コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「松あきら」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m sty
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:インターネットアーカイブ - log
256行目: 256行目:


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://web.archive.org/web/20130512114219/http://matsu-akira.com/ 松あきら:元参議院議員] - 閉鎖。(2013年5月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [http://web.archive.org/web/20130512114219/http://matsu-akira.com/ 松あきら:元参議院議員] - 閉鎖。(2013年5月12日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [http://www2.asahi.com/senkyo2007/special/TKY200707200474.html asahi.com:〈決戦の現場から:3〉「身内」で奪い合い - 朝日新聞 2007参院選:特集]
* [http://www2.asahi.com/senkyo2007/special/TKY200707200474.html asahi.com:〈決戦の現場から:3〉「身内」で奪い合い - 朝日新聞 2007参院選:特集]



2017年9月5日 (火) 02:50時点における版

松 あきら
まつ あきら
西川 玲子
にしかわ れいこ
生年月日 (1947-12-03) 1947年12月3日(76歳)
出生地 神奈川県川崎市中原区
出身校 宝塚音楽学校
前職 俳優
所属政党新進党→)
(黎明クラブ→)
(公明→)
公明党
配偶者 西川知雄(元衆議院議員)

選挙区 神奈川県選挙区
当選回数 3回
在任期間 1995年7月23日 - 2001年7月22日
2001年7月29日 - 2007年7月28日
2007年9月7日(繰上当選) - 2013年7月28日
テンプレートを表示
まつ あきら
松 あきら
本名 西川 玲子(にしかわ れいこ)
旧姓:松本(まつもと)
別名義 西川 玲子
生年月日 (1947-12-03) 1947年12月3日(76歳)
出生地 川崎市中原区
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 167cm
血液型 AB型
職業 俳優
活動期間 1966年 -
活動内容 1966年:宝塚歌劇団入団、星組配属
1974年:花組主演男役をする
1978年:花組トップスター就任
1982年:宝塚歌劇団を退団
退団後:舞台テレビドラマなどで活動
主な作品
宝塚歌劇
虞美人
ベルサイユのばら
風と共に去りぬ
テンプレートを表示

松 あきら(まつ あきら、1947年12月3日 - )は、日本女優[注 1]政治家。元宝塚歌劇団花組トップスター[1]。本名、西川 玲子(にしかわ れいこ)。旧姓、松本(まつもと)。

参議院議員(3期)、経済産業副大臣第3次小泉改造内閣)、公明党副代表、参議院総務委員会常任委員長、政治倫理審査会幹部役員などを歴任した。

夫は元新進党衆議院議員の西川知雄で、娘が一人いる[注 2]

来歴

1964年横浜雙葉学園1年修了時に宝塚音楽学校に合格し、高校を中退して宝塚音楽学校に入学。

1966年、宝塚歌劇団に入団。月組公演『日本の四季/ファンタジア[2]で初舞台を踏む。同期瀬戸内美八川地民夫夫人の麻生薫1988年死去)らがいる。入団時の成績は51人中37位[2]。同年12月4日星組配属[2]。のちに花組[2]へ組替え。

1974年甲にしき退団後同期の瀬戸内とともに安奈淳へのつなぎとして花組主演男役を務めた後、安奈・榛名由梨トップ時代の2番手として活躍。1978年、安奈の退団にともない『遥かなるドナウ/エコーズ』で再び花組トップスターに就任。相手役には当初上原まり北原千琴が歴任し、1979年より美雪花代1981年より若葉ひろみが務め、また、1980年からは順みつきとの二人トップ体制を挟み活躍。

1982年12月6日[2]をもって宝塚歌劇団を退団[1]。なお、退団公演『夜明けの序曲』は文化庁芸術祭大賞を受賞した。退団後は、舞台やテレビドラマなど女優業を中心に活動[1]

1995年7月、第17回参議院議員通常選挙にて新進党から神奈川県選挙区に立候補し、初当選した[1]。同期当選に、元花組組長の但馬久美がいた。なお、政界進出を機に芸能活動は休止状態となった。

