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宝塚音楽学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宝塚音楽学校
過去の名称 宝塚音楽舞踊学校
国公私立の別 私立学校
学校種別 各種学校
設置者 学校法人宝塚音楽学校
校訓 清く 正しく 美しく
設立年月日 1919年
創立者 小林一三
共学・別学 男女別学女子
学期 2期制
学校コード H228310000663
所在地 665-0844
兵庫県宝塚市武庫川町1番1号
北緯34度48分23.7秒 東経135度20分50秒 / 北緯34.806583度 東経135.34722度 / 34.806583; 135.34722座標: 北緯34度48分23.7秒 東経135度20分50秒 / 北緯34.806583度 東経135.34722度 / 34.806583; 135.34722
外部リンク 公式サイト
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宝塚音楽学校(たからづかおんがくがっこう)は、日本兵庫県宝塚市に校舎を置く私立学校

予科・本科合わせて2年制の、宝塚歌劇団団員[1]養成所であり、学校教育法上は兵庫県認可の各種学校となっている[2]

阪急電鉄の出捐で設立した。設置者は学校法人宝塚音楽学校(兵庫県知事所轄、各種学校)。

現在の理事長は村上浩爾[3]。宝塚歌劇団理事長と兼任[3]。校長は中西達也。ファンや関係者からの通称は音校(おんこう)。

基本情報

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武庫川の畔にある校舎。左隣は宝塚大劇場
  • 修業年限:予科1ヵ年 本科1ヵ年 女子単学
    • 前期(4月1日より9月末日)
    • 後期(10月1日より3月末日)
  • 休業日:日曜日・祝日・春季休暇(約30日間)・夏季休暇(約30日間)・正月休暇(約10日間)
  • 授業時間:午前9時より午後5時(予科生は、授業開始前の掃除が日課)
通常、昼間は実技中心の授業、夜は個人レッスンに励む。
  • 制服:洋服制服制帽コート類その他)、和服(緑の袴・黒紋付…色物着用の時もある)
  • 校舎:延床面積3,170平方メートル
    • 専門教室(洋舞・日舞・和楽器演奏・ピアノ声楽・演劇)、ホームルーム、校長室、副校長室、職員室、応接室、保健室、会議室、講堂
  • モットー:「清く 正しく 美しく」(小林一三の遺訓は更に前に「朗らかに」が追加された)

歴代校長

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  • 小林一三(創立時〜)
  • 森隼三(1940年11月〜)
  • 引田一郎(1947年2月〜)
  • 小林一三(1951年9月〜)
  • 引田一郎(1956年11月〜)
  • 熊野紀一(1970年12月〜)
  • 田辺節郎(1985年7月〜)
  • 寺井良樹(1991年7月〜)
  • 小林公平(1996年8月〜)
  • 岩﨑文夫(2010年4月〜)
  • 伊木常雄(2014年10月〜)
  • 小林公一(2017年4月~)
  • 中西達也(2021年4月〜)

沿革

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宝塚音楽学校旧校舎(現宝塚文化創造館)
  • 1913年大正2年)
    • 7月 - 小林一三宝塚唱歌隊を設立[4]
    • 12月 - 宝塚少女歌劇養成会と改称[4]
  • 1914年(大正3年) - 宝塚新温泉パラダイス劇場で第1回公演[5]。演目は『ドンブラコ』『浮れ達磨』『胡蝶』の三本立て[5]
  • 1919年(大正8年)1月 - 養成会を解散し宝塚音楽歌劇学校を設立[6]。宝塚音楽歌劇学校生徒と卒業生で宝塚少女歌劇団を組織[7] (学校と歌劇団は同体[8])。
  • 1922年(大正11年)6月 - 初の運動会を開催する。
  • 1923年(大正12年) - 入学年齢を数え年13 - 19歳とする[7]
  • 1939年昭和14年)12月 - 宝塚音楽舞踊学校と改称し、学校と歌劇団を分離[9]
  • 1940年(昭和15年)10月 - 宝塚少女歌劇団を宝塚歌劇団に改称[9]
  • 1946年(昭和21年)4月 - 宝塚音楽学校に改称[8]。予科一年制。
  • 1947年(昭和22年) - 入学年齢を数え年16 - 18歳とする[7]
  • 1949年(昭和24年) - 学則改定により、入学年齢は数え年17 - 18歳[7]、卒業後の進路は自由となる。
  • 1951年(昭和26年) - 準学校法人となる。
  • 1953年(昭和28年) - 入学年齢は満15 - 18歳となる[7]
  • 1957年(昭和32年) - 予科・本科の二年制となる(第45期生より)[7]
  • 1987年(昭和62年)10月 - 小林公平が理事長就任
  • 1996年平成8年)8月 - 小林公平が校長就任。
  • 1998年(平成10年)12月 - 新校舎落成、現在の校舎に移転[7]
  • 2009年(平成21年)3月 - 入学試験方法を大幅に変更[7]
    • 4月 - 音校旧校舎が宝塚市立宝塚文化創造館としてオープン。
  • 2010年(平成22年)4月1日 - 角和夫が理事長に就任、岩崎文夫が校長に就任、小林公平が名誉校長に就任。
  • 2013年(平成25年)7月17日 - 創立100周年記念式典が宝塚大劇場で開催される。

