]]<br />[[第1次安倍内閣]] |
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| 退任日4 = 2005年10月31日 |
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|選挙区3= |
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| 国旗5 = JPN |
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|当選回数3= |
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| 職名5 = [[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]<br>[[インターネット博覧会|新千年紀記念行事担当大臣]]<br>[[情報通信技術担当大臣|情報通信技術(IT)担当大臣]] |
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|就任日3= [[2005年]][[10月31日]] |
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| 内閣5 = [[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|第2次森改造内閣]] |
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|退任日3= [[2007年]][[8月27日]] |
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| 就任日5 = [[2001年]][[1月23日]] |
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|国旗4= JPN |
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| 退任日5 = 2001年[[4月26日]] |
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|職名4= 第3・4・5代 [[総務大臣]] |
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| 国旗6 = JPN1947 |
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|内閣4= [[第1次小泉内閣 (第2次改造)|第1次小泉第2次改造内閣]]<br />[[第2次小泉内閣]]<br />[[第2次小泉内閣 (改造)|第2次小泉改造内閣]]<br />[[第3次小泉内閣]] |
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| その他職歴1 = 第53代 [[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]<br>'''([[第2次橋本内閣]])''' '' '' |
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|選挙区4= |
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| 就任日6 = [[1996年]][[11月7日]] |
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|当選回数4= |
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| |
| 退任日6 = [[1997年]][[9月11日]] |
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| 国旗7 = JPN |
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|退任日4= [[2005年]][[10月31日]] |
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| その他職歴2 = [[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]]<br>'''([[福岡県第2区 (中選挙区)|旧福岡県第2区]]→)<br>[[福岡県第8区]]<br>当選回数 15回''' '' '' |
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|国旗5= JPN |
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| 就任日7 = [[1979年]][[10月7日]] - [[1983年]][[11月28日]])<br>([[1986年]][[7月6日]] |
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|職名5= [[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]] |
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| 退任日7 = 現職 |
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|内閣5= |
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| その他職歴3 = [[ファイル:Liberal Democratic Party (Japan) Emblem.svg|20px]] 第23代 [[自由民主党総裁]] |
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|選挙区5= ([[福岡県第2区 (中選挙区)|旧福岡2区]]→)<br />[[福岡県第8区|福岡8区]] |
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| 就任日8 = 2008年[[9月22日]] |
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|当選回数5= 13回 |
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| 退任日8 = 2009年9月16日 |
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|就任日5= [[1979年]][[10月]] - [[1983年]][[11月28日]]<br />[[1986年]][[7月8日]] |
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| その他職歴4 = [[ファイル:Liberal Democratic Party (Japan) Emblem.svg|20px]] [[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[顧問#自由民主党|最高顧問]]<br>'''総裁:[[石破茂]]''' '' '' |
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|退任日5= 現職 |
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| 就任日9 = [[2024年]][[9月30日]] |
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|議員会館5= |
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| 退任日9 = 現職 |
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|元首職5= |
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| その他職歴5 = [[ファイル:Liberal Democratic Party (Japan) Emblem.svg|20px]] 第17代 [[自由民主党副総裁]]<br>'''総裁:[[岸田文雄]]''' '' '' |
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|元首5= |
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| 就任日10 = [[2021年]][[10月1日]] |
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|国旗6 = JPN |
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| 退任日10 = 2024年9月30日 |
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|その他職歴1 = [[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]<br />'''([[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)]])''' '' '' |
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| その他職歴6 = [[ファイル:Liberal Democratic Party (Japan) Emblem.svg|20px]] 第44・46代 [[自由民主党幹事長]]<br> '''総裁:[[安倍晋三]]''' '' '' |
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|就任日6 = [[2001年]][[1月23日]] |
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| |
| 就任日11 = 2007年[[8月27日]] - 2007年9月24日)<br>総裁:[[福田康夫]]<br>(2008年[[8月1日]] |
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| 退任日11 = 2008年[[9月]] |
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|国旗7 = JPN |
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|その他職歴 |
| その他職歴7 = [[ファイル:Liberal Democratic Party (Japan) Emblem.svg|20px]] 第44代 [[自由民主党政務調査会#政務調査会長|自由民主党政務調査会長]]<br>'''総裁:[[小泉純一郎]]''' '' '' |
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|就任日 |
| 就任日12 = 2001年[[4月24日]] |
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|退任日 |
| 退任日12 = 2003年[[9月21日]] |
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}} |
}} |
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'''麻生 太郎'''(あそう たろう、[[1940年]]〈[[昭和]]15年〉[[9月20日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]、[[実業家]]、元[[射撃選手一覧|射撃選手]]。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]](15期)、[[自由民主党顧問#党最高顧問|自由民主党最高顧問]]、[[志公会]]会長。[[世界平和研究所|中曽根康弘世界平和研究所]]会長。 |
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[[内閣総理大臣]]([[麻生内閣|第92代]])、[[副総理]]兼[[財務大臣 (日本)|財務大臣]](第[[第2次安倍内閣|17]]・[[第3次安倍内閣|18]]・[[第4次安倍内閣|19]]・[[菅義偉内閣|20]]代)、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|内閣府特命担当大臣(金融)]](第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、[[デフレ脱却担当大臣]](第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]](第[[第3次小泉改造内閣|132]]・[[第1次安倍内閣|133]]代)、[[総務大臣]](第[[第1次小泉内閣 (第2次改造)|3]]・[[第2次小泉内閣|4]]・[[第3次小泉内閣|5]]代)、国民スポーツ担当大臣([[第2次小泉内閣 (改造)|第2次小泉改造内閣]]・第3次小泉内閣)、[[情報通信技術担当大臣|情報通信技術(IT)担当大臣]]([[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|第2次森改造内閣]])、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]([[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|第2代]])、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]([[第2次橋本内閣|第53代]])、[[文部省#歴代の文部政務次官|文部政務次官]]([[竹下内閣 (改造)|竹下改造内閣]])、[[衆議院]]財政構造改革特別委員長、衆議院[[外務委員会|外務委員長]]、衆議院石炭対策特別委員長、[[自由民主党総裁]](第23代)、[[自由民主党副総裁]](第17代)、[[自由民主党幹事長]](第44・46代)、[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|自由民主党政務調査会長]](第44代)、自由民主党経理局長を歴任した<ref>{{Cite news|url=https://www.jiji.com/sp/giin?d=40258b4428f029a6cda7bdde576d8872&c=syu|title=国会議員情報 麻生太郎|accessdate=2022-10-01|newspaper=時事ドットコム|publisher=[[時事通信社]]|archive-date=2022年10月1日|archive-url=https://web.archive.org/web/20221001040540/https://www.jiji.com/sp/giin?d=40258b4428f029a6cda7bdde576d8872&c=syu}}</ref><ref>{{Cite web|1=和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/meibo/daijin/aso_taro.html|title=麻生太郎 プロフィール|accessdate=2022-10-01|publisher=[[内閣総理大臣官邸]]}} {{Wayback|url=https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/meibo/daijin/aso_taro.html |date=20201006162251 }}</ref>。 |
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'''麻生 太郎'''(あそう たろう、[[1940年]]〈[[昭和]]15年〉[[9月20日]] - )は、[[日本]]の[[男性]][[政治家]]、[[実業家]]。 |
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[[1976年モントリオールオリンピックの射撃競技]]の[[クレー射撃]]・[[クレー射撃#スキート|スキート]]にて[[日本代表]]で出場した[[オリンピック選手]]でもあり、[[日本クレー射撃協会]]の第11代会長を務めた。 |
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[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[日本の国会議員#衆議院議員|衆議院議員]](13期)、[[副総理]]、[[財務大臣#日本|財務大臣]](第[[第2次安倍内閣|17]]・[[第3次安倍内閣|18]]・[[第4次安倍内閣|19]]代)、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)]]、[[デフレ脱却担当大臣|デフレ脱却担当]]、[[志公会]](麻生派)会長、[[自民党たばこ議員連盟]]顧問である。[[内閣総理大臣]]([[麻生内閣|第92代]])、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]([[第2次橋本内閣|第53代]])、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]([[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|第2代]])、[[情報技術|情報通信技術(IT)]]担当大臣([[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|第2次森改造内閣(再編後)]])、[[総務大臣]]([[第1次小泉内閣 (第2次改造)|第3代]]・[[第2次小泉内閣|第4代]]・[[第3次小泉内閣|第5代]])、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]([[第3次小泉改造内閣|第138代]]・[[第1次安倍内閣|第139代]])、[[外務委員会|衆議院外務委員長]]、[[自由民主党政務調査会|自由民主党政務調査会長]](第44代)、[[自由民主党幹事長]](第40代・第42代)、[[自由民主党総裁]](第23代)を務めた。 |
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{{TOC limit|3}} |
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== 概要 == |
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[[学習院大学]][[政治経済学部]]卒業、[[学士(政治学)|政治学士]](学習院大学)を取得<ref>japan.kantei.go.jp/97_abe/meibo/daijin/1208723_10042.html</ref>。その後、麻生産業に入社し、麻生セメント(現、[[麻生 (企業)|株式会社麻生]]<ref group="注釈">麻生産業から分社した麻生セメントは、麻生と社名変更している。現在の麻生ラファージュセメントは、麻生から更に分社化した麻生セメント(2代目)が商号変更したもの。</ref>)の社長や日本青年会議所の会頭などを経て、[[1979年]]([[昭和]]54年)衆議院選挙に初当選。以後[[1983年]]([[昭和]]58年)の落選を除き、当選回数13回を数える。相続した自宅は25億円など世襲議員として資金力を有する。<ref>http://www.asahi.com/special/070912/TKY200709200380.html</ref> |
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== 概説 == |
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[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]([[第2次橋本内閣|第53代]])、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]([[第2次森改造内閣|第2代]])、[[自由民主党政務調査会長]]、[[総務大臣]]([[第1次小泉第2次改造内閣|第3代]]・[[第2次小泉内閣|第4代]]・[[第3次小泉内閣|第5代]])、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]([[第3次小泉改造内閣|第137代]]・[[第1次安倍内閣|第138代]])、[[自由民主党幹事長]]を経て[[2008年自由民主党総裁選挙]]により、第23代[[自由民主党総裁]]に選出され、第92代[[内閣総理大臣]]に就任した。 |
|||
[[学習院初等科]]、[[学習院中・高等科]]を経て、[[学習院大学]]政経学部を卒業後、麻生産業に入社し、麻生セメント(現、[[麻生 (企業)|株式会社麻生]]<ref group="注釈">麻生産業から分社した麻生セメントは、麻生と社名変更している。現在の麻生セメントは、麻生から更に分社化したもの。</ref>)の社長や[[日本青年会議所]]の会頭などを経て、[[1979年]]([[昭和]]54年)衆議院選挙に初当選。以後、[[1983年]]([[昭和]]58年)の落選を除き、当選回数15回を数える。相続した自宅は25億円など政界有数の資金力を有する<ref>{{Cite web |title=asahi.com:福田氏vs麻生氏 世襲首相、様々な「遺産」 - 自民党総裁選 |url=http://www.asahi.com/special/070912/TKY200709200380.html |website=www.asahi.com |access-date=2024-12-07}}</ref>。 |
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[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]([[第2次橋本内閣|第53代]])、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]([[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|第2代]])、[[自由民主党政務調査会長]]、[[総務大臣]]([[第1次小泉第2次改造内閣|第3代]]・[[第2次小泉内閣|第4代]]・[[第3次小泉内閣|第5代]])、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]([[第3次小泉改造内閣|第137代]]・[[第1次安倍内閣|第138代]])、[[自由民主党幹事長]]を経て[[2008年自由民主党総裁選挙]]により、第23代[[自由民主党総裁]]に選出され、第92代[[内閣総理大臣]]に就任した。 |
|||
[[第2次安倍内閣]]で[[財務大臣]]兼[[副総理]]兼[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|金融担当大臣]]として入閣した。首相経験者の入閣は[[幣原喜重郎]]、[[宮澤喜一]]、[[橋本龍太郎]]に続き戦後4人目<ref group="注釈">ほかに首相として再度就任した[[吉田茂]]と[[安倍晋三]]がいる</ref>。 |
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[[第2次安倍内閣]]で[[副総理]]兼[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]兼[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|金融担当大臣]]として入閣した。首相経験者の入閣は[[幣原喜重郎]]、[[宮澤喜一]]、[[橋本龍太郎]]に続き、戦後4人目<ref group="注釈">ほかに首相として再就任した[[吉田茂]]と[[安倍晋三]]がいる</ref>。 |
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[[1976年モントリオールオリンピック]][[クレー射撃]](クレー、[[クレー射撃#スキート|スキート]]競技)日本代表<ref>[http://www.joc.or.jp/database/result.html JOC - オリンピック歴代日本代表選手全記録]</ref><ref>[http://www.sports-reference.com/olympics/athletes/as/taro-aso-1.html Sports-reference.com profile:Taro Aso]</ref><ref name="asouofficial">[http://www.aso-taro.jp/ 麻生太郎オフィシャルサイト]</ref>(41位)。弟の[[麻生泰]]は、[[学校法人麻生塾]]や[[麻生セメント]]などを傘下に持つ[[麻生 (企業)|麻生]]グループ代表である。また、実妹は皇族の[[寛仁親王妃信子]]にあたる。信仰[[宗教]]は[[キリスト教]]([[カトリック教会|カトリック]])であり、[[洗礼]]名は「フランシスコ」<ref>{{Cite web|url=https://www.jiji.com/amp/article?k=2019112501045&g=pol|title=安倍首相、「教皇と同名」と麻生氏紹介|accessdate=2019年11月26日|publisher=JIJI PRESSLTD Ltd.}}</ref>。 |
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[[1976年モントリオールオリンピック]][[クレー射撃]](クレー、[[クレー射撃#スキート|スキート]]競技)日本代表<ref>[http://www.joc.or.jp/database/result.html JOC - オリンピック歴代日本代表選手全記録] {{Wayback|url=http://www.joc.or.jp/database/result.html |date=20130606023547 }}</ref><ref>{{Cite web |title=Olympics Site Closed {{!}} Olympics at Sports-Reference.com |url=https://www.sports-reference.com/olympics.html |website=www.sports-reference.com |access-date=2024-12-07}}</ref><ref name="asouofficial">{{Cite web |title=麻生太郎オフィシャルサイト |url=http://www.aso-taro.jp/ |website=www.aso-taro.jp |access-date=2024-12-07}}</ref>(41位)。弟の[[麻生泰]]は、[[学校法人麻生塾]]や[[麻生セメント]]などを傘下に持つ[[麻生 (企業)|麻生]]グループ代表である。また、皇族の[[寬仁親王妃信子]]は実妹にあたる。 |
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== 経歴 == |
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=== 生い立ち === |
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== 来歴 == |
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[[福岡県]][[飯塚市]]に[[麻生太賀吉]]、和子の長男として生まれる<ref group="注釈">父方の祖父の名前も“[[麻生太郎 (明治時代)|麻生太郎]]”である</ref>。[[学校法人麻生塾|麻生塾小学校]]を経て、小学3年生の頃上京し、[[学習院初等科]]に編入<ref>『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 79-80頁</ref>。 |
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[[福岡県]][[飯塚市]]に麻生太賀吉・和子の長男として生まれる。高祖父が[[大久保利通]]、祖父が[[吉田茂]]元首相、義父が[[鈴木善幸]]元首相、妹が皇族の[[寬仁親王妃信子]]という血脈を持つ。小学3年生のころ上京し、[[学習院初等科]]に編入。[[学習院中・高等科]]を経て、[[学習院大学]]政経学部を卒業。大学在学中は射撃部に所属し、射撃の腕を磨いた。 |
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=== 世界での事業 === |
=== 世界での事業 === |
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産経の試験を受け |
父親と親交があった[[水野成夫]]が経営する[[産業経済新聞社]]の試験を受けるも海外留学を選び<ref>[[山本泰夫]]『加藤芳郎のまっぴら人生愛蔵版』[[産経新聞出版]]p.225</ref>、帰国後は、[[1966年]]に実家の麻生産業(「[[麻生 (企業)|株式会社麻生]]」の初期の中核企業、後に清算)に入社し、1960年代後半に[[ブラジル]]、[[サンパウロ]]に1年近く駐在していたことがあると本人は語っている<ref group="注釈">[http://www.nikkeyshimbun.com.br/070817-72colonia.html 麻生太郎外務大臣に聞く=日伯関係、百周年、デカセギ=本紙が単独インタビュー][[ニッケイ新聞]] 2007年8月17日 {{Wayback|url=http://www.nikkeyshimbun.com.br/070817-72colonia.html |date=20081123043337 }}。また、麻生太郎の従兄弟に当たる人物がブラジルに移民していたことも近年になって判明した。[http://villagejapan.com/vj_news_detail.phtml?product_id=538 麻生総理の従兄弟とついに接触! 学移連出身だった忠氏 「人生一度だけ!」と熱弁]{{リンク切れ|date=2015年8月25日 }}VillageJapan 2008年12月31日</ref>。 |
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その後、[[1970年]]から2年間に渡って[[シエラレオネ]]にて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、[[ダイヤモンド]]採掘業に従事してい |
その後、[[1970年]]から2年間に渡って[[シエラレオネ]]にて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、[[ダイヤモンド]]採掘業に従事していた<ref group="注釈">この採掘事業を開始したのは、麻生太郎の父親である[[麻生太賀吉]]と実弟で専務の[[麻生典太]]だったと言われており、同国のダイヤモンド採掘を長らく支配していたイギリス人とレバノン人以外の人に掘ってもらいたい、という現地の意向から麻生家に鉱区が提供されたと[[麻生典太]]は語っていたと言われる。その後、同国での内戦勃発に伴って麻生家は事業から撤収した。[https://archive.is/aEP3 『No.34 ブラッド・ダイヤモンド』 最首公司のホームページ]<!-- http://homepage2.nifty.com/saishu/miyako39.html --> および、ダイヤモンド・ロードを行く 最首公司著 講談社(1970)より</ref><ref group="注釈">[[2006年]]1月19日に日本記者クラブにて行われた [https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_0119.html 外務大臣演説] {{Wayback|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_0119.html |date=20201115112941 }} で[[シエラレオネ]]のダイヤモンド採掘業での経験について発言しているほか、当時製作されたニュース映画にも現地の事業を指揮する麻生太郎本人がインタビューに答えて登場している。</ref>。 |
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=== 帰国後 === |
=== 帰国後 === |
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[[1973年]]にセメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現 |
[[1973年]]にセメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現・[[麻生 (企業)|株式会社麻生]])の[[代表取締役]]社長に就任する<ref>『朝日新聞』1977年7月29日朝刊8頁「JC会頭に麻生氏 日本青年会議所」(朝日新聞東京本社)</ref><ref>『日本経済新聞』1978年6月17日地方経済面九州B14頁「好業績を機に外部の血を導入した麻生グループ3代目麻生太郎氏(ひと)」</ref>。これにより[[炭鉱]]業から[[セメント]]業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代に社長業の傍ら、[[1976年モントリオールオリンピック]]に[[クレー射撃|スキート射撃]]の日本代表選手として出場し、41位の結果となっている<ref>『産経新聞』2008年6月25日朝刊朝運動2面「【北京五輪 全28競技紹介】(24)射撃」(産経新聞東京本社)</ref>。 |
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=== 政界 |
=== 政界入り === |
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[[File:Tarō Asō 20031119.jpg|200px|thumb|right|2003年、総務大臣時代の肖像([[内閣広報室]]より)]] |
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[[1979年]]10月、[[第35回衆議院議員総選挙]]に[[福岡県第2区 (中選挙区)|旧福岡2区]](現:[[福岡県第8区|福岡8区]])から出馬、4位(定員5名)で初当選し政界入りする。[[1982年]]、[[自民党青年局]]局長に就任。 |
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[[1979年]]10月、[[第35回衆議院議員総選挙]]に[[福岡県第2区 (中選挙区)|旧福岡2区]](現:[[福岡県第8区|福岡8区]])から出馬、4位(定員5名)で初当選し政界入りする。(当選同期に[[亀井静香]]、[[保利耕輔]]、[[船田元]]、[[丹羽雄哉]]、[[岸田文武]]、[[吹田愰]]、[[小里貞利]]など)[[1982年]]、[[自民党青年局]]局長に就任。 |
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2期務めた後、いわゆる[[田中判決解散]]後に行われ自民党が過半数割れした[[第37回衆議院議員総選挙]]で |
2期務めた後、いわゆる[[田中判決解散]]後に行われ自民党が過半数割れした[[第37回衆議院議員総選挙]]で5位当選した共産党候補[[小沢和秋]]に2600票余り及ばず次点となり落選する。<ref group="注釈">これに先立つ[[11月3日]]に妻となる[[麻生ちか子|ちか子]]と結婚しており、それから1ヶ月半程の出来事であった。[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/000116620070320015.htm]</ref> その後[[第38回衆議院議員総選挙]]で2位の社会党候補に3万6000票余りの差をつけトップ当選し国政に復帰して以降、現在まで全ての総選挙で選挙区当選している。[[宏池会]]に所属。 |
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[[1996年]]には[[第2次橋本内閣]]の[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]に就任し、初入閣。[[1999年]]1月、党内で長年所属した宏池会を離脱、[[河野洋平]]を会長とする大勇会(河野グループ)の旗揚げに参加。 |
[[1996年]]には[[第2次橋本内閣]]の[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]に就任し、初入閣。[[1999年]]1月、党内で長年所属した宏池会を離脱、[[河野洋平]]を会長とする[[大勇会]](河野グループ)の旗揚げに参加。 |
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[[2001年]]1月、不祥事により引責辞任した[[額賀福志郎]]の後任で、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]、[[情報技術|情報通信技術(IT) |
[[2001年]]1月、不祥事により引責辞任した[[額賀福志郎]]の後任で、[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]、[[情報通信技術担当大臣|情報通信技術(IT)担当大臣]]、[[インターネット博覧会|新千年紀記念行事]]担当大臣に就任。4月、[[2001年自由民主党総裁選挙]]に出馬し、[[小泉純一郎]]・[[橋本龍太郎]]・[[亀井静香]]と戦い31票で3位。その後発足した小泉政権では党[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|政務調査会長]]を務め、その後は[[総務大臣]]や[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]などを務める。 |
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[[2004年]][[9月]] |
[[2004年]][[9月]]、[[国民年金]]保険料未払い期間があったことが判明している(1996年11月から2000年9月までの3年10か月間。経済企画庁長官就任時、国民年金への切り替えを忘れたため<ref>『[[毎日新聞]]』2004年5月14日 東京朝刊</ref>)。「未納三兄弟」と呼称されたうちの1人である。{{Main|政治家の年金未納問題}} |
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[[2006年]]9月、[[2006年自由民主党総裁選挙 |
[[2006年]]9月、[[2006年自由民主党総裁選挙]]に立候補するも当時の[[内閣官房長官]][[安倍晋三]]に敗れる(安倍:464票 麻生:136票 [[谷垣禎一]]:102票)。安倍新総理の下、引き続き外務大臣を務め、12月、河野グループが解散し、新たに[[為公会]](麻生派)を結成、会長に就任する。 |
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[[2007年]][[3月20日]]、衆議院議員在職25年を迎え、[[衆議院]]より院議をもって表彰された。同年8月の内閣改造 |
[[2007年]][[3月20日]]、衆議院議員在職25年を迎え、[[衆議院]]より院議をもって表彰された。同年8月の内閣改造及び党役員人事で、[[自由民主党幹事長|幹事長]]に就任したが、ほどなく安倍が退陣を表明。9月、[[2007年自由民主党総裁選挙]]に立候補し、党員票では[[福田康夫]]を僅差で上回ったが、133票差で敗れ(福田:330票 麻生:197票)、1か月で幹事長の座を退く。 |
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=== 総理大臣に就任 === |
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翌[[2008年]]8月、再び幹事長に就任するも、またしてもひと月後に、総理、総裁の福田が退陣を表明。同年9月の[[2008年自由民主党総裁選挙|08年自民党総裁選]]に4度目の立候補をし351票を獲得。自民党総裁に就任する。[[9月24日]]、第92代[[内閣総理大臣]]に就任。[[麻生内閣]]を[[組閣]]する。首相就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた。 |
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[[ファイル: Taro Aso 20080924.jpg|thumb|200px|2008年、首相時代の肖像([[内閣広報室]]より)]] |
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翌[[2008年]]8月、再び幹事長に就任するも、またしてもひと月後に、総理・総裁の福田が退陣を表明。同年9月の[[2008年自由民主党総裁選挙]]に4度目の立候補をし351票を獲得。自民党総裁に就任する。[[9月24日]]、第92代[[内閣総理大臣]]に就任。[[麻生内閣]]を[[組閣]]する<ref>{{Cite book|和書|author=本間康司|title=覚えておきたい総理の顔100|publisher=本間康司|date=2021-11-4|page=28|isbn=978-4389501396}}</ref>。首相就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた<ref>『毎日新聞』2008年9月25日朝刊内政面5頁「麻生首相:会見要旨」(毎日新聞東京本社)</ref>。 |
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[[2009年]][[8月1日]]、[[1977年]]に[[横田めぐみ]]が[[北朝鮮]][[工作員]]に拉致されたとされる[[新潟市]]内の現場周辺を、現職首相として初めて視察した |
[[2009年]][[8月1日]]、[[1977年]]に[[横田めぐみ]]が[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]][[スパイ|工作員]]に拉致されたとされる[[新潟市]]内の現場周辺を、現職首相として初めて視察した<ref>『毎日新聞』2009年8月2日地方版新潟面23頁「 |
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麻生首相:県内4カ所を遊説 歴代で初めて拉致現場視察 /新潟」</ref>。 |
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=== 下野へ === |
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2009年[[8月30日]]、[[第45回衆議院議員総選挙]]で自由民主党が惨敗、衆議院第1党の座から転落。同日夜に退陣を表明。[[9月16日]]、[[自由民主党総裁]]を辞任。同日の臨時[[閣議 (日本)|閣議]]にて[[内閣総辞職]]を決定。[[政権]]を最大[[野党]]党首で同選挙で300を超える議席を獲得した[[民進党代表|民主党代表]]の[[鳩山由紀夫]]に明け渡した。麻生は[[第二次世界大戦]]終結以前に生まれた最後の内閣総理大臣となった。 |
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[[ファイル:20090914 Taro Aso and Yukio Hatoyama kaidan1.jpg|200px|サムネイル|2009年9月14日、政権交代を前に[[鳩山由紀夫]][[民主党代表]](次期総理大臣)と会談する麻生]] |
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[[File:Resignation of the Asō Cabinet 20090916.jpg|200px|thumb|2009年9月16日、内閣総辞職に際して花束を贈呈される麻生]] |
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2009年[[8月30日]]、[[第45回衆議院議員総選挙]]で自由民主党が惨敗、衆議院第1党の座から転落。同日夜に退陣を表明。[[9月16日]]午前、[[内閣総辞職]]・[[内閣総理大臣指名選挙|首相指名選挙]]前に[[自由民主党総裁]]を辞任{{efn|同日午後、国会で行われた首相指名選挙では、自由民主党は総裁が空席のため、党両院議員総会長(当時)の[[若林正俊]]に投票した。}}。同日午前の[[閣議 (日本)#日本国憲法下|閣議]]にて内閣総辞職を決定。同選挙で300を超える議席を獲得した[[民主党代表]]の[[鳩山由紀夫]]に政権を明け渡すこととなった。麻生は[[第二次世界大戦]]終結以前に生まれた最後の内閣総理大臣となった。 |
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野党時代の[[2012年自由民主党総裁選挙]]では続投を表明していた谷垣禎一総裁に造反する形で出馬した幹事長の[[石原伸晃]]を批判して安倍晋三を支持した。 |
野党時代の[[2012年自由民主党総裁選挙]]では続投を表明していた谷垣禎一総裁に造反する形で出馬した幹事長の[[石原伸晃]]を批判して安倍晋三を支持した。 |
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=== 政権奪還後 === |
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[[2012年]][[12月16日]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]で自民党が政権を奪還。まもなく成立した[[第2次安倍内閣]]では[[副総理]]兼[[財務大臣]]兼[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|金融担当大臣]]として再入閣した。首相経験者の入閣は[[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|第2次森改造内閣(中央省庁再編後)]]に[[宮澤喜一]]が財務大臣、[[橋本龍太郎]]が[[内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)|沖縄及び北方対策担当大臣]]兼[[内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)|行政改革担当大臣]]として入閣した時以来となる。また、首相経験者が副総理として再入閣するのは[[第1次吉田内閣]]の[[幣原喜重郎]]以来である。また、内閣総理大臣退任後に財務大臣に就任したのは[[宮沢喜一]]以来2人目である。 |
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[[ファイル:20121227 Aso-Jojima hikitsugi.jpg|thumb|200px|2012年12月27日、前財務大臣の[[城島光力]]から事務引継ぎを受ける]] |
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[[ファイル:Aso taro 20160622.jpg|thumb|200px|2016年6月22日、[[センター北駅]]にて]] |
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[[ファイル:Tarō Asō 20121226.jpg|thumb|200px|2017年、副総理兼財務相時代の肖像写真([[内閣広報室]]より)]] |
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[[ファイル:Tarō Asō 20200717 (cropped).jpg|thumb|200px|2020年、副総理兼財務相時代の肖像写真([[金融庁]]より)]] |
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[[2012年]][[12月16日]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]で自民党が政権を奪還。まもなく成立した[[第2次安倍内閣]]では[[副総理]]兼[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]兼[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|内閣府特命担当大臣(金融)]]として再入閣した。首相経験者の入閣は[[第2次森内閣 (改造 中央省庁再編後)|第2次森改造内閣(中央省庁再編後)]]に[[宮澤喜一]]が財務大臣、[[橋本龍太郎]]が[[内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)|沖縄及び北方対策担当大臣]]兼[[内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)|行政改革担当大臣]]として入閣した時以来となる。また、首相経験者が副総理として再入閣するのは[[第1次吉田内閣]]の[[幣原喜重郎]]以来である。また、内閣総理大臣退任後に財務大臣に就任したのは[[宮澤喜一]]以来2人目である。 |
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[[2017年]]7月、為公会が[[番町政策研究所]]などと合流し[[志公会]](麻生派)が発足、会長に就任<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/articles/ASK7352KQK73UTFK00P.html?iref=comtop_8_02 |title=新・麻生派、59人で発足 自民党第2派閥に |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=[[朝日新聞社]] |accessdate=2017-07-03}}</ref>。 |
[[2017年]]7月、為公会が[[番町政策研究所]]などと合流し[[志公会]](麻生派)が発足、会長に就任<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/articles/ASK7352KQK73UTFK00P.html?iref=comtop_8_02 |title=新・麻生派、59人で発足 自民党第2派閥に |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=[[朝日新聞社]] |accessdate=2017-07-03 |archive-date=2017年7月29日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20170729214322/http://www.asahi.com/articles/ASK7352KQK73UTFK00P.html?iref=comtop_8_02 }}</ref>。 |
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2020年7月16日、新型コロナウイルスの感染拡大の中、3000人もの出席者を集めて政治資金パーティーを行った<ref>{{Cite web|1=和書|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2020071400918&g=pol|archive-url=https://web.archive.org/web/20200714231715/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020071400918&g=pol|title=自民各派、解散・人事にらみ活動本格化 麻生派皮切り、資金パーティー|website=時事ドットコムニュース|date=2020-07-15|archive-date=2020-07-14|accessdate=2023-01-15}} {{Wayback|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2020071400918&g=pol |date=20200716111046 }}</ref><ref>{{Cite web|1=和書|url=https://www.j-cast.com/tv/2020/07/17390359.html?p=all|title=こんな時に何やってんだ!自民党麻生派が3000人集めて政治資金パーティー|website=J-CAST ニュース|date=2020-07-17|accessdate=2023-01-15}} {{Wayback|url=https://www.j-cast.com/tv/2020/07/17390359.html?p=all |date=20200718074942 }}</ref>。 |
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=== 年譜 === |
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*[[1940年]]([[昭和]]15年)[[9月20日]] - [[福岡県]][[飯塚市]]に生まれる。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃に上京し、学習院初等科に編入する。 |
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2021年10月4日、[[第1次岸田内閣]]発足に伴い、副総理兼財務大臣兼金融担当大臣を退任。財務大臣としての在任期間は戦後最長となった。また、同月8日に[[自由民主党副総裁]]に就任した。 |
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同年10月22日、中曽根康弘世界平和研究所の会長に就任した<ref>{{Cite web|1=和書|url=https://npi.or.jp/news/2021/10/22124615.html|title=当研究所の新会長に麻生太郎氏が就任しました|publisher=公益財団法人 中曽根康弘世界平和研究所|date=2021-10-22|accessdate=2021-11-14}} {{Wayback|url=https://npi.or.jp/news/2021/10/22124615.html |date=20211114134709 }}</ref>。 |
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2024年9月30日、[[石破茂]]総裁の下、[[自由民主党顧問#党最高顧問|党最高顧問]]に就任した<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/m/general/nikkan/news/202409300000622_m.html|title=麻生太郎氏、石破茂総裁の隣で硬い表情 自民党最高顧問就任も記念撮影には加わらず|newspaper=日刊スポーツ|date=2024-09-30|accessdate=2024-10-01}}</ref>。同職の設置は[[中曽根康弘]]元首相が1994年に退任して以来、およそ30年ぶり<ref>{{Cite news|url= https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA3040N0Q4A930C2000000/|title=自民党最高顧問とは 30年ぶり設置、名誉職の意味合いも|newspaper=日本経済新聞|date=2024-10-01|accessdate=2024-10-01}}</ref>。 |
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== 年譜 == |
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*[[1940年]]([[昭和]]15年)[[9月20日]] - [[福岡県]][[飯塚市]]に生まれる。 |
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*[[1947年]](昭和22年)4月 - 自身専用の学校である[[麻生塾小学校]](現在は閉校)に入学。 |
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**その後、小学3年生のころに上京し、[[学習院初等科]]に編入する。 |
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*[[1959年]](昭和34年)[[3月]] - [[学習院中・高等科|学習院高等科]]卒業。 |
*[[1959年]](昭和34年)[[3月]] - [[学習院中・高等科|学習院高等科]]卒業。 |
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*[[1963年]](昭和38年) |
*[[1963年]](昭和38年) |
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**3月 - [[学習院大学]] |
**3月 - [[学習院大学]]政経学部[[政治学部|政治学科]]卒業。 |
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*[[1966年]](昭和41年) |
*[[1966年]](昭和41年) |
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**8月 - 麻生産業株式会社に入社。 |
**8月 - 麻生産業株式会社に入社。 |
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*[[1979年]](昭和54年)10月 - [[第35回衆議院議員総選挙]]に[[福岡県第2区 (中選挙区)|旧福岡2区]](現[[福岡県第8区|福岡8区]])から出馬し初当選。 |
*[[1979年]](昭和54年)10月 - [[第35回衆議院議員総選挙]]に[[福岡県第2区 (中選挙区)|旧福岡2区]](現[[福岡県第8区|福岡8区]])から出馬し初当選。 |
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*[[1983年]](昭和58年) |
*[[1983年]](昭和58年) |
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**[[11月3日]] - [[鈴木善幸]]元首相の三女[[麻生ちか子|千賀子]]と結婚 |
**[[11月3日]] - [[鈴木善幸]]元首相の三女[[麻生ちか子|千賀子]]と結婚。後に一男一女をもうける。 |
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**[[12月18日]] - [[第37回衆議院議員総選挙]]で3期目の当選を目指したが落選(75,412票)<ref group="注釈">当時の毎日新聞では、「'''華麗なる落選'''」という見出しで麻生の落選を報じていた。</ref>。 |
**[[12月18日]] - [[第37回衆議院議員総選挙]]で3期目の当選を目指したが落選(75,412票)<ref group="注釈">当時の毎日新聞では、「'''華麗なる落選'''」という見出しで麻生の落選を報じていた。</ref>。 |
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*[[1985年]](昭和60年)[[12月26日]] - [[九州工業大学]]の[[情報工学部]]の創設が[[大蔵省]]から認可され |
*[[1985年]](昭和60年)[[12月26日]] - [[九州工業大学]]の[[情報工学部]]の創設が[[大蔵省]]から認可され{{Sfn|麻生太郎|2007c|p=107−108}}、[[飯塚市]]へ国立大学を誘致する。 |
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*[[1986年]](昭和61年)[[7月6日]] - [[第38回衆議院議員総選挙]]で返り咲き当選(3期目・134,179票)同区の同じ自民党候補 |
*[[1986年]](昭和61年)[[7月6日]] - [[第38回衆議院議員総選挙]]で返り咲き当選(3期目・134,179票)同区の同じ自民党候補に[[木曜クラブ]]新人で後に[[経世会]]旗揚げや[[新党さきがけ]]結成に参加する[[三原朝彦]]。以降[[第50回衆議院議員総選挙]]まで13回連続当選。 |
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*[[1988年]](昭和63年)12月 - [[文部省|文部 |
*[[1988年]](昭和63年)12月 - [[文部省#歴代の文部政務次官|文部政務次官]]に就任([[1989年]]6月まで)}<ref>{{Cite web |title=歴代文部科学副大臣:文部科学省 |url=https://www.mext.go.jp/b_menu/soshiki/rekidai/hukudaijin.htm |website=www.mext.go.jp |access-date=2024-12-28}}</ref>。 |
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*[[1990年]](平成2年)3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。 |
*[[1990年]]([[平成]]2年)3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。 |
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*[[1991年]](平成3年) |
*[[1991年]](平成3年) |
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**1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。 |
**1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。 |
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151行目: | 173行目: | ||
*[[1992年]](平成4年)12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。 |
*[[1992年]](平成4年)12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。 |
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*[[1996年]](平成8年)11月 - [[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]に就任(1997年9月まで)。 |
*[[1996年]](平成8年)11月 - [[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]に就任(1997年9月まで)。 |
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*[[1997年]](平成9年)9月 - [[日本会議国会議員懇談会]]第2代会長に就任(2003年9月まで) |
*[[1997年]](平成9年)9月 - [[日本会議国会議員懇談会]]第2代会長に就任(2003年9月まで)。 |
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*[[1999年]](平成11年)3月 - 党副幹事長に就任(1999年11月まで)。 |
*[[1999年]](平成11年)3月 - 党副幹事長に就任(1999年11月まで)。 |
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*[[2001年]](平成13年) |
*[[2001年]](平成13年) |
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**1月 - [[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]、[[情報技術|情報通信技術(IT) |
**1月 - [[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]、[[情報通信技術担当大臣|情報通信技術(IT)担当大臣]]、[[インターネット博覧会|新千年紀記念行事]]担当大臣に就任(2001年4月まで)。 |
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**[[4月]] - [[2001年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に初出馬。[[4月24日]]投開票。4人中3位(1位は[[小泉純一郎]]だった) |
**[[4月]] - [[2001年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に初出馬。[[4月24日]]投開票。4人中3位(1位は[[小泉純一郎]]だった)。 |
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**4月 - 党[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|政務調査会長]](2003年9月まで)。 |
**4月 - 党[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|政務調査会長]](2003年9月まで)。 |
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*[[2003年]](平成15年) |
*[[2003年]](平成15年) |
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**[[11月]] - 総務大臣に再任(小泉内閣)。 |
**[[11月]] - 総務大臣に再任(小泉内閣)。 |
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*[[2004年]](平成16年)9月 - [[国民]]スポーツ担当大臣を兼任(小泉内閣)。 |
*[[2004年]](平成16年)9月 - [[国民]]スポーツ担当大臣を兼任(小泉内閣)。 |
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*[[2005年]](平成17年)10月 - [[外務大臣 (日本)|外務大臣]]に就任(小泉内閣) |
*[[2005年]](平成17年)10月 - [[外務大臣 (日本)|外務大臣]]に就任(小泉内閣)。 |
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*[[2006年]](平成18年) |
*[[2006年]](平成18年) |
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**[[9月]] - [[2006年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に出馬(2度目)[[9月20日]]投開票。3人中2位(1位は[[安倍晋三]]) |
**[[9月]] - [[2006年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に出馬(2度目)[[9月20日]]投開票。3人中2位(1位は[[安倍晋三]])。 |
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**[[9月]] - 外務大臣に再任 |
**[[9月]] - 外務大臣に再任([[第1次安倍内閣|安倍内閣]])。 |
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**[[12月15日]] - [[為公会]](麻生派)を設立し、会長に就任。 |
**[[12月15日]] - [[為公会]](麻生派)を設立し、会長に就任。 |
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*[[2007年]](平成19年) |
*[[2007年]](平成19年) |
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**[[3月20日]] - [[衆議院]]在職25年となり、衆議院[[本会議]]で永年在職議員表彰を受ける。 |
**[[3月20日]] - [[衆議院]]在職25年となり、衆議院[[本会議]]で永年在職議員表彰を受ける。 |
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**[[8月27日]] - [[第1次安倍内閣 (改造)|第1次安倍改造内閣]]において[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]に就任。 |
**[[8月27日]] - [[第1次安倍内閣 (改造)|第1次安倍改造内閣]]において[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]に就任。 |
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**9月 - [[2007年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に出馬(3度目)[[9月23日]]投開票。2人中2位(1位は[[福田康夫]]) |
**9月 - [[2007年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に出馬(3度目)[[9月23日]]投開票。2人中2位(1位は[[福田康夫]])。 |
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**10月〜 - 自民党の要職や[[福田内閣]]の閣僚に就かず、無役として全国300 |
**10月〜 - 自民党の要職や[[福田康夫内閣|福田内閣]]の閣僚に就かず、無役として全国300か所を行脚する。 |
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*[[2008年]](平成20年) |
*[[2008年]](平成20年) |
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**[[8月1日]] - [[福田康夫内閣 (改造)|福田改造内閣]]において再び自民党幹事長に就任。 |
**[[8月1日]] - [[福田康夫内閣 (改造)|福田改造内閣]]において再び自民党幹事長に就任。 |
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**[[8月10日]] - [[日本バスケットボール協会]]会長に就任。 |
**[[8月10日]] - [[日本バスケットボール協会]]会長に就任。 |
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**[[9月2日]] - [[福田康夫]]首相の辞任表明に基づく[[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に立候補 |
**[[9月2日]] - [[福田康夫]]首相の辞任表明に基づく[[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に立候補(4度目)(5名が出馬)。 |
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**[[9月22日]] - [[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]の投開票。351票で1位当選。第23代[[自由民主党総裁]]に就任。 |
**[[9月22日]] - [[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]の投開票。351票で1位当選。第23代[[自由民主党総裁]]に就任。 |
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**[[9月24日]] - 第92代[[内閣総理大臣]]に就任。[[麻生内閣]]組閣。 |
**[[9月24日]] - 第92代[[内閣総理大臣]]に就任。[[麻生内閣]]組閣。 |
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**[[10月26日]] - 総理 |
**[[10月26日]] - 総理就任後、初の[[街頭演説]]を[[東京都]][[千代田区]]の[[秋葉原駅]]前にて実施。以後全国各地を遊説。 |
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*[[2009年]](平成21年) |
*[[2009年]](平成21年) |
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**[[7月21日]] - [[閣議 (日本)|閣議]]を開き[[衆議院解散]]を宣言。 |
**[[7月21日]] - [[閣議 (日本)|閣議]]を開き、[[衆議院解散]]を宣言。 |
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**[[8月30日]] - [[第45回衆議院議員総選挙]]にて[[自由民主党 (日本)|自民党]]が歴史的敗北を喫し、自身の責任を取って総理総裁職を辞任する考えをTVの[[選挙特番]][[インタビュー]]にて表明。なお、麻生自身は[[福岡県第8区|福岡8区]]より対立候補を破り当選。 |
**[[8月30日]] - [[第45回衆議院議員総選挙]]にて[[自由民主党 (日本)|自民党]]が歴史的敗北を喫し、自身の責任を取って総理総裁職を辞任する考えをTVの[[選挙特番]][[インタビュー]]にて表明。なお、麻生自身は[[福岡県第8区|福岡8区]]より対立候補を破り当選。 |
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**[[9月16日]] - 第23代自由民主党総裁 |
**[[9月16日]] - [[麻生内閣]]総辞職、第23代自由民主党総裁・第92代内閣総理大臣を辞任。自民党は下野、民主党政権の[[鳩山由紀夫内閣]]成立。 |
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**[[12月9日]] - [[神道政治連盟国会議員懇談会]][[名誉顧問]]に就任。 |
**[[12月9日]] - [[神道政治連盟国会議員懇談会]][[名誉顧問]]に就任。 |
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*[[2010年]]([[平成]]22年)[[6月9日]] - [[自民党ネットサポーターズクラブ]](J-NSC)の[[最高顧問]]に就任。 |
*[[2010年]]([[平成]]22年)[[6月9日]] - [[自民党ネットサポーターズクラブ]](J-NSC)の[[最高顧問]]に就任。 |
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*[[2012年]](平成24年)[[12月26日]] - 自民党の政権復帰を受けて、[[副総理]]、[[財務大臣]]、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)]]、[[デフレ脱却担当大臣]]に就任([[第2次安倍内閣]])。 |
*[[2012年]](平成24年)[[12月26日]] - [[野田内閣 (第3次改造)]]総辞職に伴い民主党政権終了、自民党の政権復帰([[自公連立政権|公明党との連立]])を受けて、[[副総理]]、[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)]]、[[デフレ脱却担当大臣]]に就任([[第2次安倍内閣]])。 |
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*[[2015年]](平成27年)[[5月21日]] - [[副総理]]としての連続在任期間が876日となり、[[林譲治 (政治家)|林譲治]]を超え、戦後歴代一位となる |
*[[2015年]](平成27年)[[5月21日]] - [[副総理]]としての連続在任期間が876日となり、[[林譲治 (政治家)|林譲治]]を超え、戦後歴代一位となる<ref>{{Cite web |title=財務相戦後最長の麻生太郎氏 副総理も歴代1位更新中 派閥後継は?(1/2ページ) |url=https://www.sankei.com/article/20180212-RV7TFUZSPJL6ROUNQMKJQIQAZ4/ |website=産経新聞:産経ニュース |date=2018-02-13 |access-date=2024-12-07 |language=ja |last=産経新聞}}</ref>。 |
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*[[2016年]](平成28年)[[9月9日]] - [[財務大臣]] |
*[[2016年]](平成28年)[[9月9日]] - [[財務大臣 (日本)|財務大臣]]としての連続在任期間が1354日となり、大蔵大臣時も含め、[[池田勇人]]を超え、戦後歴代一位となる<ref>{{Cite web |title=麻生財務相:連続在任、戦後歴代1位…1354日 |url=https://mainichi.jp/articles/20160910/k00/00m/020/069000c |website=毎日新聞 |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。 |