1996年10月、夫の西川知雄が新進党から第41回衆議院議員総選挙に立候補し、落下傘候補ながら当選を果たす。しかし、4年後の2000年に西川は改革クラブから立候補し、落選。

2001年3月22日、国会審議にて江本勝の著書『水は語る Water, it tells us precious things.』を肯定的に取り上げて教育の重要性を訴えたため、ビリーバーとして話題となる。

2001年7月、第19回参議院議員通常選挙にて公明党から立候補し、再選を果たす。2003年参議院行政監視委員会にて委員長に就任。また、第1次小泉内閣にて経済産業大臣政務官に、第3次小泉改造内閣にて経済産業副大臣に任命された。

2007年7月、第21回参議院議員通常選挙に公明党から立候補するが、自由民主党から立候補した小林温に破れ次点で落選。しかし、当選した小林の秘書らが日当買収容疑で逮捕され有罪となり、小林が参議院議員を辞職したため、公職選挙法の規定に基づき松が繰り上げ当選を果たした[1]

2012年8月、翌年の参議院選挙には出馬せず政界から引退することを表明[1][注 3]

2013年8月、公明党顧問に就任。2016年9月までに退任した。

人物

  • 政治家として、子育て支援、高等学校卒業程度認定試験創設などの教育改革、アレルギー対策などを展開した[3]
  • 公称身長167センチ、血液型:AB型、宝塚時代の愛称はマッちゃん(旧姓に由来)。宝塚時代は日本舞踊と、それを生かした日本物の芝居やショーを得意とした[4]
  • 幼少時代松の自宅至近に坂本九が居住しており、坂本に遊び相手になってもらうなど交流があった[5]

政策

  • 選択的夫婦別姓制度に賛同する。「国民の選択肢を広げるために必要」と述べる[6]

舞台

宝塚歌劇団所属時代

初舞台・星組時代

  • 『日本の四季』/『ファンタジア』(1966年4月) ※初舞台
  • 『花風流』/『世界はひとつ』(1967年4月)
  • 『赤毛のあまっこ』/『虹を追って』(1968年2月)
  • 『千姫』新人公演 本多平次郎 役(本役:南原美佐保)/『7-セブン-』(1968年10月)
  • シルクロード』(1969年4月)
  • オネーギン』レンスキー 役(芸術劇場、1969年10月)
  • 『僕は君』パヌーズ 役、新人公演:パット 役(本役:安奈淳)(1970年8月)
  • 『ジブシー伯爵』(1970年12月)
  • 『星の牧場』山内、フルート 役、新人公演:一郎、クラリネット 役(本役:安奈淳)/『オー!ビューティフル』(1971年2月)
  • 『いのちある限り』為吉 役、新人公演:新次郎(本役:鳳蘭)/『ノバ・ボサ・ノバ』ボールソ(1971年6月)
  • 『いつの日か逢わん』鳥丸 役、新人公演:高山右近 役(本役:春日野八千代)/『愛のコンチェルト』(1972年1月)
  • 『ザ・フラワー』(東京雪組、1972年8月)
  • 『花の若武者』平知盛 役/『アラベスク』(1972年11月)

参考文献:「歌劇」1982年11月 p.92-93(宝塚歌劇団)

花組時代

参考文献:「歌劇」1982年11月 p.94-95(宝塚歌劇団)