特色

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  • 毎日、声楽バレエ日舞など、劇団で必要な事柄について、みっちりレッスンが組まれている。その他の授業には、モダンダンスタップダンス演劇ピアノなどがある。授業の後もすみれ寮でのレッスンがあり、忙しい毎日を送っている。
  • 小林一三による「朗らかに、清く、正しく、美しく」の教えに基づき、礼儀作法やマナーも厳しく、早朝から予科生が稽古場を丁寧に掃除していることは有名である。
  • 1989年より毎年全生徒が陸上自衛隊伊丹駐屯地基本教練の研修を受けている[10]
  • かつては「女士官学校」と呼ばれるほどに厳しさは有名であった。昭和中期には現在に比べると大量の生徒を入学させていたが、同時に多数の落第者を出していた。当時は、夏長期休暇の際にはすべての生徒が家に帰宅させられ、後日通知のあった生徒のみ後期に進めるという厳しいものだった。現在も中退者が出ることがあるが、その中には自主退学した後、復学・卒業した者もいる[11]

入学試験

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入学試験は毎年3月末に行われる。2000年度以降の生徒定員(上限数)は50人[7]であるが、2008年度以降の合格者数は約40人となっている。 なお戦前(1922年頃[12])は年に二回試験が行われていた[13]

競争倍率
2016年度の受験者数は1,079人、倍率は27.0倍である[14]
1960年代までは平均3倍程度であったが、『ベルサイユのばら』上演による宝塚歌劇ブーム以後急速に上昇し「東の東大・西の宝塚」と称されるほどに難関化した[15]。史上最高倍率は1994年度(宝塚歌劇団82期生)入学試験の48.2倍である[16]
2004年度以降は受験者数が減少し20倍前後の倍率を維持していたが、2009年度に受験者数が増加し、同年度の倍率は27.65倍になった。その後は受験者数が1,000人程度、倍率は25倍前後で推移していたが[17]、2023年には倍率は15.3倍まで低下し、2024年は受験者数480名、倍率は12倍と2000年以降で最低となった[18][19]
ジンクス
前述の宝塚歌劇ブームから「『ベルサイユのばら』を上演した翌年の倍率は跳ね上がる」というジンクスが存在していた[20]
応募資格[21]
  • 心身ともに健康で、卒業後宝塚歌劇団生として舞台人に適する者[22]
  • 義務教育終了から高卒までの年齢(15歳 - 18歳)の女子、受験のチャンスは最大4回
試験日程[23]
第1次:面接(東京・宝塚) 30秒間で、氏名以外の自分のデータ [24]を暗唱する。全志願者数→400人
第2次:面接・歌唱(課題曲・新曲視唱)・舞踊(宝塚) 400人→100人
第3次:面接・健康診断(宝塚) 100人→40人
試験内容[23]
面接
宝塚歌劇に適した容姿(端麗であること)、言語、動作、態度等であるか否かについて審査する。
歌唱
課題曲(願書と共に配布、数曲中より1曲を選ぶ)の歌唱。
舞踊
体の柔軟性、リズム感、運動神経、洋舞の適性が審査対象になる。課題は、試験会場で本科生が模範演技を見せる。

