「過去に存在したジャスコの店舗」の版間の差分
Supamaketo (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
閉店しています |
||
896行目: | 896行目: | ||
: 閉店時の直営店舗面積約4,791m<sup>2</sup><ref name="jusco-annual-reference-2001" />。 |
: 閉店時の直営店舗面積約4,791m<sup>2</sup><ref name="jusco-annual-reference-2001" />。 |
||
: 大四日市商業開発協同組合を母体とする(株)鈴鹿ハンターが開発したショッピングセンター「鈴鹿ハンター」(敷地面積33,000m<sup>2</sup>、延べ床面積18,800m<sup>2</sup>、店舗面積約10,300m<sup>2</sup>)の核店舗として出店していた<ref name="kijima-jusco-studies-1977-5" />。旧名ジャスコ鈴鹿店。衣料のみ販売{{Sfn|ジャスコ|2000|p=277}}。 |
: 大四日市商業開発協同組合を母体とする(株)鈴鹿ハンターが開発したショッピングセンター「鈴鹿ハンター」(敷地面積33,000m<sup>2</sup>、延べ床面積18,800m<sup>2</sup>、店舗面積約10,300m<sup>2</sup>)の核店舗として出店していた<ref name="kijima-jusco-studies-1977-5" />。旧名ジャスコ鈴鹿店。衣料のみ販売{{Sfn|ジャスコ|2000|p=277}}。 |
||
: 1996年(平成8年)11月29日のイオン鈴鹿ショッピングセンターベルシティ(現・[[イオンモール鈴鹿]])開店<ref name="nissyoku-1996-12-2-5C">“ジャスコなどイオングループ3社の「ベルシティ」開店で内覧会開催”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1996年12月2日)</ref><ref name="nissyoku-1996-11-15-4A">“「イオン鈴鹿ベルシティ」ジャスコ最大規模の核店舗中心に29日開業”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1996年11月15日)</ref>{{要出典範囲|date=2023年9月|後に閉店。現在はジャスコ部分は衣料品店「ステップ」など。このこともあり鈴鹿ハンターには[[モーリーファンタジー]](旧らんらんらんど)が入居してい |
: 1996年(平成8年)11月29日のイオン鈴鹿ショッピングセンターベルシティ(現・[[イオンモール鈴鹿]])開店<ref name="nissyoku-1996-12-2-5C">“ジャスコなどイオングループ3社の「ベルシティ」開店で内覧会開催”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1996年12月2日)</ref><ref name="nissyoku-1996-11-15-4A">“「イオン鈴鹿ベルシティ」ジャスコ最大規模の核店舗中心に29日開業”. [[日本食糧新聞]](日本食糧新聞社). (1996年11月15日)</ref>{{要出典範囲|date=2023年9月|後に閉店。現在はジャスコ部分は衣料品店「ステップ」など。このこともあり鈴鹿ハンターには[[モーリーファンタジー]](旧らんらんらんど)が入居していた。}} |
||
* (初代)亀山店([[亀山市]]本町695<ref name="company-yearbook-1968-1371">『会社企業名鑑 昭和43年版』 [[日本統計協会]]、1968年。pp1371</ref>、1964年(昭和39年)<ref name="kijima-jusco-studies-1977-5" /> 6月23日開店) |
* (初代)亀山店([[亀山市]]本町695<ref name="company-yearbook-1968-1371">『会社企業名鑑 昭和43年版』 [[日本統計協会]]、1968年。pp1371</ref>、1964年(昭和39年)<ref name="kijima-jusco-studies-1977-5" /> 6月23日開店) |
||
: 店舗面積600m<sup>2</sup><ref name="supermarcket-yearbook-1969-382" />。 |
: 店舗面積600m<sup>2</sup><ref name="supermarcket-yearbook-1969-382" />。 |
2023年11月1日 (水) 00:15時点における版
過去に存在したジャスコの店舗(かこにそんざいしたジャスコのてんぽ)は、かつてジャスコとして営業していた店舗の情報を掲載している。
2011年(平成23年)2月28日まで営業していたジャスコ店舗は全てイオンなどへ転換された[1]。本稿では、イオンに転換された2011年(平成23年)3月1日以前に閉店したジャスコ店舗について掲載している。同日にイオンへ転換した旧ジャスコ店は記載していない。
- ×は現在建物が解体された店舗。
東北地区
青森県
弘前市
- 1998年に佐藤長に譲渡され、11月にさとちょう堅田店として開店。[要出典]
- その後、2019年に同店で発生した火災の影響で半焼。店舗解体後、2021年6月にハッピードラッグ弘前堅田店が開店。[要出典]
- ウエルマート高杉店(?開店 - 1998年(平成10年)閉店)弘前市高杉五反田92−22[要出典]
- 1998年に佐藤長に譲渡され、3月にさとちょう高杉店として開店。[要出典]
- 1998年に佐藤長に譲渡され、1月にさとちょう相馬店として開店。[要出典]
弘前市以外
- 店舗面積約11,337m2[3]、延べ床面積約18,192m2[3]。
- 閉店時の直営店舗面積約9,758m2[5]
- 黒石市の中心部から南に2km[6]。黒石市と弘前市を結ぶ国道102号[4] と県道大鰐浪岡線沿いにあった敷地面積約35,000m2に延べ床面積約18,000m2で1,200台の駐車場を持つ郊外型店舗であったが[7]、アクロスプラザ黒石などの競合店が[7] 黒石市内や弘前市に進出して競争で集客力が低下して[6] 売上が全盛期から半減したため[7]、「地域ニーズの変化」を理由に閉店し[6]、閉店の約1ヵ月後に4.5km南の平川市にイオンタウン平賀を開店させた[6]。2008年(平成20年)に解体され農地に戻った。イオングループのメガペトロのガソリンスタンドペトラス黒石店が1997年(平成9年)12月12日から併設されていた[8]。
- 黒石市内には2002年(平成14年)10月29日にマックスバリュ黒石店が開業している[9]。
- ウエルマート黒石店(黒石市追子野木3丁目、?開店 - 2001年(平成13年)閉店)[要出典]
- 2001年にマックスバリュ東北に譲渡され[2]、10月にマックスバリュ黒石店として業態転換。[要出典]
- その後、2002年10月29日に近隣に移転。[要出典]
- 跡地はゲオ黒石バイパス店となっている。[要出典]
- 1998年に佐藤長に譲渡され、2月にさとちょう常盤店として開店。[要出典]
- 1998年にタップスSAVOYに譲渡され、タップスサボイ森田店として開店。その後閉店し、2003年12月にさとちょう森田店が開店。[要出典]
- 1998年(平成10年)に亀屋みなみチェーンに譲渡され、K・バリューむつ中央店として開店。[要出典]
- その後、2001年末から2002年にかけて起きた亀屋みなみチェーンの経営破綻によりマックスバリュ東北へと譲渡(イオングループへ出戻り)され、マックスバリュむつ中央店として再開業。その後、ザ・ビッグむつ中央店へ業態転換した後、閉店。跡地には2011年12月にさとちょうむつ中央店が開店。[要出典]
岩手県
- 敷地面積約13,375m2[15](東棟約7,073m2[15]、西棟約6,302m2[15])、延べ床面積約30,482m2[15](東棟:鉄筋コンクリート造・地下1階・地上4階建て約19,908m2[15]、西棟:鉄骨造り地上5階建て約10,574m2[15])、店舗面積約15,399m2[10]
- 閉店時の直営店舗面積約7,324m2[14]
- 横町一番街の市街地再開発ビルで建設された「横町市街地再開発商業ビル」(ショッピングシティメイプル)の核店舗として開店[15]。
- メイプルも2005年(平成17年)に閉店して[16] 国の補助金なども活用して改装し[17]、2006年(平成18年)に地元スーパーを核店舗として再開業した[16](ジョイス水沢中央店など)。
宮城県
仙台市
- 店舗跡は、仙台フォーラス[19](店舗面積14,106m2[20])。ダイエー仙台店に苦戦を強いられ、業態転換。業態転換に際し、規定を満たすと大店法への再届出が不要なため、長崎屋一番町店(その後の長崎屋シャル)とともに「ジャスコ・長崎屋問題」として地元商店街などと揉めていた。[要出典]
- 鉄筋コンクリート造・2階建て[21]。延べ床面積9,338m2[21]、店舗面積約6,600m2[21](直営店舗面積約4,015m2[21])
- カクダイジャスコ(現:イオン東北)が開店[11]。1992年(平成4年)3月、ジャスコに営業譲渡[11]。
- 1997年(平成9年)5月1日に仙台中山ショッピングセンターが開店した[23] 後の1998年(平成10年)3月に閉店[22]。
- 店舗跡には家具の田丸が入居したが、同店の閉店に伴い残っていた建物も解体され、2005年(平成17年)に川平内科とミニストップ仙台川平店が開設された[22]。
- カクダイジャスコが開店。宮城県におけるジャスコグループ初進出店[11]。跡地は、立正佼成会仙台教会。[要出典]
- 近隣に2003年(平成15年)11月22日にイオン仙台幸町ショッピングセンターが開業している[25]。
- 店舗面積6,500m2[26]。
- カクダイジャスコが開店。1986年(昭和61年)2月にジャスコに営業譲渡[11]。
- 店舗跡のいずみパワーモールは東北地方太平洋沖地震で全壊して営業休止となったのち、建物は解体された [27]。
- カクダイジャスコが開店。1990年(平成2年)2月にジャスコに営業譲渡[11]。
- 店舗面積2,615m2[26]。
- 店舗面積約2,175m2[20]、延べ床面積約3,199m2[20]。
- 競合する大型店としてはみやぎ生活協同組合鶴ケ谷店やトーコー鶴ケ谷店などがあった[26]。
- 業態転換されたマックスバリュ仙台南光台店は、2010年(平成22年)2月21日にイオンリテールからマックスバリュ南東北に運営者が変更となった[29]。
仙台市以外
- 店舗面積4,501m2[3]。閉店時の直営店舗面積約3,401m2[32]。
- カクダイジャスコが開店。1986年(昭和61年)8月にジャスコに営業譲渡[11]。
- 店舗跡は建て替えを行い[33] マックスバリュを核とした2007年(平成19年)8月28日にイオンタウン名取が開業した[34]。
- 近隣に2007年(平成19年)2月28日に開業したダイヤモンドシティ・エアリ(現・イオンモール名取)には、核店舗として「イオン新名取店(開店当初はジャスコ新名取店)」が開業している[35]。
- 店舗面積約5,745m2[24]。
- 閉店時の直営店舗面積約5,314m2[32]
- 近隣に2007年(平成19年)5月25日にマックスバリュを核としたイオンタウン塩釜が開業した[36](現在はザ・ビッグ)。
- 閉店時の直営店舗面積約8,955m2[38]
- 全国第1号の「ハートビル法」基準適合建築物として開業した[37]。
- 2006年(平成18年)6月20日に登米市と災害時に飲食料品や生活用品といった支援物資の供給、避難所としての施設利用などに協力する応援協定を締結した[39]。
- 近くのロックシティ佐沼(現・イオンタウン佐沼)内に移転、イオンスーパーセンター佐沼店として2007年(平成19年)10月27日開店[40]。ジャスコ南方店に隣接するホーマック南方店は引き続き営業していたが、タカカツより「ホームセンターたかかつ佐沼店」を譲受され、2008年(平成20年)6月1日より「ホーマック佐沼店」として転換したことに伴い、同6月29日をもって閉店。タカカツ社のリリースによると、かねてから、ホーマックが南方店の移転を検討していたと発表したことから、佐沼店への事実上の移転扱いとなっている。
- 跡地には東日本大震災で被災した南三陸町民のための仮設住宅が建てられたものの、2017年6月までには全世帯が退去し、その後解体された。[独自研究?]
秋田県
- 秋田駅前のなかよしビルに出店していた店舗面積18,245m2の店舗である[3]。1987年(昭和62年)12月4日に業態転換して秋田フォーラスとなったが[42]、2017年(平成29年)2月26日に閉店。リファイニング工事を施し、同年10月28日に秋田オーパとなる。[要出典]
- 大館ショッピングシティの店舗面積約10,499m2[43]、延べ床面積約29,718m2[43]。
- 閉店時の直営店舗面積約11,216m2[32]
- 同店は大館ショッピングシティの核店舗だった。2007年(平成19年)8月、イオンが奈良県のビル開発会社から土地建物を取得[44]。両社の負担にて解体工事に着手し、建物解体後に新たな商業施設を建設する予定[44] としているが、2021年時点では更地のままである。
- 同じ大館市内には、2006年(平成18年)3月21日に「イオンスーパーセンター大館店」が開店した[45]。
- ワンフロアの売場で5.4mの幅の中央主通路を設置して売場内も大型カートで通ることが可能なようにすると共に全商品の精算が一回で行えるようにするなど[46]、ジャスコの開業当初から平屋建てでスーパーセンター業態を意識しており、初期のイオンのスーパーセンターとしての実験店的な役割を果たした。ジャスコの閉店というよりは、スーパーセンターへの改装(業態転換)といった形である。現在はイオンスーパーセンター五城目店。[要出典]
- 羽後交通ビルは、店舗面積約9,720m2[28]、延べ床面積約18,792m2[28]。
- 直営店舗面積約6,571m2[31]。
- 閉店時の直営店舗面積約6,079m2[49]。
- マックスバリュ横手駅前店となるが、のちに閉店[51]。
- 入居していた羽後交通ビルが2008年(平成20年)7月1日以降、解体・再開発を行い、現在、跡地はよこてイースト(横手駅東口第一地区第一種市街地再開発事業)の高齢者賃貸住宅棟と集合住宅棟になっている[52]。
- 秋田サティ(現・イオン秋田中央店)などは破綻直前にマイカル本体に譲受された店舗であるが、隣接の横手サティ(現・イオン横手店)は移管されていなかった[55]。そのため、経営破綻時の旧マイカル東北店舗で唯一の残存店舗となった。
- イオングループ入りしたことにより、両店舗が補完し合う形を目指して、跡地は2004年(平成16年)3月21日にイオンスーパーセンター横手南店として改装オープンした[56]。
- 閉店時の直営店舗面積4,061m2[58]。
- マックスバリュ本荘中央店→建て替えのため一時閉店→2008年(平成20年)4月17日にイオンタウン本荘中央ショッピングセンターおよびその核店舗としてのマックスバリュ本荘中央店として再開[59])
- MV東北の前身であるつるまいの店舗に、東日本衣料サンプラザ店として開店。東日本衣料はジャスコに合併したため、ジャスコサンプラザ本荘店となり、ジャスコ本荘店に改称。ジャスコ末期を除き、食料品部門はつるまいが担当していた。[要出典]
- 店舗面積3,000m2[20][31]。閉店時の店舗面積3,801m2[58]。
- ユザワプラザ(店舗面積4,350m2)の核店舗として出店していた[20]。
- 羽後ジャスコが運営するジャスコ湯沢店として開店[60]。1986年(昭和61年)5月に羽後ショッピングが羽後ジャスコを合併した[62] ため、店舗はジャスコ秋田事業部に移管された。[要出典]
- 店舗跡は2005年(平成17年)11月、有限会社中央市場が運営するビッグフレック湯沢店(現・ビフレ湯沢店)となった[63]。
山形県
- 大沼デパートの北隣のテナントビルである寿ビルに開業。地下に食品スーパーのヤマザワ[65]、富士銀行山形支店等も入居していた。店舗跡は建物を利用してCoCo21として営業していたが[67]、2005年(平成17年)1月に老朽化のため営業を終了した[64]。
- 2006年(平成18年)に建物は取り壊され、跡地の8分の5を2006年(平成18年)に取得した住友不動産が24階建てのマンションを建設する計画だったが[67]、建設資材の急激な高騰や耐震偽装事件に伴う建築基準法改正[67]、さらに東日本大震災などからの影響もあり建設の着工が遅れていた。その後2012年10月、地上20階、総戸数130戸のシティタワー山形七日町が竣工。販売が開始された[68]。
- 山形店閉店から数年後、1997年(平成9年)11月28日にジャスコ山形北店(現:イオン山形北店)を核店舗とした「ジャスコ山形北ショッピングセンター」(現:イオン山形北ショッピングセンター)[69] が開業し、更に2000年(平成12年)11月にはジャスコ山形南店(現:イオン山形南店)を核店舗とした「ジャスコ山形南ショッピングセンター」(現:イオンモール山形南)も開業した[70]。
- 米沢市役所分庁舎跡地(敷地面積約2,948m2)に建設された[72] 米沢ショッピングセンター(売り場面積約6,600m2)の核店舗として出店していた[73]。1992年(平成4年)に米沢ポポロとして再開[72]。
- その後、旧ポポロ館の敷地に新文化施設の建設が決定したが、テナントとして入っていた魚民が立ち退きを拒否。訴訟に持ち込まれるなどしていた。このため新文化施設は西隣のまちの広場跡に整備され、2016年7月に、米沢市立図書館やよねざわ市民ギャラリーを併設した複合文化施設「ナセBA」が開館した[74]。2018年4月、旧ポポロ館の土地と建物を所有するナウエルグループのHKYは、建物の老朽化を理由に旧ポポロ館の解体を決めたことが明らかとなった。早ければ4月中にも工事を開始するとしている。また跡地の利用方法は未定としている[75]。
- 店舗面積594m2[76]。
- カクダイジャスコ西店(米沢市西大通2-2-30[77])
- カクダイジャスコ丸の内店(米沢市丸の内2-4-23[71])
- カクダイジャスコ城南店(米沢市城南2-1-6[71])
- カクダイジャスコ中田店(米沢市中田町西三暮564[71])
- カクダイジャスコ宮内店(南陽市宮内町字宮前2633[77])
- 赤湯店×(南陽市長岡[31]、1982年(昭和57年)12月8日開店[11][31][78][79]-2006年(平成18年)2月20日閉店[14])
- カクダイジャスコが開店。1986年(昭和61年)2月にジャスコに営業譲渡[11]。
- 国道13号沿いの売り場面積約6,600m2の大型駐車場を擁する郊外型スーパーとして地元を中心とするテナント約30店と共に南陽市のみならず高畠町や上山市などからも買い物客を集めていたが、ヤマザワを核店舗とした競合店の『南陽ショッピングプラザ』が開業した影響で売上が減少したため2006年(平成18年)2月に閉店することになった[78]。
- 閉店時の直営店舗面積約5,583m2[14]
- 2007年(平成19年)3月23日にマックスバリュを核店舗とする「イオンタウン南陽」が近隣の南陽市赤湯に開店した[80]。
- 6階建てで店舗面積約10,600m2(うち直営約7,480m2)のJR酒田駅前商店街の一角に立地する、酒田第一ビルの核店舗だった[81]。
- 1994年(平成6年)11月23日に酒田市中心部から南に約3kmの国道7号線沿いにメガマートを併設したジャスコ酒田南店が開店する[83] など、郊外への消費の流出で1996年(平成8年)2月期に売上高約11.7億円へ落ち込むなど数年間赤字が続いていたため1997年(平成9年)8月に閉店することになった[81]。
- 店舗跡は空きビルのまま放置されていたが、地元不動産業者などが設立した酒田駅前ビルによって土地・建物が取得されて2003年(平成15年)に建物が解体され、酒田信用金庫と協力して高層ビルを建設する構想だったが、酒田駅前ビルが負債約15億円を抱えて破綻したため実現しなかった[82]。
- その後、酒田市内の民間企業7社で設立した酒田フロントスクエアが地上9階建てのホテル棟と地上4階建ての商業棟で構成される複合施設を2013年(平成25年)度着工、2015年(平成27年)度完成を目指す計画を2012年(平成24年)6月4日に発表した[84]。
- しかし、東日本大震災の影響などで建築費が高騰して2012年(平成24年)11月のホテル・商業棟建設の入札で建設費が予定額を約30%上回る結果となった[85]。この建設費高騰に対応するため設計変更を含めて調整を行ったものの、予定額前後までの引き下げが実現しなかった[86]。そのため、酒田フロントスクエアが2013年(平成25年)6月18日に計画断念を発表し[86]、同年12月10日に酒田フロントスクエアが酒田市に予算として計上されていた補助金の活用について中止申請書を提出することになった[87]。
- 2015年(平成27年)12月8日に国や山形県と酒田市が補助する市街地再開発事業で交流拠点施設「酒田コミュニケーションポート(仮称)」と民間施設を併設して整備する計画を酒田市が発表した[88]。複合施設「酒田コミュニケーションポート(仮称)」2018年度の着工、2021年4月の開業を予定する。
- 西奥羽ジャスコ日吉町店(酒田市日吉町2-1-5[89])
- 西奥羽ジャスコ千石町店(酒田市千石町142-20[89])
- 西奥羽ジャスコ千日町店(酒田市千日町15-22[89])
- 西奥羽ジャスコ亀ヶ崎店(酒田市亀ヶ崎4-1-14[89])
- 東大町店×(酒田市東大町1-48[89]、1978年(昭和53年)4月13日開店[11] - 1994年(平成6年)2月閉店[11])
- 西奥羽ジャスコ新中町店(酒田市中町2-8-1[89]、-1985年(昭和60年)9月25日閉店[90])
- 鶴岡店×(鶴岡市末広町7-5[24]、1971年(昭和46年)10月1日開店[11][91] - 2005年(平成17年)3月20日閉店[14])
- 東北ジャスコの運営によってジャスコグループ初の山形県進出店として開業[11]。1976年(昭和51年)8月に東北ジャスコがジャスコと合併したことによって、直営の運営となる[11]。
- 1985年(昭和60年)3月20日、再開発ビルである鶴岡末広ビルの開業によって同ビルの核店舗として新装開店[11]。
- 売り場面積約3,923m2[73]。イオン三川ショッピングセンター(現・イオンモール三川)の開業の影響を受けて閉店し、建物は解体されて更地となった[92]。
- 鶴岡店と共にJR鶴岡駅前の商業の中心となっていた専門店ビルの「マリカ東館」は鶴岡店の撤退後に売上が約20~30%落ち込んで[92] 2007年(平成19年)7月末で営業を終了し[93][94]、その運営をしていた鶴岡市が66%を出資する第三セクターの鶴岡再開発ビルは[93]、一度も黒字になることなく、2005年(平成17年)度決算では約5.58億円の債務超過に陥って約16.65億円の負債を抱えて清算されることになり[94]、同社の資産である土地と建物を鶴岡市が購入するなど大きな負担を市が背負い込むことになった[94]。
- 直営売場面積3,894m2[11]。
- 至近のさくらんぼ駅前三丁目に移転し、1999年(平成11年)3月にジャスコ新東根ショッピングセンター(現・イオン新東根ショッピングセンター)の核店舗として新東根店(現・イオン東根店)を開業した[96]。
他に旧カクダイの米沢中田店(MV東北時代に米沢駅前店開店のため閉店)米沢市内にほかに数店舗、宮内店(南陽市宮内 商店街、のち113号沿いにカクダイウエルマートとして移転し、ザ・ビッグに業態変更しのちブックバーンへ)、長井店(長井市、長井駅前通りの2階建て店舗、取り壊し済み)がカクダイジャスコとして営業、カクダイウエルマートに移管は米沢市内2店舗程度と宮内新店のみ)[独自研究?]