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*[[2017年]](平成29年) |
*[[2017年]](平成29年) |
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**[[7月3日]] - [[番町政策研究所]]・天元会との合流により[[志公会]]を設立、会長に就任。 |
**[[7月3日]] - [[番町政策研究所]]・天元会との合流により[[志公会]]を設立、会長に就任。 |
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*[[2018年]](平成30年) |
*[[2018年]](平成30年) |
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**[[2月12日]] - 財務大臣(蔵相)としての通算在任期間が1875日となり、[[宮澤喜一]]を超え、戦後歴代一位となる |
**[[2月12日]] - 財務大臣(蔵相)としての通算在任期間が1875日となり、[[宮澤喜一]]を超え、戦後歴代一位となる<ref>{{Cite web |title=麻生太郎財務相、在任戦後1位に 1875日で宮沢喜一氏抜く |url=https://www.sankei.com/article/20180212-MPJU2AJAZBJN3JZE6BRQFXUZEI/ |website=産経新聞:産経ニュース |date=2018-02-12 |access-date=2024-12-07 |language=ja |last=産経新聞}}</ref>。 |
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*[[2020年]]([[令和]]2年) |
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**[[9月16日]] - 副総理、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融担当)、デフレ脱却担当大臣に再任([[菅義偉内閣]])<ref name="kanteikan">{{Cite web|1=和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/meibo/daijin/aso_taro.html|title=内閣法第九条の第一順位指定大臣(副総理) 麻生 太郎 (あそう たろう)|publisher=[[首相官邸]]|accessdate=2020-10-06}} {{Wayback|url=https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/meibo/daijin/aso_taro.html |date=20201006162251 }}</ref>。菅首相兼自民党総裁除く閣僚20名の中で、'''唯一の内閣総理大臣兼自民党総裁経験者'''。 |
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*[[2021年]](令和3年) |
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**[[10月8日]] - [[自由民主党副総裁|自民党副総裁]]に就任。 |
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**[[10月22日]] - 中曽根康弘世界平和研究所の会長に就任。 |
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*[[2024年]](令和6年) |
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**[[9月30日]] - [[自由民主党顧問#党最高顧問|自民党最高顧問]]に就任。 |
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== 人物 == |
== 人物 == |
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[[file:Asō Tarō, Yokoyama Norihiro and Satō Kōichi.jpg|thumb|250px|[[第76回東京優駿|第76回日本ダービー]]表彰式にて<br>左:麻生太郎<br>中央:[[横山典弘]](勝利騎手)<br>右:[[佐藤浩市]]([[日本中央競馬会|JRA]]イメージキャラクター)]] |
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=== 人物像 === |
=== 人物像 === |
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[[ファイル:第2次安倍内閣閣僚記者会見「麻生太郎大臣」.webm|サムネイル|財務大臣就任に際しての記者会見の動画]] |
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首相官邸プロフィールによると公称サイズは、身長175cm(ただし、『1975年度 日本体育協会スポーツ科学研究報告集』のモントリオールオリンピック大会クレー射撃男子代表選手の身長欄によると35歳時点で172.2cm)、体重70kg。名門の一族に育ち、[[財閥]]の元社長でもあるが、本人は「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と語っている。口の左端が下がり気味なため雑誌などの似顔絵ではへの字に描かれることが多い。[[江戸言葉|べらんめえ調]]の軽妙な語り口と歯に衣着せぬ発言で、[[選挙演説|街頭演説]]などで聴衆の人気を博した。周囲からは、「明るく気さくな人柄で、親しく付き合えば一方で魅力が伝わる人物」と認識されており、その人柄を評して「半径2メートルの男」とも呼ばれる<ref>「[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130209/stt13020907010002-n1.htm 「絶好調」安倍政権のアキレス腱はあの男…] {{Wayback|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130209/stt13020907010002-n1.htm |date=20130328000554 }}」 MSN産経ニュース(産経新聞)の記事。2013年2月9日配信、2013年3月15日閲覧。</ref><ref>「[http://www.jiji.com/jc/v?p=spc00181 型にはまらず頂点へ=オタクの雄、失言癖も-麻生氏]」 時事通信社の記事。2008年9月22日配信、2013年3月15日閲覧。</ref>。一方で、歯に衣着せぬ物言いが祟って[[日本共産党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]を中心に野党から失言が指摘されたり、問題視され、ときには進退問題に発展することが多々ある。 |
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[[内閣総理大臣官邸|首相官邸]]プロフィールによると公称サイズは、身長175 [[センチメートル|cm]](ただし、『1975年度 日本体育協会スポーツ科学研究報告集』のモントリオールオリンピック大会クレー射撃男子代表選手の身長欄によると35歳時点で172.2cm)、体重70 [[キログラム|kg]]。名門の一族に育ち、[[財閥]]の元社長でもあるが、本人は「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と語っている。口の左端が下がり気味なため雑誌などの似顔絵ではへの字に描かれることが多い。[[江戸言葉|べらんめえ調]]の軽妙な語り口と歯に衣着せぬ発言で、[[選挙演説|街頭演説]]などで聴衆の人気を博す。周囲からは、「明るく気さくな人柄で、親しく付き合えば一方で魅力が伝わる人物」と認識されており、その人柄を評して「半径2メートルの男」とも呼ばれる<ref>「[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130209/stt13020907010002-n1.htm 「絶好調」安倍政権のアキレス腱はあの男…] {{Wayback|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130209/stt13020907010002-n1.htm |date=20130328000554 }}」 MSN産経ニュース(産経新聞)の記事。2013年2月9日配信、2013年3月15日閲覧。</ref><ref>「[http://www.jiji.com/jc/v?p=spc00181 型にはまらず頂点へ=オタクの雄、失言癖も-麻生氏] {{Wayback|url=http://www.jiji.com/jc/v?p=spc00181 |date=20140121200225 }}」 時事通信社の記事。2008年9月22日配信、2013年3月15日閲覧。</ref>。 |
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海外留学などの経験から、[[英語]] |
海外留学などの経験から、[[英語]]が堪能であり、海外などの公務で媒体の登場時は[[通訳]]を介さずに自身の英語で直接スピーチを行っている。内閣総理大臣就任後、[[アメリカ合衆国大統領]][[バラク・オバマ]]とも2人で会談している。 |
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2013年の[[財務大臣・中央銀行総裁会議]]では襟元に毛皮がついた黒のロングコート、斜めにかぶった黒の[[ボルサリーノ]]帽、淡い水色のマフラー姿をして『[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]』は「'''ギャング・スタイル'''」と評した<ref>{{cite news| language =| author =| url =http://gendai.net/articles/view/syakai/141000| title =日本の新聞はなぜ麻生財務相の外遊スタイルが変だと書かないのか| publisher =| date =2013-02-18| accessdate =2013-02-21| newspaper =| publication-date =| archiveurl =https://web.archive.org/web/20130221013653/http://gendai.net/articles/view/syakai/141000| archivedate =2013年2月21日}}</ref>。 |
2013年の[[財務大臣・中央銀行総裁会議]]では襟元に毛皮がついた黒のロングコート、斜めにかぶった黒の[[ボルサリーノ]]帽、淡い水色のマフラー姿をして『[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]』は「'''ギャング・スタイル'''」と評した<ref>{{cite news| language =| author =| url =http://gendai.net/articles/view/syakai/141000| title =日本の新聞はなぜ麻生財務相の外遊スタイルが変だと書かないのか| publisher =| date =2013-02-18| accessdate =2013-02-21| newspaper =| publication-date =| archiveurl =https://web.archive.org/web/20130221013653/http://gendai.net/articles/view/syakai/141000| archivedate =2013年2月21日}}</ref>。 |
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=== 信仰 === |
=== 信仰 === |
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[[キリスト教|クリスチャン]]([[カトリック教会|カトリック]])である。[[洗礼名]]はフランシスコ |
[[キリスト教|クリスチャン]]([[カトリック教会|カトリック]])である。[[洗礼名]]はフランシスコ。 |
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[[原敬]]、[[高橋是清]]、[[片山哲]]、[[鳩山一郎]]、[[大平正芳]]、祖父の[[吉田茂]]に加えて、7人目のクリスチャン[[内閣総理大臣|首相]]であった<ref>{{Cite web |url=http://www.ilsole24ore.com/art/SoleOnLine4/Mondo/2008/09/taro-aso-cattolico-elezione-giappone.shtml?uuid=f35be562-863a-11dd-96c0-d66fc13e6223&DocRulesView=Libero |title=Taro Aso, un cattolico in corsa per la guida del Giappone, ''Il Sole 24 Ore'' (Milano) |first=Carrcer |last=Stefano |publisher=Il Sole 24 Ore |language=ita |date=2008-09-19 |accessdate=2022-03-17 }} {{Wayback|url=http://www.ilsole24ore.com/art/SoleOnLine4/Mondo/2008/09/taro-aso-cattolico-elezione-giappone.shtml?uuid=f35be562-863a-11dd-96c0-d66fc13e6223&DocRulesView=Libero |date=20180918232112 }}</ref>。 |
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[[内閣総理大臣]]在任中の[[2009年]]([[平成]]21年)[[1月4日]]、[[伊勢神宮]]に参拝した。また、[[神道政治連盟]]国会議員懇談会の[[名誉顧問]]でもある。 |
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[[靖國神社]]への参拝も行っている<ref name="sankei200910201747"/>(総理在任時には参拝していない)。また、靖国神社の非[[宗教法人]]化を提唱している<ref>{{Cite web |title=麻生太郎オフィシャルサイト |url=http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html |website=www.aso-taro.jp |access-date=2024-12-07}}</ref>。[[終戦の日]]の[[8月15日]]ではなく、春秋の[[例祭|例大祭]]に合わせて参拝している<ref name="sankei200910201747"/>。 |
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[[内閣総理大臣]]在任中の[[2009年]]([[平成]]21年)[[1月4日]]、[[伊勢神宮]]に参拝した。また、[[神道政治連盟#議員連盟|神道政治連盟国会議員懇談会]]の[[名誉顧問]]でもある。 |
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=== 資産 === |
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政界きっての[[資産家]]であり、内閣発足時に発表される閣僚資産公開では常にトップである<ref>{{Cite web |title=麻生氏資産 4億円超 |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-09-23/2008092315_02_0.html |website=www.jcp.or.jp |access-date=2024-12-07}}</ref><ref>{{Cite web |title=閣僚資産、麻生氏が最多 5億2300万円、地価上昇で増加 |url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO24689390V11C17A2EA3000/ |website=日本経済新聞 |date=2017-12-16 |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。最新の2020年時点においても、自宅のある[[東京都]][[渋谷区]](25億円)や[[別荘]]のある[[長野県]][[軽井沢町]]に所有する[[不動産]]などで総資産は6億4845万円で、菅内閣ではトップであった<ref>{{Cite web |title=閣僚資産公開 トップ麻生氏、2位は平井氏|日テレNEWS NNN |url=https://news.ntv.co.jp/category/politics/751809 |website=日テレNEWS NNN |access-date=2024-12-07 |language=ja-JP |last=日本テレビ}}</ref>。 |
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=== クレー射撃 === |
=== クレー射撃 === |
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大学時代から[[クレー射撃]]を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。[[1974年]]に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。[[1976年モントリオールオリンピック]][[1976年モントリオールオリンピックの日本選手団#射撃|日本代表]]に選出されるが41位に終わる。それ以来クレー射撃は封印し、以後一度も引き金を引いていない<ref>著書『[[自由と繁栄の弧]]』の著者紹介より。</ref>。[[2000年]]5月には[[日本クレー射撃協会]]会長に就任した。 |
大学時代から[[クレー射撃]]を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。[[1974年]]に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。[[1974年アジア競技大会]]では金1つ、銀1つを獲得。[[1976年モントリオールオリンピック]][[1976年モントリオールオリンピックの日本選手団#射撃|日本代表]]に選出されるが41位に終わる。それ以来クレー射撃は封印し、以後一度も引き金を引いていない<ref>著書『[[自由と繁栄の弧]]』の著者紹介より。</ref>。[[2000年]]5月には[[日本クレー射撃協会]]会長に就任した。 |
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=== 漫画 === |
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* [[日本の漫画|漫画]]が好きであることが広く知られ<ref name=":1" /><ref>{{Cite web|1=和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202209290000248.html|title=麻生太郎氏、さいとう・たかをさんお別れの会に参列 「ゴルゴ13」にはよく似た財務大臣が登場|publisher=日刊スポーツ|date=2022-09-29|accessdate=2022-09-29}} {{Wayback|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202209290000248.html |date=20220929101743 }}</ref>、漫画について政策や政治論とも関連付けてたびたび語っている<ref group="注釈">麻生は「コミック」と呼称することが多い。</ref>。詳細は[[麻生太郎#漫画についてのエピソード|後述]]。 |
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=== 喫煙 === |
=== 喫煙 === |
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* 喫煙者であり、40歳の |
* 喫煙者であり、40歳のころから[[葉巻きたばこ|葉巻]]を吸っている。[[受動喫煙]]については「嫌な人がおられたらなるべくその人とつきあわないか、吸わないか」と述べている<ref>{{Cite news|url = https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL240OR_U3A021C1000000/|title = 首相、受動喫煙防止の法整備「国民各層の意見や議論みていく」|newspaper = [[日本経済新聞]]|publisher = [[日本経済新聞社]]|date = 2013-10-24|accessdate = 2018-05-05|archive-date = 2018年5月5日|archive-url = https://web.archive.org/web/20180505205803/https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL240OR_U3A021C1000000/}}</ref>。 |
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* 大臣執務室は麻生自身の判断で[[禁煙]]にしておらず、[[喫煙]]可能である<ref>{{Cite news |url = http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000130170.html |title = 麻生大臣執務室は「喫煙可」 法案成立すれば禁煙に |newspaper = テレ朝news |publisher = [[テレビ朝日]] |date = 2018-06-22 |accessdate = 2018-06-23 }}</ref><ref>{{Cite news |url = https://www.asahi.com/articles/ASL6Q54RSL6QULFA027.html |title = 喫煙可の大臣室、とうとう禁煙に 受動喫煙対策法成立で |newspaper = [[朝日新聞]] |publisher = [[朝日新聞社]] |date = 2018-06-22 |accessdate = 2018-06-23 }}</ref>。 |
* 大臣執務室は麻生自身の判断で[[禁煙]]にしておらず、[[喫煙]]可能である<ref>{{Cite news |url = http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000130170.html |title = 麻生大臣執務室は「喫煙可」 法案成立すれば禁煙に |newspaper = テレ朝news |publisher = [[テレビ朝日]] |date = 2018-06-22 |accessdate = 2018-06-23 |archive-date = 2018年6月23日 |archive-url = https://web.archive.org/web/20180623170247/http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000130170.html }}</ref><ref>{{Cite news |url = https://www.asahi.com/articles/ASL6Q54RSL6QULFA027.html |title = 喫煙可の大臣室、とうとう禁煙に 受動喫煙対策法成立で |newspaper = [[朝日新聞]] |publisher = [[朝日新聞社]] |date = 2018-06-22 |accessdate = 2018-06-23 |archive-date = 2018年6月23日 |archive-url = https://web.archive.org/web/20180623165954/https://www.asahi.com/articles/ASL6Q54RSL6QULFA027.html }}</ref>。 |
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=== 総理大臣としての評価 === |
=== 内閣総理大臣としての評価 === |
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* 『[[産経新聞]]』は、「あえてここで首相の肩を持ちたい。」と前置きした上で、「麻生政権は外交・内政ともに政策面で大きな瑕疵はなく、少なくとも及第点は与えられるのではないか」とした<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090829/elc0908291801009-n1.htm|title=【政治部デスクの斜め書き】まもなく開く「パンドラの箱」 不信の原因は「自民の姑息さ」|newspaper=MSN産経ニュース|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101118055856/http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090829/elc0908291801009-n1.htm|archivedate=2010年11月18日|accessdate=2012-05-16|date=2009-08-29|publication-date=}}</ref>。 |
* 『[[産経新聞]]』は、「あえてここで首相の肩を持ちたい。」と前置きした上で、「麻生政権は外交・内政ともに政策面で大きな瑕疵はなく、少なくとも及第点は与えられるのではないか」とした<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090829/elc0908291801009-n1.htm|title=【政治部デスクの斜め書き】まもなく開く「パンドラの箱」 不信の原因は「自民の姑息さ」|newspaper=MSN産経ニュース|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101118055856/http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090829/elc0908291801009-n1.htm|archivedate=2010年11月18日|accessdate=2012-05-16|date=2009-08-29|publication-date=}}</ref>。 |
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* 『[[プレジデント社|プレジデント]]』誌は、「存在自体に華があり、その華が首相時代には「軽さ」と見られ、バー通いや些細な失言でメディアに足をすくわれた。」としている<ref> |
* 『[[プレジデント社|プレジデント]]』誌は、「存在自体に華があり、その華が首相時代には「軽さ」と見られ、バー通いや些細な失言でメディアに足をすくわれた。」としている<ref>{{Cite web |title=副総理 麻生太郎 -「毒舌力」が日本を救う |url=https://president.jp/articles/-/9136 |website=PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) |date=2013-04-13 |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。 |
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* [[御厨貴]]は「党内では造反者が続出。打つ手が悉く外れた政権だったとしか言いようがありません。」と評している<ref>[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]2018年二月号、~竹下から安倍まで~ 総理17人のベスト3 御厨貴/[[後藤謙次]]、172頁</ref>。 |
* [[御厨貴]]は「党内では造反者が続出。打つ手が悉く外れた政権だったとしか言いようがありません。」と評している<ref>[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]2018年二月号、~竹下から安倍まで~ 総理17人のベスト3 御厨貴/[[後藤謙次]]、172頁</ref>。 |
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*リーマンショックの対策で、GDP2パーセントの財政政策を打つが、世界各国が金融緩和による経済対策をする中で、金融政策の無策から超円高を招き失敗。リーマンショックの直接の被害が少ない日本が最も被害を被る結果となった。その後、自民党は下野し、民主党政権誕生の流れを作った。 |
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=== 家庭連合(旧:統一教会)との関係 === |
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* 過去に[[世界平和統一家庭連合]]機関紙の思想新聞に名刺広告を出している<ref name="booklet">霊感商法の勝共連合=統一教会(日本共産党中央委員会出版局 1987年10月)ISBN 978-4530042204</ref>。 |
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* 家庭連合の関連団体「[[国際勝共連合]]」が1986年と1990年の機関紙「思想新聞」で、反共の運動に同調する「勝共推進議員」の名簿を掲載した中に、麻生の名があった<ref>{{Cite web |1=和書 |title=旧統一教会との接点、自民党の自主点検リストに「あの面々」の名前なし SNS上で批判殺到:東京新聞 TOKYO Web |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/201358 |website=東京新聞 TOKYO Web |access-date=2022-09-13 |language=ja }} {{Wayback|url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/201358 |date=20220913210256 }}</ref>。 |
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* 2011年5月10日付の[[世界平和統一家庭連合]](旧統一教会)系の[[日刊紙]]「[[ワシントン・タイムズ]]」に、妻・[[麻生ちか子|千賀子]]や安倍晋三らと共に全面意見広告を掲載。 |
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* 家庭連合系グループ事業の一環である[[日韓トンネル]]研究会では顧問を務める<ref>{{Cite web |1=和書 |url=http://sappukei.livedoor.biz/image/20111127071028_58_1.jpg |title=日韓トンネル研究会九州支部役員 |accessdate=2020-07-08 |archiveurl=https://archive.fo/FfZyL |archivedate=2013-04-24 }} {{Webarchive|url=https://archive.today/20130424070534/http://sappukei.livedoor.biz/image/20111127071028_58_1.jpg |date=2013年4月24日 }}</ref> |
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* [[霊感商法]]などの問題を受け、[[2022年]]8月31日、自民党の役員会で、党と[[旧統一教会]](現・世界平和統一家庭連合)との関係を断絶する方針を決定したが<ref>{{Cite web|1=和書|title=自民 旧統一教会の関連団体含め一切関係持たない方針決定|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220831/k10013796011000.html|website=NHK|access-date=2023-07-19|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220831033143/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220831/k10013796011000.html|archivedate=2022-08-31}} {{Wayback|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220831/k10013796011000.html |date=20230719123928 }}</ref>、その後の2023年5月26日、麻生がビデオメッセージを送った[[憲法改正]]をテーマにしたイベント「安倍晋三名誉会長を偲び、新しい憲法を制定する推進大会」に旧統一教会の信者が多数参加、会場準備のボランティアとして携わっていたことが判明した<ref>{{Cite web |1=和書 |title=「あ、この人!教会長です」岸田総理参加の“改憲集会”の準備に…旧統一教会・信者の姿 直撃すると「手伝っちゃいけないですか?」【報道特集】 |url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/591023 |website=TBS NEWS DIG |date=2023-07-08 |access-date=2023-07-19 |language=ja }} {{Wayback|url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/591023 |date=20230713072725 }}</ref>。統一教会の信者の間で「この大会には毎年、[[世界平和連合]]として動員協力をしており、今年も摂理機関本部関係で50名の動員を行うこととなりました」という文書が回されていた<ref name=":12">{{Cite web|和書 |title=「あ、この人!教会長です」岸田総理参加の“改憲集会”の準備に…旧統一教会・信者の姿 直撃すると「手伝っちゃいけないですか?」【報道特集】 {{!}} TBS NEWS DIG (1ページ) |url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/591023 |website=TBS NEWS DIG |date=2023-07-08 |access-date=2023-07-12 |language=ja}}</ref>。2023年の大会には、少なくともUPF(天宙平和連合)の幹部や事務局、統一教会の元婦人部長、統一教会の協会長、本部関係の人、3人の国際勝共連合関係者らが参加していた<ref name=":12" />。 |
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{{see also|世界平和統一家庭連合と政界との関係}} |
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== 経済政策 == |
== 経済政策 == |
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[[野村総合研究所]]の主席研究員であるエコノミストの[[リチャード・クー]]が「経済政策の理論的支柱」として麻生の[[ケインズ経済学|財政出動]]を中心とする政策作りに協力していると朝日新聞で報道されている<ref>『[[朝日新聞]]』 2008年8月23日</ref>。 |
[[野村総合研究所]]の主席研究員であるエコノミストの[[リチャード・クー]]が「経済政策の理論的支柱」として麻生の[[ケインズ経済学|財政出動]]を中心とする政策作りに協力していると朝日新聞で報道されている<ref>『[[朝日新聞]]』 2008年8月23日</ref>。 |
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[[定額減税]]や[[公共事業]]を中心とする[[財政出動]]に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも[[景気]]対策の優先を提唱し |
首相時代は[[定額減税]]や[[公共事業]]を中心とする[[ケインズ経済学|財政出動]]に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも[[景気]]対策の優先を提唱し<ref>共同通信 2008年9月10日</ref>、財政健全化を目指した[[聖域なき構造改革|小泉政権の構造改革]]路線を見直し、「[[基礎的財政収支]](プライマリーバランス)の11年度黒字化目標」の延期に言及していた<ref>『毎日新聞』 2008年9月11日</ref>。 |
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[[消費税]]の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」<ref> |
[[消費税]]の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」<ref>{{Cite web |title=麻生太郎オフィシャルサイト |url=http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/071026.html |website=www.aso-taro.jp |access-date=2024-12-07}}</ref> として消費税増税を示唆したが、2008年9月に世界的な金融危機が発生すると「消費税増税を早期に行えば、著しく景気を冷やす」として、当面の増税を見送ると述べる一方で、[[2011年]]以降に10%([[パーセント]])を超える水準まで消費税を引き上げる意向を示した<ref>『[[日本経済新聞]]』 2008年9月14日</ref>。第二次安倍政権では財務省の代弁者として消費増税を訴えたが最終的には首相判断に従い増税延期を了承した<ref>「総理」山口敬之 {{要ページ番号|date=2017年8月3日}}</ref>。 |
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労働問題に対しては、「企業の生産活動で得られた[[付加価値]]の分配は個々の企業が判断する」と述べ、企業の給与体系に対して国家が介入することに否定的な見解を示した<ref>衆議院予算委員会 2009年1月9日</ref>。 |
労働問題に対しては、「企業の生産活動で得られた[[付加価値]]の分配は個々の企業が判断する」と述べ、企業の給与体系に対して国家が介入することに否定的な見解を示した<ref>衆議院予算委員会 2009年1月9日</ref>。 |
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首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、道路、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興のために[[公共事業]]が必要との考えを示している<ref>『[[読売新聞]]』 2008年9月13日</ref>。また、「(地方の)医療、介護が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路交通網の整備による緊急医療体制の充実を主張している<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008091301000480.html | title = 自民が高知で街頭演説会 麻生氏、地方交通網整備を | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2008-09-13 | archiveurl = https://archive. |
首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、道路、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興のために[[公共事業]]が必要との考えを示している<ref>『[[読売新聞]]』 2008年9月13日</ref>。また、「(地方の)医療、介護が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路交通網の整備による[[救急医療|緊急医療体制]]の充実を主張している<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008091301000480.html | title = 自民が高知で街頭演説会 麻生氏、地方交通網整備を | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2008-09-13 | archiveurl = https://archive.ph/20140503144318/http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008091301000480.html | archivedate = 2014年5月3日 | accessdate = 2017-08-03 }}</ref>。一方で地方自治体に対し、地方公務員の給与削減を要請している<ref>{{Cite web|1=和書|title=麻生氏の地方公務員給与削減方針 自民党内で批判の声|url=https://www.sankei.com/politics/news/130116/plt1301160007-n1.html|website=産経ニュース|accessdate=2020-03-08|language=ja|first=SANKEI DIGITAL|last=INC}} {{Wayback|url=https://www.sankei.com/politics/news/130116/plt1301160007-n1.html |date=20201106144943 }}</ref>。 |
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=== 内閣総理大臣就任後の主な景気対策 === |
=== 内閣総理大臣就任後の主な景気対策 === |
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[[ファイル:Taro Aso 20081001 1.jpg|サムネイル|[[2008年]][[10月1日]]、衆議院本会議で答弁]] |
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[[2008年]]([[平成]]20年)[[10月30日]]には、[[リーマンショック]]以降の[[世界金融危機 (2007年-)|世界的な金融危機]]と景気低迷への対策として事業総額26兆9000億円の追加経済対策を発表。2度の[[補正予算]]と[[2009年]](平成21年)度予算の"3段ロケット"として、最終的には75兆円の景気対策を実施した。 |
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[[2008年]]([[平成]]20年)[[10月30日]]には、[[リーマンショック]]以降の[[世界金融危機 (2007年-2010年)|世界的な金融危機]]と景気低迷への対策として事業総額26兆9000億円の追加経済対策を発表。2度の[[補正予算]]と[[2009年]](平成21年)度予算の"3段ロケット"として、最終的には75兆円の景気対策を実施した。 |
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主なものとして、 |
主なものとして、 |
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# [[定額給付金]]の支給(1人1万 |
# [[定額給付金]]の支給(1人1万2000円、65歳以上・18歳以下は1人2万円) |
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# [[日本の高速道路|高速道路]]料金の普通車・[[軽自動車]]で[[ETC]]搭載車限定での、[[土曜日|土]]・[[日曜日|日]]・[[国民の祝日|祝日]]最高 |
# [[日本の高速道路|高速道路]]料金の普通車・[[軽自動車]]で[[ETC]]搭載車限定での、[[土曜日|土]]・[[日曜日|日]]・[[国民の祝日|祝日]]最高1000円の[[ETC割引制度]] |
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# [[東京湾アクアライン]]の料金を普通車800円に値下げ |
# [[東京湾アクアライン]]の料金を普通車800円に値下げ |
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# [[低排出ガス車認定制度#エコカー減税|エコカー減税]]・[[エコカー補助金]] |
# [[低排出ガス車認定制度#エコカー減税|エコカー減税]]・[[エコカー補助金]] |
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==== 定額給付金について ==== |
==== 定額給付金について ==== |
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{{Main|定額給付金}} |
{{Main|定額給付金}} |
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[[小渕内閣]]の[[地域振興券]]とよく似た、2兆円を超える[[定額給付金]](「4人家族で6万円程度になる」としている。実際は一人1万 |
[[小渕内閣]]の[[地域振興券]]とよく似た、2兆円を超える[[定額給付金]](「4人家族で6万円程度になる」としている。実際は一人1万2000円を給付)を全世帯に支給した。この政策については、以下の通り評価が分かれている。 |
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* 否定的な評価としては、[[毎日新聞]]が過去の「地域振興券」が消費ではなく貯蓄に回ったことから、この政策も「景気を浮揚させる効果は期待できない」との見方を示し<ref>『毎日新聞』 2008年10月30日</ref>、[[11月26日]]に開催された全国町村長大会では定額給付金を巡る不満が噴出していると報道した<ref group="注釈">『毎日新聞』 2008年11月27日 麻生のあいさつに「丸投げやめろ」とやじが飛んだとされる一方で「[[地方分権]]」を理由に事務を[[市区町村]]に委ねたことなどについて政府を批判した[[民主党幹事長]](当時)の[[鳩山由紀夫]]は大きな拍手を浴びたと報道した</ref>。 |
* 否定的な評価としては、[[毎日新聞]]が過去の「地域振興券」が消費ではなく貯蓄に回ったことから、この政策も「景気を浮揚させる効果は期待できない」との見方を示し<ref>『毎日新聞』 2008年10月30日</ref>、[[11月26日]]に開催された全国町村長大会では定額給付金を巡る不満が噴出していると報道した<ref group="注釈">『毎日新聞』 2008年11月27日 麻生のあいさつに「丸投げやめろ」とやじが飛んだとされる一方で「[[地方分権]]」を理由に事務を[[市区町村]]に委ねたことなどについて政府を批判した[[民主党幹事長]](当時)の[[鳩山由紀夫]]は大きな拍手を浴びたと報道した</ref>。 |
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* 肯定的な評価としては、[[経済協力開発機構]](OECD)経済局のシニアエコノミスト、ランダル・ジョーンズが「即効性がある最も有効な措置」 だとの見方を示した<ref>[[時事通信]] 2008年11月25日</ref>。 |
* 肯定的な評価としては、[[経済協力開発機構]](OECD)経済局のシニアエコノミスト、ランダル・ジョーンズが「即効性がある最も有効な措置」 だとの見方を示した<ref>[[時事通信]] 2008年11月25日</ref>。 |
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定額給付金の成果については、消費拡大に一定の効果を生み、家具や家電などの購買を促進させるなど、新たな消費を生むきっかけになったと麻生の総理大臣退任後に報道された<ref>朝日新聞 2009.08.13 『給付金、思ったより消費を刺激 地域独自策に効果』</ref><ref>静岡新聞 2009年10月2日 『定額給付金・ETC割引など それぞれに一定の効果』</ref><ref>紀伊民報 『経済波及効果は101億円 定額給付金の県内消費』</ref>。 |
定額給付金の成果については、消費拡大に一定の効果を生み、家具や家電などの購買を促進させるなど、新たな消費を生むきっかけになったと麻生の総理大臣退任後に報道された<ref>朝日新聞 2009.08.13 『給付金、思ったより消費を刺激 地域独自策に効果』</ref><ref>静岡新聞 2009年10月2日 『定額給付金・ETC割引など それぞれに一定の効果』</ref><ref>紀伊民報 『経済波及効果は101億円 定額給付金の県内消費』</ref>。 |
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=== 第 |
=== 第2次安倍内閣財務大臣として === |
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[[ファイル:20121226 Aso hatsutocho.jpg|サムネイル|[[2012年]][[12月26日]]、財務大臣に就任し、財務省に初登庁]] |
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==== 法人税引き下げ慎重論 ==== |
==== 法人税引き下げ慎重論 ==== |
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効果の期待できない法人税の引き下げではなく、投資減税により景気刺激を行なっていくべきとした<ref> |
効果の期待できない法人税の引き下げではなく、投資減税により景気刺激を行なっていくべきとした<ref>{{Cite web |title=ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト |url=http://www.newsweekjapan.jp/headlines/business/2013/06/103514.php |website=ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。これに対し、2013年7月の[[政府税制調査会]]で、[[一橋大学]]特任教授の[[田近栄治]]委員からは、法人税収入に占める[[製造業]]の割合が26 %程度に低下しており、「製造業が日本の法人税を担う時代は終わった。」とし、法人税の[[法定実効税率]]を35 %から30 %へ引き下げすべきとの主張が出された<ref>[http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MQ32GL6S972C01.html 5%の法人税下げを、再興戦略の柱に-政府税調の田近委員] {{Wayback|url=http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MQ32GL6S972C01.html |date=20130721061412 }} ブルームバーグ2013/07/18</ref>。また、2014年5月16日には[[大田弘子]]委員が座長を務める政府税制調査会法人課税ディスカッション・グループで、「法人税率の引き下げは避けて通れない」とする改革案の確認が行われた<ref>{{Cite web |title=ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト |url=http://www.newsweekjapan.jp/headlines/business/2014/05/126364_1.php |website=ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。同年6月3日には麻生も「責任ある代替財源が示されるのであればいい。」と、初めて実効税率引下げを容認し、[[骨太の方針]]にも盛り込まれることとなった<ref>{{Cite web |title=法人税の15年度下げ、骨太方針に明記 政府・与党 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNAS3MM1N01_T00C14A6MM0000/ |website=日本経済新聞 |date=2014-06-03 |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。 |
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==== 公的年金の運用 ==== |
==== 公的年金の運用 ==== |
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2013年5月18日、麻生は札幌で次のように講演した。「『株価が上がっても株は持ってないので関係ない』という人もいると思うが、年金は株式の運用で成り立っている。7月に年金の運用状況が出てくるが、ウン兆円の黒字になる」<ref> |
2013年5月18日、麻生は札幌で次のように講演した。「『株価が上がっても株は持ってないので関係ない』という人もいると思うが、年金は株式の運用で成り立っている。7月に年金の運用状況が出てくるが、ウン兆円の黒字になる」<ref>{{Cite web |title=株上昇を喜ぶ麻生副総理にFP「株価に一喜一憂は素人」と指摘 |url=https://www.news-postseven.com/archives/20130528_190577.html?DETAIL |website=NEWSポストセブン |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。{{main|年金積立金管理運用独立行政法人に関する政策}} |
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=== 第 |
=== 第3次安倍内閣財務大臣として === |
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2015年3月26日、麻生 |
2015年3月26日、麻生は2012年度末に304兆円あった民間企業の内部留保が1年間で328兆円まで約24兆円増えたことに触れ、デフレでなければ配当とか賃金とか設備投資に回らなければならないとした<ref>Bloomberg [http://www.bloomberg.co.jp/article/2015-03-26/aqMDuf_wa5hk.html 麻生財務相:企業内部留保の追加課税検討も-増え方「異常」] {{Wayback|url=http://www.bloomberg.co.jp/article/2015-03-26/aqMDuf_wa5hk.html |date=20150927234633 }} 2015/03/26 14:55 JST</ref>。後に[[メガバンク]]の配当引き上げが報じられた<ref>[[みずほフィナンシャルグループ]]は株あたり年配当を7円から7.5円に引き上げる。[[三井住友フィナンシャルグループ]]は130円から140円に上げる。 |
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:REUTERS UK [http://uk.reuters.com/article/2015/05/15/uk-japan-banks-results-idUKKBN0O00OQ20150515 Japan's top lenders boost shareholder returns after upbeat earnings] Fri May 15, 2015 11:43am BST</ref>。 |
:REUTERS UK [http://uk.reuters.com/article/2015/05/15/uk-japan-banks-results-idUKKBN0O00OQ20150515 Japan's top lenders boost shareholder returns after upbeat earnings] {{Wayback|url=http://uk.reuters.com/article/2015/05/15/uk-japan-banks-results-idUKKBN0O00OQ20150515 |date=20150824002444 }} Fri May 15, 2015 11:43am BST</ref>。 |
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== 外交政策 == |
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2020年4月13日、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた経済対策として、消費税の減税を求める声があることについて、決算行政監視委員会で「今の段階で消費税を引き下げることは考えていない」と述べ、緊急経済対策による財政出動で国債の発行が増加することに関連して「借金を返していくという姿勢がなければ、マーケットでとたんに日本の国債が売りを浴びせられかねない。マーケットをよく見ながら、考えていかなくてはならない」と、国債の半分は政府の子会社である日銀が持ち、年金が10%、35%を銀行と生命保険、損害保険会社が持っている中で、そのような見解を述べた。 |
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[[ファイル:Aso et Rice.jpg|thumb|[[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]][[コンドリーザ・ライス]]と(2006年6月)]] |
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== 外交関係 == |
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[[ファイル:Aso et Rice.jpg|thumb|[[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]][[コンドリーザ・ライス]](2006年6月)]] |
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[[ファイル:Cheney and Aso 2007.jpg|thumb|[[ディック・チェイニー]]と会談する麻生(2007年[[2月21日]]、[[ホワイトハウス]]にて)]] |
[[ファイル:Cheney and Aso 2007.jpg|thumb|[[ディック・チェイニー]]と会談する麻生(2007年[[2月21日]]、[[ホワイトハウス]]にて)]] |
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[[ファイル:Dmitry Medvedev at APEC Summit in Peru 22-23 November 2008-4.jpg|thumb|[[アジア太平洋経済協力|APEC]]首脳会議にて、[[ロシア連邦大統領]]の[[ドミトリー・メドヴェージェフ]]と(2008年11月)]] |
[[ファイル:Dmitry Medvedev at APEC Summit in Peru 22-23 November 2008-4.jpg|thumb|[[アジア太平洋経済協力|APEC]]首脳会議にて、[[ロシア連邦大統領]]の[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]と(2008年11月)]] |
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[[ファイル:World Leaders at G-8 Summit in Italy 07-08-09.jpg|thumb|2009年7月、[[主要国首脳会議|G8サミット]]にて(左端の人物が麻生)]] |
[[ファイル:World Leaders at G-8 Summit in Italy 07-08-09.jpg|thumb|2009年7月、[[主要国首脳会議|G8サミット]]にて(左端の人物が麻生)]] |
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[[ファイル:Dmitry Medvedev in Yuzhno-Sakhalink 18 February 2009-1.jpg|thumb|[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]と握手(2009年2月18日)]] |
[[ファイル:Dmitry Medvedev in Yuzhno-Sakhalink 18 February 2009-1.jpg|thumb|[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]と握手(2009年2月18日)]] |
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[[ファイル:Barack Obama & Taro Aso in the Oval Office 2-24-09.JPG|thumb|[[アメリカ合衆国大統領|大統領]][[バラク・オバマ]](2009年2月24日)]] |
[[ファイル:Barack Obama & Taro Aso in the Oval Office 2-24-09.JPG|thumb|[[アメリカ合衆国大統領|大統領]][[バラク・オバマ]]と(2009年2月24日)]] |
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「[[価値観外交|価値の外交]]」を重視した。特に、日本が非欧米圏でそれら価値の先駆者であることに着目した上で、北東アジアから、[[東南アジア]]を経て、インド、中東、中央アジア、中・東欧にかけての「弧」上にある国との間で、日本がリーダーシップをとってこれら価値を共有し、「弧」地域全体の繁栄に貢献する、その結果として経済や安全保障などで日本も国益を享受するという「[[価値観外交#自由と繁栄の弧|自由と繁栄の弧]]」を外交の基本方針としている |
「[[価値観外交|価値の外交]]」を重視した。特に、日本が非欧米圏でそれら価値の先駆者であることに着目した上で、北東アジアから、[[東南アジア]]を経て、インド、中東、中央アジア、中・東欧にかけての「弧」上にある国との間で、日本がリーダーシップをとってこれら価値を共有し、「弧」地域全体の繁栄に貢献する、その結果として経済や安全保障などで日本も国益を享受するという「[[価値観外交#自由と繁栄の弧|自由と繁栄の弧]]」を外交の基本方針としている{{Sfn|麻生太郎|2007c|p=154f}}。著書『とてつもない日本{{Sfn|麻生太郎|2007c}}』では、民主化支援、法律の整備や法律家人材育成に日本の制度や経験を活かす[[法整備支援]]などのほか、自衛隊のPKO活動、[[カンボジア]]の[[カンボジア特別法廷]]上級審裁判官としての野口元郎の派遣、自身の思い入れのある[[日本の漫画|漫画]]も含めた日本文化を通じた交流も、その具体的施策として位置付け、重視する姿勢を示した。 |
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[[第1次安倍内閣]]の「自由と繁栄の弧」構想は[[民主主義]]や[[法の支配]]などの価値を共有しているとはいえない[[中華人民共和国]]の反発を招くとの批判もあった。日本の国際的存在感の低下、[[尖閣諸島問題]]に象徴される日中間の力関係の変化という新たな国際情勢のもと、[[中華人民共和国]]との正面衝突を回避しつつ、アジアにおけるパワーバランスを適正に保ち、アジア及び世界の安定と発展に寄与する外交政策であるとの評価されている<ref> |
[[第1次安倍内閣]]の「自由と繁栄の弧」構想は[[民主主義]]や[[法の支配]]などの価値を共有しているとはいえない[[中華人民共和国]]の反発を招くとの批判もあった。日本の国際的存在感の低下、[[尖閣諸島問題]]に象徴される日中間の力関係の変化という新たな国際情勢のもと、[[中華人民共和国]]との正面衝突を回避しつつ、アジアにおけるパワーバランスを適正に保ち、アジア及び世界の安定と発展に寄与する外交政策であるとの評価されている<ref>{{Cite web |title=「平和と繁栄の弧」+「戦略的互恵関係」安倍自民党総裁の国際戦略を再評価する |url=https://diamond.jp/articles/-/26759 |website=ダイヤモンド・オンライン |date=2012-10-24 |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。 |
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[[第2次安倍内閣]]の副総理兼財務大臣としても、最初の外遊先として、民主化や[[法の支配]]を急速に進める[[ミャンマー]]を選んだ<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/1229/TKY201212290525.html 朝日新聞デジタル2012年12月29日「麻生副総理、新年ミャンマー訪問 経済協力強化を協議へ」]</ref>。この点、[[第2次安倍内閣]]では、[[安倍晋三]]首相、麻生太郎副首相兼財務大臣に加え、元の企画・立案者とされる[[谷内正太郎]]元外務事務次官も内閣官房参与となったため、「自由と繁栄の弧」が外交の基本方針として復活するとの指摘もある<ref>http://www.mitsuhashitakaaki.net/2012/12/28/se-3/</ref>。 |
[[第2次安倍内閣]]の副総理兼財務大臣としても、最初の外遊先として、民主化や[[法の支配]]を急速に進める[[ミャンマー]]を選んだ<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/1229/TKY201212290525.html 朝日新聞デジタル2012年12月29日「麻生副総理、新年ミャンマー訪問 経済協力強化を協議へ」] {{Wayback|url=http://www.asahi.com/politics/update/1229/TKY201212290525.html |date=20121229224919 }}</ref>。この点、[[第2次安倍内閣]]では、[[安倍晋三]]首相、麻生太郎副首相兼財務大臣に加え、元の企画・立案者とされる[[谷内正太郎]]元外務事務次官も内閣官房参与となったため、「自由と繁栄の弧」が外交の基本方針として復活するとの指摘もある<ref>{{Cite web |title=【施 光恒】「自由と繁栄の弧」路線をどうとらえるか |url=http://www.mitsuhashitakaaki.net/2012/12/28/se-3/ |website=「新」経世済民新聞 |date=2012-12-27 |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。 |
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=== 韓国 === |
=== 韓国 === |
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[[大韓民国|韓国]]に対しては、[[日韓議員連盟]]の副会長も務めており、首相在任中は、日韓シャトル外交を定着させるなど日韓の親善に尽力した。麻生が議長を務める[[夢実現21世紀会議]]の「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて[[日韓トンネル]]の実現に向けた政策提言を発表していることが2003年に自民党機関紙で伝えられた。2007年1月26日に「日本と韓国は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な民主主義国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます」と述べている。また、2005年12月25日の韓国の大手メディアである『[[中央日報]]』のインタビューで、「韓国に一年に2度ずつ計40-50回ほど行っているが、私が知っているかぎり今の両国関係が最も良いのではないかと思う。それは韓国の生活水準が良くなり、自信をつけているためと思われる。[[サムスン]]だけでなく、韓国製品が非常に良くなった」と発言している。 |
[[大韓民国|韓国]]に対しては、[[日韓議員連盟]]の副会長も務めており、首相在任中は、[[日韓シャトル外交]]を定着させるなど日韓の親善に尽力した。麻生が議長を務める[[夢実現21世紀会議]]の「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて[[日韓トンネル]]の実現に向けた政策提言を発表していることが2003年に自民党機関紙で伝えられた。2007年1月26日に「日本と韓国は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な民主主義国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます」と述べている。また、2005年12月25日の韓国の大手メディアである『[[中央日報]]』のインタビューで、「韓国に一年に2度ずつ計40-50回ほど行っているが、私が知っているかぎり今の両国関係が最も良いのではないかと思う。それは韓国の生活水準が良くなり、自信をつけているためと思われる。[[サムスングループ|サムスン]]だけでなく、韓国製品が非常に良くなった」と発言している。 |
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=== 中華人民共和国 === |
=== 中華人民共和国 === |
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2008年10月24日、[[北京市]]の[[人民大会堂]]で開かれた「日中平和友好条約締結30周年記念レセプション」に内閣総理大臣として参加し「『友好』というお題目のため遠慮する関係ではなく切磋琢磨して協力していくことこそ真の[[戦略的互恵関係]]」と挨拶し、日中が競い合うことで「共益」を実現し、両国関係強化につなげる方針を打ち出した。2009年4月の日中首脳会談では、麻生が[[中華人民共和国]]への核軍縮を求め、[[温家宝]]首相が歴史認識問題を追 |
2008年10月24日、[[北京市]]の[[人民大会堂]]で開かれた「日中平和友好条約締結30周年記念レセプション」に内閣総理大臣として参加し「『友好』というお題目のため遠慮する関係ではなく切磋琢磨して協力していくことこそ真の[[戦略的互恵関係]]」と挨拶し、日中が競い合うことで「共益」を実現し、両国関係強化につなげる方針を打ち出した。2009年4月の日中首脳会談では、麻生が[[中華人民共和国]]への核軍縮を求め、[[温家宝]]首相が歴史認識問題を追及したため緊迫したが、日本が中華人民共和国の環境汚染や廃棄物対策に協力する「日中環境・省エネルギー総合協力プラン」で合意したほか、[[東京国際空港|羽田]] ― [[北京首都国際空港|北京]]間の定期チャーター便を開設することや、閣僚級による[[中日経済ハイレベル対話]]を日本で開催することを決定した。また、「日中韓の経済は[[ドイツ]]・[[イギリス]]・[[フランス]]の合計も上回る」として中韓との経済協力強化を打ち出し<ref>{{Cite web |1=和書 |url=http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/2009/01/31davos.html |title=ダボス会議における麻生総理大臣特別講演「私の処方箋 ~世界経済復活に向けて~」 |website=[[首相官邸]] |accessdate=2017-10-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20171002220135/http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/2009/01/31davos.html |archivedate=2017-10-02 |url-status=dead|url-status-date=2020-02 }} {{Wayback|url=http://www.kantei.go.jp/jp/asospeech/2009/01/31davos.html |date=20171002220135 }}</ref>、麻生の地元でかつ中韓からも近い福岡県太宰府市の九州国立博物館で第一回[[日中韓首脳会談]]を開催して「三国間パートナーシップに関する共同声明」に署名した。 |
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=== 中華民国(台湾) === |
=== 中華民国(台湾) === |
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[[親台派]]として知られ、総理大臣退任後も台湾政界に太い人脈を持つ<ref>{{Cite news |author= |url=http://sankei.jp.msn.com/world/china/100405/chn1004051822007-n1.htm |title=馬総統と会談へ 訪台の麻生前首相 |newspaper=[[産経新聞]]|publisher=|date=2010-04-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100409154909/http://sankei.jp.msn.com/world/china/100405/chn1004051822007-n1.htm |archivedate=2010-04-09 |deadurldate=}}</ref>。[[参議院]][[予算委員会]]で「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家であり、日本と価値観を共有する国」と発言し、中華人民共和国のマスメディアから「日本の外相が『[[台湾]]は国家』と発言」と非難され、[[中華民国]]国内からは絶賛されたこともある。 |
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親台派として知られ、総理大臣辞任後も台湾政界に太い人脈を持つ<ref>産経新聞 2010.4.5 18:17 |
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[https://web.archive.org/web/20100409154909/http://sankei.jp.msn.com/world/china/100405/chn1004051822007-n1.htm 馬総統と会談へ 訪台の麻生前首相 - 産経新聞](2010年4月9日のアーカイブ)</ref>。[[参議院]][[予算委員会]]で「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家であり、日本と価値観を共有する国」と発言し、中華人民共和国のマスメディアから「日本の外相が『[[台湾]]は国家』と発言」と非難され、[[中華民国]]国内からは絶賛されたこともある。 |
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[[2021年]][[7月5日]]、[[中華人民共和国|中国]]が[[台湾]]に侵攻した場合、[[日本国政府|日本政府]]が[[平和安全法制|安全保障関連法]]の定める「存立危機事態」に認定して、限定的な[[集団的自衛権]]を行使する可能性があるとの認識を示し、「(台湾で)大きな問題が起きると、存立危機事態に関係してくると言って全くおかしくない。そうなると、日米で一緒に台湾の[[防衛]]をしなければならない」と述べた<ref>{{Cite news |author= |url=https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210705-OYT1T50277/ |title=中国が台湾侵攻なら麻生氏「日米で一緒に防衛」…限定的な集団的自衛権に言及 |newspaper=[[読売新聞]]|publisher=|date=2021-07-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210705135715/https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210705-OYT1T50277/ |archivedate=2021-07-05 |deadurldate=}}</ref>。 |
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=== インドとの安全保障協力共同宣言 === |
=== インドとの安全保障協力共同宣言 === |
