宝塚歌劇団14期生
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宝塚歌劇団14期生(たからづかかげきだん14きせい)とは、1924年(大正13年)に宝塚歌劇団(当時の名称は宝塚音楽歌劇学校/宝塚少女歌劇団[注釈 1])に入団し、1925年(大正14年)もしくは1926年(大正15年)に初舞台を踏んだ40人を指す[2]。初舞台の公演演目は不明である。
一覧
[編集]1925年初舞台
[編集]同じ初舞台グループで分けている[2]。
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
岩瀬澄子 | いわせ すみこ | 1929年 | |||||||
打出もと子 | うちで もとこ | 1932年 | 改名後は峰松子(みね まつこ) | ||||||
浦野まつほ | うらの まつほ | 愛媛県松山市[3] | 娘役 | 1931年 | 夫は岸田辰彌[4] 舅は岸田吟香 孫は岸田尚 義兄は岸田劉生 姪は岸田麗子 姪孫は岸田夏子 | ||||
大町かな子 | おおまち かなこ | 6月16日[5] | 1935年 | ||||||
笠原和子 | かさはら かずこ | 11月14日[5] | 大阪府大阪市[6] | 同期生の早蕨郁子が命名 | 娘役 | 1935年 | |||
賀茂なか子 | かも なかこ | 9月8日[5][7] | 京都府[7] | 百人一首[7] | 1935年 | 姉は雪野富士子[8] 改名後は加茂なか子 | |||
如月照子 | きさらぎ てるこ | 12月5日[5] | 香川県小豆郡[9][10] | 團ちゃん[7] 團子山[11] |
1935年 | ||||
小櫻咲子 | こざくら さきこ | 3月1日[5] | 1934年 | ||||||
栄蘭子 | さかえ らんこ | 1928年 | |||||||
早蕨郁子 | さわらび いくこ | 京都府京丹後市[9] | チバさん | 1929年 | |||||
島幾代 | しま いくよ | 11月14日[5] | 1935年 | ||||||
花里いさ子 | はなさと いさこ | 1月21日[5] | 兵庫県神戸市 | 娘役 | 1948年 | ||||
速川すみれ | はやかわ すみれ | 1927年 | |||||||
春名夢子 | はるな ゆめこ | 1930年 | |||||||
保良さよ子 | やすら さよこ | 5月13日[5] | 1936年 | ||||||
松浪とわ子 | まつなみ とわこ | 1929年 | |||||||
御幸市子 | みゆき いちこ | 6月20日[5] | エミちゃん | 娘役 | 1936年 | 姉は田鶴園子[8] 姪は俳優・岡田茉莉子 | |||
八重櫻子 | やえ さくらこ | 1928年 |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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青葉満 | あおば みつる | 東京都文京区[9] | 1931年 | ||||||
浦路もしほ | うらじ もしほ | 1929年 | |||||||
近江比佐子 | おおみ ひさこ | 3月15日 | プール女学校 | 1930年 | 息子は日本文学研究者の平山城児 孫は作家の平山瑞穂 改名後は近江ひさ子 | ||||
小月嘉子 | おづき よしこ | 1928年 | 改名後は小月保子(おづき よしこ) | ||||||
櫻井重子 | さくらい しげこ | 1925年 | |||||||
住野さへ子 | すみの さえこ | 1月12日[12] | 福岡県北九州市[12] | ピーチ[13] | 1932年 | ||||
田鶴園子 | たづる そのこ | 10月25日 | 大阪府大阪市天王寺区 | 男役 | 1932年 | 妹は御幸市子[8] 夫は俳優・岡田時彦[14] 娘は俳優・岡田茉莉子[15] | |||
玉緒しのぶ | たまお しのぶ | 1926年 | |||||||
月見小夜子 | つきみ さよこ | 1931年 | |||||||
筑紫美奈子 | つくば みなこ | 1928年 | |||||||
初音麗子 | はつね れいこ | 1月7日[5] | 兵庫県神戸市 | 松蔭高等女学校 | キューピーさん ムーヤン[16] ムトウさん[11] ムーさん[17] ムトやん |
男役 | 1945年 | 俳優・初音礼子[18] 宝塚新芸座座長[18] | |
葉々かつら | はば かつら | 1925年 | |||||||
光静子 | ひかり しずこ | 8月22日 | 1932年 | ||||||
松風律子 | まつかぜ りつこ | 8月11日[5] | エミ姉たん[19] | 1933年 | |||||
水木千々子 | みずき ちぢこ | 1926年 | |||||||
三輪ひとみ | みわ ひとみ | 1930年 |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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香織露子 | かおり つゆこ | 1927年 |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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柴仲子 | しば なかこ | 1926年 | |||||||
長柄とめよ | ながら とめよ | 1925年 |
芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
眞砂鈴子 | まさご すずこ | 1927年 |
1926年初舞台
[編集]芸名[2] | 読み仮名[2] | 誕生日 | 出身地 | 出身校 | 芸名の由来 | 愛称 | 役柄 | 退団年[2] | 備考 |
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嵯峨あきら | さが あきら | 9月8日[5] | 長崎県五島市 | 活水女学校 | 万葉集[17] | オッチン コガラ |
男役 | 1938年 | 長崎県観光土産チェーン会社「16番館」経営 |
藤波倭子 | ふじなみ しずこ | 1928年 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 90年史 2004, p. 180.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 100年史(人物) 2014, p. 11.
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1927年9月、90号、P38
- ^ 橋本 1999, p. 200.
- ^ a b c d e f g h i j k l 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年1月、154号
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1931年8月1日、137号
- ^ a b c d 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年5月、158号
- ^ a b c 80年史 1994, p. 196.
- ^ a b c 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1929年1月1日、106号
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1934年1月、166号
- ^ a b 『エスエス』、東宝発行所、1939年7月号
- ^ a b 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1932年1月、142号、P128
- ^ 『エスエス』、東宝発行所、1938年4月号、P96
- ^ 橋本 1999, p. 197.
- ^ 宇佐見正「あゆみI (1914〜32)」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、62頁。
- ^ 『エスエス』、東宝発行所、1938年1月号
- ^ a b 『エスエス』、東宝発行所、1938年2月号
- ^ a b 橋本 1999, p. 175.
- ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年6月、159号
参考文献
[編集]- 企画・構成・執筆:橋本雅夫 著、編集統括:北川方英 編『夢を描いて華やかに―宝塚歌劇80年史―』宝塚歌劇団、1994年9月9日。ISBN 4-924333-11-5。
- 執筆:國眼隆一 著、編集:森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日。ISBN 4-484-04601-6。 NCID BA66869802。全国書誌番号:20613764。
- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。
- 橋本雅夫『素晴らしい宝塚歌劇―夢とロマンの85年―』阪急電鉄コミュニケーション事業部、1999年9月10日。ISBN 4-89485-013-3。