福島県
- メガライブ郡山店(郡山市、-2002年(平成14年)1月20日閉店[97])
- 閉店時の直営店舗面積約1,270m2[97]
- イオン北日本カンパニーが運営していた家電専門店。現在は、ダイソー。
- 旧伊勢甚チェーン[18]。
関東地区
茨城県
水戸市
- 店舗面積約12,874m2[100]、延べ床面積約19,240m2[100]。
- 店舗面積約10,393m2の店舗[98]。閉店時の直営店舗面積約9,137m2[14]
- その後、2005年11月11日にイオン水戸内原ショッピングセンター(現:イオンモール水戸内原)内に「ジャスコ水戸内原店(現:イオンスタイル水戸内原)」として移転。
- (初代)下市店×(水戸市本町3-1078[18]、1963年(昭和38年)9月22日開店[98]-1982年(昭和57年)
- ジンマート千波店[20](水戸市千波町字北葉山1864-1[18]、1974年(昭和49年)8月開店[31]-?閉店)
- 1994年(平成6年)8月に茨城ウエルマートに営業譲渡された[101] 後、2020年現在はやまや千波店になっている[要出典]。
- 旧伊勢甚ジャスコ[20]。
- 店舗面積約977m2[31] → 約1,049m2[20]。
- 店舗面積495m2[103]。
- 城東店×(水戸市城東町3-483[18])
- 現在は、アパートとなっている[要出典]。
- 見和店(水戸市見和町232-65[18])
- 堀店×(水戸市堀町965-1[18])
- 現在は、千両水戸堀町店となっている[要出典]。
ひたちなか市
- 店舗面積924m2[103]。
- 跡地は、主婦の店マルカワ(後のカスミ)、カラオケ店「カラオケドレミ」や不動産会社「マイルーム館」が入居する雑居ビルを経て、解体[要出典]。2020年(令和2年)4月13日に「アパホテル〈ひたちなか勝田駅前〉」が開業[104]。
- (2代目)勝田店×(勝田市(現・ひたちなか市)春日町[105] 10-1、1983年(昭和58年)開店[105] - 1994年(平成6年)ジャスコ[106] - 2010年(平成22年)2月20日閉店[106])
- 店舗面積約14,335m2[100]、延べ床面積約23,224m2[100]。
- 閉店時の直営店舗面積約9,190m2[107]
- 1983年(昭和58年)に百貨店業態の伊勢甚勝田店として開店し[105]、1994年(平成6年)にジャスコに業態転換したが[106]、1996年(平成8年)をピークにその後は競合店との競争で売上が減少したため[105] 2010年(平成22年)2月20日に閉店した[106]。店舗の土地・建物はジャスコとなった後も引き続き元々の母体企業である伊勢甚本社が所有していた[105]。
- 跡地は、食品スーパーの「マルト春日店」2015年(平成27年)3月5日に開店した[108]。
- 旧伊勢甚チェーン[18]。
日立市
- 店舗面積約815m2[102]
その他
- 旧伊勢甚ジャスコ。下館駅南側に所在[112]。
- 閉店時の直営店舗面積約8,875m2[30]
- 跡地は、2003年(平成15年)10月23日に[113]フードスクエアカスミ下館南店が開店
- 旧伊勢甚ジャスコ[20]。
- 店舗面積5,406m2[20]。
- 移転のため閉店し[114]、下妻市堀籠に下妻ショッピングパークの「ジャスコ新下妻店」を1997年(平成9年)11月29日に開店[115](現在のイオンモール下妻の核店舗のイオン下妻店)。
- 店舗は解体され、跡地には下妻市が交流センターや多目的広場広場などを計画し[114]、「下妻市にぎわい広場Waiwaiドームしもつま」となっている。
- 閉店時の直営店舗面積約4,607m2[32]。
- 旧伊勢甚ジャスコ[116]。2階建てであるが、売り場は1階のみで2階と屋上は駐車場というワンフロアの店舗であった[116]。2006年(平成18年)に解体[117]。
- 現在は、マルトSC磯原店。[独自研究?]
- 店舗面積約777m2[102]。
- 旧伊勢甚チェーン→伊勢甚ジャスコ。
- 旧伊勢甚チェーン[18]。
- 旧伊勢甚チェーン[18]。
栃木県
宇都宮市
- 敷地面積約5,800m2[122]、直営店舗面積約3,000m2(開業時)[122]→約4,984m2(1975年(昭和50年)6月15日増床)[122]。
- 地上3階建ての店舗だった[122]。
- 簗瀬町に移転。跡地には幸福の科学宇都宮総本山・未来館。[要出典]
- 中心市街地から南西に約2キロ離れた郊外型の店舗面積約11,150m2の店舗で年間売上高60億円を目標としたが最盛期でも約47億円で、さらに郊外に競合する商業施設が進出して閉店直前には最盛期の約半分に落ち込んだため閉店となった[123]。
- 店舗跡はテナントビル「カルマーレ」となり現存している。[要出典]
- 旧伊勢甚ジャスコ[20]。
- 店舗面積約4,853m2(直営店舗面積3,982m2)[100]、延べ床面積約5,647m2[100]。
- 閉店時の直営店舗面積3,982m2[126]。
- 現在はヤマダ電機テックランド駒生店。[要出典]
- ジンマート若草店(宇都宮市若草町2656[127]、1976年(昭和51年)4月20日開店[127] - ?閉店)
- ジンマート新町店
- ジンマート一の沢店(宇都宮市西一の沢町502[18]、1975年(昭和50年)11月13日開店[127] - 1990年(平成2年)2月閉店[101])
- 跡地は2020年現在、うさぎやTSUTAYA作新学院前店。[要出典]
- ジンマート雀の宮店
宇都宮市以外
- 旧伊勢甚チェーン[18]。
- 旧伊勢甚ジャスコ[20]。
- 店舗面積4,812m2[20]。
- 閉店時の直営店舗面積約4,815m2[30]
- 店舗跡にファッション市場サンキが入居したが移転のため退去した。[要出典]
- 店舗面積約9,200m2[31]。
- 閉店時の直営店舗面積7,981m2[58]。
- 2007年(平成19年)2月8日に同じイオン系列のカスミをキーテナントとするイオンタウン佐野(旧・ロックタウン佐野)が開店[128])
- 2003年(平成15年)4月26日に開店したイオン佐野新都市店(旧・ジャスコ佐野新都市店、イオンモール佐野新都市の核店舗)とは別。[要出典]
- 旧伊勢甚チェーン[18]。
群馬県
- 店舗面積約8,203m2(直営店舗面積7,067m2)[100]、延べ床面積約12,263m2[100]。
- 渋川商店近代化ビルの核店舗として出店していた[20][100]。
- 店舗面積7,067m2[132]。
- 店舗跡は2006年(平成18年)1月に旧店舗の2階部分を渋川市役所第二庁舎としての活用を開始し、2011年(平成23年)3月に1階の改修を終えて公民館と保健センターとして利用を開始した[133]。
埼玉県
- 1999年(平成11年)10月に羽生市民プラザとなった[134](ホールや工房などを備えた文化施設)。
- 2007年(平成19年)11月2日に開店した現在のイオン羽生店(旧・ジャスコ羽生店、イオンモール羽生の核店舗)[135] とは別。
- 店舗面積8,521m2[43]。閉店時の直営店舗面積約6,365m2[32]
- 跡地はトライアル神保原店が2009年4月に出店したが、2018年4月28日に店舗移転のため閉店した。
- 2008年(平成20年)8月2日に開店したイオンタウン上里(核店舗はベルク)[137] とは別。
- 店舗面積約12,000m2(直営店舗面積約9,484m2)[100]、延べ床面積約22,146m2[100]。
- 閉店時の直営店舗面積約8,055m2[32]
- 建物は改装され、2006年(平成18年)10月12日に[139] コッコロ吉川として開店した。テナントはフードマーケットカスミ吉川店[139]。
- 扇屋ジャスコ大宮店(大宮市宮町1丁目72[18]、1952年(昭和27年)[18]-1979年(昭和54年)8月閉店[142])
- 北戸田店(戸田市[140]、1989年(平成元年)12月7日開店[143]-2004年(平成16年)1月12日閉店[125])
千葉県
千葉県内で過去に存在したジャスコは、下記のいずれも扇屋ジャスコ店舗である。
千葉市
- 店舗面積約8,877m2[20]、延べ床面積約33,386m2[20]。
- 旧扇屋本店で、千葉市地元資本の百貨店の一角。スーパーマーケット事業は「扇屋チェーン」を設立して営業していた。
- 1976年8月に扇屋とジャスコは合併。以後1992年10月まで扇屋ジャスコ本社を兼ねていた[18]。
- 店舗跡の建物は千葉市の調査で「公共施設に適さない」とされ[146]、再開発の目途も経っていなかったが[147]、千葉市議会で先行取得するとして[148]、1993年(平成5年)12月に千葉市土地開発公社が約128億円で買収する契約を結んだ[149]。
- 千葉市が買収後に市役所中央分室として暫定的に活用[150][151]。周辺地区を含めて「千葉中央第六地区市街地再開発事業」として進めるために2002年(平成14年)に事業化検討会が行われることになり[152]、日本放送協会千葉放送局の移転・入居を目指して交渉を進めたが同年9月に断念した[153]。そして、2007年(平成19年)7月に総事業費約199億円を投じて地上15階建ての建物を建設する計画をまとめ[154]、公募の上で同年10月に再開発事業代行者に清水建設と大成建設を選定し、2007年(平成19年)1月に施設の愛称を「Qiball」と決定した[155]。2007年(平成19年)10月20日に「Qiball(きぼーる)」が全面開業[156]。同施設の駐車場棟1階には[157]ダイエーグルメシティ千葉中央店が[158] 同年9月1日に先行して開業した[159]。
- 旧扇屋ジャスコ[18]。
- 店舗面積約1,486m2[20]。
- 稲毛駅前にあり、現在はマンションとなっている。[独自研究?]1990年(平成2年)11月16日に開店した稲毛サティ[160](現・イオン稲毛店)及び稲毛海岸駅前に1984年(昭和59年)4月に開店した「マリンピア店(現・イオンマリンピア店)」[161] とは別店舗。
- 売場面積561m2[162]
- 旧扇屋ジャスコ[18]
- 店舗面積約3,353m2[20]、延べ床面積約4,288m2[20]。
- 1994年(平成6年)3月18日に千葉市緑区おゆみ野の鎌取駅南口のゆみーる鎌取ショッピングセンターに移転して扇屋ジャスコ鎌取店が開業している[163](現・イオンスタイル)。
- 旧店舗はトップマート松ヶ丘店。1階のみ店舗として営業。[独自研究?]
千葉市以外
葛南
- 売場面積1,221m2[162]
- 旧扇屋ジャスコ。津田沼駅北口にあった「サンポーショッピングセンター」内[167]の3階と4階に出店していた[165]。
- 1976年(昭和51年)8月の長崎屋出店[168][169] 以降、津田沼駅周辺に大型店が続々と進出。大型店同士での競争の激化(「津田沼戦争」)により[167]、1978年(昭和53年)2月に撤退[142][166]。サンポーショッピングセンターも同年7月に閉店した[166]。
- 店舗面積1,650m2[164]。
- イオン津田沼ショッピングセンター(現:イオンモール津田沼)の核店舗として2003年(平成15年)10月4日に開店したジャスコ津田沼店[170](現・イオン津田沼店)や2008年(平成20年)3月13日に開店したイオンモリシア津田沼店[171](現・ダイエーモリシア津田沼店)とは別店舗。
- 店舗面積759m2[164]。
- 旧扇屋と八千代デパートの共同で出店していた[173]。2004年(平成16年)に開店したジャスコ鎌ヶ谷店(現・イオン鎌ヶ谷店)とは別店舗。
東葛(葛南を除く)
- 売場面積1,468m2[162]
- 旧扇屋ジャスコ[18]。松戸駅近くの加藤ビルの地下1階から地上3階に出店していた店舗であった[165]。
- 1978年(昭和53年)に丸興に移管[18]。松戸駅から徒歩3分ほどのところにあり、跡地は立体駐車場[要出典]。
- 1972年(昭和47年)9月に百貨店から業態転換[174]。
- 店舗面積4,625m2[176]。柏駅東口の二番街商店街にあった。現在跡地には新星堂カルチェ5柏店・TSUTAYA等が入居[要出典]。柏市豊町に2006年(平成18年)5月10日にジャスコ柏店が開店した[177](現・イオン柏店)。
印旛
- 敷地面積約38,300m2[178]、3階建[178]・延べ床面積約21,534m2[179]、店舗面積約14,240m2[179]。
- 閉店時の直営店舗面積約7,960m2[32]
- 旧扇屋ジャスコ[180]。国道51号沿いで、JR・京成成田駅から約600mの場所にあった[180]。閉店後は更地になった[180]。
- ウイング土屋に2000年(平成12年)3月18日に開店したイオン成田ショッピングセンター(現・イオンモール成田)の核店舗のジャスコイオン成田店[181](現・イオン成田店)の開業後も並行して営業していた[180]。
- 2014年(平成26年)9月下旬から跡地にイオンタウンの建設工事が始まることになり[180]、2015年(平成27年)11月19日にイオンタウン成田富里が開店した[182]。
- 旧扇屋ジャスコ[31]。京成佐倉駅とJR佐倉駅の間に位置する新町商店街の一角にマルエツ佐倉店と共同で出店していた[20]。2階に衣料品のみを扱う店舗として営業していた。[独自研究?]
