雲野かよ子
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雲野 かよ子(くもの かよこ、本名:川口華子[1]、旧姓:鳥居、1908年(明治41年)8月20日 - 1991年(平成3年)[2])は、元宝塚少女歌劇団月組主演娘役クラスの人物である。東京市神田区(現・東京都千代田区)出身[3]。愛称は華ちゃん[4]。宝塚歌劇団月組トップスター・理事を務めた天津乙女は実姉[5]。
略歴
[編集]1921年、11期生として、宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入学し、1923年に初舞台を踏む[6]。当時、学校と劇団は一体で、入学イコール入団であった[7]。
退団後に川口正と結婚[8]。戦時中は上海におり、戦後に引揚者として上海から日本に引き揚げた[8]。日本に引き揚げ後は、宝塚コドモアテネ日本舞踊講師、宝塚音楽学校古典演劇講師、宝塚歌劇団日本舞踊振付家として活動した。
没後、2014年に姉・乙女とともに宝塚歌劇団の殿堂入りを果たした[9][10]。なお、歴代タカラジェンヌで姉妹で殿堂入りを果たしたのは天津乙女・雲野かよ子姉妹の二人のみである。
宝塚少女歌劇団時代の主な舞台出演
[編集]- 『琵琶記』『あこがれ』(月組)(1923年3月20日 - 4月10日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『兄さん閉口』(月組)(1923年5月11日 - 6月10日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『政岡の局』(月組)(1924年3月1日 - 3月31日、宝塚新歌劇場(中劇場))
- 『身替音頭』(月・花組)(1924年7月19日 - 9月2日、宝塚大劇場)
- 『鏡の宮』(月組)(1925年7月1日 - 7月31日、宝塚大劇場)
- 『車供養』(月組)(1925年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『陽春』(月組)(1926年1月1日 - 1月31日、宝塚大劇場)
- 『飴』(月組)(1926年4月1日 - 4月30日、宝塚大劇場)
- 『我等の世界』(月組)(1926年7月1日 - 7月31日、宝塚大劇場)
- 『喧嘩は止めろ』(月組)(1926年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『厳島物語』『阿七狂熖』(月組)(1927年2月1日 - 2月28日、宝塚大劇場)
- 『小野道風』『愛の復活』(月組)(1927年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『國性爺』『一條大蔵卿』(月組)(1927年8月1日 - 8月31日、宝塚大劇場)
- 『夕顔の巻』『兜』(月組)(1927年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場)
- 『三人静』(月組)(1928年3月1日 - 3月31日、宝塚大劇場)
- 『若紫の巻』『慈光』(月組)(1928年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場)
- 『絶えざる動き』『ハレムの宮殿』(月組)(1928年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)
- 『夢殿』(月組)(1928年12月1日 - 12月28日、中劇場)
- 『江戸名物詩』『石馬寺の怪異』(月組)(1929年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)
- 『後の景清』『落葉』(月組)(1929年12月1日 - 12月28日、中劇場)
- 『敦盛』『賣家』(月組)(1930年2月1日 - 2月28日、中劇場)
- 『玉蟲祈願』(月組)(1930年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『若き日の時平』(月組)(1930年8月1日 - 8月31日、宝塚大劇場)
- 『王朝華かなりし頃』『唐人お吉』『とんだ間違ひ』(月組)(1930年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場)
- 『鞠争ひ』(月組)(1931年7月1日 - 7月31日、宝塚大劇場)
- 『紅葉狩』『かたきうち』(月組)(1931年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『お弓始』(月組)(1932年2月1日 - 2月29日、宝塚大劇場)
- 『フービーガール』(月組)(1932年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『狂乱橋供養』『ブーケ・ダムール』(月組)(1932年8月1日 - 8月31日、宝塚大劇場)
- 『追儺物語』『鏡獅子』(月組)(1933年2月1日 - 2月28日、宝塚大劇場)
- 『ヴォルガの船唄』『お夏幻想曲』(月組)(1933年5月1日 - 5月31日、宝塚大劇場)
- 『日本花笠始』『花詩集』(月組)(1933年8月1日 - 8月31日、宝塚大劇場)
- 『ロミオとジュリエット』- ジュリエット 役(月組)(1933年10月1日 - 10月22日、中劇場)
- 『春のをどり』『トウランドット姫』(月組)(1934年3月26日 - 4月30日、宝塚大劇場)
- 『滄海秘曲』『竹柴道中記』(月組)(1934年5月5日 - 5月20日、中劇場)
- 『人形』(月組)(1934年9月1日 - 9月30日、宝塚大劇場)
- 『鳩姫里歸り』『青春』(月組)(1934年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場)
- 『仇討以上』『宝塚むすめ祭』(月組)(1935年9月25日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『火坑』『になひ文』『ミュージック・アルバム』(月組)(1936年2月1日 - 2月29日、宝塚大劇場)
- 『気まぐれジュリア』(月組)(1936年3月10日 - 3月25日、中劇場)
- 『戀に破れたるサムライ』(月組)(1937年3月1日 - 3月31日、宝塚大劇場)
- 『出世の牛若』(花組)(1937年10月1日 - 10月31日、宝塚大劇場)
- 『祭禮の夜』(月組)(1939年5月26日 - 6月25日、宝塚大劇場)
- 『春怨』(花組)(1939年10月26日 - 11月24日、宝塚大劇場)
- 『清姫』(月組)(1940年3月26日 - 4月24日、宝塚大劇場)
- 『竹生島龍神記』(月組)(1940年6月26日 - 7月24日、宝塚大劇場)
- 『忘草忍ぶ草』『満潮』(月組)(1940年9月26日 - 10月24日、宝塚大劇場)
- 『夢見曾我』(月組)(1941年1月1日 - 1月24日、宝塚大劇場)
出典
[編集]- ^ 『別冊1億人の昭和史 タカラヅカ 華麗な舞台とスターを育てた70年』、毎日新聞社、1981年、P170
- ^ 宝塚歌劇の殿堂 第一会場『殿堂ゾーン』の雲野かよ子本人の展示パネルから
- ^ 『寳塚』平井房人著、啓方閣、1934年10月5日、P196
- ^ 『寶塚グラフ』、宝塚少女歌劇団、1937年4月15日号
- ^ 80年史 1994, p. 196.
- ^ a b 100年史(人物) 2014, p. 8.
- ^ 90年史 2004, p. 180.
- ^ a b 『宝塚スター物語』丸尾長顕著、實業之日本社、1949年5月15日
- ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ 2022年6月25日閲覧。
- ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0。
- ^ “常設展1「宝塚と手塚治虫」3|常設展|手塚治虫記念館”. 手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL. 手塚プロダクション. 2022年6月25日閲覧。
- ^ 日経ビジネス1981年8月24号 p96-97
参考文献
[編集]- 企画・構成・執筆:橋本雅夫 著、編集統括:北川方英 編『夢を描いて華やかに―宝塚歌劇80年史―』宝塚歌劇団、1994年9月9日。ISBN 4-924333-11-5。
- 執筆:國眼隆一 著、編集:森照実・春馬誉貴子・相井美由紀・山本久美子 編『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日。ISBN 4-484-04601-6。 NCID BA66869802。全国書誌番号:20613764。
- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。