試験方法の変更

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宝塚音楽学校の入学試験は創立以来内容をほぼ変更せず続けられていた[25] が、少子化に伴う受験者数の減少[26] と、「スクール[※ 1] で稽古を積まなければ合格できない」というイメージから、受験生がスクールのある都市部に偏り、地方出身者や未経験者が受験し辛い状況になっていたことを受け[27]、2009年度入学試験より試験内容を大幅に変更。

一次試験を面接のみとし、「新曲視唱」や「コールユーブンゲン」(合唱練習)を廃止するなど、実技試験を軽減(その後新曲歌唱は難易度を下げたものが追加された)[28]。受験時の完成度ではなく、素質と将来性を重視した試験へ転換した[26]

2024年度からは応募資格が「容姿端麗で、卒業後宝塚歌劇団生徒として舞台人に適する方」から「心身ともに健康で、卒業後宝塚歌劇団生として舞台人に適する方」に変更となった[22]

服装・校風

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服装

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  • 「TMS」(タカラヅカミュージックスクールの略)のネーム入り校章が胸元に入ったグレーの制服に、赤いリボンタイ。デザインは衣装部の静間潮太郎により、1956年(昭和31年)に制定された。
  • 新入(予科)生は、男役:リーゼント、娘役:オールバックでお団子ヘア
  • 白の三つ折りソックスを着用すること。
  • 靴は、予科生は黒のローファーで、本科生は黒のパンプスである。
  • 腕時計は黒皮ベルトのもの。

予科生の心得

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以下のような不文律が2020年まであった。違反すると反省文提出の制裁が加えられた。しかも内容を受け容れてもらえないと突き返されたという[29]

  • 登下校の際はもちろん、校内でも嬌声や笑い声をたてないよう、姿勢を正してまっすぐ前を見つめて、早足で歩く。2列縦隊(最大6人)で行進しながら、道行く上級生一人一人に挨拶をする。
  • 私服は、黒・白・グレーで、赤い物を着てはいけない。ブランド品を持ってはいけない。プライベートでの化粧は厳禁。
  • 阪急電鉄宝塚線今津線にそれぞれ乗車する際は、最後尾の車両に乗らなければならない[30]。両親と同伴のときも守る必要がある。講師・本科生が、予科生を指導しやすいようにするためというのが、その理由と思われる。また、阪急電鉄関係者[※ 2] であることから、外部の乗客に対する礼として為す、という意味もあるようである。加えて、車内で着座することも厳禁とされており[※ 3]、下車駅では走り去る阪急電車を最敬礼で送ることも規則で決められている(電車に本科生が乗っている可能性があるため)[31]
  • 電子レンジ、目覚まし時計といった、音の出る物品の所有は禁止。
  • 本科生に気づいたら遠くからでも大声で挨拶しなければならない。
  • 本科生の前では笑顔を見せてはならない。「予科顔」と呼ばれる、眉を寄せ口角を下げた悲しげな表情であること。
  • 本科生への応答は「はい」「いいえ」や依頼・謝罪・謝礼(所謂「お・あ・し・す」[※ 4])の言葉以外であってはならない。
  • 一人の違反者が発覚したら、周囲にいる他の者も自分の違反を自発的に申告しなければならない。「連続謝り」と呼ばれる。

公私すべてにおいて、本科生が予科生を指導し、その面倒をみるシステムになっている。

本科生になると、上述の規制は解かれた。

しかし、実際には本科生による行き過ぎた指導は続いており、体を壊した予科生も発生し、問題となったため、「時代に合わせて改善を進めている」として、このような不文律を廃止することが2020年9月に報じられた[32]。ただし、別の報道では、廃止について「数年がかりで撤廃した」という記述もある[33]