- 店舗面積約707m2[31]。
銚子・佐原
- 旧扇屋ジャスコ[18]。
- 旭市商工会館北側の場所にあった[183]。跡地は旭市土地開発公社が取得した[183]。
- 1982年(昭和57年)4月に開店した[102]旭サンモールショッピングセンターの核店舗は[184]、旧扇屋ジャスコ旭店[102](旧:ジャスコ旭サンモール店→イオン旭店)。[要出典]
上総・安房
- 店舗面積759m2[164]。
- 旧扇屋ジャスコ[18]。1993年(平成5年)3月17日に店舗面積3,104m2を12,740m2へ増床した[185]。
- 閉店時の直営店舗面積約7,850m2[32]
- 旧店舗は解体され、跡地に開発されたロックシティ館山(現・イオンタウン館山)の核店舗として2007年(平成19年)5月26日に再開業した[186][187]。
東京都
- 旧扇屋ジャスコ[18][179]。
- 店舗面積1,838m2[188] → 2,369m2[179]。
- UR都市機構亀有5丁目市街地アパート内、1996年(平成8年)8月にブックバーンに業態転換後[142]、現在はTSUTAYA亀有店などが入居[要出典]。
- 亀有南店(1976年(昭和51年)8月閉店[142])
- 旧扇屋ジャスコ[142]。
- 昭島店(→2009年(平成21年)9月にザ・ビッグ昭島店に業態転換[141])
- 三鷹店(三鷹市下連雀3-34[18]、1953年(昭和28年)開店[18][189]-1978年(昭和53年)閉店[142])
神奈川県
- 閉店時の直営店舗面積約9,558m2[107]
- 大和市の土地区画整備事業に関連して閉店し、2011年(平成23年)5月28日にイオン大和店を核店舗としたイオン大和ショッピングセンターとして再出店した[192]。
甲信越地区
新潟県
- 店舗面積約2,970m2[18]。
- 新発田駅前に所在した。同店はその後2005年(平成17年)3月に西新発田駅前の同市住吉町にオープンしたイオン新発田ショッピングセンター(現・イオンモール新発田)内に同名で再進出した[195]。
- 敷地面積約4,200m2、延床面積約11,000m2、鉄筋コンクリート4階建て[200]。屋上駐車場も完備されていた。
- 新発田市に本店を持つデパート・ハヤカワにより「ハヤカワ五泉店」として開店。1987年(昭和62年)にジャスコへ営業権が譲渡され「ジャスコ五泉店」となった[200]。店内には、五泉市の新聞店「樋口新聞舗」が、テナントの書店として出店していた[197]。
- その後、五泉市内外の大型店の進出による競争激化に伴い、売上が低迷し、1995年(平成5年)9月をもって閉店[197][198][199]。
- 以降、複数の関係者(地権者)が県外在住だったこともあり、再利用が進まず、約25年に渡り空きビル状態が続き、防犯面や安全面、景観面で長年の課題となっていた[201]。塔屋や入り口には看板が残っていたが、2007年(平成19年)10月に撤去された。
- 五泉市は、所有者が固定資産税を滞納していたことから、2012年(平成25年)に土地、2018年(平成30年)12月に建物を差し押さえた[202]。2019年(平成31年)3月15日には市が公売を行った結果、イワコンハウス新潟が土地と建物を購入し[200]、アスベスト除去作業を行った後に2021年初旬までに建物を解体[198][199]。イワコンハウス新潟が開発した「チューリップタウン」となり、そのテナントの一角にツルハドラッグ五泉駅前店が2021年(令和3年)8月に開業した。[要出典]
- 閉店時の直営店舗面積約8,000m2[31]。
- 三条パルム1号館(パルム1)内に所在。同市の昭栄地区市街地再開発事業の一環として開店した。市側がキーテナントとして選定したジャスコは都市計画道路の早期完成などを条件に、施設所有権の一部を買収して出店した。ジャスコは市側の求めに応じ、百貨店に近い品揃えで高級感ある店舗運営を目指したが、パルム店から程近い同市西裏館2ではジャスコ三条店が営業を行っていた上、周辺の大型SCとも競合するなどして業績は低迷を続けた。パルム店はCI導入後も塔屋の看板を改修せず、旧ロゴのままで営業を続けていた(一方の三条店はCI導入後、順次改修された)。イオンは2001年(平成13年)のジャスコ閉店後もパルム1の所有権の58.5%を保有し(残り41.5%は地元地権者42人が保有)、市の第三セクター「三条昭栄開発」に賃貸して運営管理を委託する形が取られている。ジャスコ撤退後のパルム1は食品スーパーパワーズフジミとなった[204] が、その後2009年(平成21年)までの間に入居企業は代替わりを繰り返し、パワーズフジミ(当時はサトウ食品系列)、チャレンジャー(オーシャンシステム)、マルイと変遷した。[独自研究?]
- イオン・地権者側は固定資産税の負担増などを理由に、2008年(平成20年)3月の賃貸借契約満了を前に市に対して所有権買収を求めているが、2007年(平成19年)9月、市側が新たな買受先を見つけることを前提に、遅くとも2011年(平成23年)8月まで賃貸借契約を延長できる猶予期間を設けることでイオン・地権者側と合意した。
- しかし来客数の低迷は解消できず、加えて2008年(平成20年)12月には立体駐車場の所有企業が破産して、市が融資した約3億9千万円が回収不能となるなど運営は困窮し、さらには土地・建物一括での所有権売却も目途が立たなくなるなどしたことから、結局市は2010年(平成22年)1月22日、パルム1を撤去して跡地を売却する方針を固めた。4月末までに全テナントを退去もしくはパルム2などに移転させて閉鎖し、11月までに解体された。跡地は売却され、2017年(平成29年)現在第四銀行三条支店が建っている。[独自研究?]
- ジャスコグループ初の新潟進出店として西奥羽ジャスコ(現:マックスバリュ東北)が開業。1986年(昭和61年)3月、ジャスコに営業譲渡[11]。
- 店舗面積約5,232m2[100]、延べ床面積約7,759m2[20][100]。
- 閉店時の直営店舗面積約3,972m2[14]
- 現在は、村上総合病院第2駐車場。[独自研究?]
- 建物老朽化などのため営業を休止し、同じ敷地内に新築し2006年(平成18年)夏に開業する予定であった。国道7号沿いの同市仲間町に1993年(平成5年)に開店した大型店舗のジャスコ村上東店があるため、村上店は食料品・日用品を主体とした小型店舗に転換する方針だったが、旧施設の解体後に行った調査で土壌汚染が発覚し、当初の予定より計画が大幅に遅れた結果、2007年(平成19年)12月にリプレイスを断念した。なおジャスコ村上店跡から約100m程の所には「サティ食品館村上店」の店舗跡があったが、2010年(平成22年)初頭に建物は撤去されて更地化、住宅地として整備された。[独自研究?]
- 2011年(平成23年)2月28日に村上総合病院が店舗跡地への新築移転構想への協力を村上市に要請していることが市議会で明らかにされたが[205]、同年9月7日の村上市議会全員協議会では地質調査の結果として土壌汚染が確認されたとして店舗跡への新築移転は不適切として断念したことが明らかにされた[207]。
- 1993年(平成5年)10月開業の新村上ショッピングプラザにジャスコ村上東店を開店している[100]。
- 店舗面積約1,000m2[208] → 約2,360m2[20]、駐車台数約250台[208]。
- 閉店後、ディスカウントストア「ビッグ・バーン亀田店」に転換したが撤退。店舗跡は、新潟市を中心に県内でディスカウントストアを展開していた「マックス」が取得し「マックス亀田店」となり、その後医薬品に特化した「ドラッグマックス亀田店」に改称した。その後マックスは2006年(平成18年)にマツモトキヨシの系列傘下となり、2009年(平成21年)に子会社統合で吸収合併されマツモトキヨシ甲信越販売となった際に、店舗ブランド変更により「ファミリードラッグ亀田店」に改称した。マックスは当初、ジャスコ亀田店の店舗施設をそのまま使用して営業していたが2000年代半ばに全面改築され、旧施設は現存しない。[要出典]
- なお江南区亀田地区には2007年(平成19年)10月、イオン新潟南ショッピングセンター(現・イオンモール新潟南)が開店した。同SCの核店舗としてジャスコが再進出したが、店名は「イオン新潟南店(旧・ジャスコ新潟南店)」である。[要出典]さらに旧・亀田店跡地の付近の亀田四ツ興野1丁目に、2013年(平成25年)7月26日に、マックスバリュ東北運営の「マックスバリュ亀田店」が開店[210]。これは元々パワーズフジミ亀田店として営業していたのを、2013年(平成25年)5月の自己破産によりマックスバリュ東北へ売却し、マックスバリュとして転換したもの。2016年(平成28年)3月30日からは、経営がイオンリテールに移管し、「イオン亀田店」となっている。[要出典]
- 上越市高田地区中心部にあった「いづも屋百貨店」が老朽化等の為、1985年(昭和60年)2月に閉店[211]。中心部からやや離れた土橋に店舗を移転新築し、同社がジャスコ傘下となったのに伴って上記の店名に改称した[211]。しかし1996年(平成8年)3月20日に上越店は富岡へ移転して地元の商店(60店)からなる協同組合「アコーレ」と一体となった新店舗を開業し[214]、土橋の店舗は閉店[213]。店舗跡は上越市が買収し、市民交流施設「上越市市民プラザ」となっている[213]。
- →詳細は「いづも屋百貨店」を参照
- 閉店時の直営店舗面積約499m2[125]。
- 閉店時の直営店舗面積約1,064m2[125]。
- ウエルマート柿崎店(中頸城郡柿崎町(現・上越市柿崎区柿崎))
- ウエルマート豊栄店(豊栄市柳原1-9-11[215])
- ジャスコ田中店(柏崎市田中20-22[216])
- アップル逢谷店(新発田市逢谷内4-67-1[215])
- アップル本町店(新発田市本町2-485-1[215])
- アップル豊町店(新発田市豊町4-32902[215])
- アップル東本町店(柏崎市東本町2-5-16[216])
- アップル松波店(柏崎市松波2-2-16[216])
- 1990年(平成2年)1月にイオングループ・アップルユニオンとしてゼンセン同盟に組合が加盟している[215]。新潟県内のウエルマートの店舗の一部は、かつて新発田市を中心に百貨店・衣料店・スーパーなどを展開していた「ハヤカワ」が運営する「アップル」という食品スーパーだった(かつては新潟市東区逢谷内、江南区曽野木、西区坂井東などにも店舗を展開していた)。同社はその後イオングループ傘下となり、一部を除く事業のほとんどをイオンに譲渡した。[要出典]
長野県
- 店舗面積約7,453m2[100]、延べ床面積約12,981m2[100]。
- 閉店時の直営店舗面積約5,952m2[38]
- 店舗の老朽化や近隣の競合店との競争激化を理由に閉店し、建物を解体後に新店舗建設をする構想を示していたものの更地の状態が続いていた[217]。
- 2013年(平成25年)3月15日に旧店舗の敷地約11,400m2をほぼそのまま活用して店舗面積約7,900m2のショッピングセンターイオンタウンの建設計画が届け出られていることが明らかになった[217]。
- 2014年(平成26年)3月7日にイオンタウン長野三輪として再開業した[218]。
- 長野オリンピックが開催された1998年(平成10年)には免税店の免許を取得して日本土産などを販売した[221]。現在は、中野市中野保健センターなどが入居。[独自研究?]
- 店舗面積約2,590m2[140]。
- 閉店時の直営店舗面積2,540m2[126]。
- 2002年(平成14年)4月6日に当時のジャスコ新中野店を核店舗としたイオン新中野ショッピングセンター(現・イオン中野ショッピングセンター、中野市一本木)に移転オープンしている[222][223]。
- 店舗面積約3,985m2[100]、延べ床面積約5,647m2[100]。
- 閉店時の直営店舗面積2,196m2[126]。
- 跡地はパチンコ店、「ベガスベガス」となる。→閉鎖→ケーキ工房 スイートアージェ→夢工房福祉会となる。[独自研究?]
- 店舗跡は1997年(平成9年)6月14日にフレック丸子町店が開店した[228]が後に閉店し、空いた建物には新たに西源丸子店が開店した(こちらも後に閉店しその後は介護施設兼ベーカリーとなっている)。[独自研究?]
- 店舗面積約6,726m2[20]。
- 閉店時の直営店舗面積6,877m2[49]。
- 昭和堂ジャスコとして開店した[229]。
- のちにふれあいプラザ小諸 ヴィオ→閉鎖→2004年12月 小諸市に移管→2012年(平成24年) 建物解体[要出典]
- 店舗跡には、1984年(昭和59年)に松本パルコが開店した[230]。
- 1981年(昭和56年)に松本カタクラモールの核店舗のジャスコ東松本店(現・イオン東松本店)として移転・開業、その後建て替えられ、現在はイオンモール松本の核店舗「イオンスタイル松本」となっている[231]。
- 店舗面積約330m2[140] 。
- 地下1階地上4階建て[234]、店舗面積約4,793m2[20]。
- カネマンジャスコ大町店として地場資本のスーパー「カネマン」と「ジャスコ」の合弁で、九日町に開店したが[233][234]、1987年(昭和62年)8月21日に信州ジャスコと合併した[235]。
- 1993年(平成5年)に総合ディスカウントストアへ業態転換した[220]。
- 新大町店(1998年(平成10年)7月3日開店[224]-→ザ・ビッグ信濃大町店)
- 店舗面積約9,640m2[3]、延べ床面積約13,906m2[3]。
- 上記3店舗と新白馬店(2011年(平成23年)3月にマックスバリュ白馬店に業態転換)は2010年(平成22年)2月21日より運営会社がマックスバリュ長野に変更
- ウエルマート伊勢宮店(長野市伊勢宮)
- ウエルマート高田店(長野市高田)
- 2000年(平成12年)2月16日にエス・エス・ブイへ譲渡され、改装後の2000年(平成12年)3月1日に西友高田店として新装開店[240]。
- ウエルマート三本柳店(長野市三本柳)
- 2000年(平成12年)2月16日にエス・エス・ブイへ譲渡され、改装後の2000年(平成12年)3月1日に西友三本柳店として新装開店[240]。
- ウエルマート望月店
- 2000年(平成12年)2月16日にエス・エス・ブイへ譲渡され、改装後の2000年(平成12年)3月1日に西友望月店として新装開店[240]。
- ウエルマート真田店
- 2000年(平成12年)2月16日にエス・エス・ブイへ譲渡され、改装後の2000年(平成12年)3月1日に西友真田店として新装開店[240]。
- ウエルマート上山田店
- 2000年(平成12年)2月16日にエス・エス・ブイへ譲渡され、改装後の2000年(平成12年)3月1日に西友上山田店として新装開店[240]。
- 現在はサンジュニア佐久営業所。[独自研究?]
- 店舗面積約7,023m2(直営店舗面積約4,793m2)[20]、延べ床面積約11,045m2[20]。
- 1977年(昭和52年)8月にジャスコと資本・業務提携し[243]、1988年(昭和63年)8月21日に信州ジャスコと合併した[235]。
- 昭栄上田ショッピングセンターの建物の建て替えのため[244] に閉店した[132]。
- 店舗面積約12,324m2[140]。
- 閉店時の店舗面積10,136m2[132]。
- 建て替えて2004年(平成16年)8月1日に開業したイオン上田ショッピングセンター内に(2代目)上田店が後継店舗として出店[245]。
- 中萱店×(南安曇郡三郷村、1986年(昭和61年)2月15日開店[224]-1989年(平成元年)6月閉店[224]) 直営売場面積417m2[224]。
- 武石店×(1990年 (平成2年)7月20日開店[224]-2010年(平成22年)8月20日閉店[246])
- 閉店時の直営店舗面積約1,559m2[246]。
- 閉店後もしばらく建物は残り酒類販売店が入居していたが、同店が新しい建物(ジャスコ時代の駐車場の一部に建設)に移転するとほどなくして解体された。[独自研究?]