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麻生の内閣総理大臣就任後の2008年10月21日から23日にかけて、[[インド]]の首相[[マンモハン・シン]]が日本を訪れた。麻生はシンとの首脳会談に臨み、外交と防衛における対話、船舶の安全航行などの協力について合意した。その後、両者は国際問題に関する情報交換、船舶の安全航行、テロとの戦いを骨子とする「安全保障協力に関する共同宣言」、日本とインドのあいだで合意済みの諸事項の一層の促進を求める「戦略的グローバルパートナーシップの前進に関する共同声明」に署名。麻生はこの会談で日本とインドの経済関係の促進に前向きの姿勢を見せ、[[デリー]] - [[ムンバイ]]間の貨物鉄道建設計画に総額4500億円の円借款を供与することを伝えた。麻生はシンに対し、[[核不拡散条約|NPT]]に未加盟のインドに対する原子力協力分野での協力について慎重な日本の立場を説明した。[[経済連携協定]]交渉については、早期妥結を目指すことで一致した。麻生との共同記者会見の席でシンは、意見交換を行った22日の首脳会談を「非常に生産的で充実したものであった」とした。シンは麻生に対して「古くからのそして非常に尊敬すべきインドの友人」と述べ、2年の間に首相として2度来日したことについて「2年の間に2度来日しているという事実が、インドが日本との関係をいかに重視しているかを表している」と強調した<ref>{{Cite news|url=http://news.indochannel.jp/news/nws0000866.html|title=【インド政治】麻生・シン両首相、戦略的協力関係の前進で合意|newspaper=インドニュース|publisher=インドチャネル|date=2008-10-23|accessdate=2008-10-23|language=日本語|publication-date=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110828065041/http://news.indochannel.jp/news/nws0000866.html|archivedate=2011年8月28日}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008|d=1024|f=politics_1024_004.shtml|title=[インド]シン首相 訪日日程を終了、安全保障協力で成果|newspaper=サーチナ|accessdate=2008-10-23|language=日本語}}</ref><ref>{{Cite web|url= |
麻生の内閣総理大臣就任後の2008年10月21日から23日にかけて、[[インド]]の首相[[マンモハン・シン]]が日本を訪れた。麻生はシンとの首脳会談に臨み、外交と防衛における対話、船舶の安全航行などの協力について合意した。その後、両者は国際問題に関する情報交換、船舶の安全航行、テロとの戦いを骨子とする「安全保障協力に関する共同宣言」、日本とインドのあいだで合意済みの諸事項の一層の促進を求める「戦略的グローバルパートナーシップの前進に関する共同声明」に署名。麻生はこの会談で日本とインドの経済関係の促進に前向きの姿勢を見せ、[[デリー]] - [[ムンバイ]]間の貨物鉄道建設計画に総額4500億円の円借款を供与することを伝えた。麻生はシンに対し、[[核不拡散条約|NPT]]に未加盟のインドに対する原子力協力分野での協力について慎重な日本の立場を説明した。[[経済連携協定]]交渉については、早期妥結を目指すことで一致した。麻生との共同記者会見の席でシンは、意見交換を行った22日の首脳会談を「非常に生産的で充実したものであった」とした。シンは麻生に対して「古くからのそして非常に尊敬すべきインドの友人」と述べ、2年の間に首相として2度来日したことについて「2年の間に2度来日しているという事実が、インドが日本との関係をいかに重視しているかを表している」と強調した<ref>{{Cite news|url=http://news.indochannel.jp/news/nws0000866.html|title=【インド政治】麻生・シン両首相、戦略的協力関係の前進で合意|newspaper=インドニュース|publisher=インドチャネル|date=2008-10-23|accessdate=2008-10-23|language=日本語|publication-date=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110828065041/http://news.indochannel.jp/news/nws0000866.html|archivedate=2011年8月28日}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008|d=1024|f=politics_1024_004.shtml|title=[インド]シン首相 訪日日程を終了、安全保障協力で成果|newspaper=サーチナ|accessdate=2008-10-23|language=日本語}}</ref><ref>{{Cite web|1=和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/visit/0810_gai.html|title=マンモハン・シン・インド首相の訪日|publisher=外務省|language=日本語|accessdate=2008-10-23}} {{Wayback|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/visit/0810_gai.html |date=20220124071015 }}</ref>。 |
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=== 北方領土問題 === |
=== 北方領土問題 === |
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2006年12月13日の[[衆議院]][[外務委員会]]において、[[北方領土問題]]を解決するために、北方4島([[択捉島|択捉]]、[[国後島|国後]]、[[色丹島|色丹]]、[[歯舞群島|歯舞]])全体の面積を2等分して、半分を[[ロシア連邦]]に譲ることにより解決を目指す考えを示した<ref>『読売新聞』2006年12月14日</ref>。これは元首相の[[海部俊樹]]から「北方領土の返還は党是だ。党の基本問題として守るべきものは守ってきちっとやってほしい」と批判された。 |
2006年12月13日の[[衆議院]][[外務委員会]]において、[[北方領土問題]]を解決するために、北方4島([[択捉島|択捉]]、[[国後島|国後]]、[[色丹島|色丹]]、[[歯舞群島|歯舞]])全体の面積を2等分して、半分を[[ロシア連邦]]に譲ることにより解決を目指す考えを示した<ref>『読売新聞』2006年12月14日</ref>。これは元首相の[[海部俊樹]]から「北方領土の返還は党是だ。党の基本問題として守るべきものは守ってきちっとやってほしい」と批判された。 |
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また、2009年2月に州内のコルサコフ近郊で行われたサハリンプロジェクトの一つ[[サハリン2]]のLNG工場稼働式典に合わせ、日本の首相としてはかつての領有時代を含めて初めてサハリン州を訪問し、ロシアの[[ドミトリー・メド |
また、2009年2月に州内のコルサコフ近郊で行われたサハリンプロジェクトの一つ[[サハリン2]]のLNG工場稼働式典に合わせ、日本の首相としてはかつての領有時代を含めて初めてサハリン州を訪問し、ロシアの[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]大統領と会談した。日本政府の公式見解では「所属未定地」となっている南樺太(サハリン南部)での会談には一部の有識者から批判が提起され<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090211/plc0902112036013-n1.htm 首相の「樺太」訪問、誤ったシグナル送ることにならないか] {{Wayback|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090211/plc0902112036013-n1.htm |date=20090214142848 }} [[産経新聞]] 2009年2月11日付、</ref>、日本では[[鳩山邦夫]]総務相が国会答弁で「正直、実に微妙な問題だなと思う」と感想を述べた<ref name="sankei20090220">{{Cite web |1=和書 |url=http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090220/plc0902202136016-n1.htm |title=首相のサハリン訪問後の記帳、総務相「微妙な問題」 |accessdate=2017-05-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090223194913/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090220/plc0902202136016-n1.htm |archivedate=2009-02-23 |url-status=dead|url-status-date=2020-02 }} {{Wayback|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090220/plc0902202136016-n1.htm |date=20090223194913 }}</ref>。これについては北方領土問題とは異なり、南樺太については、ロシアが実効支配していることについてロシア以外のいかなる国の政府も領有権の主張を行っておらず、領有権を放棄した日本政府も異議を唱える立場にはなく、2001年にはサハリン州ユジノサハリンスクに総領事館を設置して、ロシアの実効支配を前提とした日常業務を行っている事もあり、訪問への反対運動は広がりを見せなかった。 |
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=== 発 |
=== 開発途上国への政府開発援助 === |
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[[政府開発援助]] (ODA) には積極的な姿勢を取っている。2007年1月26日、「ODAは、我が国[[外交]]の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。「自由と繁栄の弧」形成のためにも、ODAを活用していきます。そのうえで、ODA事業量の100億ドルの積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります」と述べた<ref>{{Cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070126002.htm|title=第166回国会 本会議 第2号|date=2007-01-26|author=衆議院|accessdate=2007-10-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070317141826/http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070126002.htm|archivedate=2007 |
[[政府開発援助]] (ODA) には積極的な姿勢を取っている。2007年1月26日、「ODAは、我が国[[外交]]の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。「自由と繁栄の弧」形成のためにも、ODAを活用していきます。そのうえで、ODA事業量の100億ドルの積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります」と述べた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070126002.htm|title=第166回国会 本会議 第2号|date=2007-01-26|author=衆議院|accessdate=2007-10-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070317141826/http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070126002.htm|archivedate=2007-03-17|url-status=dead|url-status-date=2020-02}} {{Wayback|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070126002.htm |date=20070317141826 }}</ref>。 |
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=== 核武装論 === |
=== 核武装論 === |
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2006年10月、自民党政調会長(当時)の[[中川昭一]]が「[[核武装論]]も選択肢として考えておくべき」と発言したことで一部から非難を受ける。麻生は[[非核三原則]]の堅持 |
2006年10月、自民党政調会長(当時)の[[中川昭一]]が「[[日本の核武装論|核武装論]]も選択肢として考えておくべき」と発言したことで一部から非難を受ける。麻生は[[非核三原則]]の堅持を前提と明言しつつも、「隣の国が持つとなったときに、1つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は[[言論統制]]された国ではない。[[言論の自由]]を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と発言した。この発言が原因で、12月に民主党、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]、[[日本共産党|共産党]]ら4党から外相としての不信任決議案を提出された。 |
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2009年11月23日、総理大臣時代に、日本に対する[[アメリカ合衆国]]の「[[核の傘]]」堅持のため、米議会が中期的な核戦略検討のために設置した「戦略態勢委員会」に働きかけを行っていたことがわかった<ref> |
2009年11月23日、総理大臣時代に、日本に対する[[アメリカ合衆国]]の「[[核の傘]]」堅持のため、米議会が中期的な核戦略検討のために設置した「戦略態勢委員会」に働きかけを行っていたことがわかった<ref>{{Cite web |title=政府、米に小型核保有促す 麻生政権時代「核の傘」堅持狙う - 共同通信 2009/11/23 20:44 アーカイブ 2009年11月26日 - ウェイバックマシン |url=https://www.47news.jp/ |website=47NEWS |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。 |
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=== インテリジェンス |
=== インテリジェンス === |
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諜報機関や国家運営に必要な情報収集能力を「[[インテリジェンス]]」と呼ぶ |
[[諜報機関]]や国家運営に必要な情報収集能力を「[[諜報|インテリジェンス]]」と呼ぶ。麻生は英米のインテリジェンスを次のように比べた。[[イギリス]]はMI6(現[[秘密情報部|SIS]])と[[外務・英連邦省|外務省]]の2つのインテリジェンスがある。英首相は2つを競合させる、つまり真贋を見分けて最終判断を下す機会を持ち、判断の政治的責任を引き受けている。他方、アメリカのインテリジェンスは[[CIA]]だけであり<ref group="注釈">正確には、[[アメリカ国家安全保障局|国家安全保障局]]、[[アメリカ国家偵察局|国家偵察局]]、[[アメリカ国防情報局|国防省情報本部]]、各軍の情報部、財務省情報部、エネルギー省情報部といったインテリジェンスからの情報を、CIAは独自調査とつき合わせてから大統領に報告している。</ref>、米大統領はインテリジェンスを競合させたり政治的責任をとったりできない。これは、イラク戦争の際に[[大量破壊兵器]]が存在すると誤認した構造要因だったと麻生は考えている。このような事実から、インテリジェンスの吟味が大事だという。この結論を[[手嶋龍一]]は高く評価した<ref group="注釈">[http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060630.html 中央公論7月号 〜これが外交の品格だ〜対談 麻生太郎×手嶋龍一 対米、対中、対北朝鮮 日本外交の舵をどう切るのか] {{Wayback|url=http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060630.html |date=20110204030148 }} 麻生はインテリジェンスを尊重することがインテリジェンスの開拓につながるとも考えている。なお、出典中の「民主党のガセメール事件」とは[[堀江メール問題]]であり、「シャドー・キャビネットの首相」とは[[前原誠司]]を指す。手嶋が提起したこの話題を受けて、麻生はインテリジェンスを相手を貶めるためには使わないことも大切だと述べている。しかし、この問題がインテリジェンスの悪用だったことの論証は出典を読む限り見当たらない。</ref>。 |
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===日米貿易交渉=== |
=== 日米貿易交渉 === |
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[[2016年アメリカ合衆国大統領選挙]]を勝ち抜いた[[ドナルド・トランプ]]大統領は、就任直後より日本を含む[[貿易黒字]]を抱える国々に対し貿易不均衡の是正を求めた。[[2017年]][[4月18日]]以降、麻生太郎副総理と[[マイク・ペンス]]副大統領による日米経済対話が二回開催されたが、アメリカ側の[[自由貿易協定]]交渉要求などを相応にさばいたためトランプ大統領は不満つのらせ、[[茂木敏充]][[経済再生担当大臣]]と[[ロバート・ライトハイザー]][[アメリカ合衆国通商代表]]との[[日米貿易交渉 (2018年-2019年)]] へ移行した<ref>{{Cite news|date=2018-04-20|url=https://www.asahi.com/articles/ASL4M2P95L4MUTFK006.html|title=日米首脳が共同会見 通商問題で閣僚級協議の枠組み設置 |
[[2016年アメリカ合衆国大統領選挙]]を勝ち抜いた[[ドナルド・トランプ]]大統領は、就任直後より日本を含む[[貿易黒字]]を抱える国々に対し貿易不均衡の是正を求めた。[[2017年]][[4月18日]]以降、麻生太郎副総理と[[マイク・ペンス]]副大統領による日米経済対話が二回開催されたが、アメリカ側の[[自由貿易協定]]交渉要求などを相応にさばいたためトランプ大統領は不満つのらせ、[[茂木敏充]][[経済再生担当大臣]]と[[ロバート・ライトハイザー]][[アメリカ合衆国通商代表]]との[[日米貿易交渉 (2018年-2019年)|日米貿易交渉 (2018年 - 2019年)]] へ移行した<ref>{{Cite news|date=2018-04-20|url=https://www.asahi.com/articles/ASL4M2P95L4MUTFK006.html|title=日米首脳が共同会見 通商問題で閣僚級協議の枠組み設置|publisher=朝日新聞|accessdate=2019-09-25|archive-date=2019年9月24日|archive-url=https://web.archive.org/web/20190924213604/https://www.asahi.com/articles/ASL4M2P95L4MUTFK006.html}}</ref>。2019年[[4月25日]]、訪米中に行われた[[スティーブン・ムニューシン]]財務長官との会談の中で、新たな貿易協定に為替条項の導入するよう迫られるも「貿易政策と為替政策をリンクする議論には賛同しかねる」として反論したことが伝わっている<ref>{{Cite web |1=和書 |date=2019-05-17 |url=https://mainichi.jp/premier/business/articles/20190516/biz/00m/020/036000c |title=日米貿易交渉で米が求める「為替条項」着地点は? |publisher=毎日新聞プレミア |accessdate=2019-09-24 }} {{Wayback|url=https://mainichi.jp/premier/business/articles/20190516/biz/00m/020/036000c |date=20190924214222 }}</ref>。 |
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== 歴史認識 == |
== 歴史認識 == |
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[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]]、[[日本統治時代の台湾|台湾]]に対しては肯定的側面もあったとする発言をしている。2003年[[5月31日]]、[[東京大学]]学園祭において「[[創氏改名]]は[[朝鮮民族|朝鮮人]]が望んだ」<ref group="注釈">[[満州]]や日本国内で経済活動をするうえで朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言</ref>、「日本は[[ハングル]]普及に貢献した」と述べた(当該項目も参照)。また、2006年[[2月4日]]の[[福岡市]]での講演において、日本が植民地台湾の[[義務教育]]に力を入れたと指摘したうえで「台湾はものすごく教育水準が上がって[[識字|識字率]]などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。 |
[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]]、[[日本統治時代の台湾|台湾]]に対しては肯定的側面もあったとする発言をしている。2003年[[5月31日]]、[[東京大学]]学園祭において「[[創氏改名]]は[[朝鮮民族|朝鮮人]]が望んだ」<ref group="注釈">[[満州]]や日本国内で経済活動をするうえで朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言</ref>、「日本は[[ハングル]]普及に貢献した」と述べた(当該項目も参照)。また、2006年[[2月4日]]の[[福岡市]]での講演において、日本が植民地台湾の[[義務教育]]に力を入れたと指摘したうえで「台湾はものすごく教育水準が上がって[[識字|識字率]]などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。 |
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[[2007年]]([[平成]]19年)[[3月21日]]、[[長崎県]][[時津町]]で講演。日本独自の中東和平外交として、[[ヨルダン#ヨルダン渓谷|ヨルダン渓谷]]の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」「われわれは幸いにして[[ |
[[2007年]]([[平成]]19年)[[3月21日]]、[[長崎県]][[時津町]]で講演。日本独自の中東和平外交として、[[ヨルダン#ヨルダン渓谷|ヨルダン渓谷]]の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」「われわれは幸いにして[[モンゴロイド|黄色い顔]]をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、[[機関銃]]撃ったとか1回もない」と述べた。 |
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[[2006年]]([[平成]]18年)[[5月26日]]、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『[[ナショナリズム]]』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その[[国境]]を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた<ref>{{ |
[[2006年]]([[平成]]18年)[[5月26日]]、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『[[ナショナリズム]]』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その[[国境]]を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた<ref>{{Cite press release|1=和書|title=国際交流会議「アジアの未来」2006 麻生太郎外相スピーチ「ネットワーク型アジア」の未来を構想する(外務大臣演説)|publisher=[[外務省]]|date=2006-09-18|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_0526.html|accessdate=2007-10-06|archive-date=2020年11月20日|archive-url=https://web.archive.org/web/20201120055157/https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_0526.html|urlstatus=live}}</ref>。 |
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2008年10月2日には日本の過去のアジア支配に対する反省と謝罪を明確にした「[[村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」|村山談話]]」について、「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」として麻生内閣でも、明確に堅持する方針を示した<ref>『毎日新聞』 2008年10月2日</ref>。同年[[10月31日]]には[[航空自衛隊]][[幕僚長]]の[[田母神俊雄]]が旧[[大日本帝国軍]]の侵略行為を否定する論文を執筆していたことが判明したが、麻生は記者団に対して「個人的に出したとしても、立場が立場だから適切ではない」と述べた<ref>[ |
2008年10月2日には日本の過去のアジア支配に対する反省と謝罪を明確にした「[[村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」|村山談話]]」について、「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」として麻生内閣でも、明確に堅持する方針を示した<ref>『毎日新聞』 2008年10月2日</ref>。同年[[10月31日]]には[[航空自衛隊]][[幕僚長]]の[[田母神俊雄]]が旧[[大日本帝国軍]]の侵略行為を否定する論文を執筆していたことが判明したが、麻生は記者団に対して「個人的に出したとしても、立場が立場だから適切ではない」と述べた<ref>[https://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30|k=2008103101117 空幕長論文「適切でない」=麻生首相-民主も批判 時事通信2008年11月1日]{{リンク切れ|date=2009年12月}}</ref>。 |
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[[麻生内閣メールマガジン]]「太郎ちゃんねる(2008年[[12月4日]]配信)」において、「[[1941年]]12月に[[第二次世界大戦]]が[[真珠湾攻撃]]で始まる」と書いたことについて、「1941年12月に始まったのは第二次世界大戦ではなく[[太平洋戦争]]である。この歴史認識は知性を疑われる恥知らずの間違い」として、[[新党日本]]の[[田中康夫]]から国会での謝罪と訂正を求める[[質問主意書]]が提出された<ref> |
[[麻生内閣メールマガジン]]「太郎ちゃんねる(2008年[[12月4日]]配信)」において、「[[1941年]]12月に[[第二次世界大戦]]が[[真珠湾攻撃]]で始まる」と書いたことについて、「1941年12月に始まったのは第二次世界大戦ではなく[[太平洋戦争]]である。この歴史認識は知性を疑われる恥知らずの間違い」として、[[新党日本]]の[[田中康夫]]から国会での謝罪と訂正を求める[[質問主意書]]が提出された<ref>{{Cite web |title=新党日本(2010年1月2日のアーカイブ) |url=https://web.archive.org/web/20100102233542/http://love-nippon.com/090213.htm |website=web.archive.org |date=2010-01-02 |access-date=2024-12-07}}</ref>。 |
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=== 日本軍慰安婦問題 === |
=== 日本軍慰安婦問題 === |
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[[内閣総理大臣]]としては[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]を踏襲することを表明したが、[[アメリカ合衆国下院]]に提出された[[日本の慰安婦|慰安婦]]問題をめぐる[[アメリカ合衆国下院121号決議|対日非難決議案]]にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について「客観的な事実にまったく基づいていない」と強い遺憾の意を示している<ref>{{ |
[[内閣総理大臣]]としては[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]を踏襲することを表明したが、[[アメリカ合衆国下院]]に提出された[[日本の慰安婦|慰安婦]]問題をめぐる[[アメリカ合衆国下院121号決議|対日非難決議案]]にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について「客観的な事実にまったく基づいていない」と強い遺憾の意を示している<ref>{{Cite web|1=和書|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070219011.htm|title=第166回国会 予算委員会 第11号|author=[[衆議院]]|date=2007-02-19|accessdate=2007-10-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071010055144/http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070219011.htm|archivedate=2007-10-10|url-status=dead|url-status-date=2020-02}} {{Wayback|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070219011.htm |date=20071010055144 }}</ref>。麻生はまた、[[国際連合|国連]]の自由権規約委員会が従軍慰安婦に対して日本政府に謝罪と補償などを行うよう勧告したときも、[[第171回国会]]において、内閣総理大臣として「この勧告は、法的拘束力を持つものではなく、市民的及び政治的権利に関する国際規約の締約国に対し、当該勧告に従うことを義務付けているものではないと理解している」と述べ、慰安婦に対して謝罪や賠償をする意思がないことを表明した<ref>{{Cite press release|1 = 和書|title = 質問主意書 第171回国会(常会) 答弁書|publisher = 参議院|date = 2009-01-31|url = https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/171/touh/t171001.htm|accessdate = 2010-01-23|archive-date = 2022年1月27日|archive-url = https://web.archive.org/web/20220127173640/https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/171/touh/t171001.htm|urlstatus = live}}</ref>。麻生個人の見解としては、慰安婦問題をめぐる対日非難決議案は、日本と米国が緊密な関係になることを良しとしない第三国による日米離間工作であると見なしている<ref>[https://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30|k=2007031100036 時事通信 (平成19年03月11日) "慰安婦決議案、謝罪の必要なし=「日米離間工作」と指摘-麻生外相"]{{リンク切れ|date=October 2012}}</ref>。 |
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=== 靖国神社問題 === |
=== 靖国神社問題 === |
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[[2006年]](平成18年)[[8月8日]]付の[[朝日新聞]][[朝刊]]にて『靖国にいやさかあれ』という論文を寄稿した<ref>{{ |
[[2006年]](平成18年)[[8月8日]]付の[[朝日新聞]][[朝刊]]にて『靖国にいやさかあれ』という論文を寄稿した<ref>{{Cite press release|1 = 和書|author = 麻生太郎|url = http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060811.html|title = 靖国にいやさかあれ(新聞投稿)|publisher = 麻生太郎オフィシャルサイト|date = 2006-08-11|access-date = 2010年2月22日|archive-date = 2009年3月9日|archive-url = https://web.archive.org/web/20090309234155/http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060811.html|urlstatus = live}}</ref>。 |
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政治家の[[靖国神社問題#政教分離|靖国神社問題]]については、[[政教分離原則|政教分離]]が問われるなど一番の問題は靖国神社が[[宗教法人]]であることだとしており、2006年の総裁選では総理になった場合に靖国神社を非宗教法人化(国が関与できる[[特殊法人]]への移行)し、国立追悼施設にすることを公約に掲げた。2008年10月にも「神社という名前が問題なら、靖国廟でも[[招魂社]]でもいろんな形がある」として、非宗教法人化を支持する姿勢を示している<ref>『時事通信』 2008年10月7日</ref>。 |
政治家の[[靖国神社問題#政教分離|靖国神社問題]]については、[[政教分離原則|政教分離]]が問われるなど一番の問題は靖国神社が[[宗教法人]]であることだとしており、2006年の総裁選では総理になった場合に靖国神社を非宗教法人化(国が関与できる[[特殊法人]]への移行)し、国立追悼施設にすることを公約に掲げた。2008年10月にも「神社という名前が問題なら、靖国廟でも[[招魂社]]でもいろんな形がある」として、非宗教法人化を支持する姿勢を示している<ref>『時事通信』 2008年10月7日</ref>。 |
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2006年には、「[[内閣総理大臣|首相]]になった際には靖国参拝を自粛する」という考えを示していた<ref>『読売新聞』 2006年8月4日</ref>。2008年に首相に就任した直後には「行くとも行かないとも答えることはない」として曖昧な姿勢を見せている<ref>『日本経済新聞』 2008年10月7日</ref>。外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「[[中華人民共和国|中国]]が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはタバコを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。麻生本人は外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。 |
2006年には、「[[内閣総理大臣|首相]]になった際には靖国参拝を自粛する」という考えを示していた<ref>『読売新聞』 2006年8月4日</ref>。2008年に首相に就任した直後には「行くとも行かないとも答えることはない」として曖昧な姿勢を見せている<ref>『日本経済新聞』 2008年10月7日</ref>。外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「[[中華人民共和国|中国]]が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはタバコを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。麻生本人は外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。 |
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[[A級戦犯]]の[[分祀]]については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示している<ref>『時事通信』 2006年3月8日</ref> が、靖国神社が宗教法人である限り政治の介入による分祀は厳に慎むべきであるとしている<ref> |
[[A級戦犯]]の[[分祀]]については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示している<ref>『時事通信』 2006年3月8日</ref> が、靖国神社が宗教法人である限り政治の介入による分祀は厳に慎むべきであるとしている<ref>{{Cite web |title=麻生太郎オフィシャルサイト |url=http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html |website=www.aso-taro.jp |access-date=2024-12-07}}</ref>。そのため、靖国問題の解決策に関しては、靖国神社の非宗教法人化を行い、国が関与できるようにして[[A級戦犯]]を[[分祀]]することを「1つの方法」と発言し、「望ましい」として賛成している<ref>『日本経済新聞』 2008年9月15日</ref>。 |
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2006年[[1月28日]]、[[名古屋]]で行われた公明党議員の会合で、「[[英霊]]は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が参拝(正確には「親拝」という)なさるのが一番だ」と述べ、「(天皇が)公人か私人かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えたが、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは一切言ってない」と発言を修正し、釈明した<ref>『共同通信』 2006年1月31日</ref>。 |
2006年[[1月28日]]、愛知県[[名古屋市]]で行われた[[公明党]]議員の会合で、「[[英霊]]は『[[天皇]]陛下』のために『万歳』と言ったのであり、『首相万歳』と言ったのはゼロだ。天皇陛下が参拝(正確には「親拝」という)なさるのが一番だ」と述べ、「(天皇が)公人か私人かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えたが、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは、一切言ってない」と発言を修正し、釈明した<ref>『共同通信』 2006年1月31日</ref>。 |
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日本と韓国の緊張関係について、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。問題をあおって増幅させた」との考えを表明している。 |
日本と韓国の緊張関係について、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。問題をあおって増幅させた」との考えを表明している。 |
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首相在任中の2009年には「(靖国神社は)最も政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものだ。もっと静かに祈る場所だ」<ref>{{cite news|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090810/plc0908102050006-n1.htm|title = 【麻生ぶら下がり】靖国参拝「政治とかマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきもんですよ」(10日夜)|newspaper = 産経新聞|date = 2009-08-10|accessdate = 2010-01-31|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090813074410/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090810/plc0908102050006-n1.htm|archivedate = 2009年8月13日|publication-date = }}</ref> として、[[終戦の日]]に靖国神社参拝を行わない意向を示した<ref>{{cite news |
首相在任中の2009年には「(靖国神社は)最も政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものだ。もっと静かに祈る場所だ」<ref>{{cite news|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090810/plc0908102050006-n1.htm|title = 【麻生ぶら下がり】靖国参拝「政治とかマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきもんですよ」(10日夜)|newspaper = 産経新聞|date = 2009-08-10|accessdate = 2010-01-31|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090813074410/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090810/plc0908102050006-n1.htm|archivedate = 2009年8月13日|publication-date = }}</ref> として、[[終戦の日]]に靖国神社参拝を行わない意向を示した<ref>{{cite news |
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|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090812/plc0908120315002-n1.htm |
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|title = 【主張】靖国神社参拝 指導者の務めはどうした |
|title = 【主張】靖国神社参拝 指導者の務めはどうした |
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|newspaper = 産経新聞 |
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[[2009年]][[10月17日]]には、首相在任中には参拝しなかった靖国神社に参拝した<ref name="sankei200910201747">{{Cite news |
[[2009年]][[10月17日]]には、首相在任中には参拝しなかった靖国神社に参拝した<ref name="sankei200910201747">{{Cite news |
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|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091020/stt0910201752011-n1.htm |
|url = https://web.archive.org/web/20091029024230/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091020/stt0910201752011-n1.htm |
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|title = 麻生前首相も秋季例大祭の17日に靖国参拝 |
|title = 麻生前首相も秋季例大祭の17日に靖国参拝 |
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|newspaper = 産経新聞 |
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371行目: | 419行目: | ||
|date = 2009-10-20 |
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}}</ref>。 |
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[[教育基本法]]に関して麻生は、改正前の2002年に、「教育基本法には「国」という概念を明確に打ち出す必要がある。〔…〕「愛国心」を持つことの大切さを明示すべきなのだ」との見解を示していた<ref name="hanseikihete">{{Cite news |title=半世紀経て問いなおす時期に |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2002-11-17 |author=麻生太郎 | page=19 |accessdate=2016-07-21}}</ref>。また、「思い切って中学の義務教育をやめてもいいのではないだろうか」として、義務教育を9年から6年に短縮する構想を示した<ref name="hanseikihete"/>。 |
[[教育基本法]]に関して麻生は、改正前の2002年に、「教育基本法には「国」という概念を明確に打ち出す必要がある。〔…〕「愛国心」を持つことの大切さを明示すべきなのだ」との見解を示していた<ref name="hanseikihete">{{Cite news |title=半世紀経て問いなおす時期に |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2002-11-17 |author=麻生太郎 | page=19 |accessdate=2016-07-21}}</ref>。また、「思い切って中学の義務教育をやめてもいいのではないだろうか」として、義務教育を9年から6年に短縮する構想を示した<ref name="hanseikihete"/>。 |
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これに対して[[高橋哲哉]]は「11歳か12歳で自分の人生に見きわめをつけよというのですから無理な話です」と述べ、この構想を批判している |
これに対して[[高橋哲哉]]は「11歳か12歳で自分の人生に見きわめをつけよというのですから無理な話です」と述べ、この構想を批判している{{Sfn|高橋哲哉|2004|p=90}}。 |
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=== 憲法改正論議 === |
=== 憲法改正論議 === |
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2008年9月の国連総会での演説後、自衛隊の[[集団的自衛権]]の行使について「できるようにすべき」と憲法改正もある程度は必要との認識を持っている。[[2016年]]の[[西日本新聞]]のアンケートでは「国民的合意が得られるものから適宜行うべきだ」と回答している<ref name="nishi0430">{{Cite news |title=<憲法特集>九州・沖縄の国会議員アンケート(3)主なテーマ |newspaper=[[西日本新聞]] |date=2016-04-30 |author= |url= |
2008年9月の国連総会での演説後、自衛隊の[[集団的自衛権]]の行使について「できるようにすべき」と憲法改正もある程度は必要との認識を持っている。[[2016年]]の[[西日本新聞]]のアンケートでは「国民的合意が得られるものから適宜行うべきだ」と回答している<ref name="nishi0430">{{Cite news |title=<憲法特集>九州・沖縄の国会議員アンケート(3)主なテーマ |newspaper=[[西日本新聞]] |date=2016-04-30 |author= |url=http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/242418 |archiveurl=https://archive.ph/20160502080637/http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/242418 |archivedate=2016年5月2日 |accessdate=2016-07-21 }}</ref>。{{see also|憲法改正論議}} |
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=== 国籍法改正 === |
=== 国籍法改正 === |
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=== 選択的夫婦別姓制度 === |
=== 選択的夫婦別姓制度 === |
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[[2016年]]の『[[西日本新聞]]』のアンケートでは、選択的[[夫婦別姓]]制度導入について、「結婚したら全員が夫婦同姓にすべき」としている<ref name="nishi0430"/>。一方、[[野田聖子]]は麻生は選択的[[夫婦別姓]]制度導入に基本的に賛成である、と述べていた<ref>{{Cite web |url=http://www.noda-seiko.gr.jp/old_data/koen/koen1_1.html |title=野田聖子「政治が変わる、女性が変える」 |accessdate=2013 |
[[2016年]]の『[[西日本新聞]]』のアンケートでは、選択的[[夫婦別姓]]制度導入について、「結婚したら全員が夫婦同姓にすべき」としている<ref name="nishi0430"/>。一方、[[野田聖子]]は麻生は選択的[[夫婦別姓]]制度導入に基本的に賛成である、と述べていた<ref>{{Cite web |1=和書 |url=http://www.noda-seiko.gr.jp/old_data/koen/koen1_1.html |title=野田聖子「政治が変わる、女性が変える」 |accessdate=2013-09-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130921054706/http://www.noda-seiko.gr.jp/old_data/koen/koen1_1.html |archivedate=2013-09-21 |url-status=dead|url-status-date=2020-02 }} {{Wayback|url=http://www.noda-seiko.gr.jp/old_data/koen/koen1_1.html |date=20130921054706 }}</ref>。また、政策CPプロジェクト衆議院選挙2005プログラムでは「選択的夫婦別姓を認めるか」に対し「認めるが子供の姓はどちらかに統一する」と回答している<ref>{{Cite web |1=和書 |url=http://www.seisaku.jp/shu2005/find/index.php?status=s%7Csid%3D10261 |title=政策CPプロジェクト - 衆議院選挙2005プログラム |accessdate=2020-02-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150910054433/http://www.seisaku.jp/shu2005/find/index.php?status=s%7Csid=10261 |archivedate=2015-09-10 |url-status=dead|url-status-date=2020-02 }} {{Wayback|url=http://www.seisaku.jp/shu2005/find/index.php?status=s%7Csid%3D10261 |date=20150910054433 }}</ref>。 |
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=== 漫画の表現規制 === |
=== 漫画の表現規制 === |
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漫画やアニメの[[言論統制|表現規制]]強化を推進する立場を明確にしている。[[松江市]][[教育委員会]]によって『[[はだしのゲン]]』に閉架措置がとられた問題について「(はだしのゲンを)出たころ毎週の連載を読んでいましたけど、もっと禁止したほうがいい成人向け漫画がある。自民党でポルノコミックについて(規制を)やったときは「成人向けにすべきじゃない」とずいぶん反対があった。そういうもののほうが、もっと問題なんじゃないかね」と述べた<ref>{{Cite news |
漫画やアニメの[[言論統制|表現規制]]強化を推進する立場を明確にしている。[[松江市]][[教育委員会]]によって『[[はだしのゲン]]』に閉架措置がとられた問題について「(はだしのゲンを)出たころ毎週の連載を読んでいましたけど、もっと禁止したほうがいい成人向け漫画がある。自民党でポルノコミックについて(規制を)やったときは「成人向けにすべきじゃない」とずいぶん反対があった。そういうもののほうが、もっと問題なんじゃないかね」と述べた<ref>{{Cite news |
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|url = |
|url = http://www.asahi.com/politics/update/0827/TKY201308270216.html |
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|title = 「ゲンより禁止すべき成人向け漫画がある」麻生副総理 |
|title = 「ゲンより禁止すべき成人向け漫画がある」麻生副総理 |
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|newspaper = 朝日新聞 |
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|date = 2013-08-27 |
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|accessdate = 2015-09-02 |
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|archive-date = 2013年8月27日 |
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|archive-url = https://web.archive.org/web/20130827140322/http://www.asahi.com/politics/update/0827/TKY201308270216.html |
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}}</ref>。[[1989年]]から発生した[[有害コミック騒動]]では規制強化の立場から[[自由民主党 (日本)|自民党]]を代表して「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」の会長を務めたうえ、[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律|児童ポルノ禁止法]]についても法規制の必要性を主張している<ref>{{Cite news |
}}</ref>。[[1989年]]から発生した[[有害コミック騒動]]では規制強化の立場から[[自由民主党 (日本)|自民党]]を代表して「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」の会長を務めたうえ、[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律|児童ポルノ禁止法]]についても法規制の必要性を主張している<ref>{{Cite news |
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|url = http://taroyamada.jp/?p=2879 |
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401行目: | 453行目: | ||
|date = 2013-05-10 |
|date = 2013-05-10 |
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|archive-date = 2014年7月14日 |
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|title = 「ローゼン閣下」麻生太郎副総理に失望の声 日本のマンガ、アニメを児童ポルノ禁止法から守ってくれそうにない! |
|title = 「ローゼン閣下」麻生太郎副総理に失望の声 日本のマンガ、アニメを児童ポルノ禁止法から守ってくれそうにない! |
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|newspaper = J-CASTニュース |
|newspaper = J-CASTニュース |
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|date = 2013-05-10 |
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|archive-date = 2023年11月13日 |
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|url = http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/149147/ |
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|title = 「児ポ規制」で麻生“ローゼン閣下”が危ない!? |
|title = 「児ポ規制」で麻生“ローゼン閣下”が危ない!? |
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|newspaper = 東京スポーツ |
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|date = 2013-06-06 |
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|archive-date = 2015年7月14日 |
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}}</ref>。 |
}}</ref>。 |
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=== 健康増進法改正 === |
=== 健康増進法改正 === |
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自らも喫煙者であることから、[[受動喫煙]]防止を目的とした[[健康増進法]]改正案について反対している。 |
自らも喫煙者であることから、[[受動喫煙]]防止を目的とした[[健康増進法]]改正案について反対している。 |
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* [[2017年]]2月20日の衆議院[[予算委員会]]において、[[本村賢太郎]]から「麻生氏といえば[[ウイスキー]]片手に葉巻をくゆらせる姿が印象的で、とてもかっこいい。[[受動喫煙]]防止対策が進んでいくとシガーバーにも影響が出ると思う」と質問を受けたことに対し、「[[たばこ]]が吸えないシガーバーには行かないようにしたい」と答えた<ref>{{Cite news|url = https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL240OR_U3A021C1000000/|title = 首相、受動喫煙防止の法整備「国民各層の意見や議論みていく」|newspaper = [[毎日新聞]] |
* [[2017年]]2月20日の衆議院[[予算委員会]]において、[[本村賢太郎]]から「麻生氏といえば[[ウイスキー]]片手に葉巻をくゆらせる姿が印象的で、とてもかっこいい。[[受動喫煙]]防止対策が進んでいくとシガーバーにも影響が出ると思う」と質問を受けたことに対し、「[[たばこ]]が吸えないシガーバーには行かないようにしたい」と答えた<ref>{{Cite news|url = https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL240OR_U3A021C1000000/|title = 首相、受動喫煙防止の法整備「国民各層の意見や議論みていく」|newspaper = [[毎日新聞]]|publisher = [[毎日新聞社]]|date = 2013-10-24|accessdate = 2018-05-05|archive-date = 2018年5月5日|archive-url = https://web.archive.org/web/20180505205803/https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL240OR_U3A021C1000000/}}</ref>。 |
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* [[2017年]]2月21日の衆議院[[財務金融委員会]]において、「[[肺癌|肺がん]](の患者数)は間違いなく増えた。[[たばこ]]ってそんな関係あんのって色んな人に聞くんです」として、[[受動喫煙]]防止の必要性について疑問を呈した<ref name ="asahi20170222">{{Cite news|title = 「たばこってそんな関係あんの?」 喫煙者減っても肺がん増えた 愛煙家・麻生財務相が言及 |newspaper = [[朝日新聞]] |publisher = [[朝日新聞社]] |date = 2017-02-22 }}</ref>。また、[[電子たばこ]]についても、「[[国会 (日本)|国会]]で吸えるよう提案してみてはどうか。イライラがずいぶん収まって、激論もちょっとは減るんじゃないか」と主張した<ref name ="asahi20170222"/>。 |
* [[2017年]]2月21日の衆議院[[財務金融委員会]]において、「[[肺癌|肺がん]](の患者数)は間違いなく増えた。[[たばこ]]ってそんな関係あんのって色んな人に聞くんです」として、[[受動喫煙]]防止の必要性について疑問を呈した<ref name ="asahi20170222">{{Cite news|title = 「たばこってそんな関係あんの?」 喫煙者減っても肺がん増えた 愛煙家・麻生財務相が言及 |newspaper = [[朝日新聞]] |publisher = [[朝日新聞社]] |date = 2017-02-22 }}</ref>。また、[[電子たばこ]]についても、「[[国会 (日本)|国会]]で吸えるよう提案してみてはどうか。イライラがずいぶん収まって、激論もちょっとは減るんじゃないか」と主張した<ref name ="asahi20170222"/>。 |
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== 政 |
== 政策・主張 == |
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=== 派閥 === |
=== 派閥 === |
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当初は[[宏池会]]に所属したが、河野洋平の[[大勇会]]立ち上げに伴い離脱した。[[ハト派]]的な河野とは政治スタンスが異なるが信頼関係は深く、麻生にとっては首相時代に孤独を癒やしてくれる[[精神安定剤]]のような存在だったという<ref>{{Cite web|1=和書|title=「どす黒い孤独」と菅人事 そして記者は補佐官になった:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASNB4316SNB2UEHF001.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2020-10-14|language=ja}} {{Wayback|url=https://www.asahi.com/articles/ASNB4316SNB2UEHF001.html |date=20201014034510 }}</ref>。{{Main|志公会}}岸田自民党の副総裁として自民党の新フィクサーとなる<ref>{{Cite news|title=麻生副総裁「岸田、やらせてみたらそこそこ」放言に戸惑いの声|newspaper=[[FRIDAY (雑誌)|FRIDAY]]|date=2022-4-21|author=岩城周太郎|url=https://friday.kodansha.co.jp/article/239894/|access-date=2022-9-23|archive-date=2022年9月27日|archive-url=https://web.archive.org/web/20220927211217/https://friday.kodansha.co.jp/article/239894}}</ref>。 |
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{{Main|志公会}} |
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=== 主な役職 |
=== 主な役職など === |
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*[[自民党たばこ議員連盟]]顧問<ref name="officer20170307">{{Cite web|url=http://notobacco.jp/pslaw/tobaccogirenkenkin1703.pdf|title=「自民党たばこ議員連盟」役員(2017/3/7現在)及び役員へのタバコ販売&耕作者政治連盟からの6年間の献金額(万円)|accessdate=2018年4月11日}}</ref><ref name="attendance20170307">{{Cite web|url=http://notobacco.jp/pslaw/giren170307syusseki.pdf|title=自民党たばこ議員連盟臨時総会(出席者)|accessdate=2018年4月11日}}</ref> |
*[[自民党たばこ議員連盟]]顧問<ref name="officer20170307">{{Cite web|1=和書|url=http://notobacco.jp/pslaw/tobaccogirenkenkin1703.pdf|title=「自民党たばこ議員連盟」役員(2017/3/7現在)及び役員へのタバコ販売&耕作者政治連盟からの6年間の献金額(万円)|accessdate=2018年4月11日}} {{Wayback|url=http://notobacco.jp/pslaw/tobaccogirenkenkin1703.pdf |date=20170517070719 }}</ref><ref name="attendance20170307">{{Cite web|1=和書|url=http://notobacco.jp/pslaw/giren170307syusseki.pdf|title=自民党たばこ議員連盟臨時総会(出席者)|accessdate=2018年4月11日}} {{Wayback|url=http://notobacco.jp/pslaw/giren170307syusseki.pdf |date=20191225113416 }}</ref> |
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*[[ボーイスカウト振興国会議員連盟]](顧問) |
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*[[日本青年会議所]](JC)元会頭 |
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*[[日本青年会議所]] (JC) 元会頭 |
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*[[日本クレー射撃協会|社団法人日本クレー射撃協会]][[会長]] |
*[[日本クレー射撃協会|社団法人日本クレー射撃協会]][[会長]] |
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*日伯国会議員連盟会長 |
*日伯国会議員連盟会長 |
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*[[日韓議員連盟]]副会長 |
*[[日韓議員連盟]]副会長 |
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*[[日韓協力委員会]]会長代行<ref>{{Cite web |url=http://jkcc.asia/2greeting/JKCC_gre3_staff.html |title=日韓協力委員会 概要 |accessdate=2012 |
*[[日韓協力委員会]]会長代行<ref>{{Cite web |url=http://jkcc.asia/2greeting/JKCC_gre3_staff.html |title=日韓協力委員会 概要 |accessdate=2012-10-06 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130527074047/http://jkcc.asia/2greeting/JKCC_gre3_staff.html |archivedate=2013-05-27 |url-status=dead|url-status-date=2020-02 }} {{Wayback|url=http://jkcc.asia/2greeting/JKCC_gre3_staff.html |date=20130527074047 }}</ref> |
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*[[日韓トンネル研究会]]九州支部顧問 |
*[[日韓トンネル研究会]]九州支部顧問 |
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*[[北京オリンピックを支援する議員の会]] |
*[[北京オリンピックを支援する議員の会]] |
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*[[日華議員懇談会]] |
*[[日華議員懇談会]] |
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*[[ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟]] |
*[[ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟]] |
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=== 公明党との関係 === |
=== 公明党との関係 === |
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麻生の2008年自民党総裁選出馬表明の直後には、公明党支持母体の[[創価学会]]婦人部・公明代表代行の[[浜四津敏子]]が異例のスピードで支持を表明した<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080903k0000m010069000c.html|newspaper=毎日新聞|date=2008-09-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080905192538/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080903k0000m010069000c.html|archivedate=2008年9月5日|accessdate=2012-05-16|title=アーカイブされたコピー|publication-date=}}</ref>。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党幹事長の[[北側一雄]]も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として明確な支持を表明している<ref>日本経済新聞 2008年9月11日</ref>。 |
麻生の2008年自民党総裁選出馬表明の直後には、公明党支持母体の[[創価学会]]婦人部・公明代表代行の[[浜四津敏子]]が異例のスピードで支持を表明した<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080903k0000m010069000c.html|newspaper=毎日新聞|date=2008-09-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080905192538/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080903k0000m010069000c.html|archivedate=2008年9月5日|accessdate=2012-05-16|title=アーカイブされたコピー|publication-date=}}</ref>。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党幹事長の[[北側一雄]]も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として明確な支持を表明している<ref>日本経済新聞 2008年9月11日</ref>。 |
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=== 神道との関係 === |
=== 神道との関係 === |
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麻生の信仰宗教は[[キリスト教]]([[カトリック教会|カトリック派]])であるが、[[神道政治連盟]]([[神社]]関係者などの[[神道]]の[[政治団体]])から支援を受けている。[[2009年]](平成21年)[[12月9日]]には、神道政治連盟国会議員懇談会の[[名誉顧問]]に就任している(これは[[カトリック教会]]が政治活動をしないためであり、公職である政治家を[[司教]]や教会などが応援すると、カトリック教会の教義にあたる[[教会法]]第285条に抵触する為である)。 |
麻生の信仰宗教は[[キリスト教]]([[カトリック教会|カトリック派]])であるが、[[神道政治連盟]]([[神社]]関係者などの[[神道]]の[[政治団体]])から支援を受けている{{要出典|date=2021年12月}}。[[2009年]](平成21年)[[12月9日]]には、神道政治連盟国会議員懇談会の[[名誉顧問]]に就任している{{要出典|date=2021年12月}}(これは[[カトリック教会]]が政治活動をしないためであり、公職である政治家を[[司教]]や教会などが応援すると、カトリック教会の教義にあたる[[教会法]]第285条に抵触する為である{{要出典|date=2021年12月}})。 |
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=== 麻生グループ === |
=== 麻生グループ === |