学校生活

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校内でレッスンに励む生徒たち(1919年)
入学後
1年目は「予科」、2年目は「本科」と呼ばれ、ほとんどの生徒は寮で集団生活をするが、近隣在住者が入学した場合は、自宅から通学した例がある。
2年生(本科)の文化祭が、芸名でのお披露目であり、この時に「男役でいくか、娘役でいくか」を決める。ただし本人の個性(顔立ち・声など)が顕著な場合は例外もある。以前は身長を基準に高い方を男役、低い方を娘役の時代もあったが、現在は本人の自己選択[34][出典無効]
進級・卒業は無条件ではなく、留年措置も存在する[35]
卒業後
音楽学校卒業後、基本的には全員入団するが、歌劇団から入団を拒否されたり、個人的な事情で入団を辞退する者もいる。中には、その後高校に進学する者もいる。
宝塚歌劇団に入団する場合、学校の席次は入団時にも付いて回る。新入団者の序列は、卒業時の席次であり、これが様々なリストなどで公開されている。
宝塚歌劇団入団後については宝塚歌劇団#歌劇団員と宝塚音楽学校を参照。

イベント

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年間の主なイベントは下記の通り。

  • 4月
  • 5月
    • すみれ募金活動 (予科生と本科生に分かれて募金活動が行われる)
  • 7月
  • 11月
    • 秋の音楽会 (学校講堂にて披露される発表会)
  • 1月
    • 舞台化粧講習(本科生、宝塚歌劇団団員が直接指導にあたる)
  • 2月
  • 3月
    • 卒業式

その他

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  • 「宝塚音楽学校」と記された、取り外し式の無垢の木製表札が開校当時から今も現役で使われており、専属の「看板係」が朝、外に掛け、終業時に収納する。木製なので雨に濡れるなどは論外で、降って来たら取り込む。本人もそうだった紫吹淳によれば、この「看板係」を務めた生徒はトップスターになるという伝承がある[36]
  • 毎週日曜日には、小学4年から中学2年まで(継続なら中学3年まで)の少女の健全育成を目的とした日曜教室「宝塚コドモアテネ」も開設され、宝塚音楽学校の講師陣と設備を利用し、バレエ・日舞・声楽の指導を実施している。
  • 受験合格者の中に宝塚コドモアテネほか、予備校と呼ばれるスクールの出身者が多い。ほとんどのスクールで元タカラジェンヌが直接指導をしている。
  • 宝塚ファミリーランドがあった当時は、宝塚音楽学校生徒で制服着用ならば園内の遊具の利用料が無償でありフリーパスだった。卒業生である大地真央未来創造堂出演の際、学生時代に、ジェットコースターが好きで休みの時、よく遊んだと述べている。
  • かつては音楽学校を卒業しても高等学校卒業の資格は付与されなかった。そのため、三ッ矢直生や真矢ミキなどのように中学卒業または高校を中退して音楽学校に入学した場合は就職や大学入学などのために宝塚歌劇団退団後に改めて高等学校卒業程度認定試験(旧・大学入学資格検定)を受ける卒業生も少なくなかった。その後、後述のように高校修学のサポート制度が開始されたため、この問題は解消されている[37][38]
  • 2003年度よりのカリキュラム改革
    • 中卒や高校を中退して入学する者のために、向陽台高等学校と連携した高校修学(高卒資格取得)サポート制度(希望者のみ)がスタートした。初年度は24人、制度導入後4年間で101名(歌劇団生徒を含む)が利用。
    • 2004年度から2008年度まで千里国際学園から派遣された母語話者による英会話の授業を週1回行っていた。
    • 2009年度より「ピラティス」「ボイストレーニング」の科目を新設。「音楽史」「狂言」「茶道」「英会話」の科目が廃止、選択授業の「器楽」も種目から三味線を廃止しピアノのみに変更。従来からある「演劇」「日舞」の授業内容も見直しが行われた。