北陸地区
富山・石川・福井の各県に存在した店舗の多くは、元々金沢の衣料品店「いとはん」の店舗として開店しているため、「いとはん」時代の主力だった衣料品に特化した中小規模の店舗が多く存在した。[要出典]いとはんは1977年にジャスコ傘下の「北陸ジャスコ」となった[247]ことで全店がジャスコの店舗となり現在に至る。
富山県
- 店舗面積5,804m2[248]。
- 現在のジャスコ高岡店の出店に伴い、1980年(昭和55年)[249]3月29日に北陸ジャスコ運営の女性向けファッションビルMSの街に改装後[250][251]、1987年に末広町商店街の有志らに土地・建物とも売却(仮契約は同年4月3日)されることになったことから[252]、1988年(昭和63年)2月に閉店[249][250]。その後、同年7月29日から1階部分のみ「末広プラザ」として暫定的に使用され[253]、跡地は再開発でウイング・ウイング高岡である[250]。
- 店舗面積約4,592m2[254]、売場面積1,760m2[255]。
- 上市駅の2階に出店していた[256]。1階に上市農協のスーパーが入居していたため、衣料品、インテリア用品、雑貨などを主力としていた[257]。富山市などでの郊外型大型店の出店により売り上げが落ち込んだため閉店した[255]。
- 当初の店舗名は『いとはん砺波ショッピングセンター』[258][259]。当初は砺波駅前で建設が計画されていた商工会議所会館の地下1階 - 地上3階に入居することが計画されていたが、地元商店街の猛反対や用地確保が難航したため、現在地での建設に変更となった。売場面積4,476m2。キーテナントにいとはんが入り、一般テナント5店舗が入居。屋上には100台分の駐車場も完備されていた[260]。
- 2代目の店舗へ建て替えのため閉店[259]。
- 1989年に前述の旧店舗の3倍の規模の商業施設として計画着手。砺波市中心部の中神地区一角で砺波駅の北西約500m(前述の旧店舗より道路を挟んだ北側約150m[259])の新富町にあったショッピングセンター「となみコスモタウン21」の核店舗として店舗面積約10,000m2で営業していた[263][264]。隣接地を取得して建て替え増床を図るため閉店となった[263]。
石川県
- 店舗面積8,013m2[126][265]。
- グリーンシティ金沢の核店舗として出店していた[265][267]。
- 跡地は建替えて店舗面積4,302m2(直営店舗面積約2,455m2)のマックスバリュ金沢駅西本町店として、2005年(平成17年)12月9日にオープンした[3]。
- 店舗面積2,178m2[268]。
- スカイビル店(金沢市武蔵町15-1[18])
- 店舗面積1,056m2[268]。
- 円光寺店×(金沢市円光寺1-58[18]、1971年(昭和46年)4月開店[31]-1978年(昭和53年)4月閉店[要出典])
- 野町店×(金沢市野町4丁目5-5[18][268]、1966年(昭和41年)4月21日開店[268] - 1991年(平成3年)8月閉店[要出典])
- 店舗面積約1,167m2[31]。
- 当地の食品スーパーであった鳴和フードセンター(現・ナルックス)が城北ショッピングセンターとして総合ショッピングモールを建設し、開店時に入居。しかし、「アル・プラザ金沢」、「ジャスコ杜の里店」などの大型ショッピングセンターが進出したことから撤退となった。ジャスコ撤退後はテナントの出退店が続き、2020年(令和2年)6月30日にナルックスがクスリのアオキ(ハピコム加盟)に買収されたこともあり、11月29日を以って完全閉店。建物は取り壊された後に平屋に縮小の上建て替えられ、[要出典]2022年(令和4年)5月25日にクスリのアオキ鳴和店としてリニューアルオープンした[270]。
- 店舗面積約9,028m2[30][31]。
- 国道157号に位置していた。閉店後建物を解体して更地にして地権者へ2002年(平成14年)に返還された[272]。
- その後、同市内に所在していたメガマート野々市店と旧マックスバリュ野々市店(2014年(平成26年)11月15日に「イオンタウン野々市」の核店舗として開業したマックスバリュ野々市店とは別店舗)が統合し、ジャスコ野々市南店(現・イオン野々市南店)に転換した。[要出典]
- 店舗面積約1,250m2[31]。
- 国道8号の東側に位置していた。閉店後、1998年(平成10年)3月14日に道路を挟んだ向かい側にマイカルが「御経塚サティ」をオープン。その後「イオン御経塚店」にブランド変更してから2021年(令和3年)5月31日まで営業した。[要出典]
- 店舗面積約2,864m2[20]、延べ床面積約5,708m2[20]。
- 松任駅前(現在の立体駐車場付近)に存在。閉店から半年後の1996年(平成8年)4月1日に「松任市駅前ふれあいセンター」として活用されることになったが、後に解体して更地になった[要出典]。
- 1995年(平成7年)10月24日、国道8号沿いに「ジャスコ松任店(2代目、現・イオン松任店)」としてオープンした[266]。
- 店舗面積約1,750m2[30][31]。
- 「ショッピングプラザスカール」の一部として開店。国道159号(現:石川県道59号)に面しており、衣料品を取り扱っていたが、ジャスコ撤退後の2001年(平成13年)1月28日をもって閉店となった[274]。
- スカール閉店後は津幡町内が空白地帯となっていたが、1年半後の2002年(平成14年)6月27日にアル・プラザ津幡が開業したため解消された。[要出典]
- 店舗面積約2,784m2[31]。
- 小松駅前に存在した小松ビルディング(愛称:こまビル)の核店舗。「いとはん」として約50店舗の専門店と共に出店した[275]。
- 1991年(平成3年)12月12日には小松市郊外の平面町にできた商業施設「ブロードタウン新小松」内にジャスコ新小松店が開店し、1年間併存していた[275]。
- ジャスコ撤退後も小松ビルディング(こまビル)は専門店のみで営業を続けていたが、[要出典]小松駅前連続立体化事業に伴う再開発のため2000年(平成12年)6月30日をもって閉鎖、建物は解体されている[要出典]。
- 店舗面積約331m2[31]。
福井県
- 店舗面積約6,506m2[24]。
- 福井駅前のファッションランド・パルに開店[278]。
- ジャスコ撤退後はビル運営会社がファッションビルとしていたが西武百貨店(現そごう・西武)が買い取り、1999年(平成11年)にだるまや西武(現西武福井店)別館となった。一部改築により5階と地下1階部分に公道と立体交差して本館と連絡する通路ができている[要出典]。
- 約32,010m2の敷地面積に建設された鉄筋コンクリート造り一部4階建てで店舗面積約15,700m2のショッピングセンターに約7,100m2の店舗を出店していた[280]。
- イオン及び地元商業組合法人が共同所有する本館及び敷地は両者の法廷論争となり放置状態が続いていた[281] が2009年(平成21年)4月に和解が成立、同年秋に本体の解体が完了し更地となっている。
- この、同店の閉店時の軋轢が問題視され、イオングループはその後福井県において大型店舗、とりわけ総合スーパーの出店が出来ない状態となっている[282](食品を扱う店舗はマックスバリュ(2021年に大野市に初出店)、ミニストップ(嶺南地方のみ出店)、やまや(坂井市の1店舗のみ)がある)。
- 武生駅前に地上2階建てで店舗面積23,000m2の「いとはん」として開店した店舗であった[278]。
- 跡地には2000年(平成12年)、同店近くにあった平和堂武生店を建て替えて開業したアルプラザ武生の一部となった[要出典]。
- 店舗面積約3,173m2[24]。
- 地元商業者による協同組合と核店舗の同居する福井県内初の地元主導型ショッピングセンター「スカイモール」に出店した[284]。
- 「スカイモール」は1985年(昭和60年)に「リブレ」に名称変更し、ジャスコ撤退後に地元食品スーパーのかじ惣を核店舗として1階を中心に営業したが、2015年(平成27年)1月4日に建て替えのため一時閉店した[284]。
- 建物は解体され、跡地には2015年(平成27年)7月に「かじ惣リブレ店」が開店[284]。なお、2021年7月1日にマックスバリュ北陸がマックスバリュ九頭龍店(生鮮館)を大野市内にオープンした。福井県内にイオングループのスーパーが出店するのは、前述のジャスコピア店閉店以来18年ぶりである。[要出典]
東海地区
岐阜県
- 名鉄岐阜駅前に所在した。現在ダイワロイネットホテルとホテルキャッスルインの土地にA館・B館で存在。バブル前に閉店。跡地にはパルコパートIIの出店予定もあったが、長く塩漬けの後、ホテルが開業。[要出典]
- 2代目・岐阜店(現・イオン)は1988年(昭和63年)11月22日に市北部の正木地区にあるマーサ21内に開店した[286]。
- 店舗面積8,423m2[58]。跡地はイオングループのロック開発(現・イオンタウン)が運営するロックシティ大垣ショッピングセンター(現・イオンタウン大垣)2005年(平成17年)4月27日に開店した[289]。キーテナントとして現在のマックスバリュ中京が運営するマックスバリュ大垣東店が入居[289])
- 2007年(平成19年)4月27日に開店した現在のイオン大垣店(2代目)[290] とは別店舗である。
静岡県
- 店舗面積約3,580m2[24]。
- ジャスコの初代シンボルマークを掲げた最初の店舗である。2002年(平成14年)11月1日にイオン焼津ショッピングセンター(焼津市禰宜島)の核店舗として開店した2代目焼津店(現在のイオン焼津店)[291] とは別店舗。
- 店舗面積1,100m2[292] → 約1,250m2[24]。
- マルサとして開店した店舗。閉店後は島田市が買取り、催事センターとして使用したのち区画整理により解体。現在は遊歩道(帯通りの一部)になっている。
- 店舗面積約10,119m2[20]。
- 島田中央ビル(株)の所有するビルに出店していた[294] 店舗面積7,398m2の店舗だった[293]。2012年(平成24年)10月20日より建物を解体。跡地で2013年11月にヨシコンが分譲マンション「エンブルシティ島田」の建設に着工[295]。2015年1月に竣工、入居開始[296]。
- 店舗面積約6,213m2[24]。
- 掛川駅前で、マルサとして開業した店舗面積6,295m2の駅前にある都市型の店舗であったが駐車場が十分に確保できず、郊外型の競合店舗の出現で売上が減少したため、閉店となった[297]。
- 代わりのテナントが入らないまま長らく放置されていたが、2002年(平成14年)頃に掛川市が買い取り建物解体、現在はタウンマネージメント機関かけがわ街づくり株式会社が運営するまんまえ駐車場。道路向かいにユニー跡地もある。[独自研究?]
愛知県
名古屋市
- 店舗面積3,000m2[300] → 約3,572m2[24] → 約3,760m2[31]。
- 衣料品専門。当初、上層階にはジャスコ東海地区本部が設けられていた。[要出典]跡地の建物は大鳥居ビルとして、後継にアオキスーパー、三洋堂書店等が営業していたが、老朽化のため取り壊され、2011年(平成23年)8月10日にアオキスーパーが建て替えてオープン[要出典]。
- ダイヤモンドシティ・名西ショッピングセンターの核店舗として出店していた[304]。跡地は長期にわたって更地となっていたが、[要出典]2013年(平成25年)9月6日にイオンタウン名西がマックスバリュグランド名西店を核店舗として開業した[305]。
尾張(名古屋市を除く)
- 店舗面積約2,998m2[24]。
- 岡田屋小牧店として開店した[306]。食料品は地元資本スーパー「サワムラヤ」小牧店が取り扱った。[要出典]
- 建物はそのまま改装され、ヤマダ電機テックランド小牧店となったが、2012年(平成24年)12月、ヤマダ電機が小牧市内の小牧原に移転したため閉店している。更地を経て現在は建て替えられマックスバリュ小牧駅西店。[要出典]
- 地元資本スーパー「サワムラヤ」がショッピングセンター「モートショッピングセンター」の開発を進め[307]、その核店舗として1997年(平成9年)11月15日に2代目小牧店が開店した[308]。
- 店舗面積約3,131m2[24] → 約4,392m2[31]。
- 食品スーパーのヤマナカが出店していた[301]。
- 跡地は売却され、隣接のユニー瀬戸店の駐車場用地となった[309]。現在はユニーの建て替え店舗であるアピタ瀬戸店の一部となる。[要出典]
- 「稲沢グランドショップ パル」(店舗面積約13,000m2)の核店舗として店舗面積約6,000m2で出店していた[312]。後継に、ナフコカニエが稲沢店として居抜出店する。跡地は現在、フィールEQVO!(エクヴォ)稲沢店及びエディオン稲沢パールシティ店。[要出典]
- 店舗面積約9,959m2[100]、延べ床面積約18,242m2[100]。
- 約1,500台収容の駐車場を持つ本格的な郊外型ショッピングセンターとして開設された「共同ショッピングセンター」の核店舗として出店し、開業時からパート従業員比率約70%とパート比率を高めた実験的な運営をしていた[313]。
- 閉店時の直営店舗面積3,636m2[58]。跡地は2006年(平成18年)2月28日にマックスバリュ大府店が開店した[314][315]。
三河
- 店舗面積約10,863m2[24]。
- 岡田屋時代に百貨店として開店。岡田屋の三重県外進出1号店[317]。当時の建物は、1976年 - 1977年に建築されたもので衣料品店舗であった。1、2階には百貨店街が構成され、3階にはフードコートが所狭しと並んでいた。しかし、1990年頃から周辺の駐車場不足に対応できず[要出典]、1998年に戸崎町の日清紡戸崎工場の跡地に建設されたジャスコ岡崎南店に移転し1998年3月に閉店となった。跡地は現在の岡崎シビコ。
- 店舗面積約760m2[24]。
- オカダヤの店舗[319]。
- 現在、跡地はマンション「元町ハイツ」。蒲郡駅北約250m、駅前通り商店街に立地した[要出典]。
- 1988年(昭和63年)3月に[140] 2代目蒲郡店が開店している[320]。
- 店舗面積約8,717m2[140]。
- アイセロショッピングセンターの店舗面積約14,831m2[100]、延べ床面積約30,784m2[100]。
- 豊橋市のアイセロショッピングセンターの核店舗として出店し[325]、1994年(平成6年)度には売上高約71億円を上げていたが2004年度には最盛期の約半分まで売上が減少したため閉店となった[324](ジャスコシティ豊橋)。
- 跡地には2007年(平成19年)4月19日にバロー豊橋ショッピングセンターが開店した[327]。
- 1997年(平成9年)6月21日に豊橋南店が開店している[328]。
三重県
四日市市
- ジャスコ発祥の地、近鉄四日市駅前にオカダヤ駅前店として開店した。
- 建物は解体され、B館跡地には[332] 2008年(平成20年)6月に近鉄不動産による18階建てマンション「ローレルタワーシュロア四日市」が建設された[333]。
- A館跡地は、当初ホテルやオフィスビルを建設する構想があったものの実現せず更地の状態が続いていたが、2017年(平成29年)3月に大和ハウス工業による15階建てマンション「プレミスト四日市駅前」が建設された[332]。
- 店舗面積約5,280m2[18] → 約6,540m2[31]。
- 閉店時の直営店舗面積6,499m2[49]。
- 「サンリバー」というSCの核店舗だった[336]。現在は跡地にマックスバリュ、パチンコ店などがある。
- 当店跡地から南に1.5kmほどのところに2001年(平成13年)1月27日にイオン四日市北ショッピングセンター(現・イオンモール四日市北)の核店舗のジャスコイオン四日市北店(現・イオン四日市北店)が開店した[337]。
- 店舗面積約4,359m2[18] → 約4,769m2[31]。
- 「コスモタウン 富田ショッピングセンター」の核店舗として出店していた[20]。
- 1989年(平成元年)3月3日にディスカウントストア「ビッグ・バーン富田店」に業態転換し[340]、「コスモタウン 富田ショッピングセンター」は営業を継続していたが、現在は取り壊され、住宅街となっている。
- 店舗面積約276m2[24]。
- 食料品店舗。
- 小杉店(四日市市小杉町字殿海戸1655-1[24]、1973年(昭和48年)3月3日開店)
- 店舗面積約588m2[24]。
- 食料品店舗。
- 店舗面積約2.839m2[18]。
- 店舗面積5,090m2[20]。
- 閉店時の直営店舗面積約4,140m2[125]。
- 跡地に2004年(平成16年)6月19日にマックスバリュ生桑店が開店[342]、この近くには1998年(平成10年)10月24日に開店したイオン四日市尾平店(旧ジャスコ四日市尾平店)がある[343]。
- 日永店× (初代、四日市市日永4丁目1番40号、1976年(昭和51年)4月25日開店[345])
津市
- 中日会館内のキーテナントとして開店[346]。
- 店舗跡地は地元の地方銀行である百五銀行が取得して新本館を建設する計画が2008年(平成20年)に発表されたが[348]、その後津城の内堀などの遺跡が発見されたことやリーマンショックによる経済不況などの影響で延期となっていた[349]。その後、2012年(平成24年)4月4日に行員400人が勤務する本部機能の他に資料館や講堂を設置して市民に開放する百五銀行本部棟の建設が改めて発表され[349]、2015年(平成27年)12月22日に「百五銀行丸之内本部棟」が完成し[350]、2016年(平成28年)1月12日に業務を開始した[351]。
- 店舗面積4,000m2[31]。
- 津ショッピングセンターエルにニチイとともに核店舗として出店していた[352]。増床・改装時に退店し、1994年(平成6年)4月27日の新装開店後は津サティ(現・イオン津店)単独の核店舗で営業している[354]。
- 店舗面積6,130m2[20]。
- 現在は再開発用宅地。[要出典]
- 1992年(平成4年)4月22日に明神風早2660に新久居店が開店[357](新久居店開店の1992年(平成4年)4月に行った植樹祭[358] が「イオンふるさとの森づくり」の日本における第1号である[359])。
北勢(四日市市を除く)
- 店舗面積400m2[334]。
- 店舗面積約5,429m2[18]。
- 桑名ショッピングシティ・パルの核店舗だった[360]。
- 桑名ショッピングシティ・パルは閉店後、空きビルとなっていたため、建替えられてマンションや商業施設などからなる複合施設のサンファーレが2006年(平成18年)4月28日に開業した[361]。
- 1995年(平成7年)3月24日にマイカル桑名の3つの核店舗の1つとして開業した桑名サティが[362]、2011年(平成23年)3月にイオン桑名店となった。2015年(平成27年)4月17日にイオンモール桑名として新装開店[363]。
- 鉄骨造り2階建て[364]。開業時の直営店舗面積4,000m2[364]。
- 名古屋市のベッドタウンである桑名市の西部郊外に位置する「星川ショッピングタウンサンシティ」というショッピングセンターの核店舗で、「ジャスコ星川店」として1987年(昭和62年)に開店し[366]、1995年(平成7年)3月1日にディスカウントストアのビッグ・バーン星川店へ業態転換した後[367]、を1998年8月27日にジャスコ星川店へ再度業態転換した[366]。
- 閉店時の直営店舗面積約5,062m2[32]
- 店舗面積300m2[338]。
- 菰野グリーンシティは、敷地面積16,658m2[370]、2階建て[370]・延べ床面積約10,212m2[20]、店舗面積約5,000m2(直営店舗面積約4,595m2)[20]。
- 閉店時の直営店舗面積約4,701m2[30]。
- 2000年(平成12年)4月21日に4代目となる「イオンタウン菰野ショッピングセンター」をジャスコ直営で開業し[374]、同年8月20日付で会社分割でマックスバリュ中部に営業譲渡することになった[375]。
中勢(津市を除く)
- 店舗面積2,290m2[31]。
- 閉店時の直営店舗面積約4,791m2[30]。
- 大四日市商業開発協同組合を母体とする(株)鈴鹿ハンターが開発したショッピングセンター「鈴鹿ハンター」(敷地面積33,000m2、延べ床面積18,800m2、店舗面積約10,300m2)の核店舗として出店していた[312]。旧名ジャスコ鈴鹿店。衣料のみ販売[376]。
- 1996年(平成8年)11月29日のイオン鈴鹿ショッピングセンターベルシティ(現・イオンモール鈴鹿)開店[377][378]後に閉店。現在はジャスコ部分は衣料品店「ステップ」など。このこともあり鈴鹿ハンターにはモーリーファンタジー(旧らんらんらんど)が入居していた。[要出典]
- 亀山商工会議所なども関与して地元主導で開発したショッピングセンター「亀山エコー」(延べ床面積13,000m2、店舗面積約10,600m2)の核店舗として店舗面積約5,500m2で出店していた[312]。
南勢
- 松阪店×(松阪市、1978年(昭和53年)12月20日開店[353])
- 店舗面積4,000m2[381] → 約10,869m2[18]。
- ジャスコオカダヤ伊勢店[381]。伊勢市駅前に立地した。
- 1997年(平成9年)4月19日に開店した「ジャスコ新伊勢ショッピングセンター」[384](現・イオン伊勢店(ジャスコ伊勢店としては2代目))とは別位置である。
- B館跡地に鉄骨5階の和風旅館と約30店が入る木造1部2階建ての商業施設からなる複合施設の建設が2012年(平成24年)7月14日に起工式を行って始まっており、2013年(平成25年)7月の開業を目指している[385]。
- 店舗面積4,450m2[31]。
- 閉店時の店舗面積6,400m2[126]。
- 電化製品、雑貨、衣料のみ販売。解体後新築し[388]、2003年(平成15年)9月13日にマックスバリュを核店舗とする新たな商業施設イオンタウン伊勢ララパークが開業した[389]。
- 店舗面積1,300m2[338]。
- 合併した子会社、旧(株)カワムラ運営店。
伊賀地区
- 店舗面積約3,876m2[18]。
- オカダヤ時代に開店の店舗[394]。鉄筋コンクリート造地上5階地下2階建て、売場面積4,356m2で隣のニチイ上野店とともに上野市の商店街の核となっていた[395]。
- スクラップアンドビルドの形で3代目にあたる伊賀上野店が1994年(平成6年)7月26日に上野市茅町2519へ開店したため閉店となった[393]。
- 店舗面積6,668m2[18]。
- 老朽化に伴う店舗の更新について当初は郊外にディスカウント店を集積するパワーセンター形式の新店舗を建設して移転することを表明していたが、名張市と名張商工会議所などの働きかけを受けて方針を転換[396]。
- 特定商業集積法を活用して店舗跡地周辺を含めた再開発を行い[396]、ショッピングセンターリバーナの核店舗として[396] 1996年(平成8年)4月22日に[397] 新名張店(現・イオン名張店)が開店[398]。尚、ジャスコの2代目シンボルマークを掲げた最初の店舗である。
紀州
- 店舗面積約854m2[18]。
近畿地区
京都府
- 直営店舗面積約1,417m2[18] → 約1,415m2[31](閉店時の直営店舗面積約1,415m2[30])。
- メガロプラザ西陣SC内に核店舗として出店していたが[401]、契約満了により撤退。2000年(平成12年)7月より京都生活協同組合(京都生協)が引継いで「コープ西陣」の名で出店した[401]。
- 店舗面積約2,701m2[18] → 約2,819m2[31]。
- ジャスコの撤退後のテナントはスーパーマーケットの「フレスコ」、衣服の安売り店「オンセンド」、100円ショップ「ダイソー」等が2020年現在入居している。[独自研究?]