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[[麻生グループ]]関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の[[政治献金]]を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており[[政治資金規正法]]違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した<ref> |
[[麻生グループ]]関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の[[政治献金]]を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており[[政治資金規正法]]違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した<ref>{{Cite web |
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|1=和書 |
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|date=2004-08-06 |
|date=2004-08-06 |
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|url=http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601001272.html |
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|title=補助金受け650万献金 麻生総務相関連会社 |
|title=補助金受け650万献金 麻生総務相関連会社 |
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|publisher=共同通信 |
|publisher=共同通信 |
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|accessdate=2008-09-14 |
|accessdate=2008-09-14 |
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}} {{Wayback|url=http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601001272.html |date=20090826232153 }}</ref><ref>{{Cite web |
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}}</ref><ref>{{Cite web |
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|1=和書 |
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|date=2004-08-06 |
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|title=違法ではないが返金受ける 麻生総務相関連会社 |
|title=違法ではないが返金受ける 麻生総務相関連会社 |
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|publisher=共同通信 |
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|accessdate=2008-09-14 |
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}} {{Wayback|url=http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601005853.html |date=20111118160056 }}</ref>。 |
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}}</ref>。 |
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=== 電力会社からの献金 === |
=== 電力会社からの献金 === |
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[[東京電力]]や関連企業が[[政治資金パーティー|パーティー券]]購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であったことが朝日新聞に報じられた<ref>{{Cite news | url = http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY201201070496.html | title = 東電、10議員を「厚遇」 パーティー券を多額購入 | newspaper = [[朝日新聞]] | date = 2012-01-08 | accessdate = 2012-03-28 }}</ref>。 |
[[東京電力]]や関連企業が[[政治資金パーティー|パーティー券]]購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であったことが朝日新聞に報じられた<ref>{{Cite news | url = http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY201201070496.html | title = 東電、10議員を「厚遇」 パーティー券を多額購入 | newspaper = [[朝日新聞]] | date = 2012-01-08 | accessdate = 2012-03-28 | archive-date = 2012年1月7日 | archive-url = https://web.archive.org/web/20120107190904/http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY201201070496.html }}</ref>。 |
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=== 政治資金パーティー === |
=== 政治資金パーティー === |
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=== 衆議院議員初当選後 === |
=== 衆議院議員初当選後 === |
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==== 2001年以降 ==== |
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* [[2003年]][[9月11日]]の麻生も同席した[[自民党総務会]]において、「大勇会の会合で[[被差別部落]]出身の |
* [[2003年]][[9月11日]]の麻生も同席した[[自民党総務会]]において[[野中広務]]が、「〔2001年3月12日の〕大勇会の会合で[[被差別部落]]出身の野中広務に対する差別発言をした」と会合の出席者から聞いたとして、麻生を強く批判した{{Sfn|魚住昭|2004}}{{Sfn|角岡伸彦|2005}}。麻生は発言を否定しているが、2001年の大勇会の会合に出席していた[[亀井久興]]衆議院議員は、麻生が「野中やら〔…〕は部落の人間だ。だからあんなのが総理になってどうするんだい」と発言したことを認めている<ref>{{Cite news|title=Japan's Outcasts Still Wait for Society's Embrace |newspaper=The New York Times |date=2009-1-16 |author=Norimitsu Onishi |url= |accessdate=2020-09-02}}</ref>{{Sfn|野中広務、辛淑玉|2009|p=164}}。{{See|野中広務#麻生太郎への批判}} |
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* [[総務大臣]]在任中の[[2005年]][[10月15日]]、この日に開館した[[九州国立博物館]]の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言。同博物館は[[選挙区]]は異なるものの麻生の地元である[[福岡県]]内にあり、展示内容は「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」である<ref>東京新聞 2008年9月26日 朝刊1面</ref>。 |
* [[総務大臣]]在任中の[[2005年]][[10月15日]]、この日に開館した[[九州国立博物館]]の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言。同博物館は[[選挙区]]は異なるものの麻生の地元である[[福岡県]]内にあり、展示内容は「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」である<ref>東京新聞 2008年9月26日 朝刊1面</ref>。 |
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==== 2006年 ==== |
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==== 2008年・内閣総理大臣就任前 ==== |
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* [[8月]]、首相(当時)の[[福田康夫]]は国会審議で民主党の協力が得られず、支持率も低迷し行き詰っていたことで[[内閣改造]]を行った。その際、福田政権発足時には入閣・党役員就任を固辞していた麻生も、党の危機であることから[[自由民主党幹事長|幹事長]]に就任した([[福田康夫内閣改造内閣]])。[[8月4日]]、参議院議長の[[江田五月]]を表敬訪問した際、ドイツで[[ヴァイマル共和政# |
* [[8月]]、首相(当時)の[[福田康夫]]は国会審議で民主党の協力が得られず、支持率も低迷し行き詰っていたことで[[内閣改造]]を行った。その際、福田政権発足時には入閣・党役員就任を固辞していた麻生も、党の危機であることから[[自由民主党幹事長|幹事長]]に就任した([[福田康夫内閣改造内閣]])。[[8月4日]]、参議院議長の[[江田五月]]を表敬訪問した際、ドイツで[[ヴァイマル共和政#ヒトラー内閣成立と共和政の終焉|ヴァイマル共和政]]末期に、ナチスが台頭した経緯に触れて危機感を示した。江田は麻生の見通しを否定し、互いにそうならないようにしなければならないと返した<ref>{{Cite web|和書 |
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|date=2008-08-04 |
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|title=「自民・麻生氏、ナチス引用し審議促す=「民主を冒涜」鳩山氏反発」 |
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* [[9月14日]]、[[東海旅客鉄道|JR]][[名古屋駅]]前での[[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]の街頭所見発表会の発言の中で、前月に[[岡崎市]]など[[愛知県]]内で3人の死者を出した[[平成20年8月末豪雨]]に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。[[安城市|安城]]や岡崎だったからいいけど、[[名古屋市|名古屋]]で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送<ref>{{Cite news|url=http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008091602000068.html|title=「豪雨、岡崎だったからいいけど」麻生氏、名古屋駅前の演説で発言|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080928091535/http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008091602000068.html|archivedate=2008年9月28日|accessdate=2012-05-16|newspaper=[[中日新聞]]|date=2008-09-16|publication-date=}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20080917/CK2008091702000040.html|title=「豪雨が安城や岡崎だったからいいけど」 麻生氏失言 怒り渦巻く|archivedate=2008年9月18日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080918124846/http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20080917/CK2008091702000040.html|newspaper=中日新聞|accessdate=2008-09-17|date=|publication-date=}}</ref>。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/politics/update/0917/NGY200809170001.html|title=麻生氏から岡崎市に謝罪文 豪雨めぐる発言で|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080920013709/http://www.asahi.com/politics/update/0917/NGY200809170001.html|archivedate=2008年9月20日|newspaper=朝日新聞|accessdate=2008-09-17|date=2008-09-17|publication-date=}}</ref>。なお、[[平成23年台風第15号]]の豪雨で、名古屋市は河川が氾濫して洪水となり、88万人に対する避難指示が出される事態となった。 |
* [[9月14日]]、[[東海旅客鉄道|JR]][[名古屋駅]]前での[[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]の街頭所見発表会の発言の中で、前月に[[岡崎市]]など[[愛知県]]内で3人の死者を出した[[平成20年8月末豪雨]]に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140[[ミリ]]だった。[[安城市|安城]]や岡崎だったからいいけど、[[名古屋市|名古屋]]で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送<ref>{{Cite news|url=http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008091602000068.html|title=「豪雨、岡崎だったからいいけど」麻生氏、名古屋駅前の演説で発言|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080928091535/http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008091602000068.html|archivedate=2008年9月28日|accessdate=2012-05-16|newspaper=[[中日新聞]]|date=2008-09-16|publication-date=}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20080917/CK2008091702000040.html|title=「豪雨が安城や岡崎だったからいいけど」 麻生氏失言 怒り渦巻く|archivedate=2008年9月18日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080918124846/http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20080917/CK2008091702000040.html|newspaper=中日新聞|accessdate=2008-09-17|date=|publication-date=}}</ref>。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/politics/update/0917/NGY200809170001.html|title=麻生氏から岡崎市に謝罪文 豪雨めぐる発言で|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080920013709/http://www.asahi.com/politics/update/0917/NGY200809170001.html|archivedate=2008年9月20日|newspaper=朝日新聞|accessdate=2008-09-17|date=2008-09-17|publication-date=}}</ref>。なお、[[平成23年台風第15号]]の豪雨で、名古屋市は河川が氾濫して洪水となり、88万人に対する避難指示が出される事態となった。 |
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=== 総理在任中 === |
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==== 2008年9月 ==== |
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* [[9月24日]]、『[[毎日新聞]]』が「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」と発言したと報道した<ref>毎日新聞 2008年9月24日 東京朝刊</ref>。 |
* [[9月24日]]、『[[毎日新聞]]』が「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」と発言したと報道した<ref>毎日新聞 2008年9月24日 東京朝刊</ref>。 |
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==== 2008年11月 ==== |
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* [[11月14日]]のワシントンでの同行記者団との懇談で、[[定額給付金]]について「給付なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」と発言した。多くの報道機関からは「定額給付金を受け取る国民はプライドが無いとも取れる」と解釈され、批判的な報道がなされた<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081115-429731.html |title=「給付なんていらない人、いっぱいいる」 |accessdate=2008 |
* [[11月14日]]のワシントンでの同行記者団との懇談で、[[定額給付金]]について「給付なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」と発言した。多くの報道機関からは「定額給付金を受け取る国民はプライドが無いとも取れる」と解釈され、批判的な報道がなされた<ref>{{Cite web |1=和書 |url=http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081115-429731.html |title=「給付なんていらない人、いっぱいいる」 |accessdate=2008-12-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090119120118/http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081115-429731.html |archivedate=2009-01-19 |url-status=dead|url-status-date=2020-02 }} {{Wayback|url=http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081115-429731.html |date=20090119120118 }}</ref>。また、2008年[[12月6日]][[長崎県]][[諫早市]]で自民党長崎県連が主催した首相の演説会で演説し、定額給付金について「私はそんな金をもらいたくないという人はもらわなきゃいい。(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない」と発言した<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081207-OYT1T00088.htm|title=「さもしく1万2千円欲しい人も…」定額給付金で首相発言|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081207192910/http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081207-OYT1T00088.htm|archivedate=2008年12月7日|date=2008-12-07|accessdate=2012-05-16|newspaper=|publication-date=}}</ref>。 |
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* [[11月20日]]、全国知事会議で「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って([[医師]]は)社会的[[常識]]がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言した。会議後、記者団に発言の真意を問われ、「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、申し訳ありません」と謝罪した。[[厚生労働大臣]]の[[舛添要一]]や、自民党の[[国会対策委員長]]の[[大島理森]]、元副総裁の[[山崎拓]]、[[税制調査会]]会長の[[津島雄二]]などに苦言を呈されたほか、内閣官房長官の[[河村建夫]]も不適切との認識を示した。中でも山崎は「『社会的に非常識だ』と社会的非常識な人(麻生)に言われたくない」と強い口調で批判した。翌日、[[日本医師会]]会長の[[唐沢祥人]]が、抗議のために首相官邸を訪れた。これに対して麻生は「誤解を与えているようで、不適切であり、撤回する」と述べた。日本医師会会員からは日本医師会執行部に対して「自民党支持をやめるべきだ」との抗議が続々と寄せられており、日本医師会は、次期衆院選への影響は避けられないとの見方を示した。その他に[[全国保険医団体連合会]]も声明を発表し、「麻生総理は行政府の長として失格」と痛烈に批判。[[茨城県]]医師会も「政治家として、いや社会人として持つべき常識すら欠如している」との抗議文を首相あてに送付した。[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]代表代行の[[菅直人]]からも「常識がないのは発言している総理の方では」と皮肉られた<ref>毎日新聞 2008年11月19日 東京朝刊</ref>。 |
* [[11月20日]]、全国知事会議で「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って([[医師]]は)社会的[[常識]]がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言した。会議後、記者団に発言の真意を問われ、「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、申し訳ありません」と謝罪した。[[厚生労働大臣]]の[[舛添要一]]や、自民党の[[国会対策委員長]]の[[大島理森]]、元副総裁の[[山崎拓]]、[[税制調査会]]会長の[[津島雄二]]などに苦言を呈されたほか、内閣官房長官の[[河村建夫]]も不適切との認識を示した。中でも山崎は「『社会的に非常識だ』と社会的非常識な人(麻生)に言われたくない」と強い口調で批判した。翌日、[[日本医師会]]会長の[[唐沢祥人]]が、抗議のために首相官邸を訪れた。これに対して麻生は「誤解を与えているようで、不適切であり、撤回する」と述べた。日本医師会会員からは日本医師会執行部に対して「自民党支持をやめるべきだ」との抗議が続々と寄せられており、日本医師会は、次期衆院選への影響は避けられないとの見方を示した。その他に[[全国保険医団体連合会]]も声明を発表し、「麻生総理は行政府の長として失格」と痛烈に批判。[[茨城県]]医師会も「政治家として、いや社会人として持つべき常識すら欠如している」との抗議文を首相あてに送付した。[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]代表代行の[[菅直人]]からも「常識がないのは発言している総理の方では」と皮肉られた<ref>毎日新聞 2008年11月19日 東京朝刊</ref>。 |
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* [[11月20日]]の経済財政諮問会議において「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」と発言した。この発言は「だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。[[予防医学|予防]]するとごそっと減る」と続き<ref>{{PDFlink|[http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/1120/shimon-s.pdf 平成20年第25回経済財政諮問会議議事要旨]}}</ref>、予防の奨励によって[[医療費]]の削減が期待できるとしたが、前半部分が「病気になるのは本人の不摂生([[自己責任]])のため」と受け止められ、また[[国民健康保険]]制度の概念を軽視する発言でもあるとして批判された。後に麻生は「[[病気|病]]にある人の[[気分]]を害したなら、その点はおわびする」と陳謝した<ref>2008年11月27日 読売新聞</ref>。[[山崎拓]]、税制調査会長の[[津島雄二]]、前幹事長の[[伊吹文明]]、[[中山泰秀]]、[[渡辺喜美]]などが苦言を呈した。[[公明党]]代表の[[太田昭宏]]は不適切な発言との認識を示した。また、菅直人は「国民が、自国の首相を恥ずかしいと思う状況になっている」、[[国民新党]]の[[亀井静香]]は「[[社会保障]]とは何かということを根底からわかっていない。やっぱり太郎ちゃん、なっちゃいけなかったんだな」と批判した。[[河村建夫]]も「首相はああいう性格。いろんな発言はこれからもあるだろう」と発言した。 |
* [[11月20日]]の経済財政諮問会議において「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」と発言した。この発言は「だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。[[予防医学|予防]]するとごそっと減る」と続き<ref>{{PDFlink|[http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/1120/shimon-s.pdf 平成20年第25回経済財政諮問会議議事要旨]}}</ref>、予防の奨励によって[[医療費]]の削減が期待できるとしたが、前半部分が「病気になるのは本人の不摂生([[自己責任]])のため」と受け止められ、また[[国民健康保険]]制度の概念を軽視する発言でもあるとして批判された。後に麻生は「[[病気|病]]にある人の[[気分]]を害したなら、その点はおわびする」と陳謝した<ref>2008年11月27日 読売新聞</ref>。[[山崎拓]]、税制調査会長の[[津島雄二]]、前幹事長の[[伊吹文明]]、[[中山泰秀]]、[[渡辺喜美]]などが苦言を呈した。[[公明党]]代表の[[太田昭宏]]は不適切な発言との認識を示した。また、菅直人は「国民が、自国の首相を恥ずかしいと思う状況になっている」、[[国民新党]]の[[亀井静香]]は「[[社会保障]]とは何かということを根底からわかっていない。やっぱり太郎ちゃん、なっちゃいけなかったんだな」と批判した。[[河村建夫]]も「首相はああいう性格。いろんな発言はこれからもあるだろう」と発言した。 |
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==== 2008年12月 ==== |
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* [[12月14日]]、『毎日新聞』は[[北九州エコタウン]]([[北九州市]])を視察し、「民間で銭にしちゃおう、『しのぎ』にしようというのがすごい」と発言し、暴力団の資金集めなどを指す時に使われることが多く品位に欠けるとの指摘もありうる問題発言として報道した<ref name="mainichi20081216"> |
* [[12月14日]]、『毎日新聞』は[[北九州エコタウン]]([[北九州市]])を視察し、「民間で銭にしちゃおう、『しのぎ』にしようというのがすごい」と発言し、暴力団の資金集めなどを指す時に使われることが多く品位に欠けるとの指摘もありうる問題発言として報道した<ref name="mainichi20081216">{{Cite web |title=麻生首相:また「問題発言」 老人の散歩「徘徊と間違われた」 - 毎日jp(毎日新聞) |url=https://web.archive.org/web/20081219043518/http://mainichi.jp/select/seiji/aso/news/20081216ddm005010145000c.html |website=web.archive.org |date=2008-12-19 |access-date=2024-12-07}}</ref>。 |
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* [[12月15日]]、参院決算委員会で健康増進策に関する質問に対して、自身の朝の散歩を挙げ「いい年こいて朝歩いているなんて、徘徊老人と間違われたりする時代があった。呼び止められたことが何回もありますから」と答弁したところ、[[首相官邸]]に詰めている記者団から「配慮に欠ける発言ではないか」と質問を受けると「どうして?何かよく分からない、言っている意味」と発言した<ref name="mainichi20081216"/>。 |
* [[12月15日]]、参院決算委員会で健康増進策に関する質問に対して、自身の朝の散歩を挙げ「いい年こいて朝歩いているなんて、徘徊老人と間違われたりする時代があった。呼び止められたことが何回もありますから」と答弁したところ、[[首相官邸]]に詰めている記者団から「配慮に欠ける発言ではないか」と質問を受けると「どうして?何かよく分からない、言っている意味」と発言した<ref name="mainichi20081216"/>。 |
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* [[12月19日]]、[[ハローワーク]][[渋谷]](東京都[[渋谷区]])を視察した。この際、失業し、再就職の相談に来て、「とにかく六本木などで働きたい」と発言していた若者に「今まで何してたんだ?新しい仕事というのは『これがやりたい』と言わないと、相談される方も『何かないですか』と言われても困る。何がやりたいか目的意識をはっきり出すようにしないと、就職というのは難しい」といったメッセージを送った。しかし、相談者は麻生の言葉を受け、「“何でもいいから仕事がほしい”というのが普通のこと。首相がそういうことを言うのはどうかと思う」、「職があれば良いというレベルです、私の場合は」、「今の不況の中では仕事を選べないところもあるから」とインタビューで答えた<ref> |
* [[12月19日]]、[[ハローワーク]][[渋谷]](東京都[[渋谷区]])を視察した。この際、失業し、再就職の相談に来て、「とにかく六本木などで働きたい」と発言していた若者に「今まで何してたんだ?新しい仕事というのは『これがやりたい』と言わないと、相談される方も『何かないですか』と言われても困る。何がやりたいか目的意識をはっきり出すようにしないと、就職というのは難しい」といったメッセージを送った。しかし、相談者は麻生の言葉を受け、「“何でもいいから仕事がほしい”というのが普通のこと。首相がそういうことを言うのはどうかと思う」、「職があれば良いというレベルです、私の場合は」、「今の不況の中では仕事を選べないところもあるから」とインタビューで答えた<ref>{{Cite web |title=麻生首相、ハローワークを視察News i TBS |url=https://newsdig.tbs.co.jp/ |website=TBS NEWS DIG |date=2024-12-08 |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref> ほか、鳩山由紀夫は麻生の言葉に対し、「誠に的はずれだ」「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそ[[ハローワーク]]で探そうとしている」と批判した<ref>{{Cite web |title=「就職は目的意識ないと」 首相、ハローワークで若者に 朝日新聞 2008年12月20日 |url=https://web.archive.org/web/20081222020412/http://www.asahi.com/politics/update/1219/TKY200812190363.html |website=web.archive.org |date=2008-12-22 |access-date=2024-12-07}}</ref>。 |
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* [[12月25日]]夜、[[首相官邸]]で行われた閣僚との[[忘年会]]の席で、「わたしの発言でご迷惑をお掛けした。若干、発言に問題があったなあ」と照れながら陳謝したという<ref>『時事通信』2008年12月25日22時53分配信</ref>。 |
* [[12月25日]]夜、[[首相官邸]]で行われた閣僚との[[忘年会]]の席で、「わたしの発言でご迷惑をお掛けした。若干、発言に問題があったなあ」と照れながら陳謝したという<ref>『時事通信』2008年12月25日22時53分配信</ref>。 |
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* [[1月6日]]の会見において、[[定額給付金]]に関して「個人に給付されるものにもらえとかもらうなとか言えない。ぜひみなさんに使っていただきたい」と、所得制限を設けず全国民に受け取ってもらいたいという趣旨の発言をした。また、政府・与党としても「[[国会議員]]も積極的に受け取るべき」との見解を示した。前年に「12,000円もらう人はさもしい」などと高額所得者は受け取りを辞退するよう呼び掛けていただけに、今回正反対の考えを示したことには「コロコロ意見が変わる」と批判の声が出た<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090106-OYT1T00634.htm 給付金「皆さんに使ってほしいな」首相が辞退期待から転換(2009年1月6日 読売新聞)]{{リンク切れ|date=2009年1月}}</ref>。 |
* [[1月6日]]の会見において、[[定額給付金]]に関して「個人に給付されるものにもらえとかもらうなとか言えない。ぜひみなさんに使っていただきたい」と、所得制限を設けず全国民に受け取ってもらいたいという趣旨の発言をした。また、政府・与党としても「[[国会議員]]も積極的に受け取るべき」との見解を示した。前年に「12,000円もらう人はさもしい」などと高額所得者は受け取りを辞退するよう呼び掛けていただけに、今回正反対の考えを示したことには「コロコロ意見が変わる」と批判の声が出た<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090106-OYT1T00634.htm 給付金「皆さんに使ってほしいな」首相が辞退期待から転換(2009年1月6日 読売新聞)]{{リンク切れ|date=2009年1月}}</ref>。 |
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* [[2月5日]]の予算委員会で「(小泉)内閣の一員として最終的に賛成したが、[[郵政民営化]]は賛成ではなかった」と発言し、野党だけでなく自民党内にも大きな波紋を広げた。 |
* [[2月5日]]の予算委員会で「(小泉)内閣の一員として最終的に賛成したが、[[郵政民営化]]は賛成ではなかった」と発言し、野党だけでなく自民党内にも大きな波紋を広げた。 |
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* [[3月23日]] - 麻生の相次ぐ失言に対し、河村建夫が記者会見にて「医者や株屋の話もあった。相手を傷つけない配慮はされるべきだ」<ref name="asahi20090324">「失言癖の首相に『相手を傷付けない配慮を』――釈明続き官房長官苦言」「朝日新聞」No.44155、2009年3月24日、4p。</ref>「バランス感覚を持って発言してもらうことは必要だ」<ref name="asahi20090324"/> と批判した。 |
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* [[6月7日]]、[[2009年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]での党勢の拡大を図り、麻生が各候補者への訪問や街頭演説を開始。麻生は東京都議会議員選挙を[[サッカー]]に喩えて党への支援を訴えたが「[[日本]]には(元日本代表の)[[中田英寿]]みたいな[[スーパースター]]はいない」<ref name="sankei20090607">「 |
* [[6月7日]]、[[2009年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]での党勢の拡大を図り、麻生が各候補者への訪問や街頭演説を開始。麻生は東京都議会議員選挙を[[サッカー]]に喩えて党への支援を訴えたが「[[日本]]には(元日本代表の)[[中田英寿]]みたいな[[スーパースター]]はいない」<ref name="sankei20090607">{{Cite web |title=「日本のスーパースターは天皇陛下だけ」麻生首相が「?」発言 - MSN産経ニュース |url=https://web.archive.org/web/20090610052225/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090607/plc0906071932004-n1.htm |website=web.archive.org |date=2009-06-10 |access-date=2024-12-07}}</ref>「日本のスーパー(スター)は[[上皇明仁|天皇陛下]]ぐらい」<ref name="sankei20090607"/> と発言。[[6月9日]]には立候補予定者の事務所を訪れた際、立候補予定者の子息に対して「おまえも後を継ぐのか。[[世襲]]頑張れ。親の後を継いで悪いことは何もない」<ref>{{Cite web |title=「世襲がんばれ」首相が都議選応援で立候補予定者の子供に持論? - MSN産経ニュース |url=https://web.archive.org/web/20090612220129/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090609/plc0906092152021-n1.htm |website=web.archive.org |date=2009-06-12 |access-date=2024-12-07}}</ref> と発言。[[6月20日]]の立候補予定者事務所での挨拶では、[[2009年東京都議会議員選挙]]について「必勝を期して」と言うべきところを「惜敗を期して」<ref name="yomiuri20090620">「『惜敗期して』麻生首相、都議選応援で言い間違え」『[http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090608-145088/news/20090620-OYT1T00748.htm 「惜敗期して」麻生首相、都議選応援で言い間違え :東京都議選2009 :特集 :YOMIURI ONLINE(読売新聞)] {{Wayback|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090608-145088/news/20090620-OYT1T00748.htm |date=20090628073723 }}』[[読売新聞]]、[[2009年]][[6月20日]]。</ref> と発言し、驚いた[[東京都第2区|東京2区]]の自民党支部長[[深谷隆司]]が「必勝です」<ref name="yomiuri20090620"/> と指摘するが、訂正せず<ref>「都議選に『惜敗を期す』?=『必勝』を言い間違え-麻生首相」『[http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30|k=2009062000229 時事ドットコム:都議選に「惜敗を期す」?=「必勝」を言い間違え-麻生首相]』[[時事通信社]]、[[2009年]][[6月20日]]。</ref>。深谷が麻生に耳打ちするなど再三指摘したため「再び勝って、必勝を」<ref>{{Cite web |title=「麻生首相『都議選は惜敗を期して』――あいさつ言い間違え」『asahi.com(朝日新聞社):麻生首相「都議選は惜敗を期して」 あいさつ言い間違え - 政治』朝日新聞社、2009年6月20日、6月23日のアーカイブ。 |url=https://web.archive.org/web/20090623033002/http://www.asahi.com/politics/update/0620/TKY200906200245.html |website=web.archive.org |date=2009-06-23 |access-date=2024-12-07}}</ref> と発言内容を修正。[[静岡県知事]]選挙では麻生側が党推薦候補に対し応援を申し入れてきたため、選挙対策本部が[[富士市]]での演説を打診したところ、麻生側が[[浜松市]]や[[静岡市]]など人口の多い都市での開催を要求してきたため、選挙対策本部が麻生の来県を拒否した<ref>{{Cite news|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090621-OHT1T00057.htm|title=静岡知事選では麻生首相の応援断る|date=2009-06-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090622110346/http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090621-OHT1T00057.htm|archivedate=2009年6月22日|newspaper=スポーツ報知|accessdate=2012-05-16|publication-date=}}</ref>。 |
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* [[7月25日]] - 日本青年会議所の会合で「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働く事しか才能が無いと思って下さい。働く事に、絶対の能力がある。80歳過ぎて遊びを覚えても遅い。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になる」と発言し、[[毎日新聞]]系のマスコミから高齢者侮辱発言として批判された<ref>{{cite news |
* [[7月25日]] - 日本青年会議所の会合で「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働く事しか才能が無いと思って下さい。働く事に、絶対の能力がある。80歳過ぎて遊びを覚えても遅い。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になる」と発言し、[[毎日新聞]]系のマスコミから高齢者侮辱発言として批判された<ref>{{cite news |
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|title = 麻生首相:高齢者「働くことしか才能がない」…会合で発言 |
|title = 麻生首相:高齢者「働くことしか才能がない」…会合で発言 |
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|newspaper = 毎日新聞 |
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|date = 2009-07-25 |
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|title = 麻生首相言っちゃった“キョ〜烈高齢者侮辱発言” |
|title = 麻生首相言っちゃった“キョ〜烈高齢者侮辱発言” |
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|newspaper = [[スポーツニッポン]] |
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|date = 2009-07-26 |
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* [[8月23日]] - 学生との対話集会にて、結婚生活には多額の費用がかかるため若年層が結婚するのが難しくそれが[[少子化]]の一因ではないか、との質問が出た。その質問に対し、麻生は「金がないなら結婚はしないものだ。うかつにしない方がいい」<ref>「『金ないなら結婚しない方がいい』=麻生首相が発言、河村官房長官は釈明」『[http://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009082400776 時事ドットコム:「金ないなら結婚しない方がいい」=麻生首相が発言、河村官房長官は釈明]』[[時事通信社]]、[[2009年]][[8月24日]]。</ref> と回答した。麻生発言の真意を問われ、河村は「表現は直截(ちょくせつ)的だが、むしろ若者の就職対策を進めなければいけないという裏返しの表現」<!--括弧は原文ママ--><ref>「首相『金ないなら結婚勧めず』発言――官房長官が釈明」『 |
* [[8月23日]] - 学生との対話集会にて、結婚生活には多額の費用がかかるため若年層が結婚するのが難しくそれが[[少子化]]の一因ではないか、との質問が出た。その質問に対し、麻生は「金がないなら結婚はしないものだ。うかつにしない方がいい」<ref>「『金ないなら結婚しない方がいい』=麻生首相が発言、河村官房長官は釈明」『[http://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009082400776 時事ドットコム:「金ないなら結婚しない方がいい」=麻生首相が発言、河村官房長官は釈明]』[[時事通信社]]、[[2009年]][[8月24日]]。</ref> と回答した。麻生発言の真意を問われ、河村は「表現は直截(ちょくせつ)的だが、むしろ若者の就職対策を進めなければいけないという裏返しの表現」<!--括弧は原文ママ--><ref>{{Cite web |title=「首相『金ないなら結婚勧めず』発言――官房長官が釈明」『NIKKEI NET(日経ネット) 2009年8月27日のアーカイブ』日本経済新聞社、2009年8月24日。 |url=https://web.archive.org/web/20090827130646/http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090824AT3S2400924082009.html |website=web.archive.org |date=2009-08-27 |access-date=2024-12-07}}</ref> と説明した。またこの発言は[[英国放送協会|BBC]]<ref>{{Cite news |title=Japan PM in gaffe on poor couples |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8218731.stm |date=2009-08-24 |access-date=2024-12-07 |language=en-GB}}</ref>、[[オーストラリア放送協会]]<ref>{{Cite web |title=ABC News - Trusted Source of Latest News & Headlines |url=https://www.abc.net.au/news |website=www.abc.net.au |date=2024-12-07 |access-date=2024-12-07 |language=en-AU}}</ref>[[フランス通信社|AFP通信]]<ref>{{Cite web |title=AFP: Aso on the defensive again with gaffe ahead of vote |url=https://web.archive.org/web/20130623114207/http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5j1iGAkNerQ6Rry3uUK96WOTNwtig |website=web.archive.org |date=2013-06-23 |access-date=2024-12-07}}</ref> などの各国のマスコミに「失言」と報道された。 |
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=== 副総理在任中 === |
=== 副総理在任中 === |
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==== 2013年 ==== |
==== 2013年 ==== |
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* [[1月21日]]、社会保障制度改革国民会議第3回会合で終末期医療に関して、「チューブの人間だって、私は遺書を書いて『そういう必要はない。さっさと死ぬから』と手渡しているが、そういうことができないと死にませんもんね、なかなか」「いいかげんに死にたいと思っても生きられる。しかも、政府のお金で(終末期医療を)やってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」と発言し、すぐに適当でなかったとして発言を撤回した<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201301/2013012100359 延命治療「死にません、なかなか」=麻生副総理が発言、すぐに撤回]</ref>。与野党から「TPOというものがある」「社会保障について本当に温かいまなざしで国民を見ているのか」などと批判された。23日には全日本年金者組合京都府本部が「政府が自立・自助を唱えてすすめている本音がでた」などとして抗議と要請の緊急決議を行った<ref>[http://www.kyoto-minpo.net/archives/2013/01/25/post_9294.php 「さっさと死ねるように」暴言に抗議 京都年金者組合]</ref>。 |
* [[1月21日]]、社会保障制度改革国民会議第3回会合で終末期医療に関して、「チューブの人間だって、私は遺書を書いて『そういう必要はない。さっさと死ぬから』と手渡しているが、そういうことができないと死にませんもんね、なかなか」「いいかげんに死にたいと思っても生きられる。しかも、政府のお金で(終末期医療を)やってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」と発言し、すぐに適当でなかったとして発言を撤回した<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201301/2013012100359 延命治療「死にません、なかなか」=麻生副総理が発言、すぐに撤回]</ref>。与野党から「TPOというものがある」「社会保障について本当に温かいまなざしで国民を見ているのか」などと批判された。23日には全日本年金者組合京都府本部が「政府が自立・自助を唱えてすすめている本音がでた」などとして抗議と要請の緊急決議を行った<ref>[http://www.kyoto-minpo.net/archives/2013/01/25/post_9294.php 「さっさと死ねるように」暴言に抗議 京都年金者組合] {{Wayback|url=http://www.kyoto-minpo.net/archives/2013/01/25/post_9294.php |date=20130513151212 }}</ref>。 |
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* [[7月29日]]、[[国家基本問題研究所]]の開いた憲法改正についてのセミナーで、「最近は左翼じゃないかと言われる」と前置きした上で、「憲法改正なんていう話は熱狂の中で決めてもらっては困る。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」という趣旨の発言を5度繰り返すなど、終始、改憲に消極的な発言を行った<ref>産経新聞「朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言」(2013.8.5)[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130805/plc13080517300007-n1.htm] {{Wayback|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130805/plc13080517300007-n1.htm |
* [[7月29日]]、[[国家基本問題研究所]]の開いた憲法改正についてのセミナーで、「最近は左翼じゃないかと言われる」と前置きした上で、「憲法改正なんていう話は熱狂の中で決めてもらっては困る。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」という趣旨の発言を5度繰り返すなど、終始、改憲に消極的な発言を行った<ref>産経新聞「朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言」(2013.8.5)[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130805/plc13080517300007-n1.htm] {{Wayback|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130805/plc13080517300007-n1.htm|date=20130809225520}}</ref>。その中で改憲積極派に向けて、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス政権]]を引き合いに出し、「[[ワイマール憲法]]もいつの間にかナチス憲法<ref group="注釈">ドイツのヒトラー政権は[[全権委任法]]などの制定によってワイマール憲法を死文化していったため、事実上破棄したに等しいが、同憲法そのものを形式上は破棄していない。また、それに代わる新たな成文憲法を制定することもなかった。したがって、史上「ナチス憲法」なる名称の成文憲法が存在した事実はない。ただ、憲法は英国のように不文法の形で成立することもあり、当時のナチス体制および、全権委任法を始めとするナチス法全体をもって「ナチス憲法」への改変と表現する{{要出典|date=2013年8月|title=そのようなもの全体を「ナチス憲法」と定義している出典は何か}}ことはできる。{{Main|ナチ党の権力掌握}}</ref> に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。騒がないで、納得して変わっている。喧騒の中で決めないでほしい」<ref>{{Cite web |1=和書 |url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm |title=ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演 |accessdate=2013-07-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130730062111/http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm |archivedate=2013-07-30 |url-status=dead|url-status-date=2020-02 }} {{Wayback|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm |date=20130730062111 }}</ref> と発言した。 |
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:セミナーでナチスに関連する発言をしたことを、読売新聞のWeb版 |
:セミナーでナチスに関連する発言をしたことを、読売新聞のWeb版が『ナチスの手口学んだら・・・憲法改正で麻生氏講演』という見出し記事で報じた<ref>{{Cite web |title=『ナチスの手口学んだら・・・憲法改正で麻生氏講演』 |url=https://archive.md/20130801081116/http://livedoor.sp.blogimg.jp/kingcurtis/imgs/6/b/6bf1687c.png |website=archive.md |date=2013-08-01 |access-date=2024-12-07}}</ref>。その後、『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」…麻生副総理』<ref>{{Cite web |title=『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」・・・麻生副総理』 |url=https://archive.md/20130801081217/http://livedoor.sp.blogimg.jp/kingcurtis/imgs/2/5/252f3e32.png |website=archive.md |date=2013-08-01 |access-date=2024-12-07}}</ref><ref>{{Cite web |1=和書 |url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm |title=『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」・・・麻生副総理』 |accessdate=2013-07-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130730062111/http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm |archivedate=2013-07-30 |url-status=dead|url-status-date=2020-02 }} {{Wayback|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130730-OYT1T00050.htm |date=20130730062111 }}</ref> と共同通信<ref>[http://www.47news.jp/47topics/e/244250.php?__from=mixi 『憲法改正でナチス引き合い/麻生副総理、都内の講演で』] {{Wayback|url=http://www.47news.jp/47topics/e/244250.php?__from=mixi |date=20140708154243 }}</ref> が報じた。ナチスに関連した部分のみを見出しにした報道を端緒に、この発言は海外の一部メディア・ユダヤ系人権団体らが一斉に批判することになった<ref>{{Cite news |title=Japan Deputy PM Taro Aso retracts Nazi comments |url=https://www.bbc.co.uk/news/world-asia-23527300 |work=BBC News |date=2013-08-01 |access-date=2024-12-07 |language=en-GB}}</ref><ref>[http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2013/07/31/japan-finance-ministers-weimar-constitution-comment-draws-fire/ Japan Minister’s ‘Weimar Constitution’ Comment Draws Fire] {{Wayback|url=http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2013/07/31/japan-finance-ministers-weimar-constitution-comment-draws-fire/ |date=20130807195426 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://world.time.com/2013/08/02/japans-aso-refuses-to-resign-over-nazi-comment/ |title=Japan’s Aso Refuses to Resign Over Nazi Comment |accessdate=2013-08-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130804112341/http://world.time.com/2013/08/02/japans-aso-refuses-to-resign-over-nazi-comment/ |archivedate=2013-08-04 |url-status=dead|url-status-date=2020-02 }} {{Wayback|url=http://world.time.com/2013/08/02/japans-aso-refuses-to-resign-over-nazi-comment/ |date=20130804112341 }}</ref><ref>{{Cite web |title=Japanese Deputy PM Sparks Outrage With Nazi Comments |url=https://www.huffpost.com/entry/taro-aso-nazis-japan_n_3682801 |website=HuffPost |date=2013-07-31 |access-date=2024-12-07 |language=en}}</ref>。7月30日、ユダヤ系人権団体[[サイモン・ウィーゼンタール・センター]]が『Which 'Techniques' of the Nazis Can We 'Learn From'"?(一体どんな手口をナチスから学べると言うのか)』と題した声明を発表し、発言の真意を説明するよう促した<ref>{{Cite web |title=Simon Wiesenthal Center to Japanese Vice Prime Minister: Which 'Techniques' of the Nazis Can We 'Learn From'"? |url=https://www.wiesenthal.com/about/news/simon-wiesenthal-center-to-5.html |website=www.wiesenthal.com |access-date=2024-12-07}}</ref><ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310603.html 『ナチスの憲法改正「手口学んだら」 麻生副総理が発言』] {{Wayback|url=http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310603.html |date=20130821142759 }}</ref>。また、同日、韓国外務省報道官は定例記者会見で、「侵略の被害を受けた周辺国の国民にどう映るかは明らかであり、多くの人を傷つける」と批判した<ref>{{Cite web |title=日韓、閣僚発言巡り非難合戦 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS3004J_Q3A730C1PP8000/ |website=日本経済新聞 |date=2013-07-30 |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |1=和書 |url=http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/CO/world/733849.html |title=韓国、麻生副総理の発言を批判「多くの人を傷つける」 |accessdate=2013-07-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130802223323/http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/CO/world/733849.html |archivedate=2013-08-02 |url-status=dead|url-status-date=2020-02 }} {{Wayback|url=http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/CO/world/733849.html |date=20130802223323 }}</ref>。翌31日には中国外務省の洪磊副報道局長が、「日本がどこに向かおうとしているのか、アジアの近隣諸国や国際社会の懸念と警戒を引き起こす」と批判した<ref>{{Cite web |title=中国外務省、麻生氏発言を批判 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDE31001_R30C13A7PP8000/ |website=日本経済新聞 |date=2013-07-31 |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。 |
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:これらの批判や報道を受け、セミナーの主催者兼司会者でもあったジャーナリストの[[桜井良子]]は「[[朝日新聞|朝日]]が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言」(産経新聞2013.8.5「美しき勁き国へ」)[https://web.archive.org/web/20130809225520/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130805/plc13080517300007-n1.htm]において、「朝日新聞はこのようにして事柄を歪曲していくのか。麻生発言を朝日新聞が報じる手口を眼前にしての、これが私自身の率直な感想である」と述べ、「(麻生は)改正論議の熱狂を戒めたが、私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないというメッセージと受けとめた」とした上で、「有り体に言って一連の発言は、『ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ』という反語的意味だと受けとめた」と述べた。そして「憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、[[朝日新聞]]は全く別の意味を持つものとして報じた」として、同紙天声人語が麻生が改憲に積極的だという前提で、「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習えということになってしまう」と書いたことや、朝日社説が「ある日気づいたら(中略)あの手口に学んだらどうかね」の部分だけを引用し、「普通に聞けば、ナチスの手法に学ぶべきだと言っているとしか受け止められない」と書いたことなどを、「朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした」と朝日新聞を批判した。ナチスに関連した発言は多くの国内外のメディアが批判することとなったが、桜井は「8月1日と2日、朝日の紙面は麻生発言で『熱狂』した。日によって1面の天声人語、社会面、社説を動員し、まさに全社あげてといってよい形で発言を批判した」と朝日の報道のみに言及した。 |
:これらの批判や報道を受け、セミナーの主催者兼司会者でもあったジャーナリストの[[桜井良子]]は「[[朝日新聞|朝日]]が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言」(産経新聞2013.8.5「美しき勁き国へ」)[https://web.archive.org/web/20130809225520/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130805/plc13080517300007-n1.htm] において、「朝日新聞はこのようにして事柄を歪曲していくのか。麻生発言を朝日新聞が報じる手口を眼前にしての、これが私自身の率直な感想である」と述べ、「(麻生は)改正論議の熱狂を戒めたが、私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないというメッセージと受けとめた」とした上で、「有り体に言って一連の発言は、『ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ』という反語的意味だと受けとめた」と述べた。そして「憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、[[朝日新聞]]は全く別の意味を持つものとして報じた」として、同紙天声人語が麻生が改憲に積極的だという前提で、「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習えということになってしまう」と書いたことや、朝日社説が「ある日気づいたら(中略)あの手口に学んだらどうかね」の部分だけを引用し、「普通に聞けば、ナチスの手法に学ぶべきだと言っているとしか受け止められない」と書いたことなどを、「朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした」と朝日新聞を批判した。ナチスに関連した発言は多くの国内外のメディアが批判することとなったが、桜井は「8月1日と2日、朝日の紙面は麻生発言で『熱狂』した。日によって1面の天声人語、社会面、社説を動員し、まさに全社あげてといってよい形で発言を批判した」と朝日の報道のみに言及した。 |
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:8月1日、麻生は「同研究会においては喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0100C_R00C13A8000000/|title=麻生副総理談話全文 ナチス政権発言「撤回したい」 |
:8月1日、麻生は「同研究会においては喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」<ref>{{Cite web|1=和書|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0100C_R00C13A8000000/|title=麻生副総理談話全文 ナチス政権発言「撤回したい」|publisher=[[日本経済新聞]]|language=|date=2013-08-01|accessdate=2016-07-29}} {{Wayback|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0100C_R00C13A8000000/ |date=20160815191928 }}</ref> と述べた。 |
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と述べた。 |
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:野党側は[[8月7日]]に閉会する臨時国会中に、予算委員会での集中審議を求めていたが、与党側は「一応の決着をみた」として審議を拒否した<ref> |
:野党側は[[8月7日]]に閉会する臨時国会中に、予算委員会での集中審議を求めていたが、与党側は「一応の決着をみた」として審議を拒否した<ref>{{Cite web |title=麻生氏ナチス肯定発言の集中審議/野党が改めて求める |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-07/2013080702_02_1.html |website=www.jcp.or.jp |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。 |
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:なお、ミュンヘンの公立現代史研究所のマグヌス・ブレヒトケン博士は「麻生氏の例えは驚くべき発言だ」と述べたうえで「ナチスが政権を握った1933年以降も、公式にはワイマール憲法は存続した。だがこの年、議会承認を経ずにヒトラーが法律を制定できる全権委任法が成立し、ナチス独裁体制が固まったことで、ワイマール憲法は事実上の効力を失った。ナチス自身は特に憲法を定めていない」と説明。麻生による「ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた」との発言は事実誤認と述べている<ref>{{Cite web |url=http://mainichi.jp/select/news/20130802k0000m030066000c.html |title=麻生副総理:ナチス発言、ドイツで批判 |accessdate=2013 |
:なお、ミュンヘンの公立現代史研究所のマグヌス・ブレヒトケン博士は「麻生氏の例えは驚くべき発言だ」と述べたうえで「ナチスが政権を握った1933年以降も、公式にはワイマール憲法は存続した。だがこの年、議会承認を経ずにヒトラーが法律を制定できる全権委任法が成立し、ナチス独裁体制が固まったことで、ワイマール憲法は事実上の効力を失った。ナチス自身は特に憲法を定めていない」と説明。麻生による「ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた」との発言は事実誤認と述べている<ref>{{Cite web |1=和書 |url=http://mainichi.jp/select/news/20130802k0000m030066000c.html |title=麻生副総理:ナチス発言、ドイツで批判 |accessdate=2013-09-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130905063524/http://mainichi.jp/select/news/20130802k0000m030066000c.html |archivedate=2013-09-05 |url-status=dead|url-status-date=2020-02 }} {{Wayback|url=http://mainichi.jp/select/news/20130802k0000m030066000c.html |date=20130905063524 }}</ref>。{{Main|ナチ党の権力掌握}} |
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=== 誤読 === |
=== 誤読 === |
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麻生はマスコミに対して「質問に乗ってまた言うと、それをまた挑発のネタにされる。そっち(メディア)の飯の種になるかもしれないが、こっちはそういうことにならないから」と嘆いたが<ref group="注釈">[[11月23日]]、ペルー・リマでの記者会見</ref>、この発言も問題発言として紹介される状況であった<ref>{{Cite episode |
麻生はマスコミに対して「質問に乗ってまた言うと、それをまた挑発のネタにされる。そっち(メディア)の飯の種になるかもしれないが、こっちはそういうことにならないから」と嘆いたが<ref group="注釈">[[11月23日]]、ペルー・リマでの記者会見</ref>、この発言も問題発言として紹介される状況であった<ref>{{Cite episode|title=「予算を国会に出せない内閣」 〜選挙も断念。政策も断念〜|series=[[時事放談]]|network=[[TBSテレビ]]|airdate=2008-11-30|url=https://www.tbs.co.jp/jijihoudan/last/081130.html|access-date=2023年5月31日|archive-date=2023年8月26日|archive-url=https://web.archive.org/web/20230826050300/https://www.tbs.co.jp/jijihoudan/last/081130.html}}</ref>。 |
