寺田彦太郎
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寺田 彦太郎(てらだ ひこたろう[1]、1822年3月26日(文政5年2月4日[2]) - 1903年(明治36年)10月6日[1][2])は、明治時代の政治家。実業家。国学者。衆議院議員(静岡県第5区選出、当選3回)[1]。号は観海[2]。族籍は静岡県平民[3]。
経歴
[編集]遠江国山名郡福田村[2][3][4](静岡県山名郡福島村、磐田郡福田町を経て現磐田市福田)の庄屋寺田彦左衛門良賢の子として生まれる[5]。
1836年(天保7年)、藩侯西尾隠岐守より庄屋を命ぜられる[4]。1842年(天保13年)大庄屋となり[2]、同じ西尾藩の庄屋八木美樹と交わり、その父美穂より国学思想を受け継ぎ、のち『国教のもとゐ』[注 1]などを著した[5]。
さらに国学思想に則り村政に励み、福田港口掘削、河川改修、海岸砂防堤築造、荒蕪地開拓に尽くす[5]。ほか、福田地方の製塩業や養鰻業の基礎を築いた[5]。
1894年(明治27年)9月の第4回衆議院議員総選挙では静岡県第5区から出馬し当選[1]。つづく第5回、第6回総選挙でも当選し、衆議院議員を3期務めた[1]。
著作
[編集]- 『神宝解』1897年。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ のち『神宝解』として出版。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 山田万作『岳陽名士伝』1891年。
- 『衆議院議員名簿 第1-28回帝国議会』衆議院事務局、1898年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
- 静岡新聞社出版局 編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。ISBN 4783804249。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。