大阪府
大阪市
- 店舗面積7,000m2[402] → 約3,994m2[18] → 約6,678m2[20]、延べ床面積約12,666m2[20]。
- 旧シロ野田店。5階にジャスコ発足後の本社があった[403]。跡地は2007年(平成19年)10月9日福島区役所となる[404]。
- 現在は、近隣地に1992年(平成4年)4月26日にイオン野田阪神店が開店している[405]。
- 集合住宅「エバーグリーン淀川」の3号館にある商業施設「ショッピングタウン エバーレ」に出店していた[要出典]。
- 閉店後は、居抜きでスーパーマーケット「スーパーニッコー」が出店したが、2021年(令和3年)1月11日をもって閉店[407]。現在は空き区間となっている。[独自研究?]
- 旧ダイヤモンドシティ1号店出店[408]。1998年(平成10年)10月3日に食品強化などの小商圏化に対応した改装を行ったが[409]、2004年(平成16年)10月2日に閉店となった[408]。ジャスコの店舗では最後まで2代目の看板が掲げられていた[要出典]。
- 店舗面積約4,781m2[18]。
- 閉店時の直営店舗面積6,247m2[58]。
- 2005年(平成17年)12月12日にイオン喜連瓜破駅前店が開店[410]。
- 直営店舗面積1,427m2[18] → 約1,465m2[31](閉店時の直営店舗面積1,465m2[126])。
- 1987年(昭和62年)3月30日に開業したダイエー長吉店は、2016年(平成28年)3月1日にダイエーからイオンリテールに運営が継承され、同年3月25日に「イオン長吉店」となった。[要出典]
北摂
- 商店街の一角に出店していた3階建ての店舗で、衣料品を販売していた[412]。
- 店舗面積2,500m2[411] → 約1,944m2[18]。
- 1983年(昭和58年)8月にディスカウントストアの「オフプライス吹田店」に業態転換した[413]。
- 高槻店×(初代、高槻市北園町12-18[18]、1963年(昭和38年)12月14日開店[402]-1989年(平成元年)4月ディスカウントストアのビッグ・バーンに業態変更、1992年(平成4年)1月閉店[要出典])
- 店舗面積: 店舗面積3,800m2[411] → 約3,367m2[18]。
- 1986年(昭和61年)7月に2代目として新茨木店(現・イオンスタイル新茨木)が開店した[161]。
- 店舗面積3,300m2[411]。出店していた飯田ビルは2021年時点で現存する。[独自研究?]
- 2022年(令和4年)12月2日、旧庄内店があった飯田ビルから南へ630mの阪急バス豊中営業所跡地にイオンタウン豊中庄内が開店した[415]。
河内
- 店舗面積約2,392m2[100]、延べ床面積約3,981m2[100]。
- 閉店時の直営店舗面積約2,684m2[14]
- 跡地には、2006年(平成18年)11月25日にマックスバリュ瓢箪山店を新築し開店[416]。
- シロとして開業した店舗面積3,600m2[402]。
- 1968年(昭和43年)11月30日に近くに500台の駐車場を併設して約4倍の規模を持つショッピングセンターダイエー香里ショッパーズプラザの開業を受けて業績が低迷して閉店となった[161]。
- 1978年(昭和53年)3月24日に2代目寝屋川店(現:イオン寝屋川店)が開店したが、建て替えのため2016年(平成28年)8月31日に閉店[417]。
- シロとして開業した店舗面積3,000m2[411]。
- 店舗面積約6,032m2[100]、延べ床面積約7,805m2[100]。
- 閉店時の直営店舗面積約4,923m2[125]。
- 跡地は建替えの上、2004年(平成16年)11月28日にマックスバリュ小阪店(光洋運営)が開店[418]、2011年(平成23年)11月にイオンタウン小阪となり、ショッピングセンター化。[要出典]
- 店舗面積480m2[411] → 約1,894m2[31]。
- 2016年(平成28年)3月1日にダイエー金剛店がイオンリテールに継承され、同年3月30日にイオン金剛店に屋号変更したが、2022年(令和4年)11月30日に建て替えのため閉店した。
和泉
- 延べ床面積6,048m2[420]、売場面積約2,053m2[420](直営売場面積約2,020m2[420])
- 閉店時の直営店舗面積約2,103m2[38]
- 2009年(平成21年)6月12日、跡地にKOHYOを核店舗とするイオンタウン諏訪の森が開店[421]。
- 店舗面積13,279m2(直営店舗面積7,000m2、専門店3,480m2、共用通路2,799m2)[422]
- 閉店時の直営店舗面積約9,203m2[5]
- 建て替えを経て、2012年(平成24年)11月24日にイオン貝塚店として再出店[423]。
- マックスバリュコスタモール二色の浜店(?開店-2005年(平成17年)2月20日閉店[58])
- 店舗面積2,503m2[58]。
兵庫県
神戸市
- 店舗面積1,420m2[424]。
- 店舗面積1,800m2[424] → 約610m2[24]。
- 1962年(昭和37年)に「湊川スーパー」として開業し[425]、フタギ湊川店(1966年(昭和42年)開業)を経て[426]、1967年(昭和43年)にジャスコ湊川店に転換した。
- 閉店後の建物はそのまま、家具屋「家具の福屋湊川店」となったが、後に閉店[要出典]。2010年(平成22年)11月11日よりスーパーマーケット「サンディ湊川店」が入居している[427]。
- 2,400m2[428] → 店舗面積約2,695m2[20] → 店舗面積約2,286m2[24] → 閉店時の直営店舗面積約1,350m2[5]
- 旧店舗は阪神・淡路大震災で被災して仮設売場で営業したが[429]、休業中の1995年(平成7年)4月に閉店・解体を発表した[430]。
- 当初はそのまま閉店となる計画だったが、地元の強い要望を受けて再開し、平屋仮設建造物にて食料品と日用雑貨に特化して営業を続けた[要出典]。
- 店舗面積約165m2[31]。
- 店舗面積2,500m2[431]。
姫路市
- 店舗面積2,000m2[424]。
- 姫路駅デパート店(姫路市駅前町、1959年(昭和34年)11月3日開店[433])
- 1987年(昭和62年)に姫路フォーラスへ業態転換したが、建物の老朽化などの影響で2016年(平成28年)1月31日に閉店した[434]。
- 「姫路フォーラス」には2016年(平成28年)1月時点でテナント53店が入居していた[435]。
- 店舗の土地・建物は2月にマンションを手掛ける不動産会社「都市環境開発」に売却することになった[436]。
- 店舗面積約674m2[24]
- 白浜店(姫路市白浜町乙、2004年(平成16年)8月20日閉店[58])
- 岩端ショッピングセンターの店舗面積約7,570m2[100]、延べ床面積約13,183m2[100]。
- 店舗面積4,573m2[31]。跡地に2004年(平成16年)9月18日にマックスバリュ岩端店が開店[440]→閉店解体後に跡地再開発→2011年(平成23年)秋マックスバリュ城の西店。
- 米谷紙管工場跡地に出店した[441]。
- 開店時の店舗面積約3,135m2[276]、テナント28店[276]。
- 閉店時の直営店舗面積約2,684m2[14]。
- 店舗面積約3,106m2[179]、延べ床面積約4,146m2[179]。
- 店舗面積2,293m2の店舗だった[276]。
- 飾磨駅を挟んだ対面約1kmの場所に、1993年(平成5年)11月28日にジャスコ姫路リバーシティ店(現・イオン姫路リバーシティー店)が開店している[443]。
- 広畑店×(姫路市広畑区東新町2-29[24]、1962年(昭和37年)6月28日開店[444] → 1976年(昭和51年)7月2日建替[要出典]-2003年(平成15年)12月31日閉店[125])
- 開業時点では、畑の中に作られたワンフロア型の店舗で、食品と衣料品などを取り扱っていた[444]。
- 店舗面積891m2[444] → 2,300m2[438] → 5,066m2[100]、延べ床面積2,760m2[438] → 17,976m2[100]。
- 閉店時の直営店舗面積約4,737m2[125]。
- 跡地は再開発され、跡地は病院[要出典]。
- 店舗面積1,400m2[438] → 約2,758m2[31] → 閉店時の直営店舗面積約2,682m2[30]。建物は2階建て延べ床面積約5,127m2[446]。
- 店舗はマックスバリュ西日本に営業譲受され、2001年(平成13年)3月28日に「マックスバリュ網干南店」(店舗面積約3,256m2、駐車台数127台)として新装開業した[446]。
- 「マックスバリュ網干南店」への改装時には、2階には100円均一店と衣料品専門店が導入された[446]。
播磨(姫路市を除く)
- 店舗面積1,850m2[447]。
- 店舗面積700m2[428]。
- 店舗面積750m2[428]。
- 店舗面積1,800m2[428]。
- 店舗面積5,677m2[31]。
- 地下1階、地上6階建て[450]。1991年(平成3年)に[450] 加古川そごうのアウトレット館になったが閉店[451]。→食品スーパー2店を経て現在はダイソー、雑貨店、リサイクルショップ、学習塾、市の施設になっている[要出典]。
- 店舗面積4,160m2[31]。
- 業態変更し、ビッグ・バーン(当時ジャスコのDS業態)べふ店、ミドリ電化加古川南店を経て、閉店解体後に跡地再開発・トーホーストア別府店開店、住宅地などとなっている[要出典]。
- 店舗面積2,500m2[431]。
- 店舗面積1,500m2[31]。
- 店舗面積約9,670m2[179]。
- 跡地にホームセンターコーナン加西店が2011年(平成23年)4月13日新築開店[要出典]。
- 後継店として、北条町駅を挟んだ約500m西の三洋電機北条事業所跡地にイオン加西北条ショッピングセンター(現・イオンモール加西北条、北条町北条308-1・323-3他合併地)の核店舗としてジャスコ加西北条店(現・イオン加西北条店)が2008年(平成20年)11月1日開店[454]。
- 旧フタギの店舗。跡地は再開発され、2008年(平成20年)7月31日にマックスバリュ龍野店が開店[457]。売り場面積約3,900m2の商店街にある都市型の店舗で、1991年(平成3年)に売上高約37億円を上げていたが、郊外への競合する大型店の進出で売上が減少したため閉店となった[458]。閉店後の店舗跡地は不動産業者に売却されて2006年(平成18年)中に解体が始められて2007年(平成19年)4月末までに更地となり、テナントを招致して新たな商業施設の建設を目指していたが[457]、鉄骨造の平屋で売り場面積約2,000m2の食品スーパー[459] のマックスバリュ龍野店が2008年(平成20年)7月31日に開店した[457]。
- フタギの店舗としては、最後まで建物が残存した店舗であった[460][460]。
- 当店の向かいの赤とんぼ広場一番街に1973年(昭和48年)12月5日に開業したダイエー竜野店は、2016年(平成28年)3月1日にダイエーからイオンリテールに運営が継承され、同年3月25日に「イオン竜野店」となったが、2022年(令和4年)10月31日を以て閉店した。
- 店舗面積1,000m2[424] → 約3,143m2[18]。
- 1993年(平成5年)4月29日に南西へ約250mほど離れた場所へ移転・増床し「咲ランドショッピングセンター」の核店舗として新山崎店が開店[461]。
- 店舗面積5,600m2[431] → 約3,757m2[24]。
- 阪神・淡路大震災の被災により、店頭テントで生活必需品のみの販売を[462] 1995年(平成7年)1月18日~29日まで仮設売場で行った後に1月30日から臨時休業し[429]、休業中の1995年(平成7年)4月に閉店・解体を発表した[430]
- その後、2016年(平成28年)3月1日にダイエーからイオンリテールに継承された「ダイエー西宮店」(西宮市林田町2-24)が同年3月10日に「イオン西宮店」となった。
- 阪急伊丹駅前に出店していた[464] 地下1階の食料品売り場はライフ伊丹店が入居していた[463]。
- 地下1階地上8階建て延べ床面積約8,913m2で店舗面積6,101m2の店舗だった[276]。
- 阪神・淡路大震災による店舗の損壊が最もひどい店舗で営業を再開できず[463]、解体・閉店。
- (2代目)伊丹店(現・イオン伊丹店)がJR伊丹駅前ある「ダイヤモンドシティテラス(現・イオンモール伊丹)」の核店舗として2002年(平成14年)10月10日に開業している[465]。
- 川西店×(川西市小花1丁目6-16[18][411]、1962年(昭和37年)11月26日開店[411]、1973年(昭和48年)9月[468]20日建替-2008年(平成20年)2月20日閉店[38])
- 店舗面積3,300m2[411] → 約6,893m2[18] →閉店時の直営店舗面積約7,284m2[38]。
- シロ川西店として開店[468]。
- 阪神・淡路大震災の被災により、店頭テントで生活必需品のみの販売を行った後[462]、1995年(平成7年)1月25日~2月2日臨時休業したが、2月3日午前10時から店舗での平常営業に復帰した[429]。
- 跡地には14階建て集合住宅が建設され、その1階にリカー・輸入食品専門店「イオンリカー」、2階に調剤併設型ドラッグストア、3階にクリニックフロアで構成される「イオン リカー&ビューティー川西店」を2013年(平成25年)10月8日に開店した[469]。食品スーパー機能は隣接のKOHYO川西店があるため併設されなかった[469]。
淡路島
- リベラル洲本店(現在は閉店)内の店舗面積1,980m2で衣料品・玩具等の販売のみ行っていた[276](2階と3階)。
奈良県
- グリーンシティ奈良の店舗面積約13,003m2[100]。
- 店舗面積約9,000m2[140]、閉店時の直営店舗面積約9,799m2[5]。
- 跡地にラ・ムー京終店[470] が2011年(平成23年)5月に新築開店。
- 店舗面積約10,329m2[100]、延べ床面積約20,290m2[100]。
- 跡地にロイヤルホームセンターが新築され[473]、2011年(平成23年)10月に開店。2016年(平成28年)9月18日に閉店。[要出典]その建物を再利用し万代生駒店が2017年(平成29年)2月7日に開店。[独自研究?]
- 店舗面積約6,667m2[140]、店舗面積7,368m2[58]。
- 跡地にオークワ大和郡山柳町店が新築開店。イオンモール大和郡山に同居する大和郡山店とは別)
- いかるが店×(生駒郡斑鳩町龍田西8丁目[475]・(初代)ジャスコいかるが店として1975年(昭和50年)6月20日開店[224]→1991年(平成3年)9月14日からビッグ・バーンいかるが店[224]→(2代目)ジャスコ斑鳩店が2009年(平成21年)2月20日に閉店[472])
- 国道25号沿いにある店舗面積約10,000m2の[476] 総合スーパーだったが[475]、老朽化と売上低迷を理由に閉店した[475][476]。
- 店舗跡地には2010年(平成22年)11月26日に[477] 旧店舗の約3分の1の店舗面積約3,300m2のイオンいかるが店[476] が新築開店した[477]。
和歌山県
- 店舗面積約10,222m2[478](直営売場面積約4,888m2[478])
- 2014年(平成26年)3月16日に開業したイオン和歌山店(イオンモール和歌山の核店舗)[479] とは別店舗。
- 現在は建物はそのままに、介護付有料老人ホームを核施設とする複合施設「ぶらくり丁ブリスビル」になっている。[独自研究?]
- ジャスコオークワ岩出店×(那賀郡岩出町、1981年(昭和56年)3月19日開店[478] - 1999年(平成11年)閉店[480])
- ジャスコオークワひだか店×(御坊市薗、1976年(昭和51年)10月21日開店[478])
- ジャスコオークワサウスヤード店(御坊市湯川町)
- ジャスコオークワ御坊店(御坊市)
- 店舗面積約6,414m2[20]、延べ床面積約11,440m2[20]。
- 店舗面積約5,005m2[31]。
- 閉店時の直営店舗面積約5,862m2[30]。
- 海南市の中心市街地に所在した店舗。店舗跡地には2011年(平成23年)3月29日に起工式を行って海南市民病院の建設が進められている[482]。
- 店舗面積約3,638m2[20][31]。
- 閉店時の直営店舗面積約2,836m2[38]
- ショッピングタウンココの店舗面積約9,273m2[20]、延べ床面積約16,878m2[20]。
- 閉店時の直営店舗面積約2,836m2[38]
- 地元の商業者らで作った協同組合と地代や経費などを折半して開業したショッピングタウンココの核店舗として出店したが、業績の低迷を受けて進出時の「絶対に撤退しない」との口約束を反故にして撤退。
- 店舗跡のショッピングセンターの持分を共同運営していた協同組合や地権者への相談無しにファンド会社に売却し、買収したファンド会社が地代などを当初の2、3ヶ月しか支払わず滞納額が約7000万円以上に膨んで裁判になり、地元側がファンド会社から3000万円で持分を取得することになった[483]。ところが、その後も滞納分の地代などの支払をファンド会社が支払おうとしないため、イオンの撤退後の処理にも地元から批判が出ている[483]。
中国地区
島根県
- 延べ床面積約7,255m2[484]、店舗面積約2,635m2[484](直江店舗面積約1,480m2[484])。
- 旧山陰ジャスコ経営。跡地は1F食品フロアは合弁相手だったハラトク(地元スーパー、現・フーズマーケット ホック)だった。松江駅前の再開発ビルのキーテナントとして移転後は、ジャスコボウル&スケートリンクとなった。[要出典]
- 松江店(松江市、1982年(昭和56年)5月20日開店[484]、閉店時期は不明)
- 延べ床面積約18,620m2[484]、店舗面積約11,791m2[484](直江店舗面積約6,690m2[484])。
- 旧山陰ジャスコ経営[485]。跡地は地下食品フロアはみしまや(地元スーパー)、地上はピノ(専門店)が入居していたが、その後中心市街地から移転する形で1998年(平成10年)4月1日に一畑百貨店が出店した[486]。
- 2011年(平成23年)3月1日に松江サティが「イオン松江店」に屋号変更した。
- 店舗面積約3,670m2[18]。別館の店舗面積約1,001m2[18]。
- 閉店時の直営店舗面積約5,675m2[32]
- 山陰ジャスコが経営していたが、1996年(平成8年)8月21日付でジャスコへ営業譲渡された[485]。
- 跡地は2009年(平成21年)6月5日にホック(地元スーパー)を核店舗とする平田ショッピングセンターViVAがオープン。[要出典]
- 石央マリンショッピングセンターの店舗面積約10,135m2[100]。
- パワーシティ浜田の名称でジャスコとビッグバーンの2核SCだった。[要出典]
- 閉店時の直営店舗面積約6,438m2[125]。
- 山陰ジャスコが経営していたが、1996年(平成8年)8月21日付でジャスコへ営業譲渡された[485]。
- 跡地は2004年(平成16年)12月8日にスーパーセンタートライアル浜田店が開店した[489]。
- 専門店部分はそのままに[493] 2009年(平成21年)4月22日にメガセンタートライアル出雲店が開店[494][495]。2012年2月29日のパラオの破産後はトライアルのみ営業していたが、トライアルが2016年2月14日に閉店した後、建物は解体された。
- 山陰ジャスコが経営していたが、1996年(平成8年)8月21日付でジャスコへ営業譲渡された[485]。
- 本館と別館があった[18]。店舗跡は解体されて平成元年11月に横町ロータリー駐車場になった[496]。別館はしばらくの間、ジャスコ系ディスカウントストアのビッグ・バーンが入居していたこともあるが、現在は閉店され、解体されている[独自研究?][497]。
岡山県
- 店舗面積1,487m2[31]。
- 1990年(平成2年)にビッグ・バーン(当時ジャスコのDS業態)高島となり閉店した。現在は資本・業務提携している提携しているザグザグ[498]本社となっている(2005年9月(平成17年)移設)[要出典]。
- 店舗面積2,350m2[31]。
- 店舗面積約10,740m2[499]、延べ床面積約17,354m2[499]。
- 敷地面積約27,000m2に建てられた鉄骨3階の店舗であった[500]。
- 1999年9月21日にオープンしたイオンモール倉敷の中にもジャスコが存在している為に、イオンモール倉敷がオープンするまでは倉敷店だったが、イオンモール倉敷オープン後に笹沖店に変更されている[501]。
- 2010年(平成22年)10月15日に1階食品スーパー部分をマックスバリュ西日本が運営する「ザ・ビッグ倉敷店」に業態転換された[502]。
- 業態転換後も売上は横ばいに留まり、建物などの老朽化も進んだことから「ザ・ビッグ倉敷店」と「ザ・ビッグ倉敷笹沖店」は2016年(平成28年)5月31日に閉店することになった[500]。2017年4月22日にマックスバリュ西日本運営の「ザ・ビッグ倉敷店」として再開業した。[要出典]
- 建て替え中は駐車場だった部分にプレハブの建物を設置してコンビニ程度の量の食品などを販売していた。[独自研究?]