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妻・[[麻生ちか子|千賀子]]は「米国発の金融危機が来て主人は景気対策のため本当に頑張りました。でも政策ではなく、政権交代という作られた流れの中で政局を問題視されました」「口が曲がってるとか、[[漢字]]が読めないとか。それと変な話をしたと。全体を見ればきちんとした話でも一つの単語が極端だったり、不用意だったり、そんなことだけが取り上げられました。[[人間失格]]のような印象すら作られ、私は本当に辛く、主人を可哀想に思いました。」と述懐している<ref name="麻生夫人が漏らした悲しみ">{{Cite journal|和書|date = 2009-09-07|title = 麻生夫人が漏らした悲しみ|journal = [[AERA]]|volume = 22|issue = 39|pages = 21|publisher = [[朝日新聞社]]}}</ref>。 |
妻・[[麻生ちか子|千賀子]]は「米国発の金融危機が来て主人は景気対策のため本当に頑張りました。でも政策ではなく、政権交代という作られた流れの中で政局を問題視されました」「口が曲がってるとか、[[漢字]]が読めないとか。それと変な話をしたと。全体を見ればきちんとした話でも一つの単語が極端だったり、不用意だったり、そんなことだけが取り上げられました。[[人間失格]]のような印象すら作られ、私は本当に辛く、主人を可哀想に思いました。」と述懐している<ref name="麻生夫人が漏らした悲しみ">{{Cite journal|和書|date = 2009-09-07|title = 麻生夫人が漏らした悲しみ|journal = [[AERA]]|volume = 22|issue = 39|pages = 21|publisher = [[朝日新聞社]]}}</ref>。 |
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「麻生前首相が資質を問われ始めたのは[[漢字]]の誤読が発覚してからだ([[毎日新聞]]論説副委員長・[[与良正男]])<ref>毎日新聞 2010年5月9日 東京朝刊「[https://web.archive.org/web/20100513072918/http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/news/20100509ddm004070017000c.html 反射鏡:今再び、首相公選制への誘惑]」 |
「麻生前首相が資質を問われ始めたのは[[漢字]]の誤読が発覚してからだ([[毎日新聞]]論説副委員長・[[与良正男]])<ref>毎日新聞 2010年5月9日 東京朝刊「[https://web.archive.org/web/20100513072918/http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/news/20100509ddm004070017000c.html 反射鏡:今再び、首相公選制への誘惑]」 |
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[http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/news/20100509ddm004070017000c.html オリジナル]の2010年5月13日のアーカイブ</ref>」といわれるように、麻生が国会答弁の中で、踏襲を『ふしゅう』と読み間違えたことを[[朝日新聞]]が報じた<ref>朝日新聞 2008年11月10日22時9分 「村山談話をフシュウ?」首相誤読 議事録は「踏襲」(藤田直央)[http://www.asahi.com/politics/update/1110/TKY200811100225.html] {{Wayback|url=http://www.asahi.com/politics/update/1110/TKY200811100225.html |
[http://mainichi.jp/select/opinion/hansya/news/20100509ddm004070017000c.html オリジナル] の2010年5月13日のアーカイブ</ref>」といわれるように、麻生が国会答弁の中で、踏襲を『ふしゅう』と読み間違えたことを[[朝日新聞]]が報じた<ref>朝日新聞 2008年11月10日22時9分 「村山談話をフシュウ?」首相誤読 議事録は「踏襲」(藤田直央)[http://www.asahi.com/politics/update/1110/TKY200811100225.html] {{Wayback|url=http://www.asahi.com/politics/update/1110/TKY200811100225.html|date=20081113112203}}</ref>。 |
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こうした報道について、自民党の[[細田博之]]幹事長は「麻生総理が字が読めないらしいと言って楽しんでいる。日本国の程度を表している。国民の程度かもしれない」と発言したが、この発言も非難の対象となり、細田は発言を謝罪した<ref> |
こうした報道について、自民党の[[細田博之]]幹事長は「麻生総理が字が読めないらしいと言って楽しんでいる。日本国の程度を表している。国民の程度かもしれない」と発言したが、この発言も非難の対象となり、細田は発言を謝罪した<ref>{{Cite web |title=共同通信 2009/07/24 23:34 「国民の程度」低い? 細田幹事長発言、直後に謝罪 アーカイブ 2011年11月18日 - ウェイバックマシン |url=https://www.47news.jp/ |website=47NEWS |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。 |
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マスコミなどの報道機関は、麻生の原稿の読み間違いについて批判し<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3911455/ 肥留間正明の芸能斜め斬り 麻生首相原稿に仮名を振ってもらえ] 内外タイムス 2008年12月24日 閲覧</ref><ref> |
マスコミなどの報道機関は、麻生の原稿の読み間違いについて批判し<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3911455/ 肥留間正明の芸能斜め斬り 麻生首相原稿に仮名を振ってもらえ] {{Wayback|url=http://news.livedoor.com/article/detail/3911455/ |date=20111118175930 }} 内外タイムス 2008年12月24日 閲覧</ref><ref>{{Cite web |title=地元議員からも首相批判 選挙区の地盤沈下|Net-IB|九州企業特報 |url=https://www.data-max.co.jp/2008/12/post_3767.html |website=NetIB-NEWS |access-date=2024-12-07 |language=ja |last=gekinavi}}</ref><ref>{{Cite web |title=小学校の太郎ちゃん|Net-IB|九州企業特報 |url=https://www.data-max.co.jp/2008/12/post_3732.html |website=NetIB-NEWS |access-date=2024-12-07 |language=ja |last=gekinavi}}</ref><ref>2009年4月12日 [[中日新聞]] 社説 リーダー不在の不幸 週のはじめに考える</ref>、2009年1月20日の参院予算委員会では、麻生の漢字力を質すため、民主党の[[石井一]]副代表が『就中(なかんずく)』など12個の漢字を並べたボードを用意したが、麻生から「『窶し(やつし)』以外は普通に読める」と返された。 |
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一方、2009年4月10日、麻生首相が皇室主催の祝賀会で読み上げた祝辞で「弥栄」を「いやさかえ」として読み上げたことが誤読としてマスコミ各社で報道された<ref>ZAKZAK 「弥栄」を「いやさかえ」…祝賀で首相、やっちゃった〜 [http://www.zakzak.co.jp/top/200904/t2009041038_all.html] {{Wayback|url=http://www.zakzak.co.jp/top/200904/t2009041038_all.html |
一方、2009年4月10日、麻生首相が皇室主催の祝賀会で読み上げた祝辞で「[[弥栄]]」を「いやさかえ」として読み上げたことが誤読としてマスコミ各社で報道された<ref>ZAKZAK 「弥栄」を「いやさかえ」…祝賀で首相、やっちゃった〜 [http://www.zakzak.co.jp/top/200904/t2009041038_all.html] {{Wayback|url=http://www.zakzak.co.jp/top/200904/t2009041038_all.html|date=20111118154736}}</ref> が、「弥栄」には「いやさか」「いやさかえ」と2通りの読み方があるため、マスコミ側の誤読ではないかと話題となり、新聞各社が慌ててネットの掲載した記事を削除する騒動となった(特に「歴史的な誤読」と報じた[[TBSテレビ|TBS]][[NEWS23|WEB多事争論]]は、編集委員の吉岡弘行が謝罪文を掲載する事態にまでなった)。(なお、麻生本人のブログでは、「弥栄」を「いやさか」と書いている<ref>{{Cite web |title=麻生太郎オフィシャルサイト |url=http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html |website=www.aso-taro.jp |access-date=2024-12-07}}</ref>。) |
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=== 日常生活・金銭面に関する逸話 === |
=== 日常生活・金銭面に関する逸話 === |
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総理在任中の麻生は、マスコミから「[[庶民]]感覚がない」と批判的な報道が繰り返し行われた<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081023k0000m010091000c.html|title=麻生首相:就任1カ月 有名ホテルなどで連夜の会合|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081025044738/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081023k0000m010091000c.html|archivedate=2008年10月25日|newspaper=毎日新聞|date=2008-10-22|publication-date=|accessdate=2008年10月30日}}</ref>。 |
総理在任中の麻生は、マスコミから「[[庶民]]感覚がない」と批判的な報道が繰り返し行われた<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081023k0000m010091000c.html|title=麻生首相:就任1カ月 有名ホテルなどで連夜の会合|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081025044738/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081023k0000m010091000c.html|archivedate=2008年10月25日|newspaper=毎日新聞|date=2008-10-22|publication-date=|accessdate=2008年10月30日}}</ref>。 |
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麻生は政財界の要人と[[帝国ホテル]]のバーなどで会合を行っていたが、メディアからは「庶民の感覚と懸け離れた贅沢をしている」と非難の対象となった<ref>[https://web.archive.org/web/20081029133544/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2008102602000093.html 東京新聞:あのホテルにも行っては:私説・論説室から](2008年10月26日) [http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2008102602000093.html オリジナル]の2008年10月29日のアーカイブ</ref>。 |
麻生は政財界の要人と[[帝国ホテル]]のバーなどで会合を行っていたが、メディアからは「庶民の感覚と懸け離れた贅沢をしている」と非難の対象となった<ref>[https://web.archive.org/web/20081029133544/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2008102602000093.html 東京新聞:あのホテルにも行っては:私説・論説室から](2008年10月26日) [http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2008102602000093.html オリジナル] の2008年10月29日のアーカイブ</ref>。 |
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=== 自宅 === |
=== 自宅 === |
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[[渋谷区]][[神山町 (渋谷区)|神山町]]に、敷地面積2400平方メートルの邸宅を所有している<ref>{{Cite news|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008092902000245.html|title=別世界「麻生御殿」 敷地2400平方メートル 地価は50億円|date=2008-09-29|newspaper=東京新聞|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081001003656/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008092902000245.html|archivedate=2008年10月1日|accessdate=2012-05-16|publication-date=}}</ref>。マスコミから「麻生御殿」と呼称されることがある<ref>[http://www.47news.jp/news/2008/09/post_2395.html "麻生御殿"は別世界 一等地の高台に洋館] 47NEWS 2008年10月28日</ref>。 |
[[渋谷区]][[神山町 (渋谷区)|神山町]]に、敷地面積2400[[平方メートル]](25億円)の邸宅を所有している<ref>{{Cite news|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008092902000245.html|title=別世界「麻生御殿」 敷地2400平方メートル 地価は50億円|date=2008-09-29|newspaper=東京新聞|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081001003656/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008092902000245.html|archivedate=2008年10月1日|accessdate=2012-05-16|publication-date=}}</ref>。マスコミから「麻生御殿」と呼称されることがある<ref>[http://www.47news.jp/news/2008/09/post_2395.html "麻生御殿"は別世界 一等地の高台に洋館] {{Wayback|url=http://www.47news.jp/news/2008/09/post_2395.html |date=20111118155609 }} 47NEWS 2008年10月28日</ref>。 |
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麻生の自宅を非難する団体が無届デモを行い、逮捕される事件も発生した(不起訴)。 |
麻生の自宅を非難する団体が無届デモを行い、逮捕される事件も発生した(不起訴)。 |
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=== その他 === |
=== その他 === |
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* 毎日新聞の[[金子秀敏]]は、[[小沢一郎]]が「今円高だから、[[済州島]]を買っちまえ。」と発言し、韓国から非難を受けた件<ref>小沢氏「済州島買っちまえ」発言に韓国、非難ごうごう 2009/03/13(金) 12:35:11 [[サーチナ]] [http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009 |
* 毎日新聞の[[金子秀敏]]は、[[小沢一郎]]が「今円高だから、[[済州島]]を買っちまえ。」と発言し、韓国から非難を受けた件<ref>小沢氏「済州島買っちまえ」発言に韓国、非難ごうごう 2009/03/13(金) 12:35:11 [[サーチナ (ポータルサイト)|サーチナ]] [http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009%7Cd=0313%7Cf=politics_0313_004.shtml]</ref> について、麻生が「こういう発想はとてもじゃないけど私には出てこない」と発言したことについて「もしかして麻生首相は、済州島の領有権を買うと勘違いしているのではないか。だとすると、発言した方より勘違いした方のレベルが気になる。[[小学生]]レベルの常識もないのではないか」と批判している<ref>毎日新聞 2009年3月19日 東京夕刊 早い話が:(済州島)妄言批判という佞言=金子秀敏</ref>。 |
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* [[中央日報]]によると、民主党の[[藤田幸久]]は[[麻生鉱業]]が戦時中に連合国捕虜を虐待したと主張し、麻生に同意を求めたが、麻生が「当時4〜5歳で認識するには早すぎる」と返答したため、藤田は国会議員会館で『麻生鉱業捕虜使役問題に関する報告会』を開き、「麻生首相は“当時、4歳だった自分は何も知らない”と事実の確認を拒否してきたが、生存者(捕虜労働者の)と遺族は麻生首相の謝罪と個人賠償を望んでいる」と謝罪と賠償を要求した<ref> |
* [[中央日報]]によると、民主党の[[藤田幸久]]は[[麻生鉱業]]が戦時中に連合国捕虜を虐待したと主張し、麻生に同意を求めたが、麻生が「当時4〜5歳で認識するには早すぎる」と返答したため、藤田は国会議員会館で『麻生鉱業捕虜使役問題に関する報告会』を開き、「麻生首相は“当時、4歳だった自分は何も知らない”と事実の確認を拒否してきたが、生存者(捕虜労働者の)と遺族は麻生首相の謝罪と個人賠償を望んでいる」と謝罪と賠償を要求した<ref>{{Cite web |title=麻生首相の父、炭鉱で朝鮮人を強制労働させる |url=https://japanese.joins.com/JArticle/111013 |website=中央日報 - 韓国の最新ニュースを日本語でサービスします |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。 |
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== 選挙歴 == |
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{{選挙歴 |
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=== 漫画についてのエピソード === |
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|衆|当落1=当|選挙名1=35|年齢1=39|選挙区1=[[福岡県第2区 (中選挙区)|旧福岡県第2区]]|政党名1=[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]|得票数1=71,041|得票率1=12.88%|定数1=5|得票順1=4|候補者1=9 |
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* [[日本の漫画|漫画]]好きであり、日本の漫画をはじめ[[コンピュータゲーム]]、[[アニメーション|アニメ]]、[[J-POP]]などが、日本国の評価や国際地位の向上、更に[[安全保障]]や防衛にも繋がるとの持論がある<ref>[http://peacemedia.jp/topics/070203aso.html PeaceMedia 防衛シンポジウム2007in京都レポート]</ref>。 |
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|衆|当落2=当|選挙名2=36|年齢2=39|選挙区2=旧福岡県第2区|政党名2=自由民主党|得票数2=85,826|得票率2=15.47%|定数2=5|得票順2=2|候補者2=8 |
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* 麻生の[[衆議院]][[議員会館]]事務所には、書棚に様々なジャンルの漫画の単行本が並べてあり、自分の車内には常に最新の[[漫画雑誌|週刊コミック誌]]を置いているという<ref>{{cite web|url=http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/newspaper/030702-1.html|title=麻生太郎 コミックを語る|work=ビッグコミックオリジナル 増刊号|date=2003-07-02|accessdate=2007-10-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071005163709/http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/newspaper/030702-1.html|archivedate=2007年10月5日|deadlinkdate=2020年2月}}</ref>。特に好きな漫画として『[[ゴルゴ13]]』を挙げている。 |
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|衆|当落3=落|選挙名3=37|年齢3=43|選挙区3=旧福岡県第2区|政党名3=自由民主党|得票数3=75,412|得票率3=13.77%|定数3=5|得票順3=6|候補者3=6 |
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* 漫画好きであることは各国の首脳にも知られており、[[ポーランド]]の外務大臣からは現地([[ポーランド語]])版の『[[犬夜叉]]』を寄贈されている<ref>自著『とてつもない日本』p.168(新潮新書、2007)</ref>。 |
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|衆|当落4=当|選挙名4=38|年齢4=45|選挙区4=旧福岡県第2区|政党名4=自由民主党|得票数4=134,179|得票率4=23.65%|定数4=5|得票順4=1|候補者4=6 |
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* [[大和田秀樹]]の[[漫画]]「[[ムダヅモ無き改革]]」では、麻生をモデルにした「麻生タロー」というキャラクターが登場している。アニメ版の[[声優]]は[[有本欽隆]]が担当。同作では実在政治家を模した多くのキャラクターが登場するが、麻生は6巻の帯に実物写真付きで登場しているなど、作中唯一の本人公認キャラクターとなっている。 |
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|衆|当落5=当|選挙名5=39|年齢5=49|選挙区5=旧福岡県第2区|政党名5=自由民主党|得票数5=99,876|得票率5=17.77%|定数5=5|得票順5=2|候補者5=6 |
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* [[東京国際空港|羽田空港]]の[[空港ラウンジ]]で『[[ローゼンメイデン]]』を読んでいたという、2005年7月23日の[[2ちゃんねる]]の[[匿名]]書き込みを根拠にした[[デマ]]が[[インターネット]]上で話題となった。「少女漫画」「女の子が読んでいる」という発言を残している<ref group="注釈"> 講談社『メカビ』 Vol.1 P.40</ref>。一部の[[自由民主党 (日本)|自民党]]を支持する[[おたく]]層から「ローゼン麻生」「ローゼン閣下」と呼ばれるようになり<ref>麻生太郎著 『自由と繁栄の弧』 P.296〜P.305 「やっぱり読んでいたんですね 直撃! ローゼンメイデン疑惑?」 (取材・構成 石塚良太) ISBN 978-4-3440-1333-9</ref>、2008年度版の『[[現代用語の基礎知識]]』には「ローゼン麻生」という項目が収録された。 |
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|衆|当落6=当|選挙名6=40|年齢6=52|選挙区6=旧福岡県第2区|政党名6=自由民主党|得票数6=101,080|得票率6=19.27%|定数6=5|得票順6=1|候補者6=6 |
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* [[2008年]](平成20年)[[8月2日]]に死去した[[漫画家]]の[[赤塚不二夫]]について、「あの種の[[ギャグ漫画]]の草分け的存在で『[[シェー]]』をはじめ、よく笑った」とコメントした<ref>{{cite news |
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|衆|当落7=当|選挙名7=41|年齢7=56|選挙区7=福岡県第8区|政党名7=自由民主党|得票数7=114,408|得票率7=50.49%|得票順7=1|候補者7=3 |
|||
|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=200808/2008080200396|rel=y|g=soc |
|||
|衆|当落8=当|選挙名8=42|年齢8=59|選挙区8=福岡県第8区|政党名8=自由民主党|得票数8=120,178|得票率8=49.91%|得票順8=1|候補者8=5 |
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|title=「よく笑った。残念」=赤塚不二夫さん死去で-自民・麻生幹事長 |
|||
|衆|当落9=当|選挙名9=43|年齢9=63|選挙区9=福岡県第8区|政党名9=自由民主党|得票数9=132,646|得票率9=57.72%|得票順9=1|候補者9=3 |
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|publisher=[[時事通信]] |
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|衆|当落10=当|選挙名10=44|年齢10=64|選挙区10=福岡県第8区|政党名10=自由民主党|得票数10=145,229|得票率10=56.89%|得票順10=1|候補者10=3 |
|||
|date=2008-08-02}}{{リンク切れ|date=2009年1月}}</ref>。 |
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|衆|当落11=当|選挙名11=45|年齢11=68|選挙区11=福岡県第8区|政党名11=自由民主党|得票数11=165,327|得票率11=62.21%|得票順11=1|候補者11=3 |
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*[[ポケモンGO]]に対し「海外での例を見ると、精神科医が対処できなかったオタク、自宅引きこもりが全部外に出てポケモンをするようになった」と語り「精神科医より漫画の方がよほど効果が出るのが一番大きいんじゃないか」とも評した<ref>{{Cite web|url=https://www.sanspo.com/geino/news/20160722/pol16072218250003-n1.html|title=麻生氏、ポケモンGOで「引きこもりが外に出た」|work=サンケイスポーツ|accessdate=2019-02-17}}</ref>。 |
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|衆|当落12=当|選挙名12=46|年齢12=72|選挙区12=福岡県第8区|政党名12=自由民主党|得票数12=146,712|得票率12=68.36%|得票順12=1|候補者12=3 |
|||
|衆|当落13=当|選挙名13=47|年齢13=74|選挙区13=福岡県第8区|政党名13=自由民主党|得票数13=126,684|得票率13=71.32%|得票順13=1|候補者13=2 |
|||
|衆|当落14=当|選挙名14=48|年齢14=77|選挙区14=福岡県第8区|政党名14=自由民主党|得票数14=135,334|得票率14=72.23%|定数14=1|得票順14=1|候補者14=2 |
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|衆|当落15=当|選挙名15=49|年齢15=81|選挙区15=福岡県第8区|政党名15=自由民主党|得票数15=104,924|得票率15=59.63%|定数15=1|得票順15=1|候補者15=3 |
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|衆|当落16=当|選挙名16=50|年齢16=84|選挙区16=福岡県第8区|政党名16=自由民主党|得票数16=92,534|得票率16=56.97%|得票順16=1|候補者16=3 |
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}} |
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== 栄典 == |
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* {{PER}}:ペルー太陽勲章ダイヤモンド付きグランド・クロス - [[File:PER Order of the Sun of Peru - Grand Cross BAR.png|55x55ピクセル]](2008年) |
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* {{UZB}}:友好勲章 - [[File:Dustlik rib.png|55x55ピクセル]](2020年) |
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* {{BRA}}:[[南十字星国家勲章]]グランド・クロス - [[File:BRA - Order of the Southern Cross - Grand Cross BAR.svg|55x55ピクセル]](2020年) |
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== エピソード == |
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=== 学生時代 === |
=== 学生時代 === |
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* アメリカの[[スタンフォード大学]]で大学院に在籍していた時、祖父の吉田茂が[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]将軍の葬儀に参列し、その帰途[[サンフランシスコ]]にいる麻生の所に赴いた。その時、 |
* アメリカの[[スタンフォード大学]]で大学院に在籍していた時、祖父の[[吉田茂]]が[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]将軍の葬儀に参列し、その帰途[[サンフランシスコ]]にいる麻生の所に赴いた。その時、アングロファイル(英国偏愛家)であった吉田は、麻生の[[カリフォルニア]]訛りの[[アメリカ英語]]が気に入らなかったらしく、東京に戻った際、吉田の娘であり、麻生の母にあたる和子に厳命し、直ちに[[スタンフォード大学]]から引っこ抜くように言いつけたという。その結果、もうすぐ修士号を取得しそうだったにも関わらず、イギリスのLSE([[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]])へ送り出された。イギリスに送り出されたために、カリフォルニア訛りのアメリカ英語が、[[イギリス英語]]の[[コックニー]]訛りに変わったという<ref>『[[自由と繁栄の弧]]』{{要ページ番号|date=2018年4月1日}}</ref>。 |
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=== 外務大臣時代 === |
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* [[2005年]](平成17年) |
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** 2005年に外務大臣就任後は[[文化政策|文化外交]]・[[価値観外交]]・[[自由と繁栄の弧]]を重視し、[[2007年]]には[[国際漫画賞]]を創設した(後述)<ref>{{cite press release |
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|title = 外務省:「国際漫画賞」の創設について |
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|publisher = [[外務省]] |
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|date = 2007-05-22 |
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|url = http://www.mofa.go.jp/Mofaj/press/release/h19/5/1173498_804.html |
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|accessdate = 2010-04-09 |
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}}</ref>。 |
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* [[2006年]](平成18年) |
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** 同年4月に[[デジタルハリウッド大学]]で行われた政策スピーチでは、主人公が交渉人として世界を股にかける漫画である[[勇午]]について触れ、「『勇午』を読んでない人は外交なんて語っちゃダメ」と論じた<ref>[http://www.gamenews.ne.jp/archives/2006/05/post_868.html 麻生太郎外相デジハリで講演、曰く「『勇午』読まずして外交を語るなかれ」] garbagenews.com 2006年5月13日</ref>。 |
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** [[自衛隊イラク派遣]]の際、[[イラク]]での復興支援活動に『[[キャプテン翼]] (Captain Majed・[[:ar:كابتن ماجد|كابتن ماج]])』の[[イラスト]]を[[サマーワ]]に展開する[[日本]]の[[給水車]]に貼ることを支援したこともある<ref>{{cite press release |
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|title = 在サマーワ連絡事務所より サマーワ「キャプテン翼」大作戦 -給水車が配る夢と希望- その1 |
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|publisher = [[外務省]] |
|||
|date = 2006-04-12 |
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|url = http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/iraq/renraku_j_0412a.html |
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|accessdate = 2010-03-24 |
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}}</ref>。 |
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* [[2007年]](平成19年) |
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** [[5月22日]]、麻生の肝入りで海外の漫画家を対象にした[[国際漫画賞]]を創設することを発表<ref>{{cite press release |
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|title = 外務省:「国際漫画賞」の創設について |
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|publisher = [[外務省]] |
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|date = 2007-05-22 |
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|url = http://www.mofa.go.jp/Mofaj/press/release/h19/5/1173498_804.html |
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|accessdate = 2010-04-09 |
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}}</ref>、麻生は「今や世界各国に現れつつある若きマンガの旗手たちに、マンガの本家本元である日本から、権威のある賞、いわば[[漫画|マンガ]]の[[ノーベル賞]]のようなものをあげたい。日本との絆を、それによって意識していただきたいものです」と述べ、[[7月2日]]には「マンガは愛。マンガは友情。マンガは人の成長。マンガはすべてを表します。得られる賞はプライスレス。その人は、とこしえの名前をマンガ界に刻むことになります」と述べた<ref>{{cite press release |
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|title = 国際漫画賞―国際漫画賞発足に寄せて― |
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|publisher = [[国際漫画賞]] |
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|date = 2007-05-02 |
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|url = http://www.manga-award.jp/index2.htm |
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|accessdate = 2010-04-09 |
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|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090130053143/http://www.manga-award.jp/index2.htm |
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|archivedate = 2009年1月30日 |
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|deadurl = yes |
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}}</ref>。 |
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** 同年[[5月30日]]から、[[ウィーン]]で開催された[[核拡散防止条約]] (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が[[広島市]]での[[広島市への原子爆弾投下|原爆投下による被曝体験]]を描いた漫画『[[はだしのゲン]]』の英訳版を加盟国に配布することになったが、これは麻生の肝入りで実現したものである。[[外務省]]が[[英語]]版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している<ref>[[時事通信]] 2007年4月29日</ref>。 |
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** 同年[[8月18日]]にメキシコの[[日墨学院]]を訪問した際、在校生から[[メキシコ]]で人気が高い漫画「[[:en:Samurai X]](原題:[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]])」について質問された場面もあった<ref>{{cite news |
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|url = http://megalodon.jp/?url=http://www.sankei.co.jp/seiji/seisaku/070818/ssk070818003.htm |
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|title = 漫画談議でたじたじ メキシコ訪問の麻生氏 |
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|newspaper = 産経新聞 |
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|date = 2007-08-18 |
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|accessdate = 2010-01-07 |
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|publication-date = |
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|archiveurl = https://web.archive.org/web/20160304094118/http://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.sankei.co.jp%2Fseiji%2Fseisaku%2F070818%2Fssk070818003.htm |
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|archivedate = 2016年3月4日 |
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}}</ref>。(なお、『るろうに剣心』では麻生の高祖父にあたる[[大久保利通]]が登場する) |
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=== 内閣総理大臣就任前 === |
=== 内閣総理大臣就任前 === |
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* [[2001年]](平成13年) |
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** 2001年の[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策担当大臣]]在任期間中、「日本を裕福な[[ユダヤ人]]が住みたいと思う国にしたい」と発言したことが報道された<ref>{{cite web |
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|url = https://www.theguardian.com/usa/story/0,,2040957,00.html |
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|title = Blue eyes, blond hair: that's US problem, says Japanese minister |
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|author = The Guardian |
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|language = en |
|||
|date = 2006-09-19 |
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|accessdate = 2022-10-09 |
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}} {{Wayback|url=https://www.theguardian.com/usa/story/0,,2040957,00.html |date=20231209134953 }}</ref>。 |
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* [[2006年]](平成18年) |
* [[2006年]](平成18年) |
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** [[9月17日]]、[[有楽町マリオン]]前での[[街頭演説]]では、熱心な麻生の追っかけに対して「女の子ならともかく、男に追いかけられるのは初めて。励みになるよ」と演説中に述べた<ref>{{ |
** [[9月17日]]、[[有楽町マリオン]]前での[[街頭演説]]では、熱心な麻生の追っかけに対して「女の子ならともかく、男に追いかけられるのは初めて。励みになるよ」と演説中に述べた<ref>{{Cite web |
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|1 = 和書 |
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|url = http://www.aso-taro.jp/report/060919-2.html |
|url = http://www.aso-taro.jp/report/060919-2.html |
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|title = 有楽町での街頭演説(2006年9月17日) |
|title = 有楽町での街頭演説(2006年9月17日) |
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|author = 麻生太郎オフィシャルサイト |
|author = 麻生太郎オフィシャルサイト |
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|date = 2006-09-19 |
|date = 2006-09-19 |
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|accessdate= 2010-05-18 |
|accessdate = 2010-05-18 |
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}}</ref>。翌18日に[[浅草]]でおこなった街頭演説では、「[[来た、見た、勝った]]」の文字をもじった『来た、見た、笑った! 麻生太郎』の[[ゲートフラッグ]]を掲げた者もいた<ref>{{ |
}} {{Wayback|url=http://www.aso-taro.jp/report/060919-2.html |date=20091227084733 }}</ref>。翌18日に[[浅草]]でおこなった街頭演説では、「[[来た、見た、勝った]]」の文字をもじった『来た、見た、笑った! 麻生太郎』の[[ゲートフラッグ]]を掲げた者もいた<ref>{{Cite web |
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|1 = 和書 |
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|url = http://www.aso-taro.jp/report/060919-3.html |
|url = http://www.aso-taro.jp/report/060919-3.html |
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|title = 浅草での街頭遊説等(2006年9月18日) |
|title = 浅草での街頭遊説等(2006年9月18日) |
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649行目: | 688行目: | ||
|date = 2006-09-19 |
|date = 2006-09-19 |
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|accessdate = 2010-09-24 |
|accessdate = 2010-09-24 |
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}} {{Wayback|url=http://www.aso-taro.jp/report/060919-3.html |date=20110311001308 }}</ref>。 |
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}}</ref>。 |
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** [[11月]]、外務大臣(当時)[[ニューヨーク・タイムズ]]が太平洋戦争中における[[麻生太賀吉|麻生鉱業]]の[[捕虜]][[強制労働]]を報じた際に「事実が確認出来ない」と応え、[[在ニューヨーク日本国総領事館|在ニューヨーク総領事館]]にもウェブサイトでその旨反論させた。この反論はのちに[[2008年]][[12月18日]]、裏づけとなる[[第一復員省]]まとめの[[公文書]]が[[厚生労働省]]で発見された事を受け削除されている<ref>[http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20081219-OYS1T00212.htm 旧麻生鉱業炭坑に外国人捕虜、厚労省が公文書開示]{{リンク切れ|date=2009年1月}}[[讀賣新聞]]12月19日</ref>。 |
** [[11月]]、外務大臣(当時)[[ニューヨーク・タイムズ]]が太平洋戦争中における[[麻生太賀吉|麻生鉱業]]の[[捕虜]][[強制労働]]を報じた際に「事実が確認出来ない」と応え、[[在ニューヨーク日本国総領事館|在ニューヨーク総領事館]]にもウェブサイトでその旨反論させた。この反論はのちに[[2008年]][[12月18日]]、裏づけとなる[[第一復員省]]まとめの[[公文書]]が[[厚生労働省]]で発見された事を受け削除されている<ref>[http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20081219-OYS1T00212.htm 旧麻生鉱業炭坑に外国人捕虜、厚労省が公文書開示]{{リンク切れ|date=2009年1月}}[[讀賣新聞]]12月19日</ref>。 |
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** 財務大臣(当時)の[[谷垣禎一]]との「[[安倍晋三]][[内閣総理大臣|首相]]に歯向かっても何もできない。だからオレと組め。その代わり、オレに総理を先にやらせろ」という会話があったと谷垣が述べたが、麻生はこれに対し、「こっちはまだ回答をもらっておらず、そういうこと(会話内容)を全然関係ないところでしゃべって、マナーとしていかがなもんか」と述べた<ref>{{ |
** 財務大臣(当時)の[[谷垣禎一]]との「[[安倍晋三]][[内閣総理大臣|首相]]に歯向かっても何もできない。だからオレと組め。その代わり、オレに総理を先にやらせろ」という会話があったと谷垣が述べたが、麻生はこれに対し、「こっちはまだ回答をもらっておらず、そういうこと(会話内容)を全然関係ないところでしゃべって、マナーとしていかがなもんか」と述べた<ref>{{Cite press release |
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|1 = 和書 |
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|title = 外務大臣会見記録(平成19年1月) |
|title = 外務大臣会見記録(平成19年1月) |
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|publisher = 外務省 |
|publisher = 外務省 |
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|date = 2007-01-16 |
|date = 2007-01-16 |
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|url = |
|url = https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/g_0701.html#2-E |
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|accessdate = 2007-10-06 |
|accessdate = 2007-10-06 |
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|archive-date = 2020年11月14日 |
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|archive-url = https://web.archive.org/web/20201114120351/https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/g_0701.html#2-E |
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|urlstatus = live |
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}}</ref>。 |
}}</ref>。 |
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* [[2007年]](平成19年) |
* [[2007年]](平成19年) |
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** 9月23日、自民党総裁選の投開票が行われたが、自民党本部前には正午から16時ごろまで「麻生」と書かれた紙やプラカードを持った300人ほどの支持者たちが集結し、「麻生!麻生!」とシュプレヒコールを上げ続けた<ref name="自民党本部前に「ネット住民」集結 あの弁護士の演説がきっかけ">{{Cite web |1=和書 |title=自民党本部前に「ネット住民」集結 あの弁護士の演説がきっかけ |url=https://www.j-cast.com/2007/09/25011623.html |website=J-CAST ニュース |date=2007-09-25 |access-date=2023-03-20 |language=ja }} {{Wayback|url=https://www.j-cast.com/2007/09/25011623.html |date=20230320124049 }}</ref>。この支持者の集まりを見た麻生太郎は 「多分、自民党員はゼロよ。[[2ちゃんねる]]で(スレッドが)立ったんだろうけど、永田町にあんなに人が集まるなんて例はない」と話し、感激した様子だった<ref name="自民党本部前に「ネット住民」集結 あの弁護士の演説がきっかけ"/>。 |
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** [[10月6日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列の情報番組である[[ハッケン!!]]でのインタビューで「[[2ちゃんねる]]に時々書き込みをしている。新聞より核心を突いてくる」と公言。これは2ちゃんねるユーザーの間でも話題になった<ref>[https://web.archive.org/web/20071009231025/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071006/stt0710062210004-n1.htm 麻生太郎氏「2ちゃん、時々書き込む」]『[[産経新聞]]』2007年10月9日のアーカイブ</ref>。{{see also|渡邉哲也}} |
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** [[10月6日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列の情報番組である[[ハッケン!!]]でのインタビューで「[[2ちゃんねる]]に時々書き込みをしている。新聞より核心を突いてくる」と公言。これは2ちゃんねるユーザーの間でも話題になった<ref>{{Cite web |title=麻生太郎氏「2ちゃん、時々書き込む」 - MSN産経ニュース |url=https://web.archive.org/web/20071009231025/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071006/stt0710062210004-n1.htm |website=web.archive.org |date=2007-10-09 |access-date=2024-12-07}}</ref>。{{see also|渡邉哲也}} |
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* [[2008年]](平成20年) |
* [[2008年]](平成20年) |
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** [[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選時]]に麻生が出馬する際、[[神奈川県]][[川崎市]][[麻生区]]の区役所など[[住民票]] |
** [[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選時]]に麻生が出馬する際、[[神奈川県]][[川崎市]][[麻生区]]の区役所など[[住民票]]などを請求する名前の記入例に『麻生太郎』と書いてあったが、区民からの指摘により、麻生区は急遽別の名前と差し替える『珍事』が発生した<ref>{{cite news |
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|url = http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008090301000317.html |
|url = https://web.archive.org/web/20101017035659/http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008090301000317.html |
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|title = 記入例「麻生太郎」変更へ 誤解招くと川崎市麻生区 |
|title = 記入例「麻生太郎」変更へ 誤解招くと川崎市麻生区 |
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|newspaper = 47NEWS |
|newspaper = 47NEWS |
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668行目: | 712行目: | ||
|date = 2008-09-03 |
|date = 2008-09-03 |
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|accessdate = 2010-03-03 |
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|archive-date = 2010年10月17日 |
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}}</ref>。 |
}}</ref>。 |
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** [[9月16日]]、自民党総裁選で麻生以下5人の候補は、公開討論会でそれぞれ自己分析を披露した。その際に麻生は「ひと言多いこと」と発言した<ref>{{cite news |
** [[9月16日]]、自民党総裁選で麻生以下5人の候補は、公開討論会でそれぞれ自己分析を披露した。その際に、麻生は「ひと言多いこと」と発言した<ref>{{cite news |
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|url = https://web.archive.org/web/20080922154424/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080916/stt0809162123012-n1.htm |
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|title = 【自民総裁選】総裁候補が自己分析 「ひと言多い」麻生氏に、「太陽に吠えろ」の石原氏 |
|title = 【自民総裁選】総裁候補が自己分析 「ひと言多い」麻生氏に、「太陽に吠えろ」の石原氏 |
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|newspaper = 産経新聞 |
|newspaper = 産経新聞 |
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|date = 2008-09-16 |
|date = 2008-09-16 |
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|accessdate = 2008-12-13 |
|accessdate = 2008-12-13 |
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|archive-date = 2008年9月22日 |
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=== 内閣総理大臣就任後 === |
=== 内閣総理大臣就任後 === |
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[[ファイル:Aso taro 20160622.jpg|thumb|2016年6月撮影]] |
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* [[2008年]](平成20年) |
* [[2008年]](平成20年) |
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** [[9月]]、「[[総理大臣公邸]]に入居するのは[[解散総選挙]]を行った後」としており、総理大臣任命後も自宅から通勤していた。総理が自宅([[東京都]][[渋谷区]])から官邸へ通勤するのは、[[宮沢喜一]]以来15年ぶり。 |
** [[9月]]、「[[内閣総理大臣公邸|総理大臣公邸]]に入居するのは[[衆議院議員総選挙|解散総選挙]]を行った後」としており、総理大臣任命後も自宅から通勤していた。総理が自宅([[東京都]][[渋谷区]])から官邸へ通勤するのは、[[宮沢喜一]]以来15年ぶり。 |
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**10月2日から[[麻生内閣メールマガジン]]「太郎ちゃんねる」を2009年まで配信し続けた(最終号は第44号、2009年9月3日)。創刊号では[[景気]]対策の必要性を主張したほか、「麻生内閣の一員になったつもりで忌憚のない意見を」と呼びかけている。内閣としては初の動画も用意した。 |
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** [[10月26日]]、総理総裁として初の[[秋葉原]]での[[街頭演説]]後に[[秋葉原UDX]]で開かれた「秋葉原エンタまつり2008」の特別ステージに[[さいとうたかを]]、[[弘兼憲史]]と共にゲスト出演<ref name="ascii20081027a">{{cite web |
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** [[11月]]、麻生は日常会話でよく使われる[[日本における漢字|漢字]]を演説で発音したり読み間違えたりすることが多かったと報じられた<ref>{{cite web |
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|author = 伊藤真広 |
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|url = http://www.javno.com/en/world/clanak.php?id=226060 |
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|date = 2008-10-27 |
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|title = Japan PM Faces Reading Test As Popularity Sags |
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|url = http://ascii.jp/elem/000/000/183/183270/ |
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|author = Javno |
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|title = エンタまつりに首相登場! 漫画家らとマンガ論を語る(1) |
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|language = en |
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|publisher = [[アスキー・メディアワークス|ASCII.jp]] |
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|date = 2009-02-01 |
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|accessdate = 2022-11-23 |
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}}</ref>。司会を兼任した弘兼からの「“わが青春のこの一冊”はなんですか?」との問いに対し「ここにいるお二方の作品を挙げるとアレなので」と前置きした上で[[本宮ひろ志]]の『[[男一匹ガキ大将]]』を挙げ、「7年間くらい毎週買ってましたね。そして単行本も集めたんですが、単行本を買って集めた初めての作品ですね」と返答した<ref name="ascii20081027a"/>。『ゴルゴ13』については、「冷戦が崩壊したときには物語は終わってしまうんじゃないかと思ったんですが、新しいシナリオがあってサラリーマンの意識の先を行っているので、大人が読めるマンガになっていると思います」と述べた<ref name="ascii20081027b">{{cite web |
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}} {{Wayback|url=http://www.javno.com/en/world/clanak.php?id=226060 |date=20090201023132 }}</ref>。 |
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|author = 伊藤真広 |
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** インターネット掲示板「[[2ちゃんねる|2ちゃんねる]]」などで「麻生太郎にクリスマスカードを送ろう!」という応援の呼びかけが巻き起こり、麻生太郎首相あてに全国の支持者らから「頑張ってください」との激励のクリスマスカードが2008年12月15日までに衆議院の事務所に250通届いた<ref>{{Cite web |1=和書 |title=麻生首相にクリスマスカードが250通 |url=https://www.j-cast.com/2008/12/16032292.html |website=J-CAST ニュース |date=2008-12-16 |access-date=2023-03-13 |language=ja }} {{Wayback|url=https://www.j-cast.com/2008/12/16032292.html |date=20230313154838 }}</ref>。これについて、麻生首相は「誠にありがたい。新聞記者の意見と全然違う」と喜んだ。 |
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|date = 2008-10-27 |
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|url = http://ascii.jp/elem/000/000/183/183270/index-2.html |
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|title = エンタまつりに首相登場! 漫画家らとマンガ論を語る(2) |
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|publisher = ASCII.jp |
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|accessdate = 2011-06-29 |
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}}</ref>。また、「いま、映画やドラマの原作はマンガ発のものが多くなってきていると思いますが、マンガのほうが発想が豊かだからでしょう。そんなマンガ産業をもっと育てていこうと[[二階俊博|二階]]氏とも話していますよ」と述べた<ref name="ascii20081027b"/>。 |
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** 2008年11月に行われた日本とロシアの首脳会談にて、麻生は[[ロシア連邦大統領]]の[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]に[[ドラえもん]]に登場する道具「[[タケコプター]]」を贈っている。メドヴェージェフは麻生の贈り物に喜び、「[[ロシア語]]の[[説明書]]はないのか」と尋ねたという<ref>{{Cite news |
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|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30 |
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|k=2008112300120 |
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|title=ドラえもん、日ロ友好に一役=大統領にラジコン贈呈-麻生首相 |
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|newspaper=時事ドットコム |
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|publisher=時事通信社 |
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|accessdate=2008-11-23 |
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|date= |
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|publication-date= |
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|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130311153700/http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30 |
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|archivedate=2013年3月11日 |
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}}</ref><ref>{{Cite news |
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|url=http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081123-432708.html |
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|title=麻生首相 メドベージェフ・ロシア大統領の息子にドラえもんの玩具を贈り日ロ友好を演出 |
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|newspaper=nikkansports.com |
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|publisher=日刊スポーツ |
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|accessdate=2008-11-23 |
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}}</ref>。 |
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* [[2009年]](平成21年) |
* [[2009年]](平成21年) |
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** [[1月19日]]より[[総理大臣公邸]]にて居住を始めた。 |