96期生生徒退学問題

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問題の経緯

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事件の発端
2008年、96期の一部生徒達から、ある生徒のコンビニでの万引きが疑われるとする目撃情報が同校に寄せられた。生徒は、自らの部屋から他人の私物が見つかる、共用の備品を自分の鞄に入れるなどの行為で、かねてより窃盗癖が周囲に疑われていたため、同校が生徒の部屋を調査した。結果、万引きしたとされる商品は見つからなかったものの、生徒が9日前に宝塚大劇場で拾ったとする他人の財布が発見された。
同年11月[39]、同校は生徒に対し、万引と窃盗(取得した財布を9日間隠匿していたこと)などを理由に退学処分を行った[40]
地裁
しかし、生徒は「他の生徒からいじめを受けており、身に覚えの無い万引をでっち上げられて告げ口で退学処分になった」、「虚偽の事実を元にした処分は無効」と主張し、宝塚音楽学校に地位確認を求める仮処分神戸地方裁判所に申し立てた。
2009年1月、神戸地裁は「万引きを裏付ける客観的な証拠はなく、拾った財布を届けなかったことで退学処分は酷」[40] と、元生徒の地位を認める仮処分命令を下した。これに対して17日、学校は二度目の退学処分を下した。
二度目の申し立て
生徒側は二度目の仮処分申請を地裁に申し立て、同年3月、裁判所は前回と同様にこの退学処分も無効とし[39]、学校が仮処分命令に従わない場合は、服するまでの1日につき1万円の間接制裁を課す命令が下された。
高裁
学校側はこれを不服として大阪高等裁判所抗告をするが、2009年8月、大阪高裁は神戸地裁の判断を認めて不許可の決定を下し、元生徒の復学を認める仮処分が確定した。だが、学校側は大阪高裁による仮処分確定後も司法命令に遵わずに、裁判所が下した決定を無視するという社会規範からの逸脱行為を続行している。裁判所はそれに対し「宝塚音楽学校に教育的配慮が欠けている。」(大阪高裁)「宝塚音楽学校は退学処分を正当化するために責任転嫁を行っている。」(神戸地裁)とした。
地裁
2009年11月1日[39] に元生徒側は、宝塚音楽学校に対し改めて退学処分の取り消しと、慰謝料1000万円の支払いなどを求め、神戸地裁に訴訟を起こした[40][41]
提訴に対し宝塚音楽学校は、「事実に基づき、校訓に従い処分をした。一部で報道されているような捏造の事実はない」「本件は原告が主張するようないじめの問題ではない」との声明を音楽学校のホームページにて発表した(ただし和解成立後その声明を削除)。
しかし、その後の2009年末、1人の96期生のブログが発覚。この生徒は、その後の12月24日にブログ作成を理由に退学処分が決定。翌12月25日に自主退学し、後に98期生として復学したが、入団は辞退している[11]
裁判の過程で、2010年3月18日、4月1日両日、計13名の96期生が証人として出廷した。4月2日には、原告の中学時代の教師、原告の母親が原告側証人として、宝塚音楽学校副校長、同校事務長が被告側証人として出廷。その後原告本人が出廷し証言して、裁判は結審した。判決は6月18日の予定だったが、7月20日に延期された。結審後も和解協議が続行されて、7月14日裁判所の調停を原告、被告が受け入れ裁判は終結した。
調停内容
公表された調停内容は、被告・宝塚音楽学校は二度の退学処分を取り消す、原告に2010年3月1日付けで卒業資格を付与して、卒業証明に必要な書類を送付する、原告は宝塚歌劇団に入団しない、というもので、原告の主張がほぼ認定されて受理された。事実上、被告・宝塚音楽学校の完全敗訴が確定された。なお、被告・宝塚音楽学校から原告への謝罪の有無や慰謝料の金額は非公表[42]

その他

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被害生徒は当時16歳で岩手県出身、平成以降で同県初の本校合格者で、96期生唯一の東北地方出身者であった。加害生徒は多数にのぼり、首謀格とされた生徒は関東地方(東京都)出身者であった。
週刊誌の取材によれば、このいじめは、入学直後、宝塚歌劇のファンが集まるウェブサイト内の掲示板に、有名ファンによって「(被害生徒が)96期で一番きれい」と書き込まれたことが発端で、実際に、期の集合写真でも被害生徒が一人だけ浮き上がって見えてしまうほど容姿端麗という状況があったという。寮生活において、同期生が「存在を消して」「死ねばいいのに」「私の視界に入るな」といった罵詈雑言を原告に浴びせ[43][44][45][46]、さらに、私物をゴミ箱に捨てられた[47] 他、「洗濯物が汚い」という理由で洗濯機の使用を早朝5時に制限する[43]、ライターやナイフを鞄に入れていると言う[48]、共用スプレーを誤って鞄に入れてしまったことを「盗難」と騒ぎ立てる[48][49]、メーリングリストから一人だけ外して情報を与えない[47][50]、また携帯電話を取りあげ通話履歴やメールの内容を確認したり、密室で取り囲み平手打ちを繰り返したり、寮の一室に数時間にわたって監禁状態に置く、最後まで仲良くしていた生徒(佐賀県出身)を引き離すことで完全に孤立させる、などといったいじめ行為が半年間以上にわたって行われていたという。
また、宝塚音楽学校の職員も、原告が万引きの疑惑をかけられた際に防犯カメラを見ればわかると訴えても無視し[48]、副校長・今西正子(旧芸名:葉山三千子)が「本当にやっていないなら(弁明を)言えるんじゃないの?」と発言[48][51]、他の職員も「見ていたらイライラする」と発言した[43][51]、と報道された。