広島県
- 山陽ジャスコ、系列会社のみどり(現マックスバリュ西日本)に譲渡して1992年(平成4年)12月にザ・ビッグ可部店(店舗面積約6,762m2)に転換[503]。1998年(平成10年)8月に閉店[504]。その後、入店していたテナントが出資して新たな運営会社を設立[補足 2]。『ショッピングセンター可部ビッグ』として同年10月に再オープンした[補足 3]。
- 可部ビック閉店後に建物は取り壊され、跡地はラ・ムー可部店と変遷。[要出典]
- 店舗面積7,095m2[20]。
- 系列会社のみどり(現マックスバリュ西日本)に譲渡後、ザ・ビッグ安古市店に転換。[要出典]
- 元は呉市を本拠地としたスーパーマーケットチェーン『やまてや』[510] の店舗のひとつ『やまてや三原店』があった。その店舗をスクラップアンドビルドを行い、山陽ジャスコが運営する『旧・ジャスコ三原店』が1972年(昭和47年)11月2日に開店した[511]。1989年(平成元年7月)トスコ三原工場跡地に移転する形で閉店した[512]。跡地にはスーパーホテル三原駅前とマンションのプレステージ三原が建設されている。[要出典]
山口県
- キヌヤと大和を含めた3社共同出資の中国ジャスコの1号店として開業したが、下関駅周辺の競合する大型店との競合の影響を受けて閉店した[513]。
- 系列会社のみどり(現マックスバリュ西日本)に譲渡して1992年(平成4年)9月にザ・ビッグ下関東駅店(店舗面積約7,498m2)に転換した[503]。
- 2002年(平成14年)12月にイオン系列を離れサンリブ東駅店が開店した[514]。
四国地区
徳島県
- 店舗面積5,000m2[31]。
- イオンと地元企業の合弁会社「徳島リバーシティ」(SC名も同一)の核店舗)
- 同店の入居していた徳島リバーシティは2階建てで売り場面積約16,396m2のショッピングセンターで、売上が最盛期の約60%へ減少した上施設が老朽化しているとして当店と共に閉店となった[521]。
- 閉店時点では建て替え後の規模や内容は確定していなかったが[521]、イオンモールが建設されることになり[522]、2016年(平成28年)2月14日に専門店街やシネマコンプレックスを併設した「イオンモール徳島」の起工式を行われ[523][524]、2017年(平成29年)4月27日に開業。
- 徳島店の閉店により、徳島県からジャスコの店舗が消滅した。イオンリテールの店舗としてはマックスバリュ2店、メガマート1店があったが、マックスバリュ西日本との店舗再編により2009年(平成21年)9~10月に相次いで閉店。最後のマックスバリュ上板店(1996年(平成8年)12月13日開店[525])が2009年(平成21年)10月20日に閉店したことにより、2017年(平成29年)4月27日にイオンモール徳島内にイオンスタイル徳島が開業するまで徳島県からイオンリテールの店舗は消滅していた。[要出典]
香川県
- 高松市中心部にある常磐街商店街内に出店しており[526]、商店街の西の核店舗となっていた[527]。
- 撤退前にはジャスコ株式会社(当時)の運営部分はほとんどなく、業態は専門店が集まったファッションビルに近かった。5階建てだったが客用エレベーターは不設置、エスカレーターも上りのみと設備面では最悪であった。当時はすぐ近くに旧ダイエー高松店が営業していたが、こちらも設備面では似たり寄ったりだった(現在はダイエーもOPAになったあと撤退、空き店舗になっている)。[独自研究?]
- その後建て替えられてパチンコ店とゲームセンターになったが閉鎖された[528]。シャッターが降りた状態で建物も放置され環境と治安悪化の一因となっている。この土地建物は後に競売にかけられ、2007年(平成19年)9月に地元のスーパーマーケット、マルナカが約1億5000万円で落札した[528]。その後高松常磐町商店街振興組合による入り口の吹き抜け部分に開設した物販スペース「ジャンヌガーデン」が開設され、夏にはイベントの一環として同組合によるビアガーデンも開かれている[526]。最終的にはこの建物も解体され、土地は阪急阪神不動産に売却されて同社と四国旅客鉄道(JR四国)が共同で分譲マンション「ジオ高松常磐町 J.CRESTタワー」を建設し、2023年8月の竣工を予定している。
- 2007年(平成19年)4月26日に高松市香西本町の「イオン高松ショッピングセンター」の核店舗として2代目高松店が開業している[529](2011年(平成23年)3月1日に「イオン高松店」へ改称[530])。
- 閉店時の直営店舗面積約7,605m2[30][518]。
- 店舗跡は常磐ティシュがアニマートという名称で複合商業施設を2000年(平成12年)7月に開店した[534]。1Fに核店舗となるブックオフと徳島資本のスーパーママの店、2Fにはダイソーとギフト店が出店していた。[要出典]
- ギフト店はすぐに撤退し、敷地部分をハローワーク高松が運営する若年者向けのしごとプラザ高松を開設[534]。3Fもカルチャー教室を開設した。[要出典]
- ママの店は2006年(平成18年)6月に木太店開店と同時に閉店。[要出典]
- 土地・建物を所有していた常磐ティシュが本業の製紙業から撤退することに伴い、隣接している製紙工場と一体で売却する方針を打ち出して2007年(平成19年)3月末に閉店することになった[534](25日、カルチャー教室のみ3月31日)。[要出典]
- その後、2006年(平成18年)12月に土地・建物を取得した穴吹工務店に解体してマンションと商業施設を建設することになり[535]、2010年(平成22年)にハローズとザグザグが跡地に開業した。
- 店舗面積3,969m2[20]。
- 香川県内最後のジャスコ店舗。閉店後1Fに地元のおもちゃ店が出店していたがこれも閉店。建物は放置されていたが2014年までに解体された。跡地の一角にローソン東かがわ松原店が開業している。[要出典]
- 白鳥店閉店をもって香川県内の「ジャスコ」店舗は一時期なくなっていたが、2007年(平成19年)4月26日にジャスコ高松店(現・イオン高松店)を核店舗としたイオン高松ショッピングセンター(現・イオンモール高松)が開店した[529]。
九州地区
長崎県と鹿児島県の店舗は「イオン」へブランド変更するまでに閉店した店舗は無かった。[要出典] なお、2007年(平成19年)8月21日にイオン九州はマイカル九州と合併して鹿児島県の店舗の運営を行うようになったが[538]、ジャスコの店名の1号店は同年10月6日にイオン鹿児島ショッピングセンター内に出店した[539]。
福岡県
福岡市
- 店舗面積約1,197m2[31]。
- 店舗面積483m2[20]。
- 千代町店(福岡市博多区大津町80-1[18]、1984年(昭和59年)7月閉店[要出典])
- 竹下店(福岡市博多区竹下字川2-3526[18]、1983年(昭和58年)7月閉店)[要出典]
- 雑餉隈店(福岡市博多区、1960年6月29日-1981年(昭和56年)4月閉店)[要出典]
- 鶴田店(福岡市南区[31]、1978年(昭和53年)12月[31]1日-1996年(平成8年)5月閉店[要出典])
- 店舗面積約270m2[31]。
- 西区内には2006年(平成18年)4月28日にイオン福岡伊都店内にジャスコ福岡伊都店が開店している[541]。また、姪浜駅南地区にはイオングループのマックスバリュエクスプレス姪浜駅前店が2011年(平成23年)7月28日に開店している[542]。
- 一丁目店(福岡市中央区、1977年(昭和52年)2月閉店)
- 六本松店(福岡市中央区六本松2-15-15[24]、1982年(昭和57年)3月閉店[要出典])
- 箱崎店(福岡市東区箱崎字小寺2476[18]、1980年(昭和55年)2月閉店[要出典])
福岡市以外
- 店舗面積1,306m2[179]。
- ダイマル志免店として開店している[276]。
- 近隣には2004年(平成16年)6月4日に「ダイヤモンドシティ・ルクル」(現・イオンモール福岡)内にジャスコ福岡東店[544]、2000年(平成12年)4月23日に福岡東サティ(現・イオン福岡東店)が開店している[545]。
- 店舗面積8,384m2[20]。
- 1990年(平成2年)に黒崎フォーラスに業態変更したが、1999年(平成11年)2月20日に閉店[547]。
- 店舗跡には、1999年(平成11年)7月2日にメイトエンポリアムが開業[548]。(現・メイト専門店街西側部分)
- 店舗面積約7,191m2[20]、延べ床面積約12,893m2[20]。
- 売り場面積は約5,500m2だったが、1999年(平成11年)11月のゆめタウン宗像や2000年(平成12年)11月のサンリブくりえいと宗像など競合店の進出が相次いで競争が激化して売上高が2年連続2ケタ減少2001年(平成13年)2月期には前期比22%減の約22.09億円まで落ち込んで赤字となり、改善が困難として2002年(平成14年)2月20日に閉店することになった[550]。
- 閉店後はにしてつストア東郷店となっていたが、建替えの為2015年(平成27年)2月18日閉店[要出典]。
- 旧福岡ジャスコ[20]。
- 店舗面積約14,261m2[20]、延べ床面積約23,129m2[20]。
- 飯塚市吉原町(飯塚市商工会議所の北隣)に開店。当時市内では唯一の五階建てだったため、「ジャスコ5(ファイブ)」と呼ばれた。遠賀川に面した東壁は裏手になるが、非常階段を斜線を敷き詰めるようにデザイン的に施してあったのが外観上の特徴。[要出典]
- 1994年(平成6年)10月27日に穂波店が開設された[552] 後もしばらくは並行営業の後閉店(建物は取り壊された→後にマンションが建設された)[要出典]
- 伊岐須店×(飯塚市、1979年(昭和54年)3月9日-1980年(昭和55年)11月閉店)[要出典]
- 徳前店×(飯塚市[31]。、1979年(昭和54年)3月[31]21日-1990年(平成2年)3月閉店[要出典])
- 店舗面積約787m2[31]。
- 店舗面積約2,097m2[31] → 約4,868m2[20]。
- なお、ユニードの「アピロス二日市店」として[553] 1974年(昭和49年)3月に開業した「ダイエー二日市店」が[236]、イオンの完全子会社の「イオンストア九州」が継承して業務委託契約を締結し[554]、2015年(平成27年)9月1日にイオン九州が運営を継承することになり[555]、イオン二日市店となった。
- 1977年(昭和52年)に開業したニチイ大野城店が、1998年(平成10年)に大野城サティに転換したのち、2011年(平成23年)3月にイオン大野城ショッピングセンターとなっている[556]。
- ユニードの「アピロス下大利店」として1987年(昭和62年)に開業し[553]、イオンの完全子会社の「イオンストア九州」が継承して業務委託契約を締結し[554]、2015年(平成27年)9月1日にイオン九州が運営を継承することになり[555]、イオン下大利店となった店舗も市内にある。
- 店舗面積5,637m2[20]。
佐賀県
- 昭和56年3月に地元資本によって設立された鹿島商店開発株式会社が旧鹿島市役所跡地を開発して建設した[558] 地下1階地上4階建て約12,500m2に[559]、地元資本商店組合の27店舗を含む31店舗が入居したショッピングセンターピオの核店舗として3階と4階に出店していた[558]。
- 1992年(平成4年)11月佐賀ジャスコから九州ジャスコに営業権を移管された[560]。
- ショッピングセンターピオは「鹿島ショッピングセンター協同組合」の運営で営業を継続している[559]。
- 店舗跡には1999年(平成11年)1月にオサダが出店したが2年4カ月で撤退し、その後ダイソーなども入居したが撤退したため、2013年(平成25年)6月時点では3階と4階は空き店舗[558]。
- 2012年(平成24年)6月1日に発表された「鹿島市シビックセンター再整備構想」の一環として店舗を地下1階と1階に集約し[559]、当店跡の3階と4階に敷地の一部を鹿島市が買収して子育て支援センターや高齢者施設などを整備する計画が進められている[561]。
- 三代目のロゴが施行されてからもしばらく二代目のロゴのまま運営されていた。
- 敷地面積約32,158m2に1,000台の収容の駐車場を併設した地上2階建店舗面積約8,500m2(直営約5,500m2)の店舗だった[562]。
- 近隣にイオンスーパーセンター開店、佐賀大和店増床に伴い撤退。ケーズデンキ→九州テックランドとして建物存続。
- 郊外の大和町には、2000年(平成12年)9月9日に「イオンショッピングタウン大和」(現・イオンモール佐賀大和)が開店した[563]。
- JR鳥栖駅前に1997年(平成9年)に開業した日本たばこ産業のショッピングセンター[564]「ジョイフルタウン鳥栖」の核店舗として出店していた[565]。
- 旧寿屋(現カリーノ)鳥栖店跡を譲受した店舗だったが、わずか3年2カ月で撤退[565]。
- 「ジョイフルタウン鳥栖」は大和リースが買収し、2009年(平成21年)11月7日にスーパーのサンリブを核店舗とするフレスポ鳥栖として新装開業した[564]。{{独自研究範囲|date=2023年9月|サンリブ、24時間営業のTSUTAYA、西松屋などが入居し営業している。
大分県
- 旧大分ジャスコ[20]。1994年(平成6年)2月大分ジャスコから九州ジャスコに営業権を移管された[540]。
- 店舗面積2,636m2[20]、延べ床面積約2,940m2[20]。
- 建物はマルショク南大分店が使用していたが2013年閉店。[要出典]10月にはミスターマックスが開店[570][出典無効]。
- 光吉店(初代、大分市、1982年(昭和57年)7月15日開店-1994年(平成6年)8月閉店)
- 1994年(平成6年)8月5日に移転して約3倍に増床した店舗面積約5,751m2(直営約4,974m2)のジャスコ光吉店(2代目・現在はイオン光吉店)となった[571]。
- 旧大分ジャスコ[20]。
- 店舗面積4,370m2[20]、延べ床面積約5,679m2[20]。
- 隣駅のJR高城駅南側に隣接して1993年(平成5年)11月17日にジャスコ高城ショッピングセンター(大分ジャスコ高城店、現イオン高城店)が出店[572]。
- 跡地は解体後、パチンコウイング鶴崎店が立地(上記住所より)。[要出典]
熊本県
- 宇土シティ(現・宇土シティモール)敷地内。鳥栖店と同じく、旧・寿屋(現・カリーノ)からの譲渡店舗[573][574]。
- 地上2階建店舗面積約8,500m2[575]
- 閉店後は約70店の専門店だけで営業を続け、2011年(平成23年)4月21日に地元熊本県の食品スーパー「ハローグリーンエブリー」など10店舗が入居[576]。「ハローグリーンエブリー」は後に「ゆめマート」に屋号変更している。
- 閉店時の直営店舗面積約6,208m2[246]
- 鳥栖店・宇土店と同じく、旧・寿屋(現・カリーノ)からの譲渡店舗[573][574]。
- 店舗跡は、地元熊本県菊池市の食品スーパー「ビッグミカエル」などが入居することになり[577][578]、2011年(平成23年)5月19日に開業した[579]。
- 2014年(平成26年)7月からはダイレックス玉名中央店が出店している[580]。
宮崎県
- 橘ジャスコ(宮崎市)
- 橘ジャスコは1975年(昭和50年)8月1日に倒産した橘百貨店を買収し[581]、1977年(昭和52年)4月27日に開店し[582]営業をしていた。
- その後、会社更生を終結した橘百貨店を吸収合併し、株式会社橘百貨店に社名変更。存続会社は橘ジャスコ。上に当時のジャスコの「J」マーク、下に橘百貨店のマークと橘ジャスコのロゴマークだった。
- 現在の橘百貨店は倒産した橘百貨店ではない。1988年(昭和63年)にボンベルタ橘と百貨店業態にリニューアル。その後、2007年(平成19年)11月にクアトロエクゼキューションズ運営となりイオングループから離脱。その後、橘百貨店は地元企業の坂下組・米良電機産業と持株会社『橘ホールディングス』を設立し、2008年(平成20年)7月9日にクアトロエクゼキューションズの所有する全株式を取得した。ただ、ボンベルタ橘の名称はイオングループ離脱後も使用していたが、2021年に株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングスに買収され、2021年11月13日に『宮崎ナナイロ』となり、核店舗として『MEGAドン・キホーテ』が入居、ボンベルタの名称ではなくなる。
- かつて橘百貨店のグループ企業で資本参加していた橘ストアーがあったが、2002年12月に解散している。
- 2005年(平成17年)5月にイオン宮崎店(旧・ジャスコ宮崎店)が開業し、ジャスコ本体として宮崎市内への再進出を果たしている。
- また、市内にはイオンの完全子会社の「イオンストア九州」が継承して業務委託契約を締結し[554]、2015年(平成27年)9月1日にイオン九州が運営を継承した[555] イオン南宮崎店(1973年11月23日に宮交シティの核店舗となるダイエー宮崎店として開業、「イオン」へブランド変更時に店舗名も変更)もある。
沖縄県
- 琉球ジャスコベスト伊祖店×(?開店-2000年(平成12年)2月29日閉店[30])
- 閉店時の直営店舗面積約736m2[30]。
- 閉店時の直営店舗面積約657m2[30]。
- 琉球ジャスコ新川衣料店×(?開店-2000年(平成12年)3月20日閉店[30])
- 閉店時の直営店舗面積約875m2[30]。
- 閉店時の直営店舗面積約297m2[30]。
- 閉店時の直営店舗面積約535m2[30]。
- 閉店時の直営店舗面積381m2[49]。
- 閉店時の直営店舗面積872m2[49]。
- 琉球ジャスコプリマート宜野湾市役所前店×(?開店-2001年(平成13年)3月18日閉店[49])
- 閉店時の直営店舗面積530m2[49]。
- 閉店時の直営店舗面積513m2[49]。
- 閉店時の直営店舗面積682m2[49]。
- 閉店時の直営店舗面積290m2[49]。
- 閉店時の直営店舗面積約660m2[97]
- 閉店時の直営店舗面積570m2[126]。
- 琉球ジャスコプリマート佐敷店(?開店-2002年(平成14年)9月20日閉店[126])
- 閉店時の直営店舗面積524m2[126]。
- 閉店時の直営店舗面積494m2[126]。
- 閉店時の直営店舗面積約506m2[125]。
海外
中華人民共和国
- 上海駅前の新築ビルに出店していた総合スーパーで[585]、中国第2号店だった[584]。
- 店舗面積約10,000m2の[585]、4層型の店舗で衣食住全般を扱っていた[584]。
- 長距離列車の発着駅として市内の住民の利用が少ない駅に隣接していたことからスーパーには向かない立地のため、開業時から一度も売上目標を達成できない業績不振に陥り、約2億人民元の損失を出して撤退することになった[585]。
香港
台湾
- 台湾ジャスコ第2号店
- 閉店時の直営店舗面積約15,708m2[38]
参考/出店を断念した店舗
- 稲田下川西土地区画整理組合が進めていた土地区画整理事業の一角に出店を目指していたが、2005年(平成17年)9月5日に出店を断念した[588]。
- 八戸ショッピングセンター開発の地元主導型で進められていた郊外型ショッピングセンターの核店舗として出店することが内定していたが、長崎屋が1988年(昭和63年)4月に核店舗として出店する契約に調印して逆転された[589]。
- 1990年(平成2年)に八戸ラピアが八戸市内初の本格的な郊外型ショッピングセンターとして開業した[590]。
- 一関市郊外に1981年(昭和56年)に店舗面積17,300m2で出店を表明していたが、申請から商業活動調整協議会審議で約2年半後に店舗面積が約5分の1の3,500m2で結審したため出店を断念した[592]。
- 同地には1997年(平成9年)9月に「一関サティ」が開業した[592]。