** [[1月19日]]より、[[総理大臣公邸]]にて居住を始めた。 |
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** [[10月26日]]には総理総裁後初めて、[[秋葉原]]駅前にて自身3度目の[[街頭演説]]を行った際、2008年[[6月8日]]に起こった[[秋葉原通り魔事件|秋葉原無差別殺傷事件]]を取り上げ、「世の中が暗くなっている」と話し、「明るい世の中にしよう」と呼びかけた。また、麻生は中小企業、零細企業、[[地方銀行]]について触れ、[[従業員]]の[[最低賃金]]を上げることや、[[非正規雇用]]を[[正規雇用]]にし、その際の負担は[[政府]]が賄うということを話し、就任当時から語っている景気対策の必要性を主張した<ref> |
** [[10月26日]]には総理総裁就任後初めて、[[秋葉原]]駅前にて自身3度目の[[街頭演説]]を行った際、2008年[[6月8日]]に起こった[[秋葉原通り魔事件|秋葉原無差別殺傷事件]]を取り上げ、「世の中が暗くなっている」と話し、「明るい世の中にしよう」と呼びかけた。また、麻生は中小企業、零細企業、[[地方銀行]]について触れ、[[従業員]]の[[最低賃金]]を上げることや、[[非正規雇用]]を[[正規雇用]]にし、その際の負担は[[政府]]が賄うということを話し、就任当時から語っている景気対策の必要性を主張した<ref>{{Citation|title=麻生太郎総裁 in アキバ(2008.10.26)|last=自民党|date=2008-10-28|url=https://www.youtube.com/watch?v=KE4lxOkwliI|access-date=2024-12-07}}</ref>。 |
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** [[11月19日]]、都内のホテルで開かれた私立[[幼稚園]][[PTA]]の全国大会で挨拶した麻生は「[[家庭]]でしつける力がなくなってきた」と指摘したうえで、「じいさん、ばあさん、やかましいおやじさんの存在が薄くなってきたせいもあって、[[幼稚園]]で何とかしろと負担が掛かってきている。しつけるべきは母親だ」と批判した<ref>{{cite news |
** [[11月19日]]、都内のホテルで開かれた私立[[幼稚園]][[PTA]]の全国大会で挨拶した麻生は「[[家庭]]でしつける力がなくなってきた」と指摘したうえで、「じいさん、ばあさん、やかましいおやじさんの存在が薄くなってきたせいもあって、[[幼稚園]]で何とかしろと負担が掛かってきている。しつけるべきは母親だ」と批判した<ref>{{cite news |
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|title = しつけるべきは母親=幼稚園PTA大会で麻生首相 |
|title = しつけるべきは母親=幼稚園PTA大会で麻生首相 |
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|date = 2008-11-19 |
|date = 2008-11-19 |
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}}</ref>。麻生は大会を「幼稚園の教員による会合」と勘違いしていたとされ、会場に園児の母親が多数出席していることに気づくと、批判のトーンを弱めている<ref>{{cite news |
}}</ref>。麻生は大会を「幼稚園の教員による会合」と勘違いしていたとされ、会場に園児の母親が多数出席していることに気づくと、批判のトーンを弱めている<ref>{{cite news |
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|title = 首相 教員会合と勘違い?PTA大会で親批判 |
|title = 首相 教員会合と勘違い?PTA大会で親批判 |
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|newspaper = スポーツニッポン |
|newspaper = スポーツニッポン |
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|date = 2008-11-19 |
|date = 2008-11-19 |
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|accessdate = 2010-03-28 |
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|archive-date = 2023年8月26日 |
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|title = 先生と勘違い?保護者大会で首相「親で苦労してるでしょ」 |
|title = 先生と勘違い?保護者大会で首相「親で苦労してるでしょ」 |
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|date = 2008-11-20 |
|date = 2008-11-20 |
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}}</ref>。 |
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** 動画サイト[[ニコニコ動画]]内の自民党公式チャンネルにおいて、ニコニコ動画のマスコットキャラクター「ニコニコテレビ君」を、麻生の顔文字である「(゜⊿゜)」に置き換えた「タロビ」というキャラクターが生み出され、ユーザー内で話題となった<ref> |
** 動画サイト[[ニコニコ動画]]内の自民党公式チャンネルにおいて、ニコニコ動画のマスコットキャラクター「ニコニコテレビ君」を、麻生の顔文字である「(゜⊿゜)」に置き換えた「タロビ」というキャラクターが生み出され、ユーザー内で話題となった<ref>{{Cite web |title=麻生自民党チャンネルのキャラクター「タロビ」人気に-麻生首相も対面 |url=https://akasaka.keizai.biz/headline/284/ |website=赤坂経済新聞 |access-date=2024-12-07}}</ref>。 |
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* 日本のソフトコンテンツ産業の向上のために、平成21年[[ |
* 日本のソフトコンテンツ産業の向上のために、平成21年[[補正予算]]に「[[国立メディア芸術総合センター]]」の構想を練る<ref>{{Cite press release |
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|title = メディア芸術の国際的な拠点の整備について(「国立メディア芸術総合センター(仮称)」構想について) |
|和書|title = メディア芸術の国際的な拠点の整備について(「国立メディア芸術総合センター(仮称)」構想について) |
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|publisher = [[文化庁]] |
|publisher = [[文化庁]] |
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|date = 2009-05-14 |
|date = 2009-05-14 |
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=== 内閣総理大臣 |
=== 内閣総理大臣退任後 === |
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[[ファイル:Aso taro 20160622.jpg|thumb|2016年6月撮影]] |
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* [[2009年]](平成21年) |
* [[2009年]](平成21年) |
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** 麻生の盟友である[[中川昭一]]が死去した際、[[10月16日]]に[[北海道]][[帯広市]]で |
** 麻生の盟友である[[中川昭一]]が死去した際、[[10月16日]]に[[北海道]][[帯広市]]で行われた「哀惜の会」にて弔辞を読み、「昭ちゃん。まさか、あなたの弔辞を13歳も年上の私が読むことになろうとは…」と発言した<ref name="tokachi20091016">{{cite news |
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|url = http://www.tokachi.co.jp/news/200910/20091016-0003039.php |
|url = http://www.tokachi.co.jp/news/200910/20091016-0003039.php |
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|title = 中川昭一氏 哀惜の会 “盟友”が弔辞 |
|title = 中川昭一氏 哀惜の会 “盟友”が弔辞 |
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|archivedate = 2009年10月20日 |
|archivedate = 2009年10月20日 |
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** [[11月12日]]には、[[天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典]]に来賓として出席し、祝辞こそ述べなかったものの、ステージ上から[[上皇明仁|天皇 |
** [[11月12日]]には、[[天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典]]に来賓として出席し、祝辞こそ述べなかったものの、ステージ上から[[上皇明仁|天皇]]を祝った。 |
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* [[2010年]](平成22年) |
* [[2010年]](平成22年) |
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**[[4月19日]]放送の[[テレビ朝日]]の「[[ビートたけしのTVタックル]]」に出演した<ref>{{cite news |
**[[4月19日]]放送の[[テレビ朝日]]の「[[ビートたけしのTVタックル]]」に出演した<ref>{{cite news |
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|title = たけし、麻生前首相に同情「一番運が悪かった総理」 |
|title = たけし、麻生前首相に同情「一番運が悪かった総理」 |
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|newspaper = msn産経ニュース |
|newspaper = msn産経ニュース |
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** [[6月9日]]、自民 |
** [[6月9日]]、自民党本部8階で行われた、[[自民党ネットサポーターズクラブ]](J-NSC)の設立総会に出席。挨拶の際に『'''アサ ナマタロウ'''ではなくて、麻生太郎(あそう たろう)です』と発言した<ref>{{YouTube|H3O2MUr-0kE|J-NSC 設立総会 麻生太郎最高顧問就任挨拶(2010.6.9)}}・LDPchannel</ref>。 |
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** [[9月28日]]、[[グランドプリンスホテル赤坂]]で行われた、[[中川昭一]]の一周忌「偲ぶ会」に出席。式辞の際に「『[[国際通貨基金|IMF]]に10兆円を出す』という決断が、[[リーマン・ショック]]後の[[世界金融危機 (2007年-)|世界経済の混乱]]を相当食い止めた。良い仕事をした時は[[報道|マスコミ]]は評価すべきだ。[[尖閣諸島|尖閣]]の様な、ふざけた話が起きた時([[尖閣諸島中国漁船衝突事件]])は、『[[日本]]の[[売国|国を売る]]ようなことは止めるべきだ』と大きな声で批判すべき。中川氏が生きていたら、もっと大きな声で言っていたでしょう」と述べた<ref>{{cite news |
** [[9月28日]]、[[グランドプリンスホテル赤坂]]で行われた、[[中川昭一]]の一周忌「偲ぶ会」に出席。式辞の際に「『[[国際通貨基金|IMF]]に10兆円を出す』という決断が、[[リーマン・ショック]]後の[[世界金融危機 (2007年-)|世界経済の混乱]]を相当食い止めた。良い仕事をした時は[[報道|マスコミ]]は評価すべきだ。[[尖閣諸島|尖閣]]の様な、ふざけた話が起きた時([[尖閣諸島中国漁船衝突事件]])は、『[[日本]]の[[売国|国を売る]]ようなことは、止めるべきだ』と大きな声で批判すべき。中川氏が生きていたら、もっと大きな声で言っていたでしょう」と述べた<ref>{{cite news |
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|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100929/stt1009292109008-n1.htm |
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|title = 「売国やめよ」中川昭一さん偲ぶ会で菅政権に批判続々 |
|title = 「売国やめよ」中川昭一さん偲ぶ会で菅政権に批判続々 |
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** [[9月29日]]、[[東京国際フォーラム]]で行われた映画『[[SP THE MOTION PICTURE]] 野望篇』完成披露試写会に、特別ゲストとして出席。映画で登場した[[セキュリティポリス|SP]]について「あれだけ長時間追いかけられる人は、私に実際に付いた人たちの中でも中々居ない。大したもんだなと思いましたよ。警護術はきちんとしてたし、簡単に[[拳銃]]を抜かないし。『オレだったらそこで撃ってしまうけどな』と、思う場面もありましたよ」と述べた<ref>{{cite news |
** [[9月29日]]、[[東京国際フォーラム]]で行われた映画『[[SP THE MOTION PICTURE]] 野望篇』完成披露試写会に、特別ゲストとして出席。映画で登場した[[セキュリティポリス|SP]]について「あれだけ長時間追いかけられる人は、私に実際に付いた人たちの中でも中々居ない。大したもんだなと思いましたよ。警護術はきちんとしてたし、簡単に[[拳銃]]を抜かないし。『オレだったらそこで撃ってしまうけどな』と、思う場面もありましたよ」と述べた<ref>{{cite news |
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|title = 「オレだったらそこで撃つのにな!」と麻生太郎氏が上機嫌でマスコミ陣に語ったこととは? |
|title = 「オレだったらそこで撃つのにな!」と麻生太郎氏が上機嫌でマスコミ陣に語ったこととは? |
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* [[2011年]](平成23年) |
* [[2011年]](平成23年) |
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** [[1月1日]]、[[ブラジル連邦共和国]]第36代[[ブラジル連邦共和国大統領|大統領]]、[[ジルマ・ルセフ]]の大統領就任式に、[[日本国]]政府特使として出席した<ref>{{ |
** [[1月1日]]、[[ブラジル連邦共和国]]第36代[[ブラジル連邦共和国大統領|大統領]]、[[ジルマ・ルセフ]]の大統領就任式に、[[日本国]]政府特使として出席した<ref>{{Cite press release |
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|title = 麻生特派大使のブラジル大統領就任式参列(概要) |
|title = 麻生特派大使のブラジル大統領就任式参列(概要) |
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* [[2012年]](平成24年) |
* [[2012年]](平成24年) |
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** [[2012年自由民主党総裁選挙]]の際、当時総裁だった谷垣禎一が続投を表明していたが、これに造反する形で出馬した石原伸晃に対し、9月13日の会見で「[[下克上]]とか平成の[[明智光秀]](という)、ありがたくない冠をこの人は当分頂くことになる。私の人生哲学には合わない」「石原氏を支援する人の神経がよく分からない」と批判した<ref>{{cite news|url=http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_511691|title=石原氏を痛烈批判=麻生氏|publisher=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]|date=2012-09-14|accessdate=2012-10-01}}{{リンク切れ|date=2020年2月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref>。 |
** [[2012年自由民主党総裁選挙]]の際、当時総裁だった谷垣禎一が続投を表明していたが、これに造反する形で出馬した石原伸晃に対し、9月13日の会見で「[[下克上]]とか平成の[[明智光秀]](という)、ありがたくない冠をこの人は当分頂くことになる。私の人生哲学には合わない」「石原氏を支援する人の神経がよく分からない」と批判した<ref>{{cite news|url=http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_511691|title=石原氏を痛烈批判=麻生氏|publisher=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]|date=2012-09-14|accessdate=2012-10-01}}{{リンク切れ|date=2020年2月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref>。 |
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** 12月26日、新たに成立した第2次安倍内閣に[[副総理]]兼[[財務大臣]]兼[[金融担当大臣]]として入閣。 |
** 12月26日、民主党政権が終焉し[[野田内閣 (第3次改造)]]総辞職。[[自公連立政権|公明党との連立政権]]で与党復帰して新たに成立した[[第2次安倍内閣]]に[[副総理]]兼[[財務大臣 (日本)|財務大臣]]兼[[金融担当大臣]]として入閣。 |
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* [[2017年]](平成29年) |
* [[2017年]](平成29年) |
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** 9月23日、栃木県宇都宮市内のホテルで講演中、朝鮮半島有事で日本に大量に押し寄せる可能性のある難民への対応について触れた上で、「武装難民かもしれない。警察で対応できるか、自衛隊の防衛出動か、射殺ですか。真剣に考えた方がいい」と発言した<ref>{{cite news |
** 9月23日、栃木県宇都宮市内のホテルで講演中、朝鮮半島有事で日本に大量に押し寄せる可能性のある難民への対応について触れた上で、「武装難民かもしれない。警察で対応できるか、自衛隊の防衛出動か、射殺ですか。真剣に考えた方がいい」と発言した<ref>{{cite news |
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|url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/20170923-OYT1T50148.html |
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|title = 麻生氏「武装難民の射殺」に言及…朝鮮半島有事 |
|title = 麻生氏「武装難民の射殺」に言及…朝鮮半島有事 |
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|newspaper = 読売新聞 |
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* [[2019年]](令和元年) |
* [[2019年]](令和元年) |
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**10月24日、[[原田義昭]]前環境相のパーティーに出席した際、「きちんとしたことがはっきり言える。票にならなくても言わなくちゃいけないことは言う。これが大事 |
** 10月24日、[[原田義昭]]前環境相のパーティーに出席した際、「きちんとしたことがはっきり言える。票にならなくても言わなくちゃいけないことは言う。これが大事」として評している<ref>{{Cite web |1=和書 |date=2019-10-25 |url=https://www.asahi.com/articles/ASMBS7JR0MBSUTFK01W.html |title=「品が良い所…川崎、北九州とかじゃなく」 |publisher=朝日新聞 |accessdate=2019-10-24 }} {{Wayback|url=https://www.asahi.com/articles/ASMBS7JR0MBSUTFK01W.html |date=20191024155308 }}</ref>。 |
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* [[2020年]](令和2年) |
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** 7月16日、[[新型コロナウイルス感染症|新型コロナウイルス]]の感染拡大を受けて4月から延期していた[[政治資金パーティー]]を、自民党内の他派閥に先んじて開催した<ref>{{Cite news|title=自民各派、解散・人事にらみ活動本格化 麻生派皮切り、資金パーティー|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2020071400918&g=pol|newspaper=時事ドットコム|agency=[[時事通信社]]|date=2020-07-15|accessdate=2020-07-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200714231715/https://www.jiji.com/jc/article?k=2020071400918&g=pol|archivedate=2020-07-14}}</ref>。 |
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* [[2021年]](令和3年) |
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** 10月25日、[[北海道]][[小樽市]]での街頭演説で「昔、北海道の[[米|コメ]]は『厄介道米(やっかいどうまい)』と言われるほど売れないコメだった。今はその北海道がやたら美味いコメを作るようになった。[[農家]]のおかげですか?[[農業協同組合|農協]]の力ですか?違います。温度が上がったからです」「平均気温が2度上がったおかげで北海道のコメは美味しくなった。[[地球温暖化]]といえば悪い話しか書いてありませんが、温暖化でいいこともあります」「それを輸出している。これが現実です」などと述べた<ref>{{Cite news |1=和書 |title=麻生氏の北海道産米発言、影響広がる 演説の音声公開 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2021-10-27 |author= |url=https://mainichi.jp/articles/20211027/k00/00m/010/284000c |accessdate=2021-10-28 |archive-date=2021年10月28日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211028184746/https://mainichi.jp/articles/20211027/k00/00m/010/284000c }}</ref><ref name="mainichi20211026">{{Cite news |1=和書 |title=北海道のコメ巡る麻生氏発言「断じて許されない」 農民連盟が抗議 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2021-10-26 |url=https://mainichi.jp/articles/20211026/k00/00m/010/301000c |accessdate=2021-10-26 |archive-date=2021年10月26日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211026190603/https://mainichi.jp/articles/20211026/k00/00m/010/301000c }}</ref><ref>{{Citenews|title=温暖化でコメうまくなった 北海道の街頭演説で麻生氏|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA25BVO0V21C21A0000000/|newspaper=日本經濟新聞|date=2021-10-25|accessdate=2021-10-26|archive-date=2021年10月26日|archive-url=https://web.archive.org/web/20211026110033/https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA25BVO0V21C21A0000000/}}</ref><ref name=":0">{{Cite news|title=「温暖化のおかげで北海道の米がうまくなった」麻生氏発言→専門家「温暖化の影響はほとんどない」と指摘|newspaper=[[ハフィントン・ポスト]]|date=2021-10-26|url=https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_61777791e4b09314320f1e70|author=高橋史弥|accessdate=2021-10-27|archive-date=2021年10月26日|archive-url=https://web.archive.org/web/20211026165059/https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_61777791e4b09314320f1e70}}</ref><ref name="nikkan20211026">{{Cite news |和書|title=麻生太郎氏「温暖化でコメうまく」発言に北海道農民連盟が抗議 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2021-10-21 |author= |url=https://www.nikkansports.com/general/news/202110260001012.html |accessdate=2021-10-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211026190600/https://www.nikkansports.com/general/news/202110260001012.html|archivedate=2021-10-26}}</ref>。 |
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*** この発言に対して、[[野党]]などからは「[[品種改良]]の努力を踏みにじっている」などといった批判があがった。[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]の枝野幸男代表は、麻生氏の発言に関して、「あまりにもデリカシーがなさ過ぎ、草の根の暮らしが分かっていない」「農家の皆さんを傷つけるもので、許しがたい」と批判した<ref name="nikkan20211026b">{{Cite news |和書|title=岸田首相、麻生氏の「温暖化で北海道のコメうまくなった」発言を陳謝 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2021-10-26 |author= |url=https://www.nikkansports.com/general/news/202110260001060.html |accessdate=2021-10-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211026190602/https://www.nikkansports.com/general/news/202110260001060.html|archivedate=2021-10-26}}</ref>。また、同党北海道連は、「農業関係者の長年にわたる努力を侮辱したもので、温暖化と結びつけるのは見当違いだ」と抗議した<ref name="jiji20211026">{{Cite news |1=和書 |title=岸田首相、麻生氏発言を陳謝 道産米めぐり、立民道連は抗議【21衆院選】 |newspaper=[[時事通信]] |date=2021-10-26 |author= |url=https://www.jiji.com/sp/article?k=2021102601259 |accessdate=2021-10-26 |archive-date=2021年10月26日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211026190601/https://www.jiji.com/sp/article?k=2021102601259 }}</ref>。[[日本共産党]]の[[小池晃]]書記局長は、「温暖化で良くなったなどと言うのはあまりに危機感がない」と断罪した<ref name="jiji20211027">{{Cite news |1=和書 |title=山口公明代表、麻生氏発言に苦言 野党は批判【21衆院選】 |newspaper=[[時事通信]] |date=2021-10-27 |url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2021102700962 |accessdate=2021-10-29 |archive-date=2021年10月29日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211029190558/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021102700962 }}</ref>。そして[[れいわ新選組]]の[[山本太郎]]代表は、「自民党は農業を軽く扱っており、麻生氏は農業をなめている。即刻退場レベルの話だ」と非難した<ref name="nikkan20211026b" />。 |
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*** [[与党]]内からも批判の声があがった。[[公明党]]の[[山口那津男]]代表は、「冗談じゃありませんよ」「温暖化だけでおいしくなるはずがないじゃありませんか。品種改良を重ね、水や土の管理をしっかりやった農家の努力があればこそ」と述べ、麻生発言を批判した<ref>{{Cite news |1=和書 |title=公明・山口代表が麻生氏「コメ」発言を批判 「冗談じゃない」 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2021-10-28 |author= |url=https://mainichi.jp/articles/20211028/k00/00m/010/179000c |accessdate=2021-10-28 |archive-date=2021年10月28日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211028184744/https://mainichi.jp/articles/20211028/k00/00m/010/179000c }}</ref>。加えて、「農家の努力に敬意を払ってもらいたい。それが与党の政治家の務めだ」と苦言を呈した<ref name="jiji20211027" />。 |
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*** [[東京新聞]]は、この発言に関して、「やっと閣外に去ったというのに、党副総裁に居座って、まだまだ炎上するぞと言わんばかり。のたまった内容も、やはり温暖化対策が喫緊の課題という世界の潮流からすれば化石的思考だ」との論評を発表した<ref name="tokyonp20211028">{{Cite news |1=和書 |title=麻生副総裁「温暖化で北海道の米がうまくなった」発言で疑われる自民温暖化対策への本気度 |newspaper=[[東京新聞]] |date=2021-10-28 |author= |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/139332/2 |accessdate=2021-10-28 |archive-date=2021年10月28日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211028184745/https://www.tokyo-np.co.jp/article/139332/2 }}</ref>。 |
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*** 北海道農民連盟では、この発言に対して組合員から「冗談じゃない」という怒りの声が多数寄せられた<ref>{{Cite news |1=和書 |title=麻生副総裁「温暖化で北海道の米がうまくなった」発言で疑われる自民温暖化対策への本気度 |newspaper=[[東京新聞]] |date=2021-10-28 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/139332 |accessdate=2021-10-28 |archive-date=2021年10月28日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211028184747/https://www.tokyo-np.co.jp/article/139332 }}</ref>。同連盟の大久保明義委員長は、この発言を受けて、「全国でも北海道米が高い評価を得ているのは、官・民・農が一体となって協力した結果」であり「全道挙げて品種改良を重ね、『北海道ブランド米』としての地位を確立した結果」であるとした上で、「生産者の努力と技術をないがしろにするような発言は断じて許されない」、「温暖化を肯定するような発言は耳を疑う」、「自民党副総裁の発言としてあるまじき由々しき事態」、と抗議の談話を発表した<ref name="mainichi20211026"/><ref name="nikkan20211026" /><ref>{{Cite news |1=和書 |title=麻生氏発言に「耳疑う」と抗議——北海道農民連盟が談話 |newspaper=[[共同通信]] |date=2021-10-26 |author= |url=https://nordot.app/825661908644970496 |accessdate=2021-10-26 |archive-date=2021年10月26日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211026104853/https://nordot.app/825661908644970496 }}</ref><ref>{{Cite news |1=和書 |title=麻生氏発言に「耳疑う」と抗議 北海道農民連盟が談話 |newspaper=[[東京新聞]] |date=2021-10-26 |author= |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/139043 |accessdate=2021-10-26 |archive-date=2021年10月26日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211026190600/https://www.tokyo-np.co.jp/article/139043 }}</ref><ref>{{Cite news |1=和書 |title=麻生氏発言に「耳疑う」と抗議 北海道農民連盟が談話 |newspaper=[[河北新報]] |date=2021-10-26 |author= |url=https://kahoku.news/articles/knp2021102601000928.html |accessdate=2021-10-26 |archive-date=2021年10月26日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211026190604/https://kahoku.news/articles/knp2021102601000928.html }}</ref>。 |
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*** [[北海道大学]]農学研究院元教授の川村周三は、 「温暖化の影響はほとんどない」と述べ、これを否定した<ref name=":0" />。また、[[大学院大学至善館]]の[[枝広淳子]]教授は、「温暖化は気温上昇だけでなく、雨の降り方も変化させる。農業を含め、さまざまな分野でマイナスの影響が大きい」とした上で、「別の地方では収穫量が減るなど悪影響が出ている。それなのに1つの地方や今の局面だけを切り取り『温暖化の良い面』とするのは、かなり無責任と言わざるを得ない」と指摘した<ref name="tokyonp20211028" />。 |
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*** 同月25日、[[自由民主党総裁|自民党総裁]]で[[首相]]の[[岸田文雄]]も「最近コメの品評会をやると、北海道が上位に食い込んで、東北や北陸が後れを取っている。間違いなく気候変動の結果だと思う」と語った<ref name="nikkan20211026" />。しかし翌26日、岸田首相は、麻生副総裁の発言に関して、「適切ではなかったのかなと思う。申し訳ないと思います」と陳謝した<ref name="nikkan20211026b" /><ref name="jiji20211026" /><ref>{{Cite news|title=麻生氏のコメ発言、岸田首相が陳謝 「適切でなかった。申し訳ない」|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2021-10-26|url=https://www.asahi.com/articles/ASPBV7VBLPBVUTFK01X.html|accessdate=2021-10-27|archive-date=2021年10月26日|archive-url=https://web.archive.org/web/20211026165057/https://www.asahi.com/articles/ASPBV7VBLPBVUTFK01X.html}}</ref><ref>{{Cite news |1=和書 |title=首相、麻生氏発言は適切でなかったと陳謝 |newspaper=[[下野新聞]] |date=2021-10-26 |author= |url=https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/516211 |accessdate=2021-10-26 |archive-date=2021年10月26日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211026190606/https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/516211 }}</ref>。また、自民党所属の[[金子原二郎]]農相は、「農家の皆さんの努力に尽きる。気候どうこうというより、気候に合ったものを作る努力をした結果、今日がある」と述べ、麻生の発言を修正した<ref>{{Cite news |1=和書 |title=麻生氏「コメがうまいの温暖化のおかげ」発言 火消しに躍起の政府 |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2021-10-26 |author= |url=https://mainichi.jp/articles/20211026/k00/00m/010/349000c |accessdate=2021-10-26 |archive-date=2021年10月26日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20211026190605/https://mainichi.jp/articles/20211026/k00/00m/010/349000c }}</ref>。 |
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=== 漫画についてのエピソード === |
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* [[日本の漫画|漫画]]が好きであることが広く知られる<ref name=":1">{{Cite news|title=マンガ好きの麻生大臣が言及した『紛争でしたら八田まで』とは一体なんなのか?|newspaper=[[現代ビジネス]]|date=2021-10-03|url=https://gendai.media/articles/-/87932|accessdate=2021-11-10|archive-date=2023年6月5日|archive-url=https://web.archive.org/web/20230605125214/https://gendai.media/articles/-/87932}}</ref>。 |
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* [[麻生内閣メールマガジン]]「太郎ちゃんねる」を2008年10月2日から2009年[[9月3日]]まで配信し続けた。(最終号は第44号)。創刊号では[[景気]]対策の必要性を主張したほか、「麻生内閣の一員になったつもりで忌憚のない意見を」と呼びかけている。内閣としては初の動画も用意した。 |
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*初めて読んだ漫画は『[[のらくろ|のらくろ上等兵]]』『[[冒険ダン吉]]』などであったという。昭和20年代の雑誌『[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]』や『少年』を読んでおり、[[手塚治虫]]の『[[ジャングル大帝]]』『[[鉄腕アトム]]』などに触れた<ref name=":2">{{Cite web|1=和書|url=http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/newspaper/030702-1.html|title=ビッグコミックオリジナル増刊(2003年7月02日増刊)― 麻生太郎 コミックを語る|date=2003-07-02|accessdate=2007-10-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071005163709/http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/newspaper/030702-1.html|archivedate=2007-10-05|url-status=dead|url-status-date=2020-02|publisher=麻生太郎事務所}} {{Wayback|url=http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/newspaper/030702-1.html |date=20071211173718 }}</ref>。 |
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*学生時代に[[アメリカ合衆国]]へ留学した際も、母についた[[秘書]]が『[[週刊少年サンデー]]』と『[[週刊少年マガジン]]』を船便で日本から麻生の元へ送った。当時は海外在住の日本人が少なく、日本の漫画も貴重なものだった<ref name=":2" />。 |
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*初めて物語の脚本として面白いと感じたのは、[[本宮ひろ志]]の『[[男一匹ガキ大将]]』であった。当時の漫画は大人が読まないものだったという<ref name=":2" />。 |
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*[[1980年代]]に[[大学生]]の流行語が『右手にマガジン、左手に[[朝日ジャーナル|ジャーナル]](編集長:[[筑紫哲也]]) 』とされ、大学生が漫画を読んでも不思議がられない時代となったことについて、「(朝日ジャーナルで)学生が、皆かぶれたわけでしょ。」「あれとコミックでうまいこと、若い人がバランスを取ってたとすりゃあ、コミックって大したもんですよ。」と評した<ref name=":2" />。 |
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*学生時代から社会人や経営者を経る間も、継続して漫画を読んでいた。「ずっと読んでると、なんとなく時代がわかる」という<ref name=":2" />。 |
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**例えば、「[[1960年代の日本|1960年代]]には[[安保闘争]]の影響で[[反体制]]的な漫画が主力で、『[[忍者武芸帳]]』『[[サスケ (漫画)|サスケ]]』などがみられた。しかし[[1970年代の日本|1970年代]]には体制のために体を張るような『[[巨人の星]]』『[[宇宙戦艦ヤマト]]』が人気になった。[[1980年代の日本|1980年代]]には組織に属しながらも個を貫くという『[[浮浪雲]]』『[[バツ&テリー|バツ&テリー]]』が出てきた。[[1990年代の日本|1990年代]]には[[オカルト]]が人気になり、『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』『[[犬夜叉]]』など[[超能力]]が目立った。[[オウム真理教]]も出てきた。[[21世紀]]に入ると『[[グラップラー刃牙|刃牙]]』など主人公が強い作品が出てきた。[[イラク]]や[[イラン]]での紛争を経て、男は強くなければだめだという話になるのだろうか」と2003年に語った<ref name=":2" />。 |
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==== 2003年 ==== |
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*[[2003年]]7月に自民党[[自由民主党政務調査会|政務調査会]]会長を務めていた時点で、週に10冊から20冊程度の漫画雑誌を購読しており、「[[週刊少年マガジン|マガジン]]」「[[週刊少年ジャンプ|ジャンプ]]」「[[週刊少年サンデー|サンデー]]」[[週刊少年チャンピオン|「チャンピオン]]」「[[ビッグコミック]]」「[[ビッグコミックオリジナル|オリジナル]]」「[[ビッグコミックスペリオール|スペリオール]]」「[[ビッグコミックスピリッツ|スピリッツ]]」「[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]」「[[週刊ヤングジャンプ|ヤングジャンプ]]」「[[ビジネスジャンプ]]」などを閲覧していた<ref name=":2" />。 |
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**漫画が一種のストレス解消手段であるとし、「今はアニメーションなんかでかなりオタクでわからないものもあるが、コミックは基本的に面白くないものはない」と語った。また自身の息子や娘との共通の話題として良いと紹介した<ref name=":2" />。 |
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**当時まで一貫して読み続けて好きな作品として『[[ゴルゴ13]]』を挙げた。他に長期連載作品として『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』や『[[弐十手物語]]』を挙げ、「長期連載作品の主人公はずっと性格が変わらない。だから[[土井たか子]]のようにブレない人物も人気がある。イメージが変わらないのが大きい。」「時代が変わるとそれに迎合する流れがあるが、急に変えたら駄目なのではないか。」などと論じた<ref name=":2" />。 |
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**[[ゴルフ]]好きとして『[[風の大地]]』も好んだ<ref name=":2" />。 |
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*選挙期間中には公用車内に漫画雑誌を置き、移動時間に閲覧しているという<ref name=":2" />。 |
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*一方で漫画だけしか読まないことも良くないとし、「難しい本を読みながら、コミックも読む」ことを推奨した<ref name=":2" />。 |
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*麻生の[[衆議院]][[議員会館]]事務所には、書棚に様々なジャンルの漫画の単行本が並べてある{{要出典|date=2021年10月27日}}。 |
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*漫画好きであることは各国の首脳にも知られており、[[ポーランド]]の外務大臣からは現地([[ポーランド語]])版の『[[犬夜叉]]』を寄贈されている{{Sfn|麻生太郎|2007c|p=168}}。 |
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==== 2005年 ==== |
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* [[2005年]](平成17年)に[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]に就任した後は[[文化政策|文化外交]]・[[価値観外交]]・[[自由と繁栄の弧]]を重視し、[[2007年]]には[[国際漫画賞]]を創設した(後述)<ref name="外務省:「国際漫画賞」の創設について">{{Cite press release|1=和書|title=外務省:「国際漫画賞」の創設について|publisher=[[外務省]]|date=2007-05-22|url=https://www.mofa.go.jp/Mofaj/press/release/h19/5/1173498_804.html|accessdate=2010-04-09|archive-date=2022年3月1日|archive-url=https://web.archive.org/web/20220301233237/https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/h19/5/1173498_804.html|urlstatus=live}}</ref>。 |
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==== 2006年 ==== |
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* [[2006年]](平成18年)4月28日に[[デジタルハリウッド大学]]で行われた政策スピーチでは、主人公が交渉人として世界を股にかける漫画作品『[[勇午]]』について触れ、「『勇午』を読んでない人は外交なんて語っちゃダメ」と論じた<ref>[http://www.gamenews.ne.jp/archives/2006/05/post_868.html 麻生太郎外相デジハリで講演、曰く「『勇午』読まずして外交を語るなかれ」] {{Wayback|url=http://www.gamenews.ne.jp/archives/2006/05/post_868.html |date=20070617081313 }} garbagenews.com 2006年5月13日</ref>。 |
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*同年から連載された[[大和田秀樹]]の[[漫画]]『[[ムダヅモ無き改革]]』では、麻生をモデルにした「麻生タロー」というキャラクターが登場している。アニメ版の[[声優]]は[[有本欽隆]]が担当。同作では実在政治家を模した多くのキャラクターが登場するが、麻生は6巻の帯に実物写真付きで登場しているなど、作中唯一の本人公認キャラクターとなっている。 |
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*同年4月の[[自衛隊イラク派遣]]の際、[[イラク]]での復興支援活動に『[[キャプテン翼]] (Captain Majed・[[:ar:كابتن ماجد|كابتن ماج]]) 』の[[イラスト]]を、[[サマーワ]]に展開する[[日本]]の[[給水車]]に貼ることを支援したこともある<ref>{{Cite press release|1=和書|title=在サマーワ連絡事務所より サマーワ「キャプテン翼」大作戦 -給水車が配る夢と希望- その1|publisher=[[外務省]]|date=2006-04-12|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/iraq/renraku_j_0412a.html|accessdate=2010-03-24|archive-date=2020年8月5日|archive-url=https://web.archive.org/web/20200805172346/https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/iraq/renraku_j_0412a.html|urlstatus=live}}</ref>{{出典無効|date=2021-10-26|title=在サマーワ外務省事務所の江端康行による手記で、在クウェート日本大使館の高橋参事官夫妻などの協力は紹介されているが、麻生太郎による支援は挙げられていない。}}。 |
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==== 2007年 ==== |
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*[[2007年]](平成19年)[[2月3日]]、「日本の[[コンピュータゲーム]]の影響で[[東南アジア]]の若年層に[[日本語]]の学習者が倍増しており、彼らは[[J-POP]]の[[椎名林檎]]や[[宇多田ヒカル]]を日本語で歌う。[[食べ物]]や漫画も含め、それほど言葉は力を持ち、日本の[[文化]]として広まる。そういった影響を与えれば、[[戦争]]を防ぐ効果もあり、さらには国家の[[国家安全保障|安全]]や防衛にも繋がる」という持論を、「防衛シンポジウム2007in京都」で述べたという<ref>{{Cite web|1=和書|title=麻生太郎 外相時の講演録・過去の差別発言|url=https://peacemedia.jp/topics/070203aso.html|website=PeaceMedia ピースメディア|accessdate=2021-10-26|language=ja|publisher=島原登志郎|date=2008-09-12}} {{Wayback|url=https://peacemedia.jp/topics/070203aso.html |date=20211026165100 }}</ref>。 |
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*同年[[5月22日]]、麻生の肝煎りで海外の漫画家を対象にした[[国際漫画賞]]を創設することを発表<ref name="外務省:「国際漫画賞」の創設について" />、麻生は「今や世界各国に現れつつある若きマンガの旗手たちに、マンガの本家本元である日本から、権威のある賞、いわば[[漫画|マンガ]]の[[ノーベル賞]]のようなものをあげたい。日本との絆を、それによって意識していただきたいものです」と述べ、[[7月2日]]には「マンガは愛。マンガは友情。マンガは人の成長。マンガはすべてを表します。得られる賞はプライスレス。その人は、とこしえの名前をマンガ界に刻むことになります」と述べた<ref>{{Cite press release|和書|title=国際漫画賞―国際漫画賞発足に寄せて―|publisher=[[国際漫画賞]]|date=2007-05-02|url=http://www.manga-award.jp/index2.htm|accessdate=2010-04-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090130053143/http://www.manga-award.jp/index2.htm|archivedate=2009年1月30日|deadurl=yes}}</ref>。 |
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*同年[[5月30日]]から、[[ウィーン]]で開催された[[核拡散防止条約]] (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が[[広島市]]での[[広島市への原子爆弾投下|原爆投下による被曝体験]]を描いた漫画『[[はだしのゲン]]』の英訳版を加盟国に配布することになったが、これは麻生の肝煎りで実現したものである。[[外務省]]が[[英語]]版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している<ref>[[時事通信]] 2007年4月29日</ref>。 |
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*同年[[8月18日]]にメキシコの[[日墨学院]]を訪問した際、在校生から[[メキシコ]]で人気が高い漫画「[[:en:Samurai X]](原題:[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]])」について質問された場面もあった<ref>{{cite news|url=https://megalodon.jp/?url=https://www.sankei.co.jp/seiji/seisaku/070818/ssk070818003.htm|title=漫画談議でたじたじ メキシコ訪問の麻生氏|newspaper=産経新聞|date=2007-08-18|accessdate=2010-01-07|publication-date=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304094118/https://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.sankei.co.jp%2Fseiji%2Fseisaku%2F070818%2Fssk070818003.htm|archivedate=2016年3月4日}}</ref>。(なお、『るろうに剣心』では麻生の高祖父にあたる[[大久保利通]]が登場する) |
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==== 2008年 ==== |
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* [[2008年]](平成20年)[[8月2日]]に死去した[[漫画家]]の[[赤塚不二夫]]について、「あの種の[[ギャグ漫画]]の草分け的存在で『[[シェー]]』をはじめ、よく笑った」とコメントした<ref>{{cite news|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=200808/2008080200396|rel=y|g=soc|title=「よく笑った。残念」=赤塚不二夫さん死去で-自民・麻生幹事長|publisher=[[時事通信]]|date=2008-08-02}}{{リンク切れ|date=2009年1月}}</ref>。 |
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*同年[[10月26日]]、総理総裁として初の[[秋葉原]]での[[街頭演説]]後に[[秋葉原UDX]]で開かれた「秋葉原エンタまつり2008」の特別ステージに[[さいとうたかを]]、[[弘兼憲史]]と共にゲスト出演<ref name="ascii20081027a">{{Cite web|1=和書|author=伊藤真広|date=2008-10-27|url=http://ascii.jp/elem/000/000/183/183270/|title=エンタまつりに首相登場! 漫画家らとマンガ論を語る(1)|publisher=[[アスキー・メディアワークス|ASCII.jp]]|accessdate=2011-06-29}} {{Wayback|url=http://ascii.jp/elem/000/000/183/183270/ |date=20110624112919 }}</ref>。司会を兼任した弘兼からの「“わが青春のこの一冊”はなんですか?」との問いに対し「ここにいるお二方の作品を挙げるとアレなので」と前置きした上で[[本宮ひろ志]]の『[[男一匹ガキ大将]]』を挙げ、「7年間くらい毎週買ってましたね。そして単行本も集めたんですが、単行本を買って集めた初めての作品ですね」と返答した<ref name="ascii20081027a" />。『ゴルゴ13』については、「冷戦が崩壊したときには物語は終わってしまうんじゃないかと思ったんですが、新しいシナリオがあってサラリーマンの意識の先を行っているので、大人が読めるマンガになっていると思います」と述べた<ref name="ascii20081027b">{{Cite web|1=和書|author=伊藤真広|date=2008-10-27|url=http://ascii.jp/elem/000/000/183/183270/index-2.html|title=エンタまつりに首相登場! 漫画家らとマンガ論を語る(2)|publisher=ASCII.jp|accessdate=2011-06-29}} {{Wayback|url=http://ascii.jp/elem/000/000/183/183270/index-2.html |date=20110928122530 }}</ref>。また、「いま、映画やドラマの原作はマンガ発のものが多くなってきていると思いますが、マンガのほうが発想が豊かだからでしょう。そんなマンガ産業をもっと育てていこうと[[二階俊博|二階]]氏とも話していますよ」と述べた<ref name="ascii20081027b" />。 |
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* 同年11月に行われた日本とロシアの首脳会談にて、麻生は[[ロシア連邦大統領]]の[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]に[[ドラえもん]]に登場する道具「[[タケコプター]]」を贈っている。メドヴェージェフは麻生の贈り物に喜び、「[[ロシア語]]の[[説明書]]はないのか」と尋ねたという<ref>{{Cite news|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30|k=2008112300120|title=ドラえもん、日ロ友好に一役=大統領にラジコン贈呈-麻生首相|newspaper=時事ドットコム|publisher=時事通信社|accessdate=2008-11-23|date=|publication-date=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130311153700/http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30|archivedate=2013年3月11日}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081123-432708.html|title=麻生首相 メドベージェフ・ロシア大統領の息子にドラえもんの玩具を贈り日ロ友好を演出|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2008-11-23|archive-date=2010年2月19日|archive-url=https://web.archive.org/web/20100219102621/http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081123-432708.html}}</ref>。 |
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*11月、[[漫画家]]・[[アニメーター]]・[[映画監督]]である[[宮崎駿]]が、当時[[首相]]であった麻生が漫画好きを公言していることに対して、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです。」と公然と批判した<ref name=":3">{{Cite news|title=麻生太郎氏の漫画好きアピール、あの大物アニメ監督から批判され炎上した過去も|newspaper=[[リアルライブ]]|date=2021-7-11|url=https://npn.co.jp/article/detail/200014608/|access-date=2022-9-23|archive-date=2022年9月23日|archive-url=https://web.archive.org/web/20220923042445/https://npn.co.jp/article/detail/200014608/}}</ref>。 |
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*「麻生が[[東京国際空港|羽田空港]]の[[空港ラウンジ]]で『[[ローゼンメイデン]]』を読んでいた」という、2005年7月23日の[[匿名]]掲示板『[[2ちゃんねる]]』の書き込みを根拠にした[[噂|デマ]]が[[インターネット]]上で話題となった。「少女漫画」「女の子が読んでいる」という発言を残している<ref group="注釈">講談社『メカビ』 Vol.1 P.40</ref>。一部の[[自由民主党 (日本)|自民党]]を支持する[[おたく]]層から「ローゼン麻生」「ローゼン閣下」と呼ばれるようになり{{Sfn|麻生太郎|2007b|p=296–305}}<ref>「やっぱり読んでいたんですね 直撃! ローゼンメイデン疑惑?」 (取材・構成 石塚良太) ISBN 978-4-3440-1333-9</ref>、2008年度版の『[[現代用語の基礎知識]]』には「ローゼン麻生」という項目が収録された。 |
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==== 2009年以降 ==== |
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*2016年7月に[[ポケモンGO]]の流行を受けて「海外での例を見ると、精神科医が対処できなかったオタク、自宅引きこもりが全部外に出てポケモンをするようになった」と語り、「精神科医より漫画の方がよほど効果が出るのが一番大きいんじゃないか」と評した<ref>{{Cite web|1=和書|url=https://www.sanspo.com/geino/news/20160722/pol16072218250003-n1.html|title=麻生氏、ポケモンGOで「引きこもりが外に出た」|work=|accessdate=2021-10-27|publisher=[[サンケイスポーツ]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161102081906/https://www.sanspo.com/geino/news/20160722/pol16072218250003-n1.html|url-status=dead|url-status-date=2021-10-27|date=2016-07-22|archivedate=2016-11-02}} {{Wayback|url=https://www.sanspo.com/geino/news/20160722/pol16072218250003-n1.html |date=20190217201131 }}</ref>。 |
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*2021年7月のインターネットメディア『[[内外タイムス|リアルライブ]]』では、麻生が[[サブカルチャー]]への造詣の深さを語りながらも、2008年以降の「[[おたく|オタク]]・バッシング」へ反論していないことや、性表現規制へも積極的な姿勢を見せたことから、「麻生は少なくとも『オタクの味方』でなかったのは確かだ」と報じられた<ref name=":3" />。 |
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*[[2021年]][[7月]]に『[[ゴルゴ13]]』の単行本の第201巻が出版され、それまで[[ギネス世界記録]]を保持していた『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』の全200巻を更新したことについて[[日本放送協会|NHK]]の記者から質問されると、「今までのNHKからの質問で一番レベルが高い」などと記者を揶揄したうえで「あれだけのインターナショナルな小説は、今まで日本で読んだことはなかった」などと絶賛した<ref>{{Cite news|title=麻生財務相 ゴルゴ13聞かれ「NHKからの質問で今までで一番レベル高けぇ」|newspaper=[[デイリー]]|date=2021-07-06|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2021/07/06/0014477398.shtml|accessdate=2021-10-27|archive-date=2021年10月26日|archive-url=https://web.archive.org/web/20211026165059/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/07/06/0014477398.shtml}}</ref>。 |
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**その2か月後、同年9月に[[さいとう・たかを]]が死去したことについて「[[1989年]]に[[冷戦]]が終息したときに『[[ゴルゴ13]]』は終わるなと思ったが、それから20何年も続いた。惜しい人が亡くなった」などと語り、近年の別のインターナショナルな漫画として『[[紛争でしたら八田まで]]』(著者:[[田素弘]])を紹介した<ref name=":1" />。 |
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== 家族・親族 == |
== 家族・親族 == |
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*五世祖父 - [[立花種周]]([[筑後国|筑後]][[三池藩]]第6代藩主) |
*五世祖父 - [[立花種周]]([[筑後国|筑後]][[三池藩]]第6代藩主) |
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*五世祖父 - [[大久保利世]](薩摩藩士) |
*五世祖父 - [[大久保利世]](薩摩藩士) |
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*高祖父 - |
*高祖父 - 麻生賀郎([[庄屋]]) |
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*高祖父 - [[立花種道]] |
*高祖父 - [[立花種道]] |
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*高祖父 - [[大久保利通]]([[政治家]]) |
*高祖父 - [[大久保利通]]([[政治家]]) |
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*養曾祖父 - [[吉田健三]](実業家) |
*養曾祖父 - [[吉田健三]](実業家) |
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*祖父 - [[麻生太郎 (明治時代)|麻生太郎]](実業家) |
*祖父 - [[麻生太郎 (明治時代)|麻生太郎]](実業家) |
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*祖母 - 麻生夏子([[子爵]][[加納久朗]]の妹、子爵[[加納久宜]]の子) |
*祖母 - 麻生夏子([[子爵]]・千葉県知事[[加納久朗]]の妹、子爵[[加納久宜]]の子) |
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*祖父 - [[吉田茂]](政治家、第45・48・49・50・51代[[内閣総理大臣]]) |
*祖父 - [[吉田茂]](政治家、第45・48・49・50・51代[[内閣総理大臣]]) |
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;両親 |
;両親 |
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;兄弟 |
;兄弟 |
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*次郎([[1964年]]、ヨット練習中に事故死。詳細は「[[学習院大学ヨット遭難事故]]」を参照) |
*次郎([[1964年]]、ヨット練習中に事故死。詳細は「[[学習院大学ヨット遭難事故]]」を参照) |
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*雪子 |
*雪子(1944年2月7日生<ref name="j45">『人事興信録45版』あ108</ref>、[[相馬和胤]]の妻) |
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*[[麻生泰|泰]](1946年8月28日生<ref name="j45"/>、[[麻生 (企業)|株式会社麻生]]会長及び[[麻生ラファージュセメント]]社長) |
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*旦子([[荒船清彦]]の妻) |
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*:同妻 - 和子(1947年4月20日生<ref name="j45"/>、[[日本医師会]]の元会長[[武見太郎]]の二女<ref name="j45"/>) |
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*米子 |
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*:同長男 - [[麻生巌|巌]](1974年7月17日生<ref name="j45"/>、[[麻生 (企業)|株式会社麻生]]社長、元[[ドワンゴ]]取締役<ref>{{Cite web|1=和書|url=http://animationbusiness.info/archives/3008|title=カドカワ・角川歴彦氏、相談役から取締役会長に ゲーム情報ポータル事業の分社化も|publisher=アニメーションビジネスジャーナル|date=2017-05-26|accessdate=2020-11-14}} {{Wayback|url=http://animationbusiness.info/archives/3008 |date=20201116010141 }}</ref>) |
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*[[寛仁親王妃信子|信子]]([[寛仁親王|寬仁親王]]の妃) |
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*[[麻生 |
*:同次男 - [[麻生健|健]](1981年11月8日生<ref name="j45"/>、[[学校法人]][[麻生塾]]の[[理事長]]) |
