秋月種英
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秋月種英 あきづき たねひで | |
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生年月日 | 1880年3月9日 |
没年月日 | 1961年10月29日(81歳没) |
出身校 |
京都帝国大学法科大学卒業 (現京都大学法学部) |
前職 |
カルピス製造監査役[1] (現カルピス) |
所属政党 | 研究会 |
配偶者 |
秋月利武子 秋月須磨子 |
親族 |
父・秋月種樹(貴族院議員) 義父・牧野伸顕(内大臣) 義兄・吉田茂(内閣総理大臣) 孫・武見敬三(参議院議員) |
在任期間 | 1914年7月11日 - 1947年5月2日 |
秋月 種英(あきづき たねひで[2][3]、1880年(明治13年)3月9日[2] - 1961年(昭和36年)10月29日[2][3])は、明治から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
[編集]旧高鍋藩主家当主、子爵・秋月種樹の二男として生まれる[2][4][5]。兄秋月種繁の死去に伴い家督を相続し、1890年(明治23年)10月2日、子爵を襲爵した[2][4][6]。
第四高等学校を経て[5]、1910年(明治43年)7月、京都帝国大学法科大学を卒業[3][4][7]。同年、司法省に入省し司法属となる[3][4]。以後、輸出水産取締役、明治漁業監査役、カルピス製造監査役などを務めた[4]。
1914年(大正3年)7月11日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[8][9]、研究会に属して活動し[3]、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで5期在任した[3]。この間、廣田内閣・司法参与官、司法制度調査委員会委員、司法省委員などを務めた[3]。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]- 秋月家
- 母・藤子(ふじこ、烏丸光政の五女)[2][5]
- 先妻・利武子(りふこ、牧野伸顕の二女)[2]
- 後妻・須磨子(すまこ、鍋島茂隣の四女)[2]
- 長男・種明[2]
- 長女・良子
- 二女・英子(武見太郎夫人)[2]
- 三女・治子[1](黒田慶一郎の妻) - 黒田慶一郎は黒田慶樹の伯父である。
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b 『人事興信録 第10版 上』ア96 - 97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『平成新修旧華族家系大成 上巻』19-20頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』33頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 上』ア70頁。
- ^ a b c 『華族畫報 下』662頁。
- ^ 『官報』第2180号、明治23年10月3日。
- ^ 『京都帝国大学一覧 明治43-44年』卒業生姓名 法学士46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年5月26日閲覧。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、23頁。
- ^ 『官報』第585号、大正3年7月13日。
- ^ 『官報』第4117号「叙任及辞令」1926年5月17日。
参考文献
[編集]- 『京都帝国大学一覧 明治43-44年』京都帝国大学、1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 秋月種繁 |
子爵 (高鍋)秋月家第2代 1890年 - 1947年 |
次代 (華族制度廃止) |