- 福島駅前通りの十字路角の警察署跡地に1927年10月10日に開業した「福島ビルディング」(鉄筋コンクリート造り20間四方のビル)[594]を買収して出店を目指したが、エンドーチェーンが取得して出店することになったため、実現しなかった[593]。
- 1973年(昭和48年)に、地元の酒造会社跡地を買収し、大型スーパーを進出する方針を打ち出した[595]。しかし1974年(昭和49年)6月に、進出計画案を地元の商店主などに示した際にトラブルを招き、喜多方市の商業活動調整協議会(商調協)が仲介に入り、1976年(昭和51年)8月3日には、売り場面積5,500m2での出店で合意[595]。ところがそれ以降、ジャスコ側から連絡がなく、合意書も調印されないままであったが、1977年(昭和52年)4月11日午前、ジャスコがライオン堂(現・リオン・ドール)への用地を譲渡するとの申し入れがあり、出店を断念する運びとなった[595]。この出店に対して、喜多方市に本部を置くあいづ生協(現・コープあいづ)が、出店阻止運動を展開した[596]。
- 出店予定地には、1981年(昭和56年)12月に、ライオン堂喜多方仲町店が開店(現在のリオン・ドール喜多方仲町店)。その後、1989年(平成元年)11月に相馬店が開店するまで、福島県内にジャスコが出店することはなかった。
- 住宅街にある昭和高分子跡地約30,000m2の敷地に、地元商業者と共同で地上2階建て・延べ床面積約30,000m2・駐車台数約1,000台のショッピングセンターを開設知って出店する計画だった[597]。
- 茨城中央工業団地の約18ヘクタールでの出店計画で、2008年(平成20年)1月に進出予定事業者に選定されていたが、経済状況の大きな変化を理由として2009年(平成21年)1月14日に茨城県に出店辞退することを伝えて出店を断念した[598]。
- 岩槻駅の東岩槻駅のほぼ中間にある新正寺・大同団地内の東武野田線東側に平行した面積約27,000m2に地下1階・地上2階建て売り場面積約19,840m2の店舗を出店する計画で、地元の岩槻市商工会などが「ジャスコ・西友出店阻止総決起大会」を開催するなどして反対運動を展開した[599]。
- 忠実屋と共同で「ジェーシータウン(株)」を設立して出店する計画であったが[603]、地元商店街の反対運動の結果として忠実屋単独での出店となり[604]、1977年(昭和52年)11月24日に忠実屋を核店舗とするショッピングセンターの「露木コミュニティーランド」が開業した[605]。
- ボウリング場「ボウル一〇二」跡地[608] にて1976年(昭和51年)頃に建設予定であったが、富山市商店街連盟による反対運動が発生したため、頓挫した[609]。その後1977年(昭和52年)10月28日にトーカマート運営の富山県内最大級(当時)の大型総合スーパーと北陸最大級(当時)のマンションの複合ビルを建設すると発表した[608]。
- 富山店(富山県富山市堀川地区)
- 富山ショッピングプラザでの出店を計画していた[610]。
- 富山店(富山県富山市針原地区)
- 富山市針原地区に、県内最大規模の4階建て店舗面積28,000㎡、映画館、スポーツ施設併設の大型ショッピングセンター『富山リバーサイドショッピングセンター』(仮称)として1993年(平成5年)春のオープンを目指していた[611]。しかし富山市商店街連盟が出店反対の組織を結成した[612] ことに加え、出店予定地が農業振興地域や市街化調整区域にかかっており用地の面で交渉が上手くいかなかったため、1992年(平成4年)6月11日、出店を断念すると発表した[613]。
- 立山町利田地区での出店計画だったが、2010年(平成22年)1月26日に行政側の手続きが進まないことなどを理由として出店を断念した[614]。
- 上市店(富山県中新川郡上市町、上記の上市店とは別の店舗)
- 「上市ショッピングモール」のキーテナントとして1998年12月のオープンを目指していた[615] が、後に頓挫している。
- 県道福井・金津線と県道丸岡・川西線の交差点南西に敷地面積約105,000m2、売り場面積2万4,000m2の規模で出店を計画し、2006年(平成18年)に農地振興指定地域除外の申請を坂井町に提出した[617]。
- 県南長野運動公園近くの農地に敷地面積約190,000m2の規模で出店を計画したが、農地保全や地域経済に与える影響、市の計画との整合性などを理由として長野市が農地の用途変更を認めなかったことから、実現しなかった[618]。
- 日東紡績静岡工場跡地に開発する計画していたダイヤモンドシティ シズオカの核店舗として出店を計画していたが、静岡鉄道の線路をまたぐランプウエーの設置問題などに絡む用地買収に失敗したため、出店を断念した[619]。
- 敷地面積45,225m2[620]、鉄骨造地上3階建て延べ床面積約69,244m2(うち立体駐車場22,326m2)に店舗面積約29,800m2というショッピングセンターに直営売場面積約18,500m2の店舗を1998年(平成10年)3月に開店する計画だった[621]。1997年(平成9年)5月21日に店舗面積21,970m2で結審していた[622]。
- ジュビロ磐田を招致して本拠地とする構想の約3万人収容のサッカー場のスタンド下の部分を商業施設として利用するだけでなく、隣接地にも一体的に大型商業施設を建設する構想の核店舗の一つとして出店が計画されていたもので、当初構想では1997年秋に完成を予定していた[623]。
- 浜北市とイオングループの第3セクターが計画していた店舗面積約70,000m2で[624] 約4200~4500台収容の駐車場を持ち[623]、浜松店を閉店することを表明済みの西武百貨店も出店する大規模な計画だった[624]。しかし、この規模は市内の当時の既存店全体の店舗面積に匹敵していたため、巨大すぎるとして浜北市当局側が店舗面積約40,000m2以下に抑制しようとする動きを呼び起こすことになった[624]。
- イオングループと西武百貨店の初の共同出店の計画で、業績不振で閉店する西武百貨店浜松店の代替店舗の出店計画でもあった[625]。
- 国道21号沿いの名古屋紡績穂積工場跡地約90,000m2への出店計画で、2007年(平成19年)3月にダイヤモンドシティ(現・イオンモール)が名古屋紡績と土地賃借契約を結ぶという覚書を結んだが、2008年(平成20年)1月に解約条項を理由に出店中止を通知して計画を撤回した[626]。
- 2009年(平成21年)に名古屋紡績がイオンモール(旧ダイヤモンドシティ)に「出店で国道21号が渋滞する心配はあったが、関係機関との間で国道を改良する協議が成立していた。反対運動もなかった」と主張して約7.1億円の損害賠償を求める訴訟を名古屋地裁に起こしている[626]。
- 2013年(平成25年)5月にホームセンターのカーマが大型複合商業施設として開発することになった[627]。
- 津市役所跡地に建設の「津センターパレス」への出店を巡ってダイエーと競合した[628]。
- 昭和50年1月7日、デベロッパーの中国バスが店舗開設届けを提出。店舗面積は10,588㎡を予定。市中心部の商店街「銀天街」が、昭和49年7月に組織した「大型店対策委員会」は、最終的に市内の6商店街をはじめ、府中市および近隣の業界団体27団体を擁する「営業と生活を守る会」となった。商工会議所の再三の話し合いの斡旋にも関わらず、両者合意には至らず、昭和51年9月23日、広島地方裁判所福山支部へ提訴するに至った。昭和54年、中国バス及びジャスコは、府中市への出店を断念し三条申請を取り下げ和解が成立[629]。
- 高知駅前のボウリング場跡に6階建て売場面積12,860m2の店舗を出店する計画で、1975年(昭和50年)11月12日に高知商工会議所に正式に表明したが、1976年(昭和51年)6月までに出店を断念した[635]。
脚注
補足
出典
- ^ “新生イオン誕生控え、サティとジャスコが合同で「入社式」/茅ケ崎”. 神奈川新聞(神奈川新聞社). (2011年2月28日)
- ^ a b c d e f “ジャスコ、マックスバリュ東北と西日本の2社に直営SMを12店舗譲渡”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年8月10日). pp3
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2008年版』 東洋経済新報社、2008年。
- ^ a b “ジャスコ、黒石店開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1996年10月25日)
- ^ a b c d e f g h i j 『イオン株式会社 2009年2月期 決算補足資料(84期)』イオン(株) (2009年4月6日)
- ^ a b c d “自治再生 都市の将来<1>大型店も商店も消えた”. 読売新聞 (読売新聞社). (2012年1月28日)
- ^ a b c “ジャスコ黒石店が4月閉店”. 陸奥新報 (陸奥新報社). (2008年2月23日)
- ^ “メガペトロ、セミセルフ型GS5号店開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年12月19日)
- ^ “マックスバリュ黒石店10月29日オープン 青森県黒石市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年9月2日)
- ^ a b c “日本のSC メイプル”. ショッピングセンター 1986年4月号 (日本ショッピングセンター協会) (1986年4月1日).pp9
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 『ジャスコ30年史』
- ^ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。「mizusawa-history-5-1990-3
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ 『岩手年鑑 昭和62年版』 岩手日報社、1986年10月1日。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『イオン株式会社 2006年2月期 決算補足資料(81期)』イオン(株) (2006年4月6日)
- ^ a b c d e f g 水沢市史編纂委員会編 『水沢市史 第五巻(近代2)』 水沢市史刊行会、1990年3月。 pp471
- ^ a b 菅野峰明・佐野充・谷内達 『日本の地誌 4 東北』 朝倉書店、2008年4月20日。ISBN 978-4-254-16764-1
- ^ “水沢『ジャスコ』撤退問題」国が再生へ補助金・10月に新ビル誕生へ”. 読売新聞 (読売新聞社). (2005年4月14日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da db dc dd de df dg dh di dj dk dl dm dn do dp dq dr ds dt du dv dw dx dy dz ea eb ec ed ee ef eg eh ei ej ek el em en eo ep eq er es et eu ev 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。
- ^ a b 宮城建人 『商都仙台400年』 七十七ビジネス情報 2006年秋季号 (七十七ビジネス振興財団) (2006年10月13日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1992年版』 東洋経済新報社、1992年。
- ^ a b c d e “届出情報”. ショッピングセンター 1986年9月号 (日本ショッピングセンター協会) (1986年9月1日).pp50
- ^ a b c 「川平地区 平成風土記[リンク切れ]」(いきいき青葉区推進協議会 2011年3月発行) P.46
- ^ “1日開店の「ジャスコ仙台中山SC」 核はニューGMSの実験店舗”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年5月16日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。
- ^ “03東北秋期流通特集:イオン仙台幸町SCがオープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年12月8日)
- ^ a b c 西村道子 『生協の流通システム 消費低迷時代に躍進する生協の供給戦略を探る』 工業市場研究所出版部、1983年。
- ^ “いずみパワーモール、建物と土地売却できず 京王ズHD”. 河北新報(河北新報社). (2012年6月14日)
- ^ a b c d 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2000年版』 東洋経済新報社、2000年。
- ^ 『仙台市公告第216号』 仙台市 (2010年4月19日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am 『ジャスコ株式会社 2001年2月期(76期)決算 ご参考資料』ジャスコ (2001年4月)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce cf cg ch ci cj ck cl cm cn co cp cq cr cs ct cu cv cw cx cy cz da db dc dd de df dg dh di dj dk dl dm 『流通会社年鑑 1990年版』 日本経済新聞社、1990年11月24日。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『イオン株式会社 2007年2月期 決算補足資料(82期)』イオン(株) (2007年4月6日)
- ^ “ジャスコ名取店 建替 今年8月完成めざす 宮城県名取市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年3月26日)
- ^ “イオンタウン名取SC 8月28日(火) 宮城県名取市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年8月30日)
- ^ “東北最大級体感 「エアリ」開店に2000人が列 名取”. 河北新報 (河北新報社). (2007年2月28日)
- ^ “イオンタウン塩釜ショッピングセンター 5月25日(金)オープン 宮城県塩竈市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年5月24日)
- ^ a b 『イオン 環境・社会報告書 2003』 イオン、2003年5月。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『イオン株式会社 2008年2月期 決算補足資料(83期)』イオン(株) (2008年4月6日)
- ^ “「減災」へ連携円滑に 登米市、5事業所と協定”. 河北新報(河北新報社). (2006年6月22日)
- ^ “東北地方で初のロックシティ「ロックシティ佐沼SC」10月27日(土)オープン 宮城県登米市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年10月18日)
- ^ a b “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1974年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1974年8月1日).pp7
- ^ “フォーラスがオープン 若者向けに主眼 多目的ホールも”. 秋田魁新報 (秋田魁新報社). (1987年12月5日)
- ^ a b c d e 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2007年版』 東洋経済新報社、2007年。
- ^ a b 「ジャスコ跡地をイオンが取得 大館市 新商業施設を計画」『秋田魁新報』2007年9月3日。
- ^ “イオン、大型SC2店オープン SuC大館店、アピタ会津若松店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年4月5日)
- ^ a b “ジャスコ五城目SC、6月16日オープン、店づくりで新しい試み”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年5月30日)
- ^ “ジャスコ五城目SC6月16日(土)オープン 秋田県南秋田郡五城目町”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年6月11日)
- ^ 千田謙蔵 『小さくともキラリと 「かまくら」のまちの市長日記 3』 ぎょうせい、1991年3月15日。pp431
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『イオン株式会社 2002年2月期(77期)中間決算参考資料』イオン(株) (2001年10月)
- ^ “ジャスコ横手店(横手市)8月撤退決まる 秋田県横手市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年6月21日)
- ^ 「旧ジャスコ横手店1階にマックスバリュ開店 2階以上は空き店舗に」『読売新聞秋田版』2001年8月31日
- ^ 「まちなか再生 アクセス抜群の駅前再開発で市内初の介護付ホーム・分譲マンション誕生--よこてイースト(秋田県横手市) 」『シニアビジネスマーケット』2010年12月号
- ^ a b “98年開店SC一覧”. ショッピングセンター 1999年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1999年1月1日).pp13
- ^ “ジャスコ「新横手SC」開店、食品売場は最大級”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年11月9日)
- ^ “マイカル東北が再生法を申請”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年9月24日)
- ^ “イオン、横手でジャスコとサティを同時改装 SuCとサティで相乗効果”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2004年3月31日)
- ^ 『秋田魁年鑑 昭和53年版』 秋田魁新報社、1977年10月20日。pp96
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『イオン株式会社 2005年2月期(80期)決算参考資料』イオン(株)コーポレート・コミュニケーション部 (2005年4月6日)
- ^ “イオンタウン本荘中央SC 4月17日(木)オープン 秋田県由利本荘市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年6月16日)
- ^ a b 『秋田魁年鑑 昭和58年版』 秋田魁新報社、1982年10月20日。pp666
- ^ 『秋田魁年鑑 昭和58年版』 秋田魁新報社、1982年10月20日。pp86
- ^ マックスバリュ東北株式会社 第40期有価証券報告書 (Report). マックスバリュ東北. 16 May 2012.
- ^ 『特集 商店街の行方』 広報ゆざわ Vol.89 平成20年12月15日号 (湯沢市) (2008年12月15日)
- ^ a b 山形市中心市街地活性化基本計画 平成20年11月 平成20年11月11日認定 平成21年3月27日変更 平成22年3月23日変更 平成23年3月31日変更 平成24年3月29日変更 (Report). 山形市. 29 March 2012.
