コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

宝塚歌劇団14期生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宝塚歌劇団14期生(たからづかかげきだん14きせい)とは、1924年(大正13年)に宝塚歌劇団(当時の名称は宝塚音楽歌劇学校/宝塚少女歌劇団[注釈 1])に入団し、1925年(大正14年)もしくは1926年(大正15年)に初舞台を踏んだ40人を指す[2]。初舞台の公演演目は不明である。

一覧

[編集]

1925年初舞台

[編集]

同じ初舞台グループで分けている[2]

芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
岩瀬澄子 いわせ すみこ 1929年
打出もと子 うちで もとこ 1932年 改名後は峰松子(みね まつこ)
浦野まつほ うらの まつほ 愛媛県松山市[3] 娘役 1931年 夫は岸田辰彌[4]
舅は岸田吟香
孫は岸田尚
義兄は岸田劉生
姪は岸田麗子
姪孫は岸田夏子
大町かな子 おおまち かなこ 6月16日[5] 1935年
笠原和子 かさはら かずこ 11月14日[5] 大阪府大阪市[6] 同期生の早蕨郁子が命名 娘役 1935年
賀茂なか子 かも なかこ 9月8日[5][7] 京都府[7] 百人一首[7] 1935年 姉は雪野富士子[8]
改名後は加茂なか子
如月照子 きさらぎ てるこ 12月5日[5] 香川県小豆郡[9][10] 團ちゃん[7]
團子山[11]
1935年
小櫻咲子 こざくら さきこ 3月1日[5] 1934年
栄蘭子 さかえ らんこ 1928年
早蕨郁子 さわらび いくこ 京都府京丹後市[9] チバさん 1929年
島幾代 しま いくよ 11月14日[5] 1935年
花里いさ子 はなさと いさこ 1月21日[5] 兵庫県神戸市 娘役 1948年
速川すみれ はやかわ すみれ 1927年
春名夢子 はるな ゆめこ 1930年
保良さよ子 やすら さよこ 5月13日[5] 1936年
松浪とわ子 まつなみ とわこ 1929年
御幸市子 みゆき いちこ 6月20日[5] エミちゃん 娘役 1936年 姉は田鶴園子[8]
姪は俳優・岡田茉莉子
八重櫻子 やえ さくらこ 1928年
7月 月組公演『島の女軍』『看板供養』『毒の花園』『鏡の宮』『野心家』
芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
青葉満 あおば みつる 東京都文京区[9] 1931年
浦路もしほ うらじ もしほ 1929年
近江比佐子 おおみ ひさこ 3月15日 プール女学校 1930年 息子は日本文学研究者の平山城児
孫は作家平山瑞穂
改名後は近江ひさ子
小月嘉子 おづき よしこ 1928年 改名後は小月保子(おづき よしこ)
櫻井重子 さくらい しげこ 1925年
住野さへ子 すみの さえこ 1月12日[12] 福岡県北九州市[12] ピーチ[13] 1932年
田鶴園子 たづる そのこ 10月25日 大阪府大阪市天王寺区 男役 1932年 妹は御幸市子[8]
夫は俳優岡田時彦[14]
娘は俳優・岡田茉莉子[15]
玉緒しのぶ たまお しのぶ 1926年
月見小夜子 つきみ さよこ 1931年
筑紫美奈子 つくば みなこ 1928年
初音麗子 はつね れいこ 1月7日[5] 兵庫県神戸市 松蔭高等女学校 キューピーさん
ムーヤン[16]
ムトウさん[11]
ムーさん[17]
ムトやん
男役 1945年 俳優・初音礼子[18]
宝塚新芸座座長[18]
葉々かつら はば かつら 1925年
光静子 ひかり しずこ 8月22日 1932年
松風律子 まつかぜ りつこ 8月11日[5] エミ姉たん[19] 1933年
水木千々子 みずき ちぢこ 1926年
三輪ひとみ みわ ひとみ 1930年
芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
香織露子 かおり つゆこ 1927年
芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
柴仲子 しば なかこ 1926年
長柄とめよ ながら とめよ 1925年
芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
眞砂鈴子 まさご すずこ 1927年

1926年初舞台

[編集]
芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
嵯峨あきら さが あきら 9月8日[5] 長崎県五島市 活水女学校 万葉集[17] オッチン
コガラ
男役 1938年 長崎県観光土産チェーン会社「16番館」経営
藤波倭子 ふじなみ しずこ 1928年

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1939年に分離されるまで学校と劇団は一体的に運営されており、入学イコール入団であった[1]

出典

[編集]
  1. ^ 90年史 2004, p. 180.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 100年史(人物) 2014, p. 11.
  3. ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1927年9月、90号、P38
  4. ^ 橋本 1999, p. 200.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年1月、154号
  6. ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1931年8月1日、137号
  7. ^ a b c d 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年5月、158号
  8. ^ a b c 80年史 1994, p. 196.
  9. ^ a b c 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1929年1月1日、106号
  10. ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1934年1月、166号
  11. ^ a b 『エスエス』、東宝発行所、1939年7月号
  12. ^ a b 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1932年1月、142号、P128
  13. ^ 『エスエス』、東宝発行所、1938年4月号、P96
  14. ^ 橋本 1999, p. 197.
  15. ^ 宇佐見正「あゆみI (1914〜32)」『おお宝塚60年―「ドンブラコ」から「ベルばら」まで』朝日新聞社、1976年11月30日、62頁。 
  16. ^ 『エスエス』、東宝発行所、1938年1月号
  17. ^ a b 『エスエス』、東宝発行所、1938年2月号
  18. ^ a b 橋本 1999, p. 175.
  19. ^ 『歌劇』、宝塚少女歌劇団、1933年6月、159号

参考文献

[編集]
  • 企画・構成・執筆:橋本雅夫 著、編集統括:北川方英 編『夢を描いて華やかに―宝塚歌劇80年史―』宝塚歌劇団、1994年9月9日。ISBN 4-924333-11-5 
  • 執筆:國眼隆一 著、編集:森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日。ISBN 4-484-04601-6NCID BA66869802全国書誌番号:20613764 
  • 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0 
  • 橋本雅夫『素晴らしい宝塚歌劇―夢とロマンの85年―』阪急電鉄コミュニケーション事業部、1999年9月10日。ISBN 4-89485-013-3