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*旦子(1951年7月4日生<ref name="j45"/>、荒船清彦の妻) |
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*:同妻 - 和子([[日本医師会]]の元会長[[武見太郎]]の娘) |
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*[[寬仁親王妃信子|信子]](1955年4月9日生<ref name="j45"/>、[[寬仁親王]]の妃) |
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*:同長男 - [[麻生巌|巌]]([[ドワンゴ]]取締役、[[麻生 (企業)|株式会社麻生]]社長) |
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*:同次男 - [[麻生健|健]] ([[学校法人]][[麻生塾]]の[[理事長]]) |
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;妻子 |
;妻子 |
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*妻 - [[麻生ちか子|千賀子]] |
*妻 - [[麻生ちか子|千賀子]](1950年5月30日生<ref name="j45"/>、[[岩手県]]選出の政治家・[[鈴木善幸]]の三女<ref name="j45"/>) |
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*長男 - [[麻生将豊|将豊]](1984年12月29日生<ref name="j45"/>、[[麻生 (企業)#セメント・建設事業|麻生商事]]株式会社代表取締役社長<ref>{{Cite web|1=和書|url=http://www.asoshoji.co.jp/recruit/about/outline.html|title=会社概要|麻生商事株式会社|publisher=麻生商事株式会社|accessdate=2020-11-14}} {{Wayback|url=http://www.asoshoji.co.jp/recruit/about/outline.html |date=20201115214638 }}</ref>、株式会社エクストーン元[[取締役]]<ref>{{Cite web|1=和書|url=https://facta.co.jp/article/201308018.html|title=「ニコ動」と麻生のできすぎる息子:FACTA ONLINE|publisher=[[FACTA]]、ファクタ出版株式会社|date=2013-08-18|accessdate=2020-11-14}} {{Wayback|url=https://facta.co.jp/article/201308018.html |date=20201116073741 }}</ref>) |
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*長男 - 将豊([[株式会社]]エクストーン[[取締役]]) |
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*長女 - 彩子 |
*長女 - 彩子(1987年4月27日生<ref name="j45"/>、[[聖心女子学院]]を経て[[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|東京大学文学部]]卒業) |
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*孫<ref>https://www.asahi.com/articles/ASL4962NLL49UTFK022.html {{Wayback|url=https://www.asahi.com/articles/ASL4962NLL49UTFK022.html |date=20221003101448 }}</ref> |
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;他家 |
;他家 |
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*伯従母 - 杉山淑子([[ホーネンコーポレーション]](現[[J-オイルミルズ]])の元社長[[杉山元太郎]](同社中興の祖[[杉山金太郎]]の長男)の妻。父は[[牧野伸通]]。) |
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*従兄 - [[野田昌宏]]([[キャプテン・フューチャー]]の翻訳者として知られるSF作家、[[ひらけ!ポンキッキ]]の生みの親で[[ガチャピン]]のモデル) |
*従兄 - [[野田昌宏]]([[キャプテン・フューチャー]]の翻訳者として知られるSF作家、[[ひらけ!ポンキッキ]]の生みの親で[[ガチャピン]]のモデル) |
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*従兄 - 野田玲二郎(昌宏の弟、[[物理学者]]・[[菊池正士]]の娘婿)<ref>『歴史探偵』、21頁、「現代政治家閨閥百科」。</ref> |
*従兄 - 野田玲二郎(昌宏の弟、[[物理学者]]・[[菊池正士]]の娘婿)<ref>『歴史探偵』、21頁、「現代政治家閨閥百科」。</ref> |
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*:菊池正士の父・[[菊池大麓|大麓]]は[[箕作秋坪]]の次男であり |
*:菊池正士の父・[[菊池大麓|大麓]]は[[箕作秋坪]]の次男であり{{Sfn|佐藤朝泰|1987|p=479–481}}、麻生家は野田家・菊池家を通じて[[箕作家]]ともつながる{{Sfn|佐藤朝泰|1987|p=480–481}}。 |
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*再従兄弟 - [[大井廣介]]([[文芸]]・[[野球]][[評論家]]、[[本名]]麻生賀一郎) |
*再従兄弟 - [[大井廣介]]([[文芸]]・[[野球]][[評論家]]、[[本名]]麻生賀一郎) |
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;遠縁の親戚 |
;遠縁の親戚 |
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*[[ |
*[[渋沢栄一]](麻生の祖母夏子の兄で[[子爵]]の[[加納久朗]]の孫久美子が渋沢の玄孫にあたるため。久美子の夫が[[橋本龍太郎]]) |
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*[[安倍晋三]](麻生の祖父[[吉田茂]]の長女桜子の夫・吉田寛が |
*[[岸信介]]、[[佐藤栄作]]、[[安倍晋三]](麻生の祖父[[吉田茂]]の長女桜子の夫・吉田寛が岸信介、佐藤栄作兄弟の[[いとこ]]となるため。岸の孫が安倍晋三) |
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*[[ |
*[[堀内光雄]](麻生と堀内の長男・[[堀内光一郎|光一郎]]の妻で衆議院議員の[[堀内詔子|詔子]]の母・絢子が[[はとこ]]となるため) |
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*[[宮澤喜一]](麻生の義父鈴木善幸の長男[[鈴木俊一 (衆議院議員)|鈴木俊一]]の妻が宮澤喜一のいとこにあたるため) |
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*:宮澤家は[[ブリヂストン]]の石橋家と親戚であり、この石橋家を通して鳩山家ともつながる。また従兄弟・野田玲二郎の義伯母が[[鳩山秀夫]]に嫁いでいるため<ref name="門閥480-481"/>、麻生家は鳩山家と二重につながっている。 |
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*[[岸田文雄]](宮澤喜一の甥の[[宮澤洋一]]の従兄弟となるため) |
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*:宮澤家は[[ブリヂストン]]の石橋家と親戚であり、この石橋家を通して、[[鳩山一郎]]・[[鳩山由紀夫|由紀夫]]の鳩山家、[[石井光次郎]]・[[石井公一郎|公一郎]]の石井家ともつながる。また従兄弟・野田玲二郎の義伯母が[[美濃部達吉]]と[[鳩山秀夫]]に嫁いでいるため{{Sfn|佐藤朝泰|1987|p=480–481}}、麻生家は[[美濃部達吉]]・[[美濃部亮吉|亮吉]]の美濃部家ともつながり、鳩山家とは二重につながっている。 |
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== 家系 == |
== 家系 == |
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[[ファイル:Chigai kuginuki.svg|thumb|right|160px|麻生家の紋''[[家紋|違い釘抜き]]'']] |
[[ファイル:Chigai kuginuki.svg|thumb|right|160px|麻生家の紋''[[家紋|違い釘抜き]]'']] |
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*[ |
*[https://www.aso-group.jp/history/100years_03.html 麻生百年史 〈麻生グループ〉] によると、「麻生家は今では[[菩提寺]]の川島正恩寺が消失し、[[過去帳]]なども灰に帰したためその記録も残っていないのが残念だが、同家に伝わるところによると[[大化の改新]]([[645年|六四五]])で活躍した[[藤原鎌足]]の血筋を引き、[[藤原氏|藤原一族]]の流れをくんでいるといわれている。そして麻生家の名前の由来をたどると先祖が遠賀郡麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという。この地方には[[鎌倉時代|鎌倉]]、[[室町時代|室町]]のころから麻生の姓を名乗る一族がいる。このように麻生家は古い[[士族]]の末裔であったが、いつのころからか村を治める[[庄屋]](今でいう[[村長]])になっていった。」という。 |
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*鈴木幸夫著『閨閥 <small>結婚で固められる日本の支配者集団</small>』(1965年)58頁によると、「もともと麻生家は、福岡の[[土豪]]である。[[麻生太賀吉|太賀吉]]の祖父・[[麻生太吉|太吉]]の代に、祖父伝来の土地から、[[石炭]]を発見、貝島炭鉱の[[貝島太助]]から事業上の手ほどきを受けた。また貝島の紹介で、[[井上馨]]候に接近、採掘権などの法的手続きを有利にした。学問、毛並み、幸運に恵まれなかった[[麻生太吉]]は、もっぱらそのタフな心臓と、負けん気で、ついに九州三大石炭[[財閥]]の一つにのしあがった。[[麻生太吉|太吉]]は徹底したワンマン型のつわものであり、[[麻生太賀吉|太賀吉]]はその三代目である。」という。 |
*鈴木幸夫著『閨閥 <small>結婚で固められる日本の支配者集団</small>』(1965年)58頁によると、「もともと麻生家は、福岡の[[土豪]]である。[[麻生太賀吉|太賀吉]]の祖父・[[麻生太吉|太吉]]の代に、祖父伝来の土地から、[[石炭]]を発見、貝島炭鉱の[[貝島太助]]から事業上の手ほどきを受けた。また貝島の紹介で、[[井上馨]]候に接近、採掘権などの法的手続きを有利にした。学問、毛並み、幸運に恵まれなかった[[麻生太吉]]は、もっぱらそのタフな心臓と、負けん気で、ついに九州三大石炭[[財閥]]の一つにのしあがった。[[麻生太吉|太吉]]は徹底したワンマン型のつわものであり、[[麻生太賀吉|太賀吉]]はその三代目である。」という。 |
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*[[神一行]]著『閨閥 <small>改訂新版</small> <small>特権階級の盛衰の系譜</small>』 39頁によると、「もともと麻生家は、福岡の大[[庄屋]]で、[[麻生太賀吉|太賀吉]]の祖父・[[麻生太吉|太吉]]の代に先祖伝来の土地から[[石炭]]が採掘され、九州三大石炭[[財閥]](他は貝島家、安川家)の一つにのしあがった。[[麻生太吉|太吉]]は石炭のみならず、[[鉄道]]、電気、[[金融]]まで手を広げ、それらは後の[[日本国有鉄道|国鉄]]、[[九州電力]]、[[福岡銀行]]の基となっている。」という。 |
*[[神一行]]著『閨閥 <small>改訂新版</small> <small>特権階級の盛衰の系譜</small>』 39頁によると、「もともと麻生家は、福岡の大[[庄屋]]で、[[麻生太賀吉|太賀吉]]の祖父・[[麻生太吉|太吉]]の代に先祖伝来の土地から[[石炭]]が採掘され、九州三大石炭[[財閥]](他は貝島家、安川家)の一つにのしあがった。[[麻生太吉|太吉]]は石炭のみならず、[[鉄道]]、電気、[[金融]]まで手を広げ、それらは後の[[日本国有鉄道|国鉄]]、[[九州電力]]、[[福岡銀行]]の基となっている。」という。 |
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|rowspan="8" style="background-color:#ddf;width:25%;text-align:center"|'''麻生太郎''' |
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|rowspan="4" style="background-color:#dfd;width:25%;text-align:center"|'''父:'''<br>[[麻生太賀吉]] |
|rowspan="4" style="background-color:#dfd;width:25%;text-align:center"|'''父:'''<br />[[麻生太賀吉]] |
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|rowspan="2" style="background-color:#dfd;width:25%;text-align:center"|'''祖父:'''<br>[[麻生太郎 (明治時代)|麻生太郎【先代】]] |
|rowspan="2" style="background-color:#dfd;width:25%;text-align:center"|'''祖父:'''<br />[[麻生太郎 (明治時代)|麻生太郎【先代】]] |
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|rowspan="1" style="background-color:#dfd;width:25%;text-align:center"|'''曾祖父:'''<br>[[麻生太吉]] |
|rowspan="1" style="background-color:#dfd;width:25%;text-align:center"|'''曾祖父:'''<br />[[麻生太吉]] |
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|rowspan="1" style="text-align:center"|'''曾祖母:'''<br>麻生ヤス |
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|rowspan="1" style="text-align:center"|'''曾祖父:'''<br>[[加納久宜]] |
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|rowspan="4" style="background-color:#fdd;text-align:center"|'''母:'''<br>[[麻生和子]] |
|rowspan="4" style="background-color:#fdd;text-align:center"|'''母:'''<br />[[麻生和子]] |
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|rowspan="2" style="background-color:#dfd;text-align:center"|'''祖父:'''<br>[[吉田茂]] |
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|rowspan="1" style="background-color:#dfd;text-align:center"|'''曾祖父:'''<br>[[竹内綱]] |
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|rowspan="1" style="text-align:center"|'''曾祖母:'''<br>竹内瀧子 |
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|rowspan="1" style="text-align:center"|'''曾祖父:'''<br>[[牧野伸顕]] |
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|rowspan="1" style="text-align:center"|'''曾祖母:'''<br>牧野峰子 |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||ND1|||||||||||ND1 = 野田勢三郎}}{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left||||||||| |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|KN1|-|v|KN2|:|||!|SZ1|^|SZ3||||||KN1 = [[加納久宜]]|KN2 = [[加納久朗]]|SZ1 = [[鈴木善幸]]<!-- 麻生家と被らないようスペースを空けている -->|SZ3 = [[麻生ちか子|千賀子]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||)|-|-|-|KN3|!|||||}|-|-|v|AS10||||KN3 = 八重子|AS10 = [[麻生将豊]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||`|-|-|-|KN4|!||||,|AS6|`|AYA|KN4 = 夏子|AS6 = '''麻生太郎'''|AYA = 麻生彩子}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||}|-|-|^|AS5|)|AS7|||||AS5 = [[麻生太賀吉]]|AS7 = 麻生次郎}} |
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||}|-|-|^|AS5|)|AS7|||||AS5 = [[麻生太賀吉]]|AS7 = 麻生次郎}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|AS1|-|AS2|-|AS3||}|-|-|+|AS8|||||AS1 = 麻生賀郎|AS2 = [[麻生太吉]]|AS3 = [[麻生太郎 (明治時代)|麻生太郎]]|AS8 = 雪子}} |
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|AS1|-|AS2|-|AS3||}|-|-|+|AS8|||||AS1 = 麻生賀郎|AS2 = [[麻生太吉]]|AS3 = [[麻生太郎 (明治時代)|麻生太郎]]|AS8 = 雪子}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left||||||||||||,|YS2|!|:|||||||YS2 = [[麻生和子|和子]]}} |
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left||||||||||||,|YS2|!|:|||||||YS2 = [[麻生和子|和子]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||TK1|-|YS1|)|YS3|!|SM1 |
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||TK1|-|YS1|)|YS3|!|SM1||TK1 = [[竹内綱]]|YS1 = [[吉田茂]]|YS3 = [[吉田健一 (英文学者)|吉田健一]]|SM1 = [[相馬和胤]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||}|-|-|+|YS4|)|AS9|||||YS4 = 吉田正男|AS9 = 旦子}} |
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||}|-|-|+|YS4|)|AS9|||||YS4 = 吉田正男|AS9 = 旦子}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left||||||||,|MK2|)|YS5|!|:|||||||MK2 = 雪子|YS5 = 江子}} |
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left||||||||,|MK2|)|YS5|!|:|||||||MK2 = [[吉田雪子|雪子]]|YS5 = 江子}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|OKB|-|MK1|!||||`|YS6|!|AR1 |
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|OKB|-|MK1|!||||`|YS6|!|AR1||OKB = [[大久保利通]]|MK1 = [[牧野伸顕]]|YS6 = 桜子|AR1 = 荒船清彦<ref group="注釈">元駐[[スペイン]]大使</ref>}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||}|-|-|(||||||||)|A10|||||AK2 = 英子|A10 = [[ |
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||}|-|-|(||||||||)|A10|||||AK2 = 英子|A10 = [[寬仁親王妃信子|信子]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|MS1|-|MS2|!||||||||!|}|-|-|v|AKK|MS1 = [[三島通庸]]|MS2 = 峰子|AKK = [[彬子女王]]}} |
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|MS1|-|MS2|!||||||||!|}|-|-|v|AKK|MS1 = [[三島通庸]]|MS2 = 峰子|AKK = [[彬子女王]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left||||||||`|MK3|||||!|TMH|`|YOK|MK3 = 利武子|TMH = [[寬仁親王]]|YOK = [[瑶子女王]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||:|||||||`|A11|||||A11 = [[麻生泰]] |
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||:|||||||`|A11|||||A11 = [[麻生泰]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||}|-|-|-|AK2||}|-|-|v|AS11|||AK2 = 英子|AS11 = [[麻生巌]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||:||||}|-|-|v|TK2|`|AS12|||TK2 = 和子|AS12 = [[麻生健]]}} |
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{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||AK1||TK1|`|TK3|||||AK1 = [[秋月種英]]|TK1 = [[武見太郎]] |
{{Familytree|border=0|boxstyle=text-align:left|||||||||AK1||TK1|`|TK3|||||AK1 = [[秋月種英]]|TK1 = [[武見太郎]]|TK3 = [[武見敬三]]}} |
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{{Familytree/end}} |
{{Familytree/end}} |
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== テレビ番組 == |
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* [[日経スペシャル カンブリア宮殿]] 「ニッポンの次なるリーダーに聞く! ~あなたが総理になったら、 私たちの暮らしは、どう変わりますか?~」(2006年9月18日、テレビ東京)- 安倍晋三、谷垣禎一と共に出演<ref>{{Cite web |title=2006年9月18日 放送 官房長官 安倍 晋三 (あべ・しんぞう)氏 外務大臣 麻生 太郎 (あそう・たろう)氏財務大臣 谷垣 禎一 (たにがき・さだかず)氏 |カンブリア宮殿: テレビ東京 |url=https://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/2006/0918/ |website=2006年9月18日 |
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放送 官房長官 安倍 晋三 (あべ・しんぞう)氏 外務大臣 麻生 太郎 (あそう・たろう)氏財務大臣 谷垣 禎一 (たにがき・さだかず)氏 |
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|カンブリア宮殿: |
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テレビ東京 |access-date=2024-12-07 |language=ja}}</ref>。 |
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== 著作 == |
== 著作 == |
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*『祖父 |
*『祖父 吉田茂の流儀』(2000年5月24日、PHP研究所)ISBN 9784569611112 |
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*『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 |
*『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』(2007年4月15日、徳間書店 徳間文庫)ISBN 978-4198925819 |
||
*『[[自由と繁栄の弧]]』 |
*『[[自由と繁栄の弧]]』(2007年6月5日、幻冬舎)ISBN 9784344013339 |
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**『自由と繁栄の弧』(2008年9月20日、幻冬舎 幻冬舎文庫)ISBN 9784344411975 |
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*『[[とてつもない日本]]』[[新潮新書]]) 2007年 ISBN 978-4106102172 |
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*『[[とてつもない日本]]』(2007年6月10日、新潮社 新潮新書)ISBN 978-4106102172 |
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=== 共著 === |
=== 共著 === |
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*([[伊吹文明]]・他 |
*『自民党の智恵』(共著者:[[伊吹文明]]・他、編集:[[シンクタンク2005・日本]])(2008年1月30日、成甲書房)ISBN 978-4880862279 |
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*([[石破茂]] |
*『「国力」会議 保守の底力が日本を一流にする』(共著者:[[石破茂]] [[平沼赳夫]] [[与謝野馨]]、編:[[浜田和幸]])(2008年5月1日、祥伝社)ISBN 9784396613075 |
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=== 関連書籍 === |
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*『太郎さんの秘密 明解「麻生太郎」の基礎知識』(著者:新川典弘)(2008年10月15日、集英社)ISBN 9784420310260 |
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*『吉田茂 麻生太郎の原点』(著者:塩澤実信)(2009年1月10日、北辰堂出版)ISBN 9784904086865 |
|||
*『太郎と一郎、国盗り合戦! ガラガラポン!日本政治』(著者:業田良家)(2009年5月1日、竹書房)ISBN 9784812437865 |
|||
*『政権ラプソディー 安倍・福田・麻生から鳩山へ』(著者:業田良家)(2010年6月1日、七つ森書館)ISBN 9784822810122 |
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== 論文 == |
== 論文 == |
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* [ |
* [https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E9%BA%BB%E7%94%9F%E5%A4%AA%E9%83%8E|count=100|sortorder=3 CiNii収録論文] [[国立情報学研究所]] |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
=== 注釈 === |
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{{ |
{{Notelist|2}} |
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{{Reflist|group="注釈"}} |
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=== 出典 === |
=== 出典 === |
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{{Reflist|25em}} |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* 麻生太郎 『祖父・吉田茂の流儀』 [[PHP研究所]] 2000年 ISBN 978-4569611112 |
|||
* {{Cite book |和書 |author=麻生太郎 |year=2007 |title=麻生太郎の原点——祖父・吉田茂の流儀 |publisher=[[徳間書店]] |isbn=9784198925819 |ref={{SfnRef|麻生太郎|2007a}} }} |
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* {{Cite book |和書 |author=麻生太郎 |year=2007 |title=自由と繁栄の弧 |publisher=[[幻冬舎]] |isbn=9784344411975 |ref={{SfnRef|麻生太郎|2007b}} }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author=麻生太郎 |year=2007 |title=とてつもない日本 |series=[[新潮新書]] |publisher=[[新潮社]] |isbn=9784106102172 |ref={{SfnRef|麻生太郎|2007c}} }} |
|||
* 麻生太郎 『自民党の智恵』麻生太郎・伊吹文明[他]共著 シンクタンク2005・日本編集 成甲書房 2008年1月 ISBN 9784880862279 |
|||
* 麻生太郎 『「国力」会議』麻生太郎・[[石破茂]]・[[平沼赳夫]]・[[与謝野馨]]・[[浜田和幸]]共著 [[祥伝社]] 2008年5月 ISBN 9784396613075 |
|||
* {{Cite book |和書 |author=魚住昭 |authorlink=魚住昭 |year=2004 |title=[[野中広務 差別と権力]] |publisher=[[講談社]] |isbn=4062123444 |ref=harv }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author=角岡伸彦 |authorlink=角岡伸彦 |year=2005 |title=はじめての部落問題 |publisher=[[文藝春秋]] |isbn=4166604783 |ref=harv }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author=佐藤朝泰 |authorlink=佐藤朝泰 |year=1987 |title=門閥——旧華族階層の復権 |publisher=[[立風書房]] |isbn=4651700322 |ref=harv }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author=佐藤朝泰 |authorlink=佐藤朝泰 |year=2001 |title=豪閥——地方豪族のネットワーク |publisher=[[立風書房]] |isbn=4651700322 |ref=harv }} |
|||
* [[神一行]] 『閨閥 改訂新版——特権階級の盛衰の系譜』 [[角川書店]] 2002年 31、42-44頁 |
|||
* {{Cite book |和書 |author=高橋哲哉 |authorlink=高橋哲哉 |year=2004 |title=反・哲学入門 |publisher=[[白澤社]] |isbn=4768479103 |ref=harv }} |
|||
* 西村明爾 「現代政治家閨閥百科」『歴史探偵』([[近代麻雀]]増刊)[[竹書房]]、2013年4月25日、20-24頁 |
|||
* {{Cite book |和書 |author=野中広務 |authorlink=野中広務 |coauthors=[[辛淑玉]] |year=2009 |title=差別と日本人 |series=[[角川oneテーマ21]] |publisher=[[角川書店]] |isbn=9784047101937 |ref={{SfnRef|野中広務、辛淑玉|2009}}}} |
|||
* 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 [[角川書店]] 1983年 224-227頁 |
* 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 [[角川書店]] 1983年 224-227頁 |
||
* [[佐藤朝泰]] 著 『門閥 <small>旧華族階層の復権</small>』 [[立風書房]]、1987年4月10日第1刷発行、ISBN 4-651-70032-2 |
|||
* [[広瀬隆 (作家)|広瀬隆]] 『私物国家 日本の黒幕の系図』 [[光文社]] 2000年 191、333頁 |
* [[広瀬隆 (作家)|広瀬隆]] 『私物国家 日本の黒幕の系図』 [[光文社]] 2000年 191、333頁 |
||
* 『麻生太郎の真実』 [[ダカーポ (雑誌)|ダカーポ]] 608 2007年6月20日号 第27巻第11号・[[マガジンハウス]] |
|||
* 佐藤朝泰 『豪閥 <small>地方豪族のネットワーク</small>』 立風書房 2001年 451、500頁 |
|||
* 「野中広務元官房長官『山崎拓衆院議員は『[[週刊文春]]』を部落問題で恫喝した』」『[[週刊現代]]』49巻1号、[[講談社]]、2007年1月13日、46-47頁。 |
|||
* [[神一行]] 『閨閥 改訂新版 <small>特権階級の盛衰の系譜</small>』 角川書店 2002年 31、42-44頁 |
|||
* [[魚住昭]] 『[[野中広務 差別と権力]]』 [[講談社]] 2004年06月29日 ISBN 4062123444 |
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* [[角岡伸彦]] 『はじめての部落問題』 [[文藝春秋]] 2005年11月20日 ISBN 4166604783 |
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* 『メカビ Vol.01』講談社 2006年06月02日 ISBN 4061795910 |
* 『メカビ Vol.01』講談社 2006年06月02日 ISBN 4061795910 |
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* 「野中広務元官房長官『山崎拓衆院議員は『[[週刊文春]]』を部落問題で恫喝した』」『[[週刊現代]]』49巻1号、講談社、2007年1月13日、46-47頁。 |
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* 『麻生太郎の真実』 [[ダカーポ (雑誌)|ダカーポ]] 608 2007年6月20日号 第27巻第11号・[[マガジンハウス]] |
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* 麻生太郎 『祖父・吉田茂の流儀』 PHP研究所 2000年 ISBN 978-4569611112 |
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* 麻生太郎 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 徳間書店 2007年 ISBN 978-4198925819 |
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* 麻生太郎 『自由と繁栄の弧』 幻冬舎 2007年 ISBN 978-4344411975 |
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* 麻生太郎 『とてつもない日本』 新潮社(新潮新書)2007年 ISBN 978-4106102172 |
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* 麻生太郎 『自民党の智恵』麻生太郎・伊吹文明[他]共著 シンクタンク2005・日本編集 成甲書房 2008年1月 ISBN 978-4880862279 |
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* 麻生太郎 『「国力」会議』麻生太郎・石破茂・平沼赳夫・与謝野馨・浜田和幸共著 祥伝社 2008年5月 ISBN 978-4396613075 |
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* 西村明爾 「現代政治家閨閥百科」『歴史探偵』([[近代麻雀]]増刊)[[竹書房]]、2013年4月25日、20-24頁 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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[[ファイル:3A+S 20160126shuhon3.jpg|サムネイル|右から安倍、麻生、甘利、菅の「3A+S」(2016年1月、[[衆議院]]本会議にて)]] |
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*[[麻生内閣]] |
*[[麻生内閣]] |
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*[[麻生氏]] - [[宇都宮氏]] - [[筑豊御三家]] |
*[[麻生氏]] - [[宇都宮氏]] - [[筑豊御三家]] |
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*[[麻垣康三]] |
*[[麻垣康三]] |
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*[[士志の会]]([[古賀誠]]、[[平沼赳夫]]、[[高村正彦]]) |
*[[士志の会]]([[古賀誠]]、[[平沼赳夫]]、[[高村正彦]]) |
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*[[志公会]](マスコミ |
*[[志公会]](マスコミなどでは「麻生派」と呼ばれているが、こちらが正式な名称) |
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*[[安倍晋三]]([[閨閥]]によってつながった遠縁の親戚でもある) |
*[[安倍晋三]]([[閨閥]]によってつながった遠縁の親戚でもある) |
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*[[甘利明]](安倍と本人で「3A」と呼ばれる。[[菅義偉]]も含めて「3A+S」とも) |
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*[[1976年モントリオールオリンピックの射撃競技]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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*[http://www.aso-taro.jp/ 麻生太郎オフィシャルサイト] |
*[http://www.aso-taro.jp/ 麻生太郎オフィシャルサイト] |
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**[http://www.aso-taro.jp/profile/index.html プロフィール] |
**[http://www.aso-taro.jp/profile/index.html プロフィール] |
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*[https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/092.html 第92代 麻生 太郎 | 歴代内閣] - [[内閣総理大臣官邸|首相官邸]] |
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**[http://www.aso-taro.jp/profile/profile.html プロフィール] - 昔の写真、留学情報などを記載した内容。 |
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*[https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/092.html 麻生総理プロフィール]([https://www.kantei.go.jp/ 首相官邸] 公式ホームページ) |
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*[https://www.youtube.com/user/LDPchannel#grid/user/336D74DC6D932322 LDP ChannelアーカイブCM (麻生太郎総裁時)] - [[YouTube]] |
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*[http://asianbeat.com/ja/feature/issue_manga/selection_20080909_172751.html 麻生太郎さん『MANGA』を語る] |
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*{{Twitter|asa_namatarou}}{{リンク切れ|date=2016年5月}} |
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*[https://www.issf-sports.org/athletes/athlete.ashx?personissfid=SHJPNM0000000020 ISSF portrait of the athlete ASO, Taro] - [[国際射撃連盟]]の競技成績 |
*[https://www.issf-sports.org/athletes/athlete.ashx?personissfid=SHJPNM0000000020 ISSF portrait of the athlete ASO, Taro] - [[国際射撃連盟]]の競技成績 |
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2024年12月28日 (土) 14:03時点における最新版
麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20日 - )は、日本の政治家、実業家、元射撃選手。自由民主党所属の衆議院議員(15期)、自由民主党最高顧問、志公会会長。中曽根康弘世界平和研究所会長。
内閣総理大臣(第92代)、副総理兼財務大臣(第17・18・19・20代)、内閣府特命担当大臣(金融)(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、デフレ脱却担当大臣(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、外務大臣(第132・133代)、総務大臣(第3・4・5代)、国民スポーツ担当大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、情報通信技術(IT)担当大臣(第2次森改造内閣)、経済財政政策担当大臣(第2代)、経済企画庁長官(第53代)、文部政務次官(竹下改造内閣)、衆議院財政構造改革特別委員長、衆議院外務委員長、衆議院石炭対策特別委員長、自由民主党総裁(第23代)、自由民主党副総裁(第17代)、自由民主党幹事長(第44・46代)、自由民主党政務調査会長(第44代)、自由民主党経理局長を歴任した[1][2]。
1976年モントリオールオリンピックの射撃競技のクレー射撃・スキートにて日本代表で出場したオリンピック選手でもあり、日本クレー射撃協会の第11代会長を務めた。
概説
[編集]学習院初等科、学習院中・高等科を経て、学習院大学政経学部を卒業後、麻生産業に入社し、麻生セメント(現、株式会社麻生[注釈 1])の社長や日本青年会議所の会頭などを経て、1979年(昭和54年)衆議院選挙に初当選。以後、1983年(昭和58年)の落選を除き、当選回数15回を数える。相続した自宅は25億円など政界有数の資金力を有する[3]。
経済企画庁長官(第53代)、経済財政政策担当大臣(第2代)、自由民主党政務調査会長、総務大臣(第3代・第4代・第5代)、外務大臣(第137代・第138代)、自由民主党幹事長を経て2008年自由民主党総裁選挙により、第23代自由民主党総裁に選出され、第92代内閣総理大臣に就任した。
第2次安倍内閣で副総理兼財務大臣兼金融担当大臣として入閣した。首相経験者の入閣は幣原喜重郎、宮澤喜一、橋本龍太郎に続き、戦後4人目[注釈 2]。
1976年モントリオールオリンピッククレー射撃(クレー、スキート競技)日本代表[4][5][6](41位)。弟の麻生泰は、学校法人麻生塾や麻生セメントなどを傘下に持つ麻生グループ代表である。また、皇族の寬仁親王妃信子は実妹にあたる。
来歴
[編集]福岡県飯塚市に麻生太賀吉・和子の長男として生まれる。高祖父が大久保利通、祖父が吉田茂元首相、義父が鈴木善幸元首相、妹が皇族の寬仁親王妃信子という血脈を持つ。小学3年生のころ上京し、学習院初等科に編入。学習院中・高等科を経て、学習院大学政経学部を卒業。大学在学中は射撃部に所属し、射撃の腕を磨いた。
世界での事業
[編集]父親と親交があった水野成夫が経営する産業経済新聞社の試験を受けるも海外留学を選び[7]、帰国後は、1966年に実家の麻生産業(「株式会社麻生」の初期の中核企業、後に清算)に入社し、1960年代後半にブラジル、サンパウロに1年近く駐在していたことがあると本人は語っている[注釈 3]。
その後、1970年から2年間に渡ってシエラレオネにて、同国のダイヤモンド産業国有化政策実施後に地元有力者から鉱区の提供を受けた麻生家の現地駐在員として、ダイヤモンド採掘業に従事していた[注釈 4][注釈 5]。
帰国後
[編集]1973年にセメント事業の分社化の後にグループ中核企業となった麻生セメント(現・株式会社麻生)の代表取締役社長に就任する[8][9]。これにより炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代に社長業の傍ら、1976年モントリオールオリンピックにスキート射撃の日本代表選手として出場し、41位の結果となっている[10]。
政界入り
[編集]1979年10月、第35回衆議院議員総選挙に旧福岡2区(現:福岡8区)から出馬、4位(定員5名)で初当選し政界入りする。(当選同期に亀井静香、保利耕輔、船田元、丹羽雄哉、岸田文武、吹田愰、小里貞利など)1982年、自民党青年局局長に就任。
2期務めた後、いわゆる田中判決解散後に行われ自民党が過半数割れした第37回衆議院議員総選挙で5位当選した共産党候補小沢和秋に2600票余り及ばず次点となり落選する。[注釈 6] その後第38回衆議院議員総選挙で2位の社会党候補に3万6000票余りの差をつけトップ当選し国政に復帰して以降、現在まで全ての総選挙で選挙区当選している。宏池会に所属。
1996年には第2次橋本内閣の経済企画庁長官に就任し、初入閣。1999年1月、党内で長年所属した宏池会を離脱、河野洋平を会長とする大勇会(河野グループ)の旗揚げに参加。
2001年1月、不祥事により引責辞任した額賀福志郎の後任で、経済財政政策担当大臣、情報通信技術(IT)担当大臣、新千年紀記念行事担当大臣に就任。4月、2001年自由民主党総裁選挙に出馬し、小泉純一郎・橋本龍太郎・亀井静香と戦い31票で3位。その後発足した小泉政権では党政務調査会長を務め、その後は総務大臣や外務大臣などを務める。
2004年9月、国民年金保険料未払い期間があったことが判明している(1996年11月から2000年9月までの3年10か月間。経済企画庁長官就任時、国民年金への切り替えを忘れたため[11])。「未納三兄弟」と呼称されたうちの1人である。
2006年9月、2006年自由民主党総裁選挙に立候補するも当時の内閣官房長官安倍晋三に敗れる(安倍:464票 麻生:136票 谷垣禎一:102票)。安倍新総理の下、引き続き外務大臣を務め、12月、河野グループが解散し、新たに為公会(麻生派)を結成、会長に就任する。
2007年3月20日、衆議院議員在職25年を迎え、衆議院より院議をもって表彰された。同年8月の内閣改造及び党役員人事で、幹事長に就任したが、ほどなく安倍が退陣を表明。9月、2007年自由民主党総裁選挙に立候補し、党員票では福田康夫を僅差で上回ったが、133票差で敗れ(福田:330票 麻生:197票)、1か月で幹事長の座を退く。
総理大臣に就任
[編集]翌2008年8月、再び幹事長に就任するも、またしてもひと月後に、総理・総裁の福田が退陣を表明。同年9月の2008年自由民主党総裁選挙に4度目の立候補をし351票を獲得。自民党総裁に就任する。9月24日、第92代内閣総理大臣に就任。麻生内閣を組閣する[12]。首相就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた[13]。
2009年8月1日、1977年に横田めぐみが北朝鮮工作員に拉致されたとされる新潟市内の現場周辺を、現職首相として初めて視察した[14]。
下野へ
[編集]2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙で自由民主党が惨敗、衆議院第1党の座から転落。同日夜に退陣を表明。9月16日午前、内閣総辞職・首相指名選挙前に自由民主党総裁を辞任[注釈 7]。同日午前の閣議にて内閣総辞職を決定。同選挙で300を超える議席を獲得した民主党代表の鳩山由紀夫に政権を明け渡すこととなった。麻生は第二次世界大戦終結以前に生まれた最後の内閣総理大臣となった。
野党時代の2012年自由民主党総裁選挙では続投を表明していた谷垣禎一総裁に造反する形で出馬した幹事長の石原伸晃を批判して安倍晋三を支持した。
政権奪還後
[編集]2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で自民党が政権を奪還。まもなく成立した第2次安倍内閣では副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融)として再入閣した。首相経験者の入閣は第2次森改造内閣(中央省庁再編後)に宮澤喜一が財務大臣、橋本龍太郎が沖縄及び北方対策担当大臣兼行政改革担当大臣として入閣した時以来となる。また、首相経験者が副総理として再入閣するのは第1次吉田内閣の幣原喜重郎以来である。また、内閣総理大臣退任後に財務大臣に就任したのは宮澤喜一以来2人目である。
2017年7月、為公会が番町政策研究所などと合流し志公会(麻生派)が発足、会長に就任[15]。
2020年7月16日、新型コロナウイルスの感染拡大の中、3000人もの出席者を集めて政治資金パーティーを行った[16][17]。
2021年10月4日、第1次岸田内閣発足に伴い、副総理兼財務大臣兼金融担当大臣を退任。財務大臣としての在任期間は戦後最長となった。また、同月8日に自由民主党副総裁に就任した。
同年10月22日、中曽根康弘世界平和研究所の会長に就任した[18]。
2024年9月30日、石破茂総裁の下、党最高顧問に就任した[19]。同職の設置は中曽根康弘元首相が1994年に退任して以来、およそ30年ぶり[20]。
年譜
[編集]- 1940年(昭和15年)9月20日 - 福岡県飯塚市に生まれる。
- 1947年(昭和22年)4月 - 自身専用の学校である麻生塾小学校(現在は閉校)に入学。
- その後、小学3年生のころに上京し、学習院初等科に編入する。
- 1959年(昭和34年)3月 - 学習院高等科卒業。
- 1963年(昭和38年)
- 1966年(昭和41年)
- 1973年(昭和48年)5月 - 麻生セメント株式会社の代表取締役社長(1979年12月まで)。
- 1976年(昭和51年)7月 - モントリオールオリンピックにクレー射撃日本代表として出場。
- 1978年(昭和53年)1月 - 社団法人日本青年会議所の会頭に就任(1978年12月まで)。
- 1979年(昭和54年)10月 - 第35回衆議院議員総選挙に旧福岡2区(現福岡8区)から出馬し初当選。
- 1983年(昭和58年)
- 1985年(昭和60年)12月26日 - 九州工業大学の情報工学部の創設が大蔵省から認可され[21]、飯塚市へ国立大学を誘致する。
- 1986年(昭和61年)7月6日 - 第38回衆議院議員総選挙で返り咲き当選(3期目・134,179票)同区の同じ自民党候補に木曜クラブ新人で後に経世会旗揚げや新党さきがけ結成に参加する三原朝彦。以降第50回衆議院議員総選挙まで13回連続当選。
- 1988年(昭和63年)12月 - 文部政務次官に就任(1989年6月まで)}[22]。
- 1990年(平成2年)3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。
- 1991年(平成3年)
- 1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。
- 11月 - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。
- 1992年(平成4年)12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。
- 1996年(平成8年)11月 - 経済企画庁長官に就任(1997年9月まで)。
- 1997年(平成9年)9月 - 日本会議国会議員懇談会第2代会長に就任(2003年9月まで)。
- 1999年(平成11年)3月 - 党副幹事長に就任(1999年11月まで)。
- 2001年(平成13年)
- 1月 - 経済財政政策担当大臣、情報通信技術(IT)担当大臣、新千年紀記念行事担当大臣に就任(2001年4月まで)。
- 4月 - 自民党総裁選に初出馬。4月24日投開票。4人中3位(1位は小泉純一郎だった)。
- 4月 - 党政務調査会長(2003年9月まで)。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)9月 - 国民スポーツ担当大臣を兼任(小泉内閣)。
- 2005年(平成17年)10月 - 外務大臣に就任(小泉内閣)。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)6月9日 - 自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)の最高顧問に就任。
- 2012年(平成24年)12月26日 - 野田内閣 (第3次改造)総辞職に伴い民主党政権終了、自民党の政権復帰(公明党との連立)を受けて、副総理、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融担当)、デフレ脱却担当大臣に就任(第2次安倍内閣)。
- 2015年(平成27年)5月21日 - 副総理としての連続在任期間が876日となり、林譲治を超え、戦後歴代一位となる[23]。
- 2016年(平成28年)9月9日 - 財務大臣としての連続在任期間が1354日となり、大蔵大臣時も含め、池田勇人を超え、戦後歴代一位となる[24]。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)
- 2024年(令和6年)
人物
[編集]人物像
[編集]首相官邸プロフィールによると公称サイズは、身長175 cm(ただし、『1975年度 日本体育協会スポーツ科学研究報告集』のモントリオールオリンピック大会クレー射撃男子代表選手の身長欄によると35歳時点で172.2cm)、体重70 kg。名門の一族に育ち、財閥の元社長でもあるが、本人は「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と語っている。口の左端が下がり気味なため雑誌などの似顔絵ではへの字に描かれることが多い。べらんめえ調の軽妙な語り口と歯に衣着せぬ発言で、街頭演説などで聴衆の人気を博す。周囲からは、「明るく気さくな人柄で、親しく付き合えば一方で魅力が伝わる人物」と認識されており、その人柄を評して「半径2メートルの男」とも呼ばれる[27][28]。
海外留学などの経験から、英語が堪能であり、海外などの公務で媒体の登場時は通訳を介さずに自身の英語で直接スピーチを行っている。内閣総理大臣就任後、アメリカ合衆国大統領バラク・オバマとも2人で会談している。
2013年の財務大臣・中央銀行総裁会議では襟元に毛皮がついた黒のロングコート、斜めにかぶった黒のボルサリーノ帽、淡い水色のマフラー姿をして『ウォール・ストリート・ジャーナル』は「ギャング・スタイル」と評した[29]。
信仰
[編集]原敬、高橋是清、片山哲、鳩山一郎、大平正芳、祖父の吉田茂に加えて、7人目のクリスチャン首相であった[30]。
靖國神社への参拝も行っている[31](総理在任時には参拝していない)。また、靖国神社の非宗教法人化を提唱している[32]。終戦の日の8月15日ではなく、春秋の例大祭に合わせて参拝している[31]。
内閣総理大臣在任中の2009年(平成21年)1月4日、伊勢神宮に参拝した。また、神道政治連盟国会議員懇談会の名誉顧問でもある。
資産
[編集]政界きっての資産家であり、内閣発足時に発表される閣僚資産公開では常にトップである[33][34]。最新の2020年時点においても、自宅のある東京都渋谷区(25億円)や別荘のある長野県軽井沢町に所有する不動産などで総資産は6億4845万円で、菅内閣ではトップであった[35]。
クレー射撃
[編集]大学時代からクレー射撃を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。1974年に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。1974年アジア競技大会では金1つ、銀1つを獲得。1976年モントリオールオリンピック日本代表に選出されるが41位に終わる。それ以来クレー射撃は封印し、以後一度も引き金を引いていない[36]。2000年5月には日本クレー射撃協会会長に就任した。
漫画
[編集]喫煙
[編集]- 喫煙者であり、40歳のころから葉巻を吸っている。受動喫煙については「嫌な人がおられたらなるべくその人とつきあわないか、吸わないか」と述べている[39]。
- 大臣執務室は麻生自身の判断で禁煙にしておらず、喫煙可能である[40][41]。
内閣総理大臣としての評価
[編集]- 『産経新聞』は、「あえてここで首相の肩を持ちたい。」と前置きした上で、「麻生政権は外交・内政ともに政策面で大きな瑕疵はなく、少なくとも及第点は与えられるのではないか」とした[42]。
- 『プレジデント』誌は、「存在自体に華があり、その華が首相時代には「軽さ」と見られ、バー通いや些細な失言でメディアに足をすくわれた。」としている[43]。
- 御厨貴は「党内では造反者が続出。打つ手が悉く外れた政権だったとしか言いようがありません。」と評している[44]。
家庭連合(旧:統一教会)との関係
[編集]- 過去に世界平和統一家庭連合機関紙の思想新聞に名刺広告を出している[45]。
- 家庭連合の関連団体「国際勝共連合」が1986年と1990年の機関紙「思想新聞」で、反共の運動に同調する「勝共推進議員」の名簿を掲載した中に、麻生の名があった[46]。
- 2011年5月10日付の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)系の日刊紙「ワシントン・タイムズ」に、妻・千賀子や安倍晋三らと共に全面意見広告を掲載。
- 家庭連合系グループ事業の一環である日韓トンネル研究会では顧問を務める[47]
- 霊感商法などの問題を受け、2022年8月31日、自民党の役員会で、党と旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)との関係を断絶する方針を決定したが[48]、その後の2023年5月26日、麻生がビデオメッセージを送った憲法改正をテーマにしたイベント「安倍晋三名誉会長を偲び、新しい憲法を制定する推進大会」に旧統一教会の信者が多数参加、会場準備のボランティアとして携わっていたことが判明した[49]。統一教会の信者の間で「この大会には毎年、世界平和連合として動員協力をしており、今年も摂理機関本部関係で50名の動員を行うこととなりました」という文書が回されていた[50]。2023年の大会には、少なくともUPF(天宙平和連合)の幹部や事務局、統一教会の元婦人部長、統一教会の協会長、本部関係の人、3人の国際勝共連合関係者らが参加していた[50]。
経済政策
[編集]野村総合研究所の主席研究員であるエコノミストのリチャード・クーが「経済政策の理論的支柱」として麻生の財政出動を中心とする政策作りに協力していると朝日新聞で報道されている[51]。
首相時代は定額減税や公共事業を中心とする財政出動に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも景気対策の優先を提唱し[52]、財政健全化を目指した小泉政権の構造改革路線を見直し、「基礎的財政収支(プライマリーバランス)の11年度黒字化目標」の延期に言及していた[53]。
消費税の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」[54] として消費税増税を示唆したが、2008年9月に世界的な金融危機が発生すると「消費税増税を早期に行えば、著しく景気を冷やす」として、当面の増税を見送ると述べる一方で、2011年以降に10%(パーセント)を超える水準まで消費税を引き上げる意向を示した[55]。第二次安倍政権では財務省の代弁者として消費増税を訴えたが最終的には首相判断に従い増税延期を了承した[56]。
労働問題に対しては、「企業の生産活動で得られた付加価値の分配は個々の企業が判断する」と述べ、企業の給与体系に対して国家が介入することに否定的な見解を示した[57]。
首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、道路、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興のために公共事業が必要との考えを示している[58]。また、「(地方の)医療、介護が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路交通網の整備による緊急医療体制の充実を主張している[59]。一方で地方自治体に対し、地方公務員の給与削減を要請している[60]。
内閣総理大臣就任後の主な景気対策
[編集]2008年(平成20年)10月30日には、リーマンショック以降の世界的な金融危機と景気低迷への対策として事業総額26兆9000億円の追加経済対策を発表。2度の補正予算と2009年(平成21年)度予算の"3段ロケット"として、最終的には75兆円の景気対策を実施した。
主なものとして、
- 定額給付金の支給(1人1万2000円、65歳以上・18歳以下は1人2万円)
- 高速道路料金の普通車・軽自動車でETC搭載車限定での、土・日・祝日最高1000円のETC割引制度
- 東京湾アクアラインの料金を普通車800円に値下げ
- エコカー減税・エコカー補助金
- 家電エコポイント制度(冷蔵庫・薄型テレビ・エアコン)の実施
- 住宅ローン減税(過去最高600万円の減税)
- 妊婦検診の無料化(5回→14回)
- 出産育児一時金の増額(全国一律に4万円引き上げ)
- 中小企業への支援(緊急保処枠6兆円、保証・貸出枠30兆円に拡大)
- 雇用保険料の引き下げ(標準世帯で年額約2万円)
などである。
エコカー減税や家電エコポイント制度は鳩山由紀夫内閣にも引き継がれた。
定額給付金について
[編集]小渕内閣の地域振興券とよく似た、2兆円を超える定額給付金(「4人家族で6万円程度になる」としている。実際は一人1万2000円を給付)を全世帯に支給した。この政策については、以下の通り評価が分かれている。
- 否定的な評価としては、毎日新聞が過去の「地域振興券」が消費ではなく貯蓄に回ったことから、この政策も「景気を浮揚させる効果は期待できない」との見方を示し[61]、11月26日に開催された全国町村長大会では定額給付金を巡る不満が噴出していると報道した[注釈 10]。
- 肯定的な評価としては、経済協力開発機構(OECD)経済局のシニアエコノミスト、ランダル・ジョーンズが「即効性がある最も有効な措置」 だとの見方を示した[62]。
定額給付金の成果については、消費拡大に一定の効果を生み、家具や家電などの購買を促進させるなど、新たな消費を生むきっかけになったと麻生の総理大臣退任後に報道された[63][64][65]。
第2次安倍内閣財務大臣として
[編集]法人税引き下げ慎重論
[編集]効果の期待できない法人税の引き下げではなく、投資減税により景気刺激を行なっていくべきとした[66]。これに対し、2013年7月の政府税制調査会で、一橋大学特任教授の田近栄治委員からは、法人税収入に占める製造業の割合が26 %程度に低下しており、「製造業が日本の法人税を担う時代は終わった。」とし、法人税の法定実効税率を35 %から30 %へ引き下げすべきとの主張が出された[67]。また、2014年5月16日には大田弘子委員が座長を務める政府税制調査会法人課税ディスカッション・グループで、「法人税率の引き下げは避けて通れない」とする改革案の確認が行われた[68]。同年6月3日には麻生も「責任ある代替財源が示されるのであればいい。」と、初めて実効税率引下げを容認し、骨太の方針にも盛り込まれることとなった[69]。
公的年金の運用
[編集]2013年5月18日、麻生は札幌で次のように講演した。「『株価が上がっても株は持ってないので関係ない』という人もいると思うが、年金は株式の運用で成り立っている。7月に年金の運用状況が出てくるが、ウン兆円の黒字になる」[70]。
第3次安倍内閣財務大臣として
[編集]2015年3月26日、麻生は2012年度末に304兆円あった民間企業の内部留保が1年間で328兆円まで約24兆円増えたことに触れ、デフレでなければ配当とか賃金とか設備投資に回らなければならないとした[71]。後にメガバンクの配当引き上げが報じられた[72]。
外交政策
[編集]「価値の外交」を重視した。特に、日本が非欧米圏でそれら価値の先駆者であることに着目した上で、北東アジアから、東南アジアを経て、インド、中東、中央アジア、中・東欧にかけての「弧」上にある国との間で、日本がリーダーシップをとってこれら価値を共有し、「弧」地域全体の繁栄に貢献する、その結果として経済や安全保障などで日本も国益を享受するという「自由と繁栄の弧」を外交の基本方針としている[73]。著書『とてつもない日本[74]』では、民主化支援、法律の整備や法律家人材育成に日本の制度や経験を活かす法整備支援などのほか、自衛隊のPKO活動、カンボジアのカンボジア特別法廷上級審裁判官としての野口元郎の派遣、自身の思い入れのある漫画も含めた日本文化を通じた交流も、その具体的施策として位置付け、重視する姿勢を示した。
第1次安倍内閣の「自由と繁栄の弧」構想は民主主義や法の支配などの価値を共有しているとはいえない中華人民共和国の反発を招くとの批判もあった。日本の国際的存在感の低下、尖閣諸島問題に象徴される日中間の力関係の変化という新たな国際情勢のもと、中華人民共和国との正面衝突を回避しつつ、アジアにおけるパワーバランスを適正に保ち、アジア及び世界の安定と発展に寄与する外交政策であるとの評価されている[75]。
第2次安倍内閣の副総理兼財務大臣としても、最初の外遊先として、民主化や法の支配を急速に進めるミャンマーを選んだ[76]。この点、第2次安倍内閣では、安倍晋三首相、麻生太郎副首相兼財務大臣に加え、元の企画・立案者とされる谷内正太郎元外務事務次官も内閣官房参与となったため、「自由と繁栄の弧」が外交の基本方針として復活するとの指摘もある[77]。
韓国
[編集]韓国に対しては、日韓議員連盟の副会長も務めており、首相在任中は、日韓シャトル外交を定着させるなど日韓の親善に尽力した。麻生が議長を務める夢実現21世紀会議の「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて日韓トンネルの実現に向けた政策提言を発表していることが2003年に自民党機関紙で伝えられた。2007年1月26日に「日本と韓国は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な民主主義国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます」と述べている。また、2005年12月25日の韓国の大手メディアである『中央日報』のインタビューで、「韓国に一年に2度ずつ計40-50回ほど行っているが、私が知っているかぎり今の両国関係が最も良いのではないかと思う。それは韓国の生活水準が良くなり、自信をつけているためと思われる。サムスンだけでなく、韓国製品が非常に良くなった」と発言している。
中華人民共和国
[編集]2008年10月24日、北京市の人民大会堂で開かれた「日中平和友好条約締結30周年記念レセプション」に内閣総理大臣として参加し「『友好』というお題目のため遠慮する関係ではなく切磋琢磨して協力していくことこそ真の戦略的互恵関係」と挨拶し、日中が競い合うことで「共益」を実現し、両国関係強化につなげる方針を打ち出した。2009年4月の日中首脳会談では、麻生が中華人民共和国への核軍縮を求め、温家宝首相が歴史認識問題を追及したため緊迫したが、日本が中華人民共和国の環境汚染や廃棄物対策に協力する「日中環境・省エネルギー総合協力プラン」で合意したほか、羽田 ― 北京間の定期チャーター便を開設することや、閣僚級による中日経済ハイレベル対話を日本で開催することを決定した。また、「日中韓の経済はドイツ・イギリス・フランスの合計も上回る」として中韓との経済協力強化を打ち出し[78]、麻生の地元でかつ中韓からも近い福岡県太宰府市の九州国立博物館で第一回日中韓首脳会談を開催して「三国間パートナーシップに関する共同声明」に署名した。
中華民国(台湾)
[編集]親台派として知られ、総理大臣退任後も台湾政界に太い人脈を持つ[79]。参議院予算委員会で「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家であり、日本と価値観を共有する国」と発言し、中華人民共和国のマスメディアから「日本の外相が『台湾は国家』と発言」と非難され、中華民国国内からは絶賛されたこともある。
2021年7月5日、中国が台湾に侵攻した場合、日本政府が安全保障関連法の定める「存立危機事態」に認定して、限定的な集団的自衛権を行使する可能性があるとの認識を示し、「(台湾で)大きな問題が起きると、存立危機事態に関係してくると言って全くおかしくない。そうなると、日米で一緒に台湾の防衛をしなければならない」と述べた[80]。
インドとの安全保障協力共同宣言
[編集]麻生の内閣総理大臣就任後の2008年10月21日から23日にかけて、インドの首相マンモハン・シンが日本を訪れた。麻生はシンとの首脳会談に臨み、外交と防衛における対話、船舶の安全航行などの協力について合意した。その後、両者は国際問題に関する情報交換、船舶の安全航行、テロとの戦いを骨子とする「安全保障協力に関する共同宣言」、日本とインドのあいだで合意済みの諸事項の一層の促進を求める「戦略的グローバルパートナーシップの前進に関する共同声明」に署名。麻生はこの会談で日本とインドの経済関係の促進に前向きの姿勢を見せ、デリー - ムンバイ間の貨物鉄道建設計画に総額4500億円の円借款を供与することを伝えた。麻生はシンに対し、NPTに未加盟のインドに対する原子力協力分野での協力について慎重な日本の立場を説明した。経済連携協定交渉については、早期妥結を目指すことで一致した。麻生との共同記者会見の席でシンは、意見交換を行った22日の首脳会談を「非常に生産的で充実したものであった」とした。シンは麻生に対して「古くからのそして非常に尊敬すべきインドの友人」と述べ、2年の間に首相として2度来日したことについて「2年の間に2度来日しているという事実が、インドが日本との関係をいかに重視しているかを表している」と強調した[81][82][83]。
北方領土問題
[編集]2006年12月13日の衆議院外務委員会において、北方領土問題を解決するために、北方4島(択捉、国後、色丹、歯舞)全体の面積を2等分して、半分をロシア連邦に譲ることにより解決を目指す考えを示した[84]。これは元首相の海部俊樹から「北方領土の返還は党是だ。党の基本問題として守るべきものは守ってきちっとやってほしい」と批判された。
また、2009年2月に州内のコルサコフ近郊で行われたサハリンプロジェクトの一つサハリン2のLNG工場稼働式典に合わせ、日本の首相としてはかつての領有時代を含めて初めてサハリン州を訪問し、ロシアのドミートリー・メドヴェージェフ大統領と会談した。日本政府の公式見解では「所属未定地」となっている南樺太(サハリン南部)での会談には一部の有識者から批判が提起され[85]、日本では鳩山邦夫総務相が国会答弁で「正直、実に微妙な問題だなと思う」と感想を述べた[86]。これについては北方領土問題とは異なり、南樺太については、ロシアが実効支配していることについてロシア以外のいかなる国の政府も領有権の主張を行っておらず、領有権を放棄した日本政府も異議を唱える立場にはなく、2001年にはサハリン州ユジノサハリンスクに総領事館を設置して、ロシアの実効支配を前提とした日常業務を行っている事もあり、訪問への反対運動は広がりを見せなかった。
開発途上国への政府開発援助
[編集]政府開発援助 (ODA) には積極的な姿勢を取っている。2007年1月26日、「ODAは、我が国外交の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。「自由と繁栄の弧」形成のためにも、ODAを活用していきます。そのうえで、ODA事業量の100億ドルの積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります」と述べた[87]。
核武装論
[編集]2006年10月、自民党政調会長(当時)の中川昭一が「核武装論も選択肢として考えておくべき」と発言したことで一部から非難を受ける。麻生は非核三原則の堅持を前提と明言しつつも、「隣の国が持つとなったときに、1つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と発言した。この発言が原因で、12月に民主党、社民党、共産党ら4党から外相としての不信任決議案を提出された。
2009年11月23日、総理大臣時代に、日本に対するアメリカ合衆国の「核の傘」堅持のため、米議会が中期的な核戦略検討のために設置した「戦略態勢委員会」に働きかけを行っていたことがわかった[88]。
インテリジェンス
[編集]諜報機関や国家運営に必要な情報収集能力を「インテリジェンス」と呼ぶ。麻生は英米のインテリジェンスを次のように比べた。イギリスはMI6(現SIS)と外務省の2つのインテリジェンスがある。英首相は2つを競合させる、つまり真贋を見分けて最終判断を下す機会を持ち、判断の政治的責任を引き受けている。他方、アメリカのインテリジェンスはCIAだけであり[注釈 11]、米大統領はインテリジェンスを競合させたり政治的責任をとったりできない。これは、イラク戦争の際に大量破壊兵器が存在すると誤認した構造要因だったと麻生は考えている。このような事実から、インテリジェンスの吟味が大事だという。この結論を手嶋龍一は高く評価した[注釈 12]。
日米貿易交渉