花組トップ時代

  • 『ヴェロニック』フロレスタン 役(宝塚バウホール、1978年8月)
  • 『遥かなるドナウ』ハンス 役/『エコーズ』(1978年10月)
  • 『花影記』小平太 役/『紅はこべ』パーシー・ブレイクニー 役(1979年3月)
  • 舞え舞え蝸牛』右近少将藤原道頼 役/『ビューティフル・シティ』(1979年11月)
  • 刀を抜いて』三五郎 役(宝塚バウホール、1980年1月)
  • 『花小袖』禅竹氏信 役/『プレンティフル・ジョイ』(1980年5月)
  • 『アナトール』アナトール(宝塚バウホール、1980年10月)
  • 『友よこの胸に熱き涙を』フランツ(前半)、ハンス(後半)/『ザ・スピリット』(1980年11月)※この公演より順みつきと二人トップ
  • 『宝塚春の踊り〜花の子供風土記〜』/『ファースト・ラブ』(1981年3月)
  • 『YOU・ME -松あきらの世界-』(宝塚、1981年8月)
  • 『エストレリータ』アントリーオ 役/『ジュエリー・メルヘン』(1981年10月)
  • 『春の踊り〜花と夢と愛と〜』/『アルカディアよ永遠に』ジョー 役(1982年3月)
  • 夜明けの序曲川上音二郎 役(1982年8月)

参考文献:「歌劇」1982年11月 p.95-96(宝塚歌劇団)

宝塚歌劇団退団後

テレビ番組

テレビドラマ

バラエティ番組

宝塚歌劇団時代の受賞歴

星組賞

  • 『世界はひとつ』(1967年4月)

新人賞

  • 『虹を追って』(1968年2月)

努力賞

  • 『千姫』(1968年10月)
  • 『星の牧場』(1971年2月)
  • 『いのちある限り』(1971年6月)
  • 『この恋は雲の涯まで』(1973年8月)
  • 『アン・ドゥ・トロワ』(1974年10月)
  • 『ボン・バランス』(1975年3月)
  • 『ベルサイユのばら〜アンドレとオスカル〜』(1975年7月)
  • 『あかねさす紫の花』(1976年2月)

新人賞

  • 『僕は君』(1970年8月)

演技賞

  • 『虞美人』(1974年5月)

参考文献:「歌劇」1982年11月 p.92-95(宝塚歌劇団)

役職歴

内閣

参議院

公明党

  • 副代表
  • 経済産業部会長
  • がん対策推進本部長
  • 中央幹事
  • 女性委員長
  • 経済産業部会長代理
  • 女性副委員長
  • 神奈川県本部代表代行
  • 東海道方面副議長

議員連盟

脚注

出典
  1. ^ a b c d e f “公明・松あきら議員が引退表明 来夏の参院選出馬せず”. 産経新聞. (2012年8月20日). オリジナルの2012年8月20日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120820063219/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120820/stt12082012580002-n1.htm 2013年8月14日閲覧。 
  2. ^ a b c d e 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』pp.72-73(阪急コミュニケーションズ2014年4月1日)。ISBN 9784484146010
  3. ^ 講演会プロフィール
  4. ^ ホリプロ・プロフィール
  5. ^ 永六輔「坂本九ものがたり 六・八・九の九」
  6. ^ 第154回国会 参議院 - 国民生活・経済に関する調査会 - 7号 平成14年5月22日
注釈
  1. ^ ただし、政界入りして以降は活動を休止している。
  2. ^ 西川と早世した西川の初妻との間の子。松・西川の間に子はない。
  3. ^ 松の神奈川県選挙区からは、翌2013年7月の第23回参議院議員通常選挙では、弁護士で新人の佐々木さやかが公明党公認として後継出馬し、3位で当選。

参考文献

  • 江本勝『水は語る--Water, it tells us precious things』成星出版、2000年。ISBN 9784883980239

関連項目

外部リンク

議会
先代
草川昭三
日本の旗 参議院総務委員長
2012年 - 2013年
次代
山本香苗
先代
澤雄二
日本の旗 参議院法務委員長
2009年 - 2010年
次代
浜田昌良
先代
白浜一良
日本の旗 参議院行政監視委員長
2003年 - 2004年
次代
山口那津男
公職
先代
小此木八郎
保坂三蔵
日本の旗 経済産業副大臣
西野陽と共同
2005年 - 2006年
次代
山本幸三
渡辺博道