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篠崎豊彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

篠崎 豊彦(しのざき とよひこ、1853年11月3日嘉永6年10月3日[1] - 1939年昭和14年)5月23日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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大分県出身[2]1878年福岡県師範学校卒。1889年東京法学校卒。小学校と中学校の教員となり、若松築港(株)取締役、第八十七銀行整理員を務める[2]日露戦争に参加、戦後、現地に止まり、大連で貸家業を営み、衛生組合副組長となる。のち帰国して亀川町(現・別府市)長となり、農業に従事した[2]

1931年高橋欽哉の失職に伴う大分2区の再選挙立憲民政党から立候補して当選した。衆議院議員は1期務め、1932年第18回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1939年死去。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第六十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1931年、32頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』308頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。