[編集]2016年アメリカ合衆国大統領選挙を勝ち抜いたドナルド・トランプ大統領は、就任直後より日本を含む貿易黒字を抱える国々に対し貿易不均衡の是正を求めた。2017年4月18日以降、麻生太郎副総理とマイク・ペンス副大統領による日米経済対話が二回開催されたが、アメリカ側の自由貿易協定交渉要求などを相応にさばいたためトランプ大統領は不満つのらせ、茂木敏充経済再生担当大臣とロバート・ライトハイザーアメリカ合衆国通商代表との日米貿易交渉 (2018年 - 2019年) へ移行した[89]。2019年4月25日、訪米中に行われたスティーブン・ムニューシン財務長官との会談の中で、新たな貿易協定に為替条項の導入するよう迫られるも「貿易政策と為替政策をリンクする議論には賛同しかねる」として反論したことが伝わっている[90]。
歴史認識
[編集]朝鮮、台湾に対しては肯定的側面もあったとする発言をしている。2003年5月31日、東京大学学園祭において「創氏改名は朝鮮人が望んだ」[注釈 13]、「日本はハングル普及に貢献した」と述べた(当該項目も参照)。また、2006年2月4日の福岡市での講演において、日本が植民地台湾の義務教育に力を入れたと指摘したうえで「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。
2007年(平成19年)3月21日、長崎県時津町で講演。日本独自の中東和平外交として、ヨルダン渓谷の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、機関銃撃ったとか1回もない」と述べた。
2006年(平成18年)5月26日、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『ナショナリズム』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた[91]。
2008年10月2日には日本の過去のアジア支配に対する反省と謝罪を明確にした「村山談話」について、「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」として麻生内閣でも、明確に堅持する方針を示した[92]。同年10月31日には航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄が旧大日本帝国軍の侵略行為を否定する論文を執筆していたことが判明したが、麻生は記者団に対して「個人的に出したとしても、立場が立場だから適切ではない」と述べた[93]。
麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる(2008年12月4日配信)」において、「1941年12月に第二次世界大戦が真珠湾攻撃で始まる」と書いたことについて、「1941年12月に始まったのは第二次世界大戦ではなく太平洋戦争である。この歴史認識は知性を疑われる恥知らずの間違い」として、新党日本の田中康夫から国会での謝罪と訂正を求める質問主意書が提出された[94]。
日本軍慰安婦問題
[編集]内閣総理大臣としては河野談話を踏襲することを表明したが、アメリカ合衆国下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について「客観的な事実にまったく基づいていない」と強い遺憾の意を示している[95]。麻生はまた、国連の自由権規約委員会が従軍慰安婦に対して日本政府に謝罪と補償などを行うよう勧告したときも、第171回国会において、内閣総理大臣として「この勧告は、法的拘束力を持つものではなく、市民的及び政治的権利に関する国際規約の締約国に対し、当該勧告に従うことを義務付けているものではないと理解している」と述べ、慰安婦に対して謝罪や賠償をする意思がないことを表明した[96]。麻生個人の見解としては、慰安婦問題をめぐる対日非難決議案は、日本と米国が緊密な関係になることを良しとしない第三国による日米離間工作であると見なしている[97]。
靖国神社問題
[編集]2006年(平成18年)8月8日付の朝日新聞朝刊にて『靖国にいやさかあれ』という論文を寄稿した[98]。
政治家の靖国神社問題については、政教分離が問われるなど一番の問題は靖国神社が宗教法人であることだとしており、2006年の総裁選では総理になった場合に靖国神社を非宗教法人化(国が関与できる特殊法人への移行)し、国立追悼施設にすることを公約に掲げた。2008年10月にも「神社という名前が問題なら、靖国廟でも招魂社でもいろんな形がある」として、非宗教法人化を支持する姿勢を示している[99]。
2006年には、「首相になった際には靖国参拝を自粛する」という考えを示していた[100]。2008年に首相に就任した直後には「行くとも行かないとも答えることはない」として曖昧な姿勢を見せている[101]。外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「中国が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはタバコを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。麻生本人は外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。
A級戦犯の分祀については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示している[102] が、靖国神社が宗教法人である限り政治の介入による分祀は厳に慎むべきであるとしている[103]。そのため、靖国問題の解決策に関しては、靖国神社の非宗教法人化を行い、国が関与できるようにしてA級戦犯を分祀することを「1つの方法」と発言し、「望ましい」として賛成している[104]。
2006年1月28日、愛知県名古屋市で行われた公明党議員の会合で、「英霊は『天皇陛下』のために『万歳』と言ったのであり、『首相万歳』と言ったのはゼロだ。天皇陛下が参拝(正確には「親拝」という)なさるのが一番だ」と述べ、「(天皇が)公人か私人かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えたが、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは、一切言ってない」と発言を修正し、釈明した[105]。
日本と韓国の緊張関係について、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。問題をあおって増幅させた」との考えを表明している。
2006年5月26日に都内のホテルで開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分がカタールで中韓の外務大臣と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意はできたが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した[106]。
首相在任中の2009年には「(靖国神社は)最も政治やマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものだ。もっと静かに祈る場所だ」[107] として、終戦の日に靖国神社参拝を行わない意向を示した[108]。
2009年10月17日には、首相在任中には参拝しなかった靖国神社に参拝した[31][109]。
制度改革
[編集]義務教育の短縮
[編集]教育基本法に関して麻生は、改正前の2002年に、「教育基本法には「国」という概念を明確に打ち出す必要がある。〔…〕「愛国心」を持つことの大切さを明示すべきなのだ」との見解を示していた[110]。また、「思い切って中学の義務教育をやめてもいいのではないだろうか」として、義務教育を9年から6年に短縮する構想を示した[110]。
これに対して高橋哲哉は「11歳か12歳で自分の人生に見きわめをつけよというのですから無理な話です」と述べ、この構想を批判している[111]。
憲法改正論議
[編集]2008年9月の国連総会での演説後、自衛隊の集団的自衛権の行使について「できるようにすべき」と憲法改正もある程度は必要との認識を持っている。2016年の西日本新聞のアンケートでは「国民的合意が得られるものから適宜行うべきだ」と回答している[112]。
国籍法改正
[編集]麻生内閣時代に国籍法改正について舵を取った。
選択的夫婦別姓制度
[編集]2016年の『西日本新聞』のアンケートでは、選択的夫婦別姓制度導入について、「結婚したら全員が夫婦同姓にすべき」としている[112]。一方、野田聖子は麻生は選択的夫婦別姓制度導入に基本的に賛成である、と述べていた[113]。また、政策CPプロジェクト衆議院選挙2005プログラムでは「選択的夫婦別姓を認めるか」に対し「認めるが子供の姓はどちらかに統一する」と回答している[114]。
漫画の表現規制
[編集]漫画やアニメの表現規制強化を推進する立場を明確にしている。松江市教育委員会によって『はだしのゲン』に閉架措置がとられた問題について「(はだしのゲンを)出たころ毎週の連載を読んでいましたけど、もっと禁止したほうがいい成人向け漫画がある。自民党でポルノコミックについて(規制を)やったときは「成人向けにすべきじゃない」とずいぶん反対があった。そういうもののほうが、もっと問題なんじゃないかね」と述べた[115]。1989年から発生した有害コミック騒動では規制強化の立場から自民党を代表して「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」の会長を務めたうえ、児童ポルノ禁止法についても法規制の必要性を主張している[116][117][118]。
健康増進法改正
[編集]自らも喫煙者であることから、受動喫煙防止を目的とした健康増進法改正案について反対している。
- 2017年2月20日の衆議院予算委員会において、本村賢太郎から「麻生氏といえばウイスキー片手に葉巻をくゆらせる姿が印象的で、とてもかっこいい。受動喫煙防止対策が進んでいくとシガーバーにも影響が出ると思う」と質問を受けたことに対し、「たばこが吸えないシガーバーには行かないようにしたい」と答えた[119]。
- 2017年2月21日の衆議院財務金融委員会において、「肺がん(の患者数)は間違いなく増えた。たばこってそんな関係あんのって色んな人に聞くんです」として、受動喫煙防止の必要性について疑問を呈した[120]。また、電子たばこについても、「国会で吸えるよう提案してみてはどうか。イライラがずいぶん収まって、激論もちょっとは減るんじゃないか」と主張した[120]。
政策・主張
[編集]派閥
[編集]当初は宏池会に所属したが、河野洋平の大勇会立ち上げに伴い離脱した。ハト派的な河野とは政治スタンスが異なるが信頼関係は深く、麻生にとっては首相時代に孤独を癒やしてくれる精神安定剤のような存在だったという[121]。
岸田自民党の副総裁として自民党の新フィクサーとなる[122]。
主な役職など
[編集]- 自民党たばこ議員連盟顧問[123][124]
- ボーイスカウト振興国会議員連盟(顧問)
- 日本青年会議所 (JC) 元会頭
- 社団法人日本クレー射撃協会会長
- 日伯国会議員連盟会長
- 日韓議員連盟副会長
- 日韓協力委員会会長代行[125]
- 日韓トンネル研究会九州支部顧問
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- 日本オリンピアンズ協会顧問
- 日本バスケットボール協会会長
- 神道政治連盟国会議員懇談会 名誉顧問[126]
- 日本会議国会議員懇談会特別顧問
- 自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)最高顧問
- 日華議員懇談会
- ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟
公明党との関係
[編集]麻生の2008年自民党総裁選出馬表明の直後には、公明党支持母体の創価学会婦人部・公明代表代行の浜四津敏子が異例のスピードで支持を表明した[127]。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党幹事長の北側一雄も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として明確な支持を表明している[128]。
神道との関係
[編集]麻生の信仰宗教はキリスト教(カトリック派)であるが、神道政治連盟(神社関係者などの神道の政治団体)から支援を受けている[要出典]。2009年(平成21年)12月9日には、神道政治連盟国会議員懇談会の名誉顧問に就任している[要出典](これはカトリック教会が政治活動をしないためであり、公職である政治家を司教や教会などが応援すると、カトリック教会の教義にあたる教会法第285条に抵触する為である[要出典])。
麻生グループ
[編集]麻生グループ関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の政治献金を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており政治資金規正法違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した[129][130]。
電力会社からの献金
[編集]東京電力や関連企業がパーティー券購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であったことが朝日新聞に報じられた[131]。
政治資金パーティー
[編集]外務大臣だった2007年6月、大規模な政治資金パーティーを自粛すると定めた大臣規範に反し、資金管理団体のパーティーを開催して約8470万円の収入を得ていたことが、政治資金収支報告書で分かった[132]。
衆議院議員初当選後
[編集]2001年以降
[編集]- 2003年9月11日の麻生も同席した自民党総務会において野中広務が、「〔2001年3月12日の〕大勇会の会合で被差別部落出身の野中広務に対する差別発言をした」と会合の出席者から聞いたとして、麻生を強く批判した[133][134]。麻生は発言を否定しているが、2001年の大勇会の会合に出席していた亀井久興衆議院議員は、麻生が「野中やら〔…〕は部落の人間だ。だからあんなのが総理になってどうするんだい」と発言したことを認めている[135][136]。→「野中広務 § 麻生太郎への批判」を参照
- 総務大臣在任中の2005年10月15日、この日に開館した九州国立博物館の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言。同博物館は選挙区は異なるものの麻生の地元である福岡県内にあり、展示内容は「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」である[137]。
2006年
[編集]- 2006年1月9日、福岡県飯塚市で開いた集会で、シドニーで予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「(イスラエルの)シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた[138]。
2007年
[編集]- 2007年7月19日、富山県高岡市内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」と発言。これについては野党からの反発だけでなく、与党からも参院選に悪影響だと懸念され、官房長官(当時)の塩崎恭久からも「適格性を欠く」と批判された。麻生は翌7月20日に謝罪したうえで撤回した[139]。
- 7月20日、アルツハイマー発言の翌日に鳥取県倉吉市での演説で「酒は『きちがい水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言した[140]
2008年・内閣総理大臣就任前
[編集]- 8月、首相(当時)の福田康夫は国会審議で民主党の協力が得られず、支持率も低迷し行き詰っていたことで内閣改造を行った。その際、福田政権発足時には入閣・党役員就任を固辞していた麻生も、党の危機であることから幹事長に就任した(福田康夫内閣改造内閣)。8月4日、参議院議長の江田五月を表敬訪問した際、ドイツでヴァイマル共和政末期に、ナチスが台頭した経緯に触れて危機感を示した。江田は麻生の見通しを否定し、互いにそうならないようにしなければならないと返した[141]。
- 9月14日、JR名古屋駅前での自民党総裁選の街頭所見発表会の発言の中で、前月に岡崎市など愛知県内で3人の死者を出した平成20年8月末豪雨に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送[142][143]。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した[144]。なお、平成23年台風第15号の豪雨で、名古屋市は河川が氾濫して洪水となり、88万人に対する避難指示が出される事態となった。
総理在任中
[編集]2008年9月
[編集]2008年11月
[編集]- 11月14日のワシントンでの同行記者団との懇談で、定額給付金について「給付なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」と発言した。多くの報道機関からは「定額給付金を受け取る国民はプライドが無いとも取れる」と解釈され、批判的な報道がなされた[146]。また、2008年12月6日長崎県諫早市で自民党長崎県連が主催した首相の演説会で演説し、定額給付金について「私はそんな金をもらいたくないという人はもらわなきゃいい。(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない」と発言した[147]。
- 11月20日、全国知事会議で「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言した。会議後、記者団に発言の真意を問われ、「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、申し訳ありません」と謝罪した。厚生労働大臣の舛添要一や、自民党の国会対策委員長の大島理森、元副総裁の山崎拓、税制調査会会長の津島雄二などに苦言を呈されたほか、内閣官房長官の河村建夫も不適切との認識を示した。中でも山崎は「『社会的に非常識だ』と社会的非常識な人(麻生)に言われたくない」と強い口調で批判した。翌日、日本医師会会長の唐沢祥人が、抗議のために首相官邸を訪れた。これに対して麻生は「誤解を与えているようで、不適切であり、撤回する」と述べた。日本医師会会員からは日本医師会執行部に対して「自民党支持をやめるべきだ」との抗議が続々と寄せられており、日本医師会は、次期衆院選への影響は避けられないとの見方を示した。その他に全国保険医団体連合会も声明を発表し、「麻生総理は行政府の長として失格」と痛烈に批判。茨城県医師会も「政治家として、いや社会人として持つべき常識すら欠如している」との抗議文を首相あてに送付した。民主党代表代行の菅直人からも「常識がないのは発言している総理の方では」と皮肉られた[148]。
- 11月20日の経済財政諮問会議において「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」と発言した。この発言は「だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る」と続き[149]、予防の奨励によって医療費の削減が期待できるとしたが、前半部分が「病気になるのは本人の不摂生(自己責任)のため」と受け止められ、また国民健康保険制度の概念を軽視する発言でもあるとして批判された。後に麻生は「病にある人の気分を害したなら、その点はおわびする」と陳謝した[150]。山崎拓、税制調査会長の津島雄二、前幹事長の伊吹文明、中山泰秀、渡辺喜美などが苦言を呈した。公明党代表の太田昭宏は不適切な発言との認識を示した。また、菅直人は「国民が、自国の首相を恥ずかしいと思う状況になっている」、国民新党の亀井静香は「社会保障とは何かということを根底からわかっていない。やっぱり太郎ちゃん、なっちゃいけなかったんだな」と批判した。河村建夫も「首相はああいう性格。いろんな発言はこれからもあるだろう」と発言した。
- 11月22日、訪問先のペルー・リマで、民主党代表の小沢一郎が、11月17日の党首会談で第2次補正予算案の審議・採決に応じる約束をほごにしたら「辞める」と発言したのに、後に否定したとして「この人の話、危ない。信用できなくなった」と発言、今国会提出を見送る考えを示した。小沢は「(会談後の記者会見で)『議員辞職するか』と聞かれたから『そんなことは言ってません』と言った」と説明。党首会談では「党内を説得できずに結果が違ったとしたら、党首としての責任を取ると言った」と反論した。さらに小沢は、麻生が「信用できない」と第2次補正予算案の今国会提出を見送る考えを示したことに対し、「僕の話で決めるレベルのことではない。厳しくなっている国民生活を政府がどうするかの問題だ」と批判し、「本当に首相として情けないというか、あまりにレベルが低い」と述べている[151]。
2008年12月
[編集]- 12月14日、『毎日新聞』は北九州エコタウン(北九州市)を視察し、「民間で銭にしちゃおう、『しのぎ』にしようというのがすごい」と発言し、暴力団の資金集めなどを指す時に使われることが多く品位に欠けるとの指摘もありうる問題発言として報道した[152]。
- 12月15日、参院決算委員会で健康増進策に関する質問に対して、自身の朝の散歩を挙げ「いい年こいて朝歩いているなんて、徘徊老人と間違われたりする時代があった。呼び止められたことが何回もありますから」と答弁したところ、首相官邸に詰めている記者団から「配慮に欠ける発言ではないか」と質問を受けると「どうして?何かよく分からない、言っている意味」と発言した[152]。
- 12月19日、ハローワーク渋谷(東京都渋谷区)を視察した。この際、失業し、再就職の相談に来て、「とにかく六本木などで働きたい」と発言していた若者に「今まで何してたんだ?新しい仕事というのは『これがやりたい』と言わないと、相談される方も『何かないですか』と言われても困る。何がやりたいか目的意識をはっきり出すようにしないと、就職というのは難しい」といったメッセージを送った。しかし、相談者は麻生の言葉を受け、「“何でもいいから仕事がほしい”というのが普通のこと。首相がそういうことを言うのはどうかと思う」、「職があれば良いというレベルです、私の場合は」、「今の不況の中では仕事を選べないところもあるから」とインタビューで答えた[153] ほか、鳩山由紀夫は麻生の言葉に対し、「誠に的はずれだ」「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそハローワークで探そうとしている」と批判した[154]。
- 12月25日夜、首相官邸で行われた閣僚との忘年会の席で、「わたしの発言でご迷惑をお掛けした。若干、発言に問題があったなあ」と照れながら陳謝したという[155]。
2009年
[編集]- 1月6日の会見において、定額給付金に関して「個人に給付されるものにもらえとかもらうなとか言えない。ぜひみなさんに使っていただきたい」と、所得制限を設けず全国民に受け取ってもらいたいという趣旨の発言をした。また、政府・与党としても「国会議員も積極的に受け取るべき」との見解を示した。前年に「12,000円もらう人はさもしい」などと高額所得者は受け取りを辞退するよう呼び掛けていただけに、今回正反対の考えを示したことには「コロコロ意見が変わる」と批判の声が出た[156]。
- 2月5日の予算委員会で「(小泉)内閣の一員として最終的に賛成したが、郵政民営化は賛成ではなかった」と発言し、野党だけでなく自民党内にも大きな波紋を広げた。
- 3月23日 - 麻生の相次ぐ失言に対し、河村建夫が記者会見にて「医者や株屋の話もあった。相手を傷つけない配慮はされるべきだ」[157]「バランス感覚を持って発言してもらうことは必要だ」[157] と批判した。
- 6月7日、東京都議会議員選挙での党勢の拡大を図り、麻生が各候補者への訪問や街頭演説を開始。麻生は東京都議会議員選挙をサッカーに喩えて党への支援を訴えたが「日本には(元日本代表の)中田英寿みたいなスーパースターはいない」[158]「日本のスーパー(スター)は天皇陛下ぐらい」[158] と発言。6月9日には立候補予定者の事務所を訪れた際、立候補予定者の子息に対して「おまえも後を継ぐのか。世襲頑張れ。親の後を継いで悪いことは何もない」[159] と発言。6月20日の立候補予定者事務所での挨拶では、2009年東京都議会議員選挙について「必勝を期して」と言うべきところを「惜敗を期して」[160] と発言し、驚いた東京2区の自民党支部長深谷隆司が「必勝です」[160] と指摘するが、訂正せず[161]。深谷が麻生に耳打ちするなど再三指摘したため「再び勝って、必勝を」[162] と発言内容を修正。静岡県知事選挙では麻生側が党推薦候補に対し応援を申し入れてきたため、選挙対策本部が富士市での演説を打診したところ、麻生側が浜松市や静岡市など人口の多い都市での開催を要求してきたため、選挙対策本部が麻生の来県を拒否した[163]。
- 7月25日 - 日本青年会議所の会合で「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働く事しか才能が無いと思って下さい。働く事に、絶対の能力がある。80歳過ぎて遊びを覚えても遅い。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になる」と発言し、毎日新聞系のマスコミから高齢者侮辱発言として批判された[164][165]。
- 8月23日 - 学生との対話集会にて、結婚生活には多額の費用がかかるため若年層が結婚するのが難しくそれが少子化の一因ではないか、との質問が出た。その質問に対し、麻生は「金がないなら結婚はしないものだ。うかつにしない方がいい」[166] と回答した。麻生発言の真意を問われ、河村は「表現は直截(ちょくせつ)的だが、むしろ若者の就職対策を進めなければいけないという裏返しの表現」[167] と説明した。またこの発言はBBC[168]、オーストラリア放送協会[169]AFP通信[170] などの各国のマスコミに「失言」と報道された。
副総理在任中
[編集]2013年
[編集]- 1月21日、社会保障制度改革国民会議第3回会合で終末期医療に関して、「チューブの人間だって、私は遺書を書いて『そういう必要はない。さっさと死ぬから』と手渡しているが、そういうことができないと死にませんもんね、なかなか」「いいかげんに死にたいと思っても生きられる。しかも、政府のお金で(終末期医療を)やってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」と発言し、すぐに適当でなかったとして発言を撤回した[171]。与野党から「TPOというものがある」「社会保障について本当に温かいまなざしで国民を見ているのか」などと批判された。23日には全日本年金者組合京都府本部が「政府が自立・自助を唱えてすすめている本音がでた」などとして抗議と要請の緊急決議を行った[172]。
- 7月29日、国家基本問題研究所の開いた憲法改正についてのセミナーで、「最近は左翼じゃないかと言われる」と前置きした上で、「憲法改正なんていう話は熱狂の中で決めてもらっては困る。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」という趣旨の発言を5度繰り返すなど、終始、改憲に消極的な発言を行った[173]。その中で改憲積極派に向けて、ナチス政権を引き合いに出し、「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法[注釈 14] に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。騒がないで、納得して変わっている。喧騒の中で決めないでほしい」[174] と発言した。
- セミナーでナチスに関連する発言をしたことを、読売新聞のWeb版が『ナチスの手口学んだら・・・憲法改正で麻生氏講演』という見出し記事で報じた[175]。その後、『改憲「狂騒、狂乱の中で決めるな」…麻生副総理』[176][177] と共同通信[178] が報じた。ナチスに関連した部分のみを見出しにした報道を端緒に、この発言は海外の一部メディア・ユダヤ系人権団体らが一斉に批判することになった[179][180][181][182]。7月30日、ユダヤ系人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センターが『Which 'Techniques' of the Nazis Can We 'Learn From'"?(一体どんな手口をナチスから学べると言うのか)』と題した声明を発表し、発言の真意を説明するよう促した[183][184]。また、同日、韓国外務省報道官は定例記者会見で、「侵略の被害を受けた周辺国の国民にどう映るかは明らかであり、多くの人を傷つける」と批判した[185][186]。翌31日には中国外務省の洪磊副報道局長が、「日本がどこに向かおうとしているのか、アジアの近隣諸国や国際社会の懸念と警戒を引き起こす」と批判した[187]。
- これらの批判や報道を受け、セミナーの主催者兼司会者でもあったジャーナリストの桜井良子は「朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言」(産経新聞2013.8.5「美しき勁き国へ」)[6] において、「朝日新聞はこのようにして事柄を歪曲していくのか。麻生発言を朝日新聞が報じる手口を眼前にしての、これが私自身の率直な感想である」と述べ、「(麻生は)改正論議の熱狂を戒めたが、私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないというメッセージと受けとめた」とした上で、「有り体に言って一連の発言は、『ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ』という反語的意味だと受けとめた」と述べた。そして「憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、朝日新聞は全く別の意味を持つものとして報じた」として、同紙天声人語が麻生が改憲に積極的だという前提で、「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習えということになってしまう」と書いたことや、朝日社説が「ある日気づいたら(中略)あの手口に学んだらどうかね」の部分だけを引用し、「普通に聞けば、ナチスの手法に学ぶべきだと言っているとしか受け止められない」と書いたことなどを、「朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした」と朝日新聞を批判した。ナチスに関連した発言は多くの国内外のメディアが批判することとなったが、桜井は「8月1日と2日、朝日の紙面は麻生発言で『熱狂』した。日によって1面の天声人語、社会面、社説を動員し、まさに全社あげてといってよい形で発言を批判した」と朝日の報道のみに言及した。
- 8月1日、麻生は「同研究会においては喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい」[188] と述べた。
- なお、ミュンヘンの公立現代史研究所のマグヌス・ブレヒトケン博士は「麻生氏の例えは驚くべき発言だ」と述べたうえで「ナチスが政権を握った1933年以降も、公式にはワイマール憲法は存続した。だがこの年、議会承認を経ずにヒトラーが法律を制定できる全権委任法が成立し、ナチス独裁体制が固まったことで、ワイマール憲法は事実上の効力を失った。ナチス自身は特に憲法を定めていない」と説明。麻生による「ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた」との発言は事実誤認と述べている[190]。→詳細は「ナチ党の権力掌握」を参照
誤読
[編集]麻生はマスコミに対して「質問に乗ってまた言うと、それをまた挑発のネタにされる。そっち(メディア)の飯の種になるかもしれないが、こっちはそういうことにならないから」と嘆いたが[注釈 15]、この発言も問題発言として紹介される状況であった[191]。
妻・千賀子は「米国発の金融危機が来て主人は景気対策のため本当に頑張りました。でも政策ではなく、政権交代という作られた流れの中で政局を問題視されました」「口が曲がってるとか、漢字が読めないとか。それと変な話をしたと。全体を見ればきちんとした話でも一つの単語が極端だったり、不用意だったり、そんなことだけが取り上げられました。人間失格のような印象すら作られ、私は本当に辛く、主人を可哀想に思いました。」と述懐している[192]。
「麻生前首相が資質を問われ始めたのは漢字の誤読が発覚してからだ(毎日新聞論説副委員長・与良正男)[193]」といわれるように、麻生が国会答弁の中で、踏襲を『ふしゅう』と読み間違えたことを朝日新聞が報じた[194]。
こうした報道について、自民党の細田博之幹事長は「麻生総理が字が読めないらしいと言って楽しんでいる。日本国の程度を表している。国民の程度かもしれない」と発言したが、この発言も非難の対象となり、細田は発言を謝罪した[195]。
マスコミなどの報道機関は、麻生の原稿の読み間違いについて批判し[196][197][198][199]、2009年1月20日の参院予算委員会では、麻生の漢字力を質すため、民主党の石井一副代表が『就中(なかんずく)』など12個の漢字を並べたボードを用意したが、麻生から「『窶し(やつし)』以外は普通に読める」と返された。
一方、2009年4月10日、麻生首相が皇室主催の祝賀会で読み上げた祝辞で「弥栄」を「いやさかえ」として読み上げたことが誤読としてマスコミ各社で報道された[200] が、「弥栄」には「いやさか」「いやさかえ」と2通りの読み方があるため、マスコミ側の誤読ではないかと話題となり、新聞各社が慌ててネットの掲載した記事を削除する騒動となった(特に「歴史的な誤読」と報じたTBSWEB多事争論は、編集委員の吉岡弘行が謝罪文を掲載する事態にまでなった)。(なお、麻生本人のブログでは、「弥栄」を「いやさか」と書いている[201]。)
日常生活・金銭面に関する逸話
[編集]総理在任中の麻生は、マスコミから「庶民感覚がない」と批判的な報道が繰り返し行われた[202]。
麻生は政財界の要人と帝国ホテルのバーなどで会合を行っていたが、メディアからは「庶民の感覚と懸け離れた贅沢をしている」と非難の対象となった[203]。
自宅
[編集]渋谷区神山町に、敷地面積2400平方メートル(25億円)の邸宅を所有している[204]。マスコミから「麻生御殿」と呼称されることがある[205]。
麻生の自宅を非難する団体が無届デモを行い、逮捕される事件も発生した(不起訴)。
その他
[編集]- 毎日新聞の金子秀敏は、小沢一郎が「今円高だから、済州島を買っちまえ。」と発言し、韓国から非難を受けた件[206] について、麻生が「こういう発想はとてもじゃないけど私には出てこない」と発言したことについて「もしかして麻生首相は、済州島の領有権を買うと勘違いしているのではないか。だとすると、発言した方より勘違いした方のレベルが気になる。小学生レベルの常識もないのではないか」と批判している[207]。
- 中央日報によると、民主党の藤田幸久は麻生鉱業が戦時中に連合国捕虜を虐待したと主張し、麻生に同意を求めたが、麻生が「当時4〜5歳で認識するには早すぎる」と返答したため、藤田は国会議員会館で『麻生鉱業捕虜使役問題に関する報告会』を開き、「麻生首相は“当時、4歳だった自分は何も知らない”と事実の確認を拒否してきたが、生存者(捕虜労働者の)と遺族は麻生首相の謝罪と個人賠償を望んでいる」と謝罪と賠償を要求した[208]。
選挙歴
[編集]当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 第35回衆議院議員総選挙 | 1979年10月 7日 | 39 | 旧福岡県第2区 | 自由民主党 | 7万1041票 | 12.88% | 5 | 4/9 | / |
当 | 第36回衆議院議員総選挙 | 1980年 6月22日 | 39 | 旧福岡県第2区 | 自由民主党 | 8万5826票 | 15.47% | 5 | 2/8 | / |
落 | 第37回衆議院議員総選挙 | 1983年12月18日 | 43 | 旧福岡県第2区 | 自由民主党 | 7万5412票 | 13.77% | 5 | 6/6 | / |
当 | 第38回衆議院議員総選挙 | 1986年 7月 6日 | 45 | 旧福岡県第2区 | 自由民主党 | 13万4179票 | 23.65% | 5 | 1/6 | / |
当 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年 2月18日 | 49 | 旧福岡県第2区 | 自由民主党 | 9万9876票 | 17.77% | 5 | 2/6 | / |
当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 7月18日 | 52 | 旧福岡県第2区 | 自由民主党 | 10万1080票 | 19.27% | 5 | 1/6 | / |
当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 56 | 福岡県第8区 | 自由民主党 | 11万4408票 | 50.49% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 59 | 福岡県第8区 | 自由民主党 | 12万178票 | 49.91% | 1 | 1/5 | / |
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 63 | 福岡県第8区 | 自由民主党 | 13万2646票 | 57.72% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 64 | 福岡県第8区 | 自由民主党 | 14万5229票 | 56.89% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 68 | 福岡県第8区 | 自由民主党 | 16万5327票 | 62.21% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 72 | 福岡県第8区 | 自由民主党 | 14万6712票 | 68.36% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 74 | 福岡県第8区 | 自由民主党 | 12万6684票 | 71.32% | 1 | 1/2 | / |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 77 | 福岡県第8区 | 自由民主党 | 13万5334票 | 72.23% | 1 | 1/2 | / |
当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 81 | 福岡県第8区 | 自由民主党 | 10万4924票 | 59.63% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 84 | 福岡県第8区 | 自由民主党 | 9万2534票 | 56.97% | 1 | 1/3 | / |
栄典
[編集]エピソード
[編集]学生時代
[編集]- アメリカのスタンフォード大学で大学院に在籍していた時、祖父の吉田茂がマッカーサー将軍の葬儀に参列し、その帰途サンフランシスコにいる麻生の所に赴いた。その時、アングロファイル(英国偏愛家)であった吉田は、麻生のカリフォルニア訛りのアメリカ英語が気に入らなかったらしく、東京に戻った際、吉田の娘であり、麻生の母にあたる和子に厳命し、直ちにスタンフォード大学から引っこ抜くように言いつけたという。その結果、もうすぐ修士号を取得しそうだったにも関わらず、イギリスのLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)へ送り出された。イギリスに送り出されたために、カリフォルニア訛りのアメリカ英語が、イギリス英語のコックニー訛りに変わったという[209]。
内閣総理大臣就任前
[編集]- 2001年(平成13年)
- 2001年の経済財政政策担当大臣在任期間中、「日本を裕福なユダヤ人が住みたいと思う国にしたい」と発言したことが報道された[210]。
- 2006年(平成18年)
- 9月17日、有楽町マリオン前での街頭演説では、熱心な麻生の追っかけに対して「女の子ならともかく、男に追いかけられるのは初めて。励みになるよ」と演説中に述べた[211]。翌18日に浅草でおこなった街頭演説では、「来た、見た、勝った」の文字をもじった『来た、見た、笑った! 麻生太郎』のゲートフラッグを掲げた者もいた[212]。
- 11月、外務大臣(当時)ニューヨーク・タイムズが太平洋戦争中における麻生鉱業の捕虜強制労働を報じた際に「事実が確認出来ない」と応え、在ニューヨーク総領事館にもウェブサイトでその旨反論させた。この反論はのちに2008年12月18日、裏づけとなる第一復員省まとめの公文書が厚生労働省で発見された事を受け削除されている[213]。
- 財務大臣(当時)の谷垣禎一との「安倍晋三首相に歯向かっても何もできない。だからオレと組め。その代わり、オレに総理を先にやらせろ」という会話があったと谷垣が述べたが、麻生はこれに対し、「こっちはまだ回答をもらっておらず、そういうこと(会話内容)を全然関係ないところでしゃべって、マナーとしていかがなもんか」と述べた[214]。
- 2007年(平成19年)
- 9月23日、自民党総裁選の投開票が行われたが、自民党本部前には正午から16時ごろまで「麻生」と書かれた紙やプラカードを持った300人ほどの支持者たちが集結し、「麻生!麻生!」とシュプレヒコールを上げ続けた[215]。この支持者の集まりを見た麻生太郎は 「多分、自民党員はゼロよ。2ちゃんねるで(スレッドが)立ったんだろうけど、永田町にあんなに人が集まるなんて例はない」と話し、感激した様子だった[215]。
- 10月6日、フジテレビ系列の情報番組であるハッケン!!でのインタビューで「2ちゃんねるに時々書き込みをしている。新聞より核心を突いてくる」と公言。これは2ちゃんねるユーザーの間でも話題になった[216]。→「渡邉哲也」も参照
- 2008年(平成20年)
内閣総理大臣就任後
[編集]- 2008年(平成20年)
- 9月、「総理大臣公邸に入居するのは解散総選挙を行った後」としており、総理大臣任命後も自宅から通勤していた。総理が自宅(東京都渋谷区)から官邸へ通勤するのは、宮沢喜一以来15年ぶり。
- 10月2日から麻生内閣メールマガジン「太郎ちゃんねる」を2009年まで配信し続けた(最終号は第44号、2009年9月3日)。創刊号では景気対策の必要性を主張したほか、「麻生内閣の一員になったつもりで忌憚のない意見を」と呼びかけている。内閣としては初の動画も用意した。
- 11月、麻生は日常会話でよく使われる漢字を演説で発音したり読み間違えたりすることが多かったと報じられた[219]。
- インターネット掲示板「2ちゃんねる」などで「麻生太郎にクリスマスカードを送ろう!」という応援の呼びかけが巻き起こり、麻生太郎首相あてに全国の支持者らから「頑張ってください」との激励のクリスマスカードが2008年12月15日までに衆議院の事務所に250通届いた[220]。これについて、麻生首相は「誠にありがたい。新聞記者の意見と全然違う」と喜んだ。
- 2009年(平成21年)
- 1月19日より、総理大臣公邸にて居住を始めた。
- 10月26日には総理総裁就任後初めて、秋葉原駅前にて自身3度目の街頭演説を行った際、2008年6月8日に起こった秋葉原無差別殺傷事件を取り上げ、「世の中が暗くなっている」と話し、「明るい世の中にしよう」と呼びかけた。また、麻生は中小企業、零細企業、地方銀行について触れ、従業員の最低賃金を上げることや、非正規雇用を正規雇用にし、その際の負担は政府が賄うということを話し、就任当時から語っている景気対策の必要性を主張した[221]。
- 11月19日、都内のホテルで開かれた私立幼稚園PTAの全国大会で挨拶した麻生は「家庭でしつける力がなくなってきた」と指摘したうえで、「じいさん、ばあさん、やかましいおやじさんの存在が薄くなってきたせいもあって、幼稚園で何とかしろと負担が掛かってきている。しつけるべきは母親だ」と批判した[222]。麻生は大会を「幼稚園の教員による会合」と勘違いしていたとされ、会場に園児の母親が多数出席していることに気づくと、批判のトーンを弱めている[223][224]。
- 動画サイトニコニコ動画内の自民党公式チャンネルにおいて、ニコニコ動画のマスコットキャラクター「ニコニコテレビ君」を、麻生の顔文字である「(゜⊿゜)」に置き換えた「タロビ」というキャラクターが生み出され、ユーザー内で話題となった[225]。
- 日本のソフトコンテンツ産業の向上のために、平成21年補正予算に「国立メディア芸術総合センター」の構想を練る[226]。
内閣総理大臣退任後
[編集]- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 4月19日放送のテレビ朝日の「ビートたけしのTVタックル」に出演した[228]。
- 6月9日、自民党本部8階で行われた、自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)の設立総会に出席。挨拶の際に『アサ ナマタロウではなくて、麻生太郎(あそう たろう)です』と発言した[229]。
- 9月28日、グランドプリンスホテル赤坂で行われた、中川昭一の一周忌「偲ぶ会」に出席。式辞の際に「『IMFに10兆円を出す』という決断が、リーマン・ショック後の世界経済の混乱を相当食い止めた。良い仕事をした時はマスコミは評価すべきだ。尖閣の様な、ふざけた話が起きた時(尖閣諸島中国漁船衝突事件)は、『日本の国を売るようなことは、止めるべきだ』と大きな声で批判すべき。中川氏が生きていたら、もっと大きな声で言っていたでしょう」と述べた[230]。
- 9月29日、東京国際フォーラムで行われた映画『SP THE MOTION PICTURE 野望篇』完成披露試写会に、特別ゲストとして出席。映画で登場したSPについて「あれだけ長時間追いかけられる人は、私に実際に付いた人たちの中でも中々居ない。大したもんだなと思いましたよ。警護術はきちんとしてたし、簡単に拳銃を抜かないし。『オレだったらそこで撃ってしまうけどな』と、思う場面もありましたよ」と述べた[231]。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2012年自由民主党総裁選挙の際、当時総裁だった谷垣禎一が続投を表明していたが、これに造反する形で出馬した石原伸晃に対し、9月13日の会見で「下克上とか平成の明智光秀(という)、ありがたくない冠をこの人は当分頂くことになる。私の人生哲学には合わない」「石原氏を支援する人の神経がよく分からない」と批判した[233]。
- 12月26日、民主党政権が終焉し野田内閣 (第3次改造)総辞職。公明党との連立政権で与党復帰して新たに成立した第2次安倍内閣に副総理兼財務大臣兼金融担当大臣として入閣。
- 2017年(平成29年)
- 9月23日、栃木県宇都宮市内のホテルで講演中、朝鮮半島有事で日本に大量に押し寄せる可能性のある難民への対応について触れた上で、「武装難民かもしれない。警察で対応できるか、自衛隊の防衛出動か、射殺ですか。真剣に考えた方がいい」と発言した[234]。
- 2019年(令和元年)
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)
- 10月25日、北海道小樽市での街頭演説で「昔、北海道のコメは『厄介道米(やっかいどうまい)』と言われるほど売れないコメだった。今はその北海道がやたら美味いコメを作るようになった。農家のおかげですか?農協の力ですか?違います。温度が上がったからです」「平均気温が2度上がったおかげで北海道のコメは美味しくなった。地球温暖化といえば悪い話しか書いてありませんが、温暖化でいいこともあります」「それを輸出している。これが現実です」などと述べた[237][238][239][240][241]。
- この発言に対して、野党などからは「品種改良の努力を踏みにじっている」などといった批判があがった。立憲民主党の枝野幸男代表は、麻生氏の発言に関して、「あまりにもデリカシーがなさ過ぎ、草の根の暮らしが分かっていない」「農家の皆さんを傷つけるもので、許しがたい」と批判した[242]。また、同党北海道連は、「農業関係者の長年にわたる努力を侮辱したもので、温暖化と結びつけるのは見当違いだ」と抗議した[243]。日本共産党の小池晃書記局長は、「温暖化で良くなったなどと言うのはあまりに危機感がない」と断罪した[244]。そしてれいわ新選組の山本太郎代表は、「自民党は農業を軽く扱っており、麻生氏は農業をなめている。即刻退場レベルの話だ」と非難した[242]。
- 与党内からも批判の声があがった。公明党の山口那津男代表は、「冗談じゃありませんよ」「温暖化だけでおいしくなるはずがないじゃありませんか。品種改良を重ね、水や土の管理をしっかりやった農家の努力があればこそ」と述べ、麻生発言を批判した[245]。加えて、「農家の努力に敬意を払ってもらいたい。それが与党の政治家の務めだ」と苦言を呈した[244]。
- 東京新聞は、この発言に関して、「やっと閣外に去ったというのに、党副総裁に居座って、まだまだ炎上するぞと言わんばかり。のたまった内容も、やはり温暖化対策が喫緊の課題という世界の潮流からすれば化石的思考だ」との論評を発表した[246]。
- 北海道農民連盟では、この発言に対して組合員から「冗談じゃない」という怒りの声が多数寄せられた[247]。同連盟の大久保明義委員長は、この発言を受けて、「全国でも北海道米が高い評価を得ているのは、官・民・農が一体となって協力した結果」であり「全道挙げて品種改良を重ね、『北海道ブランド米』としての地位を確立した結果」であるとした上で、「生産者の努力と技術をないがしろにするような発言は断じて許されない」、「温暖化を肯定するような発言は耳を疑う」、「自民党副総裁の発言としてあるまじき由々しき事態」、と抗議の談話を発表した[238][241][248][249][250]。
- 北海道大学農学研究院元教授の川村周三は、 「温暖化の影響はほとんどない」と述べ、これを否定した[240]。また、大学院大学至善館の枝広淳子教授は、「温暖化は気温上昇だけでなく、雨の降り方も変化させる。農業を含め、さまざまな分野でマイナスの影響が大きい」とした上で、「別の地方では収穫量が減るなど悪影響が出ている。それなのに1つの地方や今の局面だけを切り取り『温暖化の良い面』とするのは、かなり無責任と言わざるを得ない」と指摘した[246]。
- 同月25日、自民党総裁で首相の岸田文雄も「最近コメの品評会をやると、北海道が上位に食い込んで、東北や北陸が後れを取っている。間違いなく気候変動の結果だと思う」と語った[241]。しかし翌26日、岸田首相は、麻生副総裁の発言に関して、「適切ではなかったのかなと思う。申し訳ないと思います」と陳謝した[242][243][251][252]。また、自民党所属の金子原二郎農相は、「農家の皆さんの努力に尽きる。気候どうこうというより、気候に合ったものを作る努力をした結果、今日がある」と述べ、麻生の発言を修正した[253]。
- 10月25日、北海道小樽市での街頭演説で「昔、北海道のコメは『厄介道米(やっかいどうまい)』と言われるほど売れないコメだった。今はその北海道がやたら美味いコメを作るようになった。農家のおかげですか?農協の力ですか?違います。温度が上がったからです」「平均気温が2度上がったおかげで北海道のコメは美味しくなった。地球温暖化といえば悪い話しか書いてありませんが、温暖化でいいこともあります」「それを輸出している。これが現実です」などと述べた[237][238][239][240][241]。
漫画についてのエピソード
[編集]- 漫画が好きであることが広く知られる[37]。
- 初めて読んだ漫画は『のらくろ上等兵』『冒険ダン吉』などであったという。昭和20年代の雑誌『冒険王』や『少年』を読んでおり、手塚治虫の『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』などに触れた[254]。
- 学生時代にアメリカ合衆国へ留学した際も、母についた秘書が『週刊少年サンデー』と『週刊少年マガジン』を船便で日本から麻生の元へ送った。当時は海外在住の日本人が少なく、日本の漫画も貴重なものだった[254]。
- 初めて物語の脚本として面白いと感じたのは、本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』であった。当時の漫画は大人が読まないものだったという[254]。
- 1980年代に大学生の流行語が『右手にマガジン、左手にジャーナル(編集長:筑紫哲也) 』とされ、大学生が漫画を読んでも不思議がられない時代となったことについて、「(朝日ジャーナルで)学生が、皆かぶれたわけでしょ。」「あれとコミックでうまいこと、若い人がバランスを取ってたとすりゃあ、コミックって大したもんですよ。」と評した[254]。
- 学生時代から社会人や経営者を経る間も、継続して漫画を読んでいた。「ずっと読んでると、なんとなく時代がわかる」という[254]。
2003年
[編集]- 2003年7月に自民党政務調査会会長を務めていた時点で、週に10冊から20冊程度の漫画雑誌を購読しており、「マガジン」「ジャンプ」「サンデー」「チャンピオン」「ビッグコミック」「オリジナル」「スペリオール」「スピリッツ」「モーニング」「ヤングジャンプ」「ビジネスジャンプ」などを閲覧していた[254]。
- 漫画が一種のストレス解消手段であるとし、「今はアニメーションなんかでかなりオタクでわからないものもあるが、コミックは基本的に面白くないものはない」と語った。また自身の息子や娘との共通の話題として良いと紹介した[254]。
- 当時まで一貫して読み続けて好きな作品として『ゴルゴ13』を挙げた。他に長期連載作品として『こちら葛飾区亀有公園前派出所』や『弐十手物語』を挙げ、「長期連載作品の主人公はずっと性格が変わらない。だから土井たか子のようにブレない人物も人気がある。イメージが変わらないのが大きい。」「時代が変わるとそれに迎合する流れがあるが、急に変えたら駄目なのではないか。」などと論じた[254]。
- ゴルフ好きとして『風の大地』も好んだ[254]。
- 選挙期間中には公用車内に漫画雑誌を置き、移動時間に閲覧しているという[254]。
- 一方で漫画だけしか読まないことも良くないとし、「難しい本を読みながら、コミックも読む」ことを推奨した[254]。
- 麻生の衆議院議員会館事務所には、書棚に様々なジャンルの漫画の単行本が並べてある[要出典]。
- 漫画好きであることは各国の首脳にも知られており、ポーランドの外務大臣からは現地(ポーランド語)版の『犬夜叉』を寄贈されている[255]。
2005年
[編集]2006年
[編集]- 2006年(平成18年)4月28日にデジタルハリウッド大学で行われた政策スピーチでは、主人公が交渉人として世界を股にかける漫画作品『勇午』について触れ、「『勇午』を読んでない人は外交なんて語っちゃダメ」と論じた[257]。
- 同年から連載された大和田秀樹の漫画『ムダヅモ無き改革』では、麻生をモデルにした「麻生タロー」というキャラクターが登場している。アニメ版の声優は有本欽隆が担当。同作では実在政治家を模した多くのキャラクターが登場するが、麻生は6巻の帯に実物写真付きで登場しているなど、作中唯一の本人公認キャラクターとなっている。
- 同年4月の自衛隊イラク派遣の際、イラクでの復興支援活動に『キャプテン翼 (Captain Majed・كابتن ماج) 』のイラストを、サマーワに展開する日本の給水車に貼ることを支援したこともある[258][出典無効]。
2007年
[編集]- 2007年(平成19年)2月3日、「日本のコンピュータゲームの影響で東南アジアの若年層に日本語の学習者が倍増しており、彼らはJ-POPの椎名林檎や宇多田ヒカルを日本語で歌う。食べ物や漫画も含め、それほど言葉は力を持ち、日本の文化として広まる。そういった影響を与えれば、戦争を防ぐ効果もあり、さらには国家の安全や防衛にも繋がる」という持論を、「防衛シンポジウム2007in京都」で述べたという[259]。
- 同年5月22日、麻生の肝煎りで海外の漫画家を対象にした国際漫画賞を創設することを発表[256]、麻生は「今や世界各国に現れつつある若きマンガの旗手たちに、マンガの本家本元である日本から、権威のある賞、いわばマンガのノーベル賞のようなものをあげたい。日本との絆を、それによって意識していただきたいものです」と述べ、7月2日には「マンガは愛。マンガは友情。マンガは人の成長。マンガはすべてを表します。得られる賞はプライスレス。その人は、とこしえの名前をマンガ界に刻むことになります」と述べた[260]。
- 同年5月30日から、ウィーンで開催された核拡散防止条約 (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が広島市での原爆投下による被曝体験を描いた漫画『はだしのゲン』の英訳版を加盟国に配布することになったが、これは麻生の肝煎りで実現したものである。外務省が英語版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している[261]。
- 同年8月18日にメキシコの日墨学院を訪問した際、在校生からメキシコで人気が高い漫画「en:Samurai X(原題:るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-)」について質問された場面もあった[262]。(なお、『るろうに剣心』では麻生の高祖父にあたる大久保利通が登場する)
2008年
[編集]- 2008年(平成20年)8月2日に死去した漫画家の赤塚不二夫について、「あの種のギャグ漫画の草分け的存在で『シェー』をはじめ、よく笑った」とコメントした[263]。
- 同年10月26日、総理総裁として初の秋葉原での街頭演説後に秋葉原UDXで開かれた「秋葉原エンタまつり2008」の特別ステージにさいとうたかを、弘兼憲史と共にゲスト出演[264]。司会を兼任した弘兼からの「“わが青春のこの一冊”はなんですか?」との問いに対し「ここにいるお二方の作品を挙げるとアレなので」と前置きした上で本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』を挙げ、「7年間くらい毎週買ってましたね。そして単行本も集めたんですが、単行本を買って集めた初めての作品ですね」と返答した[264]。『ゴルゴ13』については、「冷戦が崩壊したときには物語は終わってしまうんじゃないかと思ったんですが、新しいシナリオがあってサラリーマンの意識の先を行っているので、大人が読めるマンガになっていると思います」と述べた[265]。また、「いま、映画やドラマの原作はマンガ発のものが多くなってきていると思いますが、マンガのほうが発想が豊かだからでしょう。そんなマンガ産業をもっと育てていこうと二階氏とも話していますよ」と述べた[265]。
- 同年11月に行われた日本とロシアの首脳会談にて、麻生はロシア連邦大統領のドミートリー・メドヴェージェフにドラえもんに登場する道具「タケコプター」を贈っている。メドヴェージェフは麻生の贈り物に喜び、「ロシア語の説明書はないのか」と尋ねたという[266][267]。
- 11月、漫画家・アニメーター・映画監督である宮崎駿が、当時首相であった麻生が漫画好きを公言していることに対して、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです。」と公然と批判した[268]。
- 「麻生が羽田空港の空港ラウンジで『ローゼンメイデン』を読んでいた」という、2005年7月23日の匿名掲示板『2ちゃんねる』の書き込みを根拠にしたデマがインターネット上で話題となった。「少女漫画」「女の子が読んでいる」という発言を残している[注釈 16]。一部の自民党を支持するおたく層から「ローゼン麻生」「ローゼン閣下」と呼ばれるようになり[269][270]、2008年度版の『現代用語の基礎知識』には「ローゼン麻生」という項目が収録された。
2009年以降
[編集]- 2016年7月にポケモンGOの流行を受けて「海外での例を見ると、精神科医が対処できなかったオタク、自宅引きこもりが全部外に出てポケモンをするようになった」と語り、「精神科医より漫画の方がよほど効果が出るのが一番大きいんじゃないか」と評した[271]。
- 2021年7月のインターネットメディア『リアルライブ』では、麻生がサブカルチャーへの造詣の深さを語りながらも、2008年以降の「オタク・バッシング」へ反論していないことや、性表現規制へも積極的な姿勢を見せたことから、「麻生は少なくとも『オタクの味方』でなかったのは確かだ」と報じられた[268]。
- 2021年7月に『ゴルゴ13』の単行本の第201巻が出版され、それまでギネス世界記録を保持していた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の全200巻を更新したことについてNHKの記者から質問されると、「今までのNHKからの質問で一番レベルが高い」などと記者を揶揄したうえで「あれだけのインターナショナルな小説は、今まで日本で読んだことはなかった」などと絶賛した[272]。
家族・親族
[編集]- 先祖
- 六世祖父 - 立花長煕(筑後三池藩第5代藩主)
- 六世祖父 - 大久保利敬(薩摩藩鹿児島城下士)
- 五世祖父 - 立花種周(筑後三池藩第6代藩主)
- 五世祖父 - 大久保利世(薩摩藩士)
- 高祖父 - 麻生賀郎(庄屋)
- 高祖父 - 立花種道
- 高祖父 - 大久保利通(政治家)
- 高祖母 - 大久保満寿子
- 高祖父 - 三島通庸(政治家)
- 曾祖父 - 麻生太吉(実業家、政治家)
- 曾祖父 - 加納久宜(政治家)
- 曾祖父 - 竹内綱(実業家、政治家)
- 曾祖父 - 牧野伸顕(政治家)
- 養曾祖父 - 吉田健三(実業家)
- 祖父 - 麻生太郎(実業家)
- 祖母 - 麻生夏子(子爵・千葉県知事加納久朗の妹、子爵加納久宜の子)
- 祖父 - 吉田茂(政治家、第45・48・49・50・51代内閣総理大臣)
- 両親
- 兄弟
- 次郎(1964年、ヨット練習中に事故死。詳細は「学習院大学ヨット遭難事故」を参照)
- 雪子(1944年2月7日生[273]、相馬和胤の妻)
- 泰(1946年8月28日生[273]、株式会社麻生会長及び麻生ラファージュセメント社長)
- 旦子(1951年7月4日生[273]、荒船清彦の妻)
- 信子(1955年4月9日生[273]、寬仁親王の妃)
- 妻子
- 妻 - 千賀子(1950年5月30日生[273]、岩手県選出の政治家・鈴木善幸の三女[273])
- 長男 - 将豊(1984年12月29日生[273]、麻生商事株式会社代表取締役社長[275]、株式会社エクストーン元取締役[276])
- 長女 - 彩子(1987年4月27日生[273]、聖心女子学院を経て東京大学文学部卒業)
- 孫[277]
- 他家
- 伯従母 - 杉山淑子(ホーネンコーポレーション(現J-オイルミルズ)の元社長杉山元太郎(同社中興の祖杉山金太郎の長男)の妻。父は牧野伸通。)
- 従兄 - 野田昌宏(キャプテン・フューチャーの翻訳者として知られるSF作家、ひらけ!ポンキッキの生みの親でガチャピンのモデル)
- 従兄 - 野田玲二郎(昌宏の弟、物理学者・菊池正士の娘婿)[278]
- 再従兄弟 - 大井廣介(文芸・野球評論家、本名麻生賀一郎)
- 遠縁の親戚
- 渋沢栄一(麻生の祖母夏子の兄で子爵の加納久朗の孫久美子が渋沢の玄孫にあたるため。久美子の夫が橋本龍太郎)
- 岸信介、佐藤栄作、安倍晋三(麻生の祖父吉田茂の長女桜子の夫・吉田寛が岸信介、佐藤栄作兄弟のいとことなるため。岸の孫が安倍晋三)
- 堀内光雄(麻生と堀内の長男・光一郎の妻で衆議院議員の詔子の母・絢子がはとことなるため)
- 宮澤喜一(麻生の義父鈴木善幸の長男鈴木俊一の妻が宮澤喜一のいとこにあたるため)
- 岸田文雄(宮澤喜一の甥の宮澤洋一の従兄弟となるため)
家系
[編集]- 麻生百年史 〈麻生グループ〉 によると、「麻生家は今では菩提寺の川島正恩寺が消失し、過去帳なども灰に帰したためその記録も残っていないのが残念だが、同家に伝わるところによると大化の改新(六四五)で活躍した藤原鎌足の血筋を引き、藤原一族の流れをくんでいるといわれている。そして麻生家の名前の由来をたどると先祖が遠賀郡麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという。この地方には鎌倉、室町のころから麻生の姓を名乗る一族がいる。このように麻生家は古い士族の末裔であったが、いつのころからか村を治める庄屋(今でいう村長)になっていった。」という。
- 鈴木幸夫著『閨閥 結婚で固められる日本の支配者集団』(1965年)58頁によると、「もともと麻生家は、福岡の土豪である。太賀吉の祖父・太吉の代に、祖父伝来の土地から、石炭を発見、貝島炭鉱の貝島太助から事業上の手ほどきを受けた。また貝島の紹介で、井上馨候に接近、採掘権などの法的手続きを有利にした。学問、毛並み、幸運に恵まれなかった麻生太吉は、もっぱらそのタフな心臓と、負けん気で、ついに九州三大石炭財閥の一つにのしあがった。太吉は徹底したワンマン型のつわものであり、太賀吉はその三代目である。」という。
- 神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 39頁によると、「もともと麻生家は、福岡の大庄屋で、太賀吉の祖父・太吉の代に先祖伝来の土地から石炭が採掘され、九州三大石炭財閥(他は貝島家、安川家)の一つにのしあがった。太吉は石炭のみならず、鉄道、電気、金融まで手を広げ、それらは後の国鉄、九州電力、福岡銀行の基となっている。」という。
麻生太郎 | 父: 麻生太賀吉 |
祖父: 麻生太郎【先代】 |
曾祖父: 麻生太吉 |
曾祖母: 麻生ヤス | |||
祖母: 麻生夏子 |
曾祖父: 加納久宜 | ||
曾祖母: - | |||
母: 麻生和子 |
祖父: 吉田茂 |
曾祖父: 竹内綱 | |
曾祖母: 竹内瀧子 | |||
祖母: 吉田雪子 |
曾祖父: 牧野伸顕 | ||
曾祖母: 牧野峰子 |
野田勢三郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
野田健三郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
野田宏一郎 (昌宏) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ツヤ子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鈴木俊一 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
加納久宜 | 加納久朗 | 鈴木善幸 | 千賀子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
八重子 | 麻生将豊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
夏子 | 麻生太郎 | 麻生彩子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
麻生太賀吉 | 麻生次郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
麻生賀郎 | 麻生太吉 | 麻生太郎 | 雪子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
和子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
竹内綱 | 吉田茂 | 吉田健一 | 相馬和胤 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
吉田正男 | 旦子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
雪子 | 江子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大久保利通 | 牧野伸顕 | 桜子 | 荒船清彦[注釈 17] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三島通庸 | 峰子 | 彬子女王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
利武子 | 寬仁親王 | 瑶子女王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
麻生泰 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
英子 | 麻生巌 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
和子 | 麻生健 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秋月種英 | 武見太郎 | 武見敬三 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
テレビ番組
[編集]- 日経スペシャル カンブリア宮殿 「ニッポンの次なるリーダーに聞く! ~あなたが総理になったら、 私たちの暮らしは、どう変わりますか?~」(2006年9月18日、テレビ東京)- 安倍晋三、谷垣禎一と共に出演[281]。
著作
[編集]- 『祖父 吉田茂の流儀』(2000年5月24日、PHP研究所)ISBN 9784569611112
- 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』(2007年4月15日、徳間書店 徳間文庫)ISBN 978-4198925819
- 『自由と繁栄の弧』(2007年6月5日、幻冬舎)ISBN 9784344013339
- 『自由と繁栄の弧』(2008年9月20日、幻冬舎 幻冬舎文庫)ISBN 9784344411975
- 『とてつもない日本』(2007年6月10日、新潮社 新潮新書)ISBN 978-4106102172
共著
[編集]- 『自民党の智恵』(共著者:伊吹文明・他、編集:シンクタンク2005・日本)(2008年1月30日、成甲書房)ISBN 978-4880862279
- 『「国力」会議 保守の底力が日本を一流にする』(共著者:石破茂 平沼赳夫 与謝野馨、編:浜田和幸)(2008年5月1日、祥伝社)ISBN 9784396613075
関連書籍
[編集]- 『太郎さんの秘密 明解「麻生太郎」の基礎知識』(著者:新川典弘)(2008年10月15日、集英社)ISBN 9784420310260
- 『吉田茂 麻生太郎の原点』(著者:塩澤実信)(2009年1月10日、北辰堂出版)ISBN 9784904086865
- 『太郎と一郎、国盗り合戦! ガラガラポン!日本政治』(著者:業田良家)(2009年5月1日、竹書房)ISBN 9784812437865
- 『政権ラプソディー 安倍・福田・麻生から鳩山へ』(著者:業田良家)(2010年6月1日、七つ森書館)ISBN 9784822810122
論文
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 麻生産業から分社した麻生セメントは、麻生と社名変更している。現在の麻生セメントは、麻生から更に分社化したもの。
- ^ ほかに首相として再就任した吉田茂と安倍晋三がいる
- ^ 麻生太郎外務大臣に聞く=日伯関係、百周年、デカセギ=本紙が単独インタビューニッケイ新聞 2007年8月17日 アーカイブ 2008年11月23日 - ウェイバックマシン。また、麻生太郎の従兄弟に当たる人物がブラジルに移民していたことも近年になって判明した。麻生総理の従兄弟とついに接触! 学移連出身だった忠氏 「人生一度だけ!」と熱弁[リンク切れ]VillageJapan 2008年12月31日
- ^ この採掘事業を開始したのは、麻生太郎の父親である麻生太賀吉と実弟で専務の麻生典太だったと言われており、同国のダイヤモンド採掘を長らく支配していたイギリス人とレバノン人以外の人に掘ってもらいたい、という現地の意向から麻生家に鉱区が提供されたと麻生典太は語っていたと言われる。その後、同国での内戦勃発に伴って麻生家は事業から撤収した。『No.34 ブラッド・ダイヤモンド』 最首公司のホームページ および、ダイヤモンド・ロードを行く 最首公司著 講談社(1970)より
- ^ 2006年1月19日に日本記者クラブにて行われた 外務大臣演説 アーカイブ 2020年11月15日 - ウェイバックマシン でシエラレオネのダイヤモンド採掘業での経験について発言しているほか、当時製作されたニュース映画にも現地の事業を指揮する麻生太郎本人がインタビューに答えて登場している。
- ^ これに先立つ11月3日に妻となるちか子と結婚しており、それから1ヶ月半程の出来事であった。[1]
- ^ 同日午後、国会で行われた首相指名選挙では、自由民主党は総裁が空席のため、党両院議員総会長(当時)の若林正俊に投票した。
- ^ 当時の毎日新聞では、「華麗なる落選」という見出しで麻生の落選を報じていた。
- ^ 麻生は「コミック」と呼称することが多い。
- ^ 『毎日新聞』 2008年11月27日 麻生のあいさつに「丸投げやめろ」とやじが飛んだとされる一方で「地方分権」を理由に事務を市区町村に委ねたことなどについて政府を批判した民主党幹事長(当時)の鳩山由紀夫は大きな拍手を浴びたと報道した
- ^ 正確には、国家安全保障局、国家偵察局、国防省情報本部、各軍の情報部、財務省情報部、エネルギー省情報部といったインテリジェンスからの情報を、CIAは独自調査とつき合わせてから大統領に報告している。
- ^ 中央公論7月号 〜これが外交の品格だ〜対談 麻生太郎×手嶋龍一 対米、対中、対北朝鮮 日本外交の舵をどう切るのか アーカイブ 2011年2月4日 - ウェイバックマシン 麻生はインテリジェンスを尊重することがインテリジェンスの開拓につながるとも考えている。なお、出典中の「民主党のガセメール事件」とは堀江メール問題であり、「シャドー・キャビネットの首相」とは前原誠司を指す。手嶋が提起したこの話題を受けて、麻生はインテリジェンスを相手を貶めるためには使わないことも大切だと述べている。しかし、この問題がインテリジェンスの悪用だったことの論証は出典を読む限り見当たらない。
- ^ 満州や日本国内で経済活動をするうえで朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言
- ^ ドイツのヒトラー政権は全権委任法などの制定によってワイマール憲法を死文化していったため、事実上破棄したに等しいが、同憲法そのものを形式上は破棄していない。また、それに代わる新たな成文憲法を制定することもなかった。したがって、史上「ナチス憲法」なる名称の成文憲法が存在した事実はない。ただ、憲法は英国のように不文法の形で成立することもあり、当時のナチス体制および、全権委任法を始めとするナチス法全体をもって「ナチス憲法」への改変と表現する[要出典]ことはできる。→詳細は「ナチ党の権力掌握」を参照
- ^ 11月23日、ペルー・リマでの記者会見
- ^ 講談社『メカビ』 Vol.1 P.40
- ^ 元駐スペイン大使
出典
[編集]- ^ “国会議員情報 麻生太郎”. 時事ドットコム (時事通信社). オリジナルの2022年10月1日時点におけるアーカイブ。 2022年10月1日閲覧。
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- ^ 『産経新聞』2008年6月25日朝刊朝運動2面「【北京五輪 全28競技紹介】(24)射撃」(産経新聞東京本社)
- ^ 『毎日新聞』2004年5月14日 東京朝刊
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- ^ 『毎日新聞』2008年9月25日朝刊内政面5頁「麻生首相:会見要旨」(毎日新聞東京本社)
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- 佐藤朝泰『門閥——旧華族階層の復権』立風書房、1987年。ISBN 4651700322。
- 佐藤朝泰『豪閥——地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。ISBN 4651700322。
- 神一行 『閨閥 改訂新版——特権階級の盛衰の系譜』 角川書店 2002年 31、42-44頁
- 高橋哲哉『反・哲学入門』白澤社、2004年。ISBN 4768479103。
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- 野中広務、辛淑玉『差別と日本人』角川書店〈角川oneテーマ21〉、2009年。ISBN 9784047101937。
- 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 角川書店 1983年 224-227頁
- 広瀬隆 『私物国家 日本の黒幕の系図』 光文社 2000年 191、333頁
- 『麻生太郎の真実』 ダカーポ 608 2007年6月20日号 第27巻第11号・マガジンハウス
- 「野中広務元官房長官『山崎拓衆院議員は『週刊文春』を部落問題で恫喝した』」『週刊現代』49巻1号、講談社、2007年1月13日、46-47頁。
- 『メカビ Vol.01』講談社 2006年06月02日 ISBN 4061795910
関連項目
[編集]- 麻生内閣
- 麻生氏 - 宇都宮氏 - 筑豊御三家
- 麻垣康三
- 士志の会(古賀誠、平沼赳夫、高村正彦)
- 志公会(マスコミなどでは「麻生派」と呼ばれているが、こちらが正式な名称)
- 安倍晋三(閨閥によってつながった遠縁の親戚でもある)
- 甘利明(安倍と本人で「3A」と呼ばれる。菅義偉も含めて「3A+S」とも)
- 1976年モントリオールオリンピックの射撃競技
外部リンク
[編集]- 麻生太郎オフィシャルサイト
- 第92代 麻生 太郎 | 歴代内閣 - 首相官邸
- ISSF portrait of the athlete ASO, Taro - 国際射撃連盟の競技成績
- 『麻生太郎』 - コトバンク
公職 | ||
---|---|---|
先代 福田康夫 |
内閣総理大臣 第92代:2008年 - 2009年 |
次代 鳩山由紀夫 |
先代 岡田克也 |
国務大臣(副総理) 2012年 - 2021年 |
次代 空席 |
先代 城島光力 |
財務大臣 第17 - 20代:2012年 - 2021年 |
次代 鈴木俊一 |
先代 中塚一宏 |
特命担当大臣(金融) 第21 - 24代:2012年 - 2021年 |
次代 鈴木俊一 |
先代 町村信孝 |
外務大臣 第132・133代:2005年 - 2007年 |
次代 町村信孝 |
先代 片山虎之助 |
総務大臣 第3・4・5代:2003年 - 2005年 |
次代 竹中平蔵 |
先代 額賀福志郎 |
経済財政政策担当大臣 第2代:2001年 |
次代 竹中平蔵 |
先代 田中秀征 |
経済企画庁長官 第53代:1996年 - 1997年 |
次代 尾身幸次 |
議会 | ||
先代 牧野隆守 |
衆議院外務委員長 1991年 - 1993年 |
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党職 | ||
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自由民主党総裁 第23代:2008年 - 2009年 |
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自由民主党副総裁 第14代:2021年 - 2024年 |
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次代 伊吹文明 細田博之 |
先代 亀井静香 |
自由民主党政務調査会長 第44代:2001年 - 2003年 |
次代 額賀福志郎 |
先代 結成 |
志公会会長 初代:2017年 - |
次代 現職 |
先代 結成 |
為公会会長 初代:2006年 - 2017年 |
次代 志公会へ合流 |
先代 塚原俊平 |
自由民主党青年局長 第17代:1982年 - 1984年 |
次代 船田元 |
名誉職 | ||
先代 二階俊博 |
最年長衆議院議員 2024年 - |
次代 現職 |
ビジネス | ||
先代 麻生太賀吉 |
麻生セメント社長 第2代:1973年 - 1979年 |
次代 麻生泰 |
その他の役職 | ||
先代 島村宜伸 |
日本会議国会議員懇談会会長 第2代:1997年 - 2003年 |
次代 平沼赳夫 |
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