周辺情報

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脚注

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注釈

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  1. ^ 宝塚音楽学校の受験技術を専門に指導する民間の教室。
  2. ^ 同時に阪急阪神東宝グループの一員でもある。
  3. ^ これは鉄道員が業務上の移動にやむなく自社線を使用する場合も同じ。
  4. ^ 「お願いします」「ありがとう(ございます)」「失礼します(しました)」「すみません」の4語の頭文字なのでこのように呼ばれる

出典

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  1. ^ 戦前は劇団と学校が一体的に運営され、劇団は研究科であったころの名残から宝塚歌劇団の劇団員も公式には生徒と称している。
  2. ^ 兵庫県の各種学校「阪神北地区」に記載あり。参考
  3. ^ a b 宝塚の新理事長は元宙組プロデューサー いじめ否定会見では遺族に「証拠を」 産経ニュース。
  4. ^ a b 90年史, p. 179.
  5. ^ a b 90年史, pp. 179–180.
  6. ^ 90年史, p. 182.
  7. ^ a b c d e f g h i 学校の歴史|宝塚音楽学校”. 宝塚音楽学校. 2022年4月4日閲覧。
  8. ^ a b 90年史, p. 180.
  9. ^ a b 90年史, p. 189.
  10. ^ 「地域に密着した民生支援活動を紹介 自衛隊はいつも私達の隣にいる」 『MAMOR』、2010年9月、Vol.43、扶桑社、8-12頁
  11. ^ a b 薮下哲司、「宝塚音楽学校第98期生の文化祭」スポニチ、2012年2月19日
  12. ^ 宝塚少女歌劇二十年史96,98頁
  13. ^ 歌劇1934年12月20-21頁
  14. ^ 宝塚音楽学校で合格発表 40人が難関突破 神戸新聞デジタル」 2015年3月30日11時34分付
  15. ^ 平松澄子【ベテラン記者のデイリーコラム・平松澄子の麗しの歌劇】“東の東大、西の宝塚”宝塚音楽学校100期生に」 MSN産経west、2012年1月21日16時30付、2頁
  16. ^ 宝塚の入学試験は“東の東大、西の宝塚”というほど狭き門」 NEWS ポスト セブン(女性セブン2011年10月13日号掲載記事)
  17. ^ 宝塚音楽学校合格発表! All About」 2015年3月27日付
  18. ^ 宝塚音楽学校の合格発表 倍率は2000年以降で最低に”. 関西 NEWS WEB. NHK (2024年3月27日). 2024年4月9日閲覧。
  19. ^ 宝塚音楽学校、合格発表 受験倍率は2000年以降で最低”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社 (2024年3月27日). 2024年4月9日閲覧。
  20. ^ 桜木星子宝塚音楽学校合格発表!All About宝塚ファン、2002年4月1日
  21. ^ 募集要項について 宝塚音楽学校
  22. ^ a b タカラジェンヌ「容姿端麗」問わず…音楽学校「時代や環境の変化」、ファン「美しいスターあってこそ」”. 読売新聞 (2024年11月10日). 2024年11月10日閲覧。
  23. ^ a b 入学試験について 宝塚音楽学校
  24. ^ 受験番号、受験の回数(1回目の受験の場合は「初めて」と言い、2回目以降の受験の場合は回数を言う。)
  25. ^ 宝塚音楽学校、2009年度から入試方法変更へ」 スポニチ Sponichi Annex、2008年4月26日
  26. ^ a b タカラジェンヌ「入試」大改革MSN産経ニュース、2008年6月3日20時27分
  27. ^ 質問なるほドリ:宝塚音楽学校の改革って?=回答・出水奈美 毎日jp、2009年10月24日
  28. ^ 「宝塚」1次試験 実技廃止…音楽学校読売新聞、2008年04月26日
  29. ^ 宝塚音楽学校OG、本科生の指導「ハラスメントだった」朝日新聞2020年9月12日 たかね吹々己
  30. ^ 高汐巴著『清く正しく美しく』(1989年7月発行・ISBN 978-4891980771)より。
