湖条れいか
湖条 れいか(こじょう れいか、本名: 堤裕子〈つつみ ゆうこ、堤は旧姓〉、6月12日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団・星組トップ娘役。現役時の愛称(姓に由来)はツッツ。 兵庫県神戸市出身。女優の湖条千秋は姉で、宝塚では2年先輩に当たる。
来歴・人物
[編集]父は生前宝塚歌劇団のオーケストラに在籍していた。姉・湖条千秋との2人姉妹。
大阪府立渋谷高等学校在学中の1973年、2度目の受験で宝塚音楽学校に合格。1975年、61期生として宝塚歌劇団に入団。月組公演『春の宝塚踊り/ラムール・ア・パリ』[1]で初舞台を踏む。同期に朝香じゅん、箙かおる、若葉ひろみ、一原けい、桐さと実らがいる。宝塚入団時の成績は46人中27位[1]。
1976年4月28日[1]、星組へ配属。若手娘役として徐々に頭角を表し、1979年、『アンタレスの星』で新人公演初ヒロイン。1980年には『虹の橋 (宝塚歌劇)』でバウホール公演初ヒロイン。その後、新人公演やバウホール公演でヒロイン役を幾度も演じるなど注目を浴びたが、新人公演卒業(入団7年目)の頃より伸び悩み、後輩たちの後塵を拝する状態が続いた。
1983年、『オルフェウスの窓 -イザーク編-』『アルジェの男』の2作品で薄幸の女性を演じた。同年末、星組トップ娘役に4年後輩の南風まいが就任。湖条は2番手格の娘役として翌1984年の『プラスワン (宝塚歌劇)』の1場面でトップスター峰さを理の相手役を務め、2番手男役山城はるかと組んでのバウホール公演『ラプソディ・イン・ブルー (宝塚歌劇)』で約4年ぶりに主演を果たすなど、再びスポットライトが当たるようになる。
同年6月、『我が愛は山の彼方に』でヒロインの万姫に抜擢され、以後は南風と共に正式なトップ娘役としての待遇を受けた。トップ娘役が固定制となって以降初のダブルトップという状況下、闊達さが魅力の南風・しっとりとした持ち味の湖条という個性の違いは、翌1985年の『哀しみのコルドバ』『西海に花散れど』で活かされた。
1986年7月31日[1]に退団。退団公演『レビュー交響楽』でそれまでとは正反対の役とも言える、少々蓮っ葉だが気のいい娘を演じ、11年間の舞台生活に別れを告げた。
退団後、数年は単発的にディナーショーやコンサートに出演したが本格的な芸能活動は行わず、結婚を機に完全引退。1女の母である。
トップ娘役時代に明石家さんまが湖条のファンだったことを、2015年2月23日放送の痛快!明石家電視台にて、明石家が発言している[2]。
宝塚時代の主な舞台
[編集]初舞台・星組時代
[編集]- 1975年
- 『春の宝塚踊り』 『ラムール・ア・パリ』(月組)
- 『ベルサイユのばら~アンドレとオスカル~』(花組)
- 1976年
- 『愛のファインダー』 (関西テレビ) ※テレビドラマ
- 『ベルサイユのばら III』(星組配属)
- 『夕陽のジプシー』 『ハッピー・トゥモロー (宝塚歌劇)』
- 1977年
- 『風と共に去りぬ』
- 『テームズの霧に別れを』新人公演: ジーン(本役: 月城千晴) 『セ・マニフィーク』
- 1978年
- 『誰がために鐘は鳴る (宝塚歌劇)』新人公演: ルチア(本役: 玉梓真紀)
- 『宝花集』 『セ・シャルマン!』新人公演: クララ(本役: 遥くらら)
- 1979年
- 『南太平洋』リアット (東京宝塚劇場) ※外部出演
- 『白夜わが愛』 ※東京公演のみ出演
- 『アンタレスの星』新人公演: メルセデス(本役: 遥くらら) 『薔薇パニック』
- 『心中・恋の大和路』 禿 (バウホール)
- 1980年
- 『恋の冒険者たち』ジョアンナ、新人公演: オリヴィア(本役: 東千晃) 『フェスタ・フェスタ』
- 『虹の橋』レオノーラ姫 (バウホール)
- 『響け!わが歌[3]』大原女、新人公演: 由布姫(本役: 若宮あいの) 『ファンシー・ゲーム』
- 『アナトール』ギャブリエル (バウホール)
- 1981年
- 『小さな花がひらいた』ひろ、新人公演: おゆう(本役: 月城千晴)[4] 『ラ・ビ・アン・ローズ』
- 『海鳴りにもののふの詩が』お弘 『クレッシェンド!』
- 1982年
- 『ミル星人パピーの冒険[4]』 『魅惑 (宝塚歌劇)』
- 『エーゲ海のブルース』シャロン 『ザ・ストーム』
- 『海鳴りにもののふの詩が』花世 『魅惑』 (地方公演)
- 『心中・恋の大和路』 鳴渡瀬 (バウホール)
- 1983年
- 『こぶし咲く春』おぶん 『ラブ・コネクション (宝塚歌劇)』
- 『オルフェウスの窓』フリデリーケ
- 『ロンリーハート (宝塚歌劇)』 (バウホール)
- 『アルジェの男』アナ・ベル 『ザ・ストーム』
- 1984年
- 『祝いまんだら[5]』 『プラスワン (宝塚歌劇)』シベール
- 『ラプソディ・イン・ブルー』キャロライン (バウホール)
- 『我が愛は山の彼方に』万姫 『ラブ・エキスプレス』
- 『回転木馬』ジュリー (バウホール)
- 1985年
- 1986年
- 『レビュー交響楽』オードリー
関連項目
[編集]- 兵庫県出身の人物一覧
- 鳳蘭(湖条入団時の星組トップスター。在団年:1964年 - 1979年)
脚注
[編集]- ^ a b c d 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、87頁。ISBN 9784484146010
- ^ “さんま「見られた」宝塚へのトラウマ告白”. 日刊スポーツ (2015年2月2日). 2015年2月19日閲覧。
- ^ 東京公演では『美しき忍びの季節』と改題し脚本も大幅に改変して上演された。
- ^ a b 1982年、東京で『ミル星人パピーの冒険』に差し替えて再演され、本公演及び新人公演の代わりに行われた役替わり公演(本役は若宮あいのに変更)でも再び同じ役を演じた。
- ^ 東京公演では『春の踊り』に改題された。
外部リンク
[編集]- 姉・湖条千秋のホームページ内の湖条れいかのページ - ウェイバックマシン(2008年4月10日アーカイブ分)