  31. ^ 近藤正高著『私鉄探検』(2008年6月17日発行・ISBN 978-4797346602)より。
  32. ^ 阪急電車への一礼、やめます 宝塚音楽学校が不文律廃止”. 朝日新聞 (2020年9月11日). 2020年9月12日閲覧。
  33. ^ 阪急電車に一礼、先輩の前では口角下げる…宝塚音楽学校が「伝統的作法」廃止”. 毎日新聞 (2020年9月12日). 2020年9月19日閲覧。
  34. ^ NHKBSプレミアム「宝塚歌劇 華麗なる100年~スターが語る夢の世界~」
  35. ^ 薮下哲司、「宝塚音楽学校第97期文化祭「風の中へ グラン・ジュッテ!」」スポニチ、2011年2月21日
  36. ^ 紫吹淳 宝塚音楽学校にまつわる裏話、“看板係”が「トップスターになっている確率高い」日刊スポーツ2022年7月28日
  37. ^ 真矢ミキ、高卒認定5科目合格に涙 「人生の穴、今から埋めてもいいんだ」”. ハフポスト (2017年9月18日). 2021年7月28日閲覧。
  38. ^ 首席で音楽学校に入学した「宝塚スーパーOG」の壮絶人生”. FRIDAY (2021年1月7日). 2021年7月28日閲覧。
  39. ^ a b c “退学処分の取り消し求め「宝塚音楽学校」を提訴 兵庫”. MSN産経ニュース. (2009年11月4日). オリジナルの20091115233640時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100715233640/http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/hyogo/091104/hyg0911042219004-n1.htm 2010年3月11日閲覧。 
  40. ^ a b c “宝塚音楽学校の退学無効、万引き認めず地裁が仮処分2度も”. 読売新聞. (2009年11月4日). http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20091105-OYO1T00888.htm?from=main1 2010年3月11日閲覧。 [リンク切れ]
  41. ^ 神戸地方裁判所第六民事部 地位確認等請求事件 事件番号:平成21年(ワ)第3485番
  42. ^ “退学処分撤回、女性と調停成立 宝塚音楽学校訴訟”. 神戸新聞. (2010年7月15日). オリジナルの20091117110630時点におけるアーカイブ。. http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003201121.shtml 2010年7月15日閲覧。 
  43. ^ a b c 山藤章一郎と本誌取材班、「ニュースを見に行く!現場の磁力:第174回宝塚<すみれ寮>でなにが起きたか「宝塚生徒 いじめ裁判」と「有馬稲子、天海祐希」の話」、『週刊ポスト』2010年4月9日号、小学館、141頁 - 143頁。
  44. ^ 山下教介『タカラヅカいじめ裁判』(鹿砦社、2010年)p61
  45. ^ 毎日新聞2009年11月5日朝刊
  46. ^ 瀬戸宏「宝塚音楽学校96期裁判訴状」、『近現代演劇研究』11号p51
  47. ^ a b 「陰惨法廷一部始終:宝塚音楽学校「女の園いじめ裁判」は凄い!」、『女性セブン』2010年4月22日号、小学館、44頁 - 45頁
  48. ^ a b c d 「宝塚音楽学校:清く正しく美しい「イジメ退学」大騒動」、『週刊新潮』2009年11月9日号、株式会社新潮社、122頁 - 123頁。
  49. ^ 山下教介『タカラヅカいじめ裁判』p31
  50. ^ 山下教介『タカラヅカいじめ裁判』p115
  51. ^ a b 山下教介『タカラヅカいじめ裁判』p49

参考文献

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  • 執筆:國眼隆一 著、編集:森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日。ISBN 4-484-04601-6NCID BA66869802全国書誌番号:20613764 

関連項目

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外部リンク

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