- ^ a b “セピア色の風景帖 第七十五回 七日町ジャスコ”. やまがたコミュニティ新聞 (山形コミュニティ新聞社). (2014年9月12日)
- ^ 『企業紹介 株式会社大沼』 山形銀行調査月報 2012年11月号 (やまぎん情報開発研究所) (2012年11月)
- ^ a b c “《おしえて!編集長》CoCo21の跡地って?”. やまがたコミュニティ新聞 (山形コミュニティ新聞社). (2007年11月23日)
- ^ “住友不動産の分譲マンション県内初登場! 「シティタワー山形七日町」”. 住友不動産. (2011年8月25日) 2016年10月1日閲覧。
- ^ “ジャスコ「山形北SC」、28日開店 ニューGMS路線目指す”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年11月19日)
- ^ “ジャスコ、GMS改革に着手”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年10月18日)
- ^ a b c d 『山形県年鑑 昭和61年版』 山形新聞社、1985年1月1日。 pp740
- ^ a b c d e 米沢市史編さん委員会 『米沢市史 第5巻 現代編』 米沢市、1996年3月31日。
- ^ a b 『山形銀行八十年史』 山形銀行、1981年10月。
- ^ “旧ポポロ館、魚民退去へ 米沢市新文化施設、当初の整備予定地”. 山形新聞. (2017年8月24日) 2018年4月8日閲覧。
- ^ “米沢の旧ポポロ館、解体へ 跡地利用は未定”. 山形新聞. (2018年4月4日) 2018年4月8日閲覧。
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp107
- ^ a b c d 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。「yamagata-yearbook-1976-679
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ a b “ジャスコ南陽店閉店へ 来年2月”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2005年11月20日)
- ^ “ジャスコ赤湯店 来春めどに閉店”. 河北新報 (河北新報社). (2005年11月23日)
- ^ “イオンタウン南陽『マックスバリュ南陽店』3月23日(金)オープン 山形県南陽市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年4月5日)
- ^ a b c d “JR酒田駅/酒田駅前店を閉鎖 ジャスコ”. 日経流通新聞 (日本経済新聞社). (1997年5月8日)
- ^ a b 梅木勝 (2007年6月25日). “大型店撤退 長引く後遺症 酒田・鶴岡 駅前再生”. 河北新報 (河北新報社)
- ^ “ジャスコ酒田南店オープン、メガマート併設”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年11月23日)
- ^ “酒田駅前再開発、商業棟には7店舗以上 複合施設の概要を公表”. 山形新聞 (山形新聞社). (2012年6月5日)
- ^ 岡田和彦 (2013年12月12日). “業者が完全撤退 市主導で推進へ”. 朝日新聞 (朝日新聞社)
- ^ a b “酒田駅前再開発が頓挫…山形”. 読売新聞(読売新聞社). (2013年6月19日)
- ^ “JR酒田駅前再開発、市が関与へ 民間 事業中止を申請”. 読売新聞(読売新聞社). (2013年12月12日)
- ^ “酒田駅前に「図書館」建設 市が整備計画方針案を公表”. 山形新聞(山形新聞社). (2015年12月9日)
- ^ a b c d e f 流通会社年鑑 1979年版, 日本経済新聞社, (1978-10-20), pp. 128
- ^ 『きょう限りで閉店 スーパーの西奥羽ジャスコ中町店 経済不況で業績伸びず 酒田』昭和60年9月25日読売新聞朝刊18面山形読売
- ^ 『河北年鑑 昭和49年版』 河北新報社、1973年。
- ^ a b 内村敬 『News&Analysis Close Up 第53回 イオンの撤退に揺れる地方都市 本格化する郊外SCの淘汰』 週刊ダイヤモンド 2008年11月29日号 (ダイヤモンド社) (2008年11月25日)
- ^ a b “駅前商業施設「マリカ東館」運営 経営難 市負担は15億円余”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2007年2月28日)
- ^ a b c “鶴岡・商業ビル マリカ東館 7月末営業終了 運営3セク清算へ”. 読売新聞 (読売新聞社). (2007年2月28日)
- ^ 『ジャスコ三十年史』p.369
- ^ “ジャスコ、東北に「ロックタウン古川」など2大型SC開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1999年4月12日)
- ^ a b c d 『イオン株式会社 2002年2月期(77期)決算参考資料』イオン(株) (2002年4月8日)
- ^ a b c 水戸市史編さん近現代専門部会 編 『水戸市史 下巻(三)』 水戸市、1998年5月。
- ^ “「ジャスコ水戸」閉店”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2006年10月1日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2004年版』 東洋経済新報社、2004年。
- ^ a b c d e f g h i ジャスコ株式会社『ジャスコ三十年史』2000年12月20日発行、269頁より。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『流通会社年鑑 1993年版』 日本経済新聞社、1993年10月25日。
- ^ a b c d e f g h i j 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp132
- ^ アパホテルズ&リゾーツ (2020年4月13日). “アパホテル〈ひたちなか勝田駅前〉本日開業”. 2022年9月26日閲覧。
- ^ a b c d e “ひたちなかのジャスコ勝田店、来月20日閉店”. 茨城新聞 (茨城新聞社). (2010年1月16日)
- ^ a b c d “ジャスコ勝田店閉店 16年の歴史に幕”. 読売新聞(読売新聞社). (2010年2月21日)
- ^ a b c 『イオン株式会社 2010年2月期 決算補足資料(85期)』イオン(株) (2010年4月6日)
- ^ “ジャスコ跡地にマルト開店”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2015年3月5日)
- ^ 『読売年鑑 昭和48年版』 読売新聞社。
- ^ 『都市問題と自治体政策−下館市政の総合的研究』 茨城県自治問題研究所、1980年2月。
- ^ “ジャスコ下館店年内で撤退決める 茨城県下館市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年6月19日)
- ^ 駒木伸比古・李虎相・永村恭介・小野澤泰子 『茨城県筑西市下館地域における食料品小売業の変容と買物行動の現状』 地域研究年報 第30号 (筑波大学 人文地理学・地誌学研究会) (2008年)
- ^ “ジャスコ下館店跡地 フードスクエアカスミ下館南店 十月二十三日(木)オープン 茨城県下館市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2003年11月13日)
- ^ a b c “下妻・ジャスコ跡地 交流施設や広場計画”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2015年6月9日)
- ^ a b “ジャスコ新下妻店を29日開店へ、SC核店として新路線の売場構築”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年11月21日)
- ^ a b c “伊勢甚ジャスコ、26日北茨城市に伊勢甚ジャスコ北茨城店オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年11月20日)
- ^ “年内に解体 ジャスコ北茨城旧店舗”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2006年9月9日)
- ^ “ジャスコ神栖店を12月31日で閉店を発表 茨城県鹿島郡”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (1999年12月16日)
- ^ “ジャスコ、関東地区の運営再編 関東事業本部に茨城など5事業部設置”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年11月14日)
- ^ “広告より”. 新いばらき (新いばらきタイムズ社). (1977年11月12日)
- ^ 『下野年鑑 1984年版』 下野新聞社、1984年9月。pp322
- ^ a b c d “街のルポ・宇都宮”. ショッピングセンター 1975年5月号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年5月1日).pp23
- ^ a b c “ジャスコ宇都宮店11月閉店へ 立地換え新店舗”. 下野新聞 (下野新聞社). (2003年7月10日)
- ^ “宇都宮商圏、郊外への流れ加速、都心復活の努力も”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2004年1月30日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 『イオン株式会社 2004年2月期(79期)決算参考資料』イオン(株) (2004年4月7日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『2003年2月期(78期) 決算参考資料』 イオン株式会社、2003年4月7日。
- ^ a b c 『下野年鑑 1984年版』 下野新聞社、1984年9月。pp323
- ^ “ロックタウン佐野 2月8日(木)オープン 栃木県佐野市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年2月15日)
- ^ a b 委員長 林忠義 『3.栃木県鹿沼市 テーマ まちの駅 “新・鹿沼宿”整備事業について』恵那市議会委員会行政視察 (恵那市議会産業環境委員会) (2013年9月27日)
- ^ 『日本の出版社 全国出版社名簿』 出版ニュース社、1987年。
- ^ a b 『渋川市誌編さん委員会編集『渋川市誌 第三巻 通史編・下 近代・現代』 渋川市、1991年3月31日。
- ^ a b c d e f g 『イオン株式会社 2004年2月期(79期)中間決算参考資料』イオン(株)コーポレート・コミュニケーション部 (2003年10月2日)
- ^ 『中心市街地の空きビル活用及びリニューアル事例調査 報告書 平成24年3月』 国土交通省都市局、2012年3月4日。
- ^ a b c 『平成20年第5回沼田市議会定例会継続会会議録 議事日程第3号』 沼田市議会、2008年12月5日。
- ^ ““新生”イオンモール第一号 イオンモール羽生 11月2日オープン 埼玉県羽生市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年10月15日)
- ^ 『平成21年第6回 上里町議会 定例会 会議録 第1号 9月3日(木曜日)』 上里町議会。
- ^ “イオン上里ショッピングセンター 8月2日(土)オープン 埼玉県上里町”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年8月7日)
- ^ “ジャスコ、ベーシック品強化の「ジャスコ吉川店」を24日オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年10月9日)
- ^ a b “オープン情報=カスミ「フードマーケットカスミ吉川店」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年10月18日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs 『流通会社年鑑 1998年版』 日本経済新聞社、1997年12月2日。
- ^ a b “スーパーのDS転換加速、イオン、中小型店など対象”.日経MJ (日本経済新聞社). (2009年12月25日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u ジャスコ株式会社『ジャスコ三十年史』2000年12月20日発行、268頁より。
- ^ “ジャスコ北戸田店のインパクト”. 販売革新 1990年2月号 (アール・アイ・シー) (1990年2月).pp79-83
- ^ “扇屋ジャスコ千葉店 59年間の歴史に幕 「現店舗利用は検討中」 来月18日”. 読売新聞(読売新聞社). (1992年9月30日)
- ^ “扇屋ジャスコ(株) 売上高1000億円「31店舗体制」へ 本店が来月18日閉店”. 千葉日報(千葉日報社). (1992年9月23日)
- ^ “扇屋ジャスコ千葉店跡 店舗建物、千葉市調査 公共施設に適さず”. 読売新聞(読売新聞社). (1993年12月1日)
- ^ “「扇屋ジャスコ千葉店」跡地 千葉市、百数十億で買収へ 再開発のメドなし”. 読売新聞(読売新聞社). (1993年1月30日)
- ^ “扇屋ジャスコ跡地問題で市側、先行取得を強調 市議会特別委”. 千葉日報(千葉日報社). (1993年3月10日)
- ^ “扇屋ジャスコ跡地128億円で買収 千葉市”. 朝日新聞(朝日新聞社). (1993年12月26日)
- ^ “扇屋ジャスコ跡地 市役所中央分室に 千葉”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (1994年10月2日)
- ^ “暫定で市役所分室に 千葉市が利用方針 扇屋ジャスコ千葉店跡地”. 読売新聞(読売新聞社). (1994年9月22日)
- ^ “来月にも事業化検討会 中央第六地区再開発で[市”. 千葉日報(千葉日報社). (2001年12月8日)
- ^ “NHK移転交渉を断念 千葉放送局 条件面で折り合わず 中央第6地区再整備で市”. 千葉日報(千葉日報社). (2002年9月28日)
- ^ “総事業費199億円 [千葉市]中央第6地区再開発 地上15階の大型施設に”. 千葉日報(千葉日報社). (2003年7月3日)
- ^ “名称は「Qiball」に 中央第六地区再開発ビル”. 千葉日報(千葉日報社). (2007年1月17日)
- ^ “「きぼーる」全館オープン 家族連れでにぎわう”. 千葉日報(千葉日報社). (2007年10月21日)
- ^ “きぼーる(Qiball)が完成 10月20日にグランドオープン!”. 稲毛新聞(稲毛新聞社). (2007年9月6日)
- ^ “「グルメシティ千葉中央店」来月オープン 千葉再開発区の“起爆剤に” 低カロリー弁当や県産商品にも力 幅広い世代取り込み狙う 駐車場313台完備”. 千葉日報(千葉日報社). (2007年8月28日)
- ^ “開店前から長蛇の列 「きぼーる」商業施設オープン 高まる“起爆剤”の期待”. 千葉日報(千葉日報社). (2007年9月2日)
- ^ 『都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC』. 日本ショッピングセンター協会. (2012年1月)
- ^ a b c d e 大友達也 (2007年10月). “《研究展望》あの弱かったイオンがダイエーを呑み込んでしまった。何故?”. 社会科学 79号 (同志社大学 人文科学研究所)
- ^ a b c d e f g h i 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp169
- ^ “扇屋ジャスコ、18日JR鎌取駅前に「鎌取店」開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1994年3月11日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp175
- ^ a b c 日本経営政策学会編 『経営資料集大成 16 マーケティング編(4)』 日本総合出版機構経営出版事業部、1968年。
- ^ a b c 『巨大都市近郊における衛星都市の研究』 地方自治協会、1981年3月。
- ^ a b 東武百貨店社史編纂室編纂 『グッドデパートメント東武百貨店30年の歩み』 東武百貨店、1993年1月、177、178頁。
- ^ a b 三家英治 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985年5月。ISBN 978-4771002906
- ^ 竹内宏 『路地裏の経済学 続―庶民の眼 庶民の発想 (2)』 日本経済新聞社出版局、1980年10月。ISBN 978-4532073459
- ^ “イオン、「イオン津田沼SC」オープン、関東初のターミナル店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年10月17日)
- ^ “モリシア津田沼が開業 大規模商圏で火花再び“ポストダイエー”に期待感”. 千葉日報 (千葉日報社). (2008年3月14日)
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp176
- ^ a b c 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年。
- ^ a b “シンポジューム"柏の変貌"”. ショッピングセンター 1974年6月号 (日本ショッピングセンター協会) (1974年6月1日).pp45
- ^ 建野堅誠 『日本ス-パ-発達史年表-5-』 長崎県立国際経済大学論集 21号(4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1988年3月)。pp48
- ^ 杉村暢二 『都市の商業 その地誌的考察』 大明堂、1978年3月。ISBN 978-4470060054
- ^ “オープン情報=イオン「ジャスコ柏店」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年4月12日)
- ^ a b c d “ジャスコとダイエーが成田で"ニアミス"競合 扇屋ジャスコ成田店が開店”. 販売革新 1982年2月号 (アール・アイ・シー) (1982年2月).pp138-139
- ^ a b c d e f g h i j 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1996年版』 東洋経済新報社、1996年。
- ^ a b c d e 早川健人 (2014年8月14日). “イオン:ジャスコ成田店跡地、再開発 来夏、商業施設開店へ”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ “ジャスコ「イオン成田ショッピングセンター」開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年4月17日)
- ^ “本格オープン盛況 イオンタウン成田富里”. 千葉日報(千葉日報社). (2015年11月19日)
- ^ a b 『平成25年旭市議会第2回定例会会議録 議事日程 (第3号)平成25年6月6日(木曜日)午前10時開議』 旭市議会、2013年6月6日。
- ^ 財団法人千葉県史料研究財団 『県史シリーズ 37 千葉県の歴史 別編 地誌 2 地域誌』 千葉県、1999年3月25日。
- ^ a b “扇屋ジャスコ、館山店 店舗面積一挙に4倍に増床オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年3月17日)
- ^ “イオン、箱型GMSの活性化図る 地域商品・サービスの充実で”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年6月13日)
- ^ “ロックシティ館山ショッピングセンター 5月26日オープン 核=ジャスコ館山店 千葉県館山市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年5月21日)
- ^ a b c d e 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp196
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp197
- ^ 『神奈川年鑑 昭和59年版』 時事通信社、1983年12月30日。pp347
- ^ “いささか"POPの洪水"の感がある「ジャスコ大和店」”. 食品商業 1980年11月号 (商業界) (1980年11月).pp159-161
- ^ “イオンリテール、「イオン大和SC」を都市型GMSに転換 S&Bで再生図る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2011年6月8日)
- ^ 『ジャスコ新発田店 大型店開店で”熱い商戦” 迎撃に「大売出し」 地元商店街 店を改装、面目一新』昭和50年6月13日読売新聞朝刊17面新潟
- ^ 『ジャスコ 新発田店あす閉店 市中心部の中核店 すべて姿消す』平成8年9月19日読売新聞朝刊29面新潟2
- ^ “イオン新発田ショッピングセンター 来春3月3日オープン予定 新潟県西新発田駅前”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年8月26日)
- ^ 『新潟県年鑑 1979年版』 新潟日報社、1978年10月1日。pp155
- ^ a b c “会社沿革「株式会社樋口新聞舗のあゆみ」”. 樋口新聞舗. 2019年5月13日閲覧。
- ^ a b c 「五泉・旧ジャスコ 撤去6月にずれ込む」『新潟日報』2020年4月4日。
- ^ a b c 「ツルハドラッグ五泉駅前店新築 イワコンハウス新潟で」『日刊建設工業新聞』2021年4月26日。
- ^ a b c “五泉の旧ジャスコ、新潟の建設業者購入 空きビル24年、市が公売”. 新潟日報 (2018年3月16日). 2019年5月6日閲覧。
- ^ 「五泉の旧ジャスコ解体へ 地元住民「霧晴れた」」『新潟日報』(新潟日報社)、2019年3月21日、朝刊。
- ^ 「五泉旧ジャスコ解体跡地 ツルハ 来春開業へ」『新潟日報』(新潟日報社)、2019年4月27日、朝刊。
- ^ “ジャスコ三条昭栄店を来年一月末で閉鎖 新潟県三条市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年8月3日)
- ^ “三条市のパルム1のジャスコ撤退跡にパワーズフジミが出店 新潟県三条市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年8月6日)
- ^ a b “村上病院新築は旧ジャスコ跡地を 厚生連が支援要請”. 村上新聞 (村上新聞社). (2011年3月6日)
- ^ 『読売年鑑 昭和50年版』 読売新聞社、1975年2月。
- ^ “土壌汚染で移転先白紙に 村上総合病院”. 村上新聞 (村上新聞社). (2011年9月11日)
- ^ a b c d “Topic in 中部”. 中部財界 1982年12月号 (中部財界社) (1982年12月).pp47
- ^ 『新潟県年鑑 1984年版』 新潟日報社、1983年10月1日。pp110
- ^ “「マックスバリュ亀田店」「マックスバリュ笹口店」2店舗同時オープンのご案内”. マックスバリュ東北. 2020年7月18日閲覧。
- ^ a b c 『平成15年度調査報告書 第1部 町家を活かしたまちづくりによる地域活性化戦略』上越市創造行政研究所 (2003年7月)
- ^ 『上越市史 通史編6 現代』(2002年3月31日、上越市発行)377頁。
- ^ a b c 青木敏隆 『国土経済論叢 市町村合併と都市構造の課題(その4)』経済調査研究レビュー 2009年3月 (経済調査会経済調査研究所) (2009年3月)
- ^ “ジャスコ「上越店」開店、地場の生鮮揃え訴求”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年4月3日)
- ^ a b c d e f “1月の常執・中執”. 月刊ゼンセン 1991年3月号 (ゼンセン同盟) (1991年3月1日).pp46
- ^ a b c d e “1月の常執・中執”. 月刊ゼンセン 1991年3月号 (ゼンセン同盟) (1991年3月1日).pp47
- ^ a b “長野市に、イオンタウン出店、旧ジャスコ長野店跡” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2013年3月16日)
- ^ “長野にイオンタウン”. 読売新聞(読売新聞社). (2014年3月8日)
- ^ “信州ジャスコ 篠ノ井にSC出店構想 県内最大級規模か”. 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (1997年6-24日)
- ^ a b c 高橋恒 “県下小売業の変遷と価格志向強める小売新業態 ディスカウントストアを中心として”. 経済月報 1994年11月号 (長野経済研究所) (1994年10月).pp26
- ^ a b “信州ジャスコが五輪対応 県内20店を免税店に 21日から ” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (1998年1月17日)
- ^ “イオン、改革を加速、信州ジャスコと合併後S&Bなど早める”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年4月10日)
- ^ “北信濃(長野県北部)最大級のSCイオン新中野ショッピングセンター四月六日(土)オープン 長野県中野市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年4月15日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『ジャスコ三十年史』 ジャスコ、2000年12月20日。
- ^ “ジャスコ、須坂市村山駅前店8月下旬で閉店と決まる 長野県須坂市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年8月29日)
- ^ 『軽井沢町誌 歴史編 近・現代』 軽井沢町誌刊行委員会、1988年3月31日。pp733
- ^ “経済日誌”. 経済月報 1986年1月号 (長野経済研究所) (1985年12月).pp32
- ^ “フレック、長野進出2号店「丸子町店」開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年6月11日)
- ^ a b 大井隆男 『図説・佐久の歴史 下巻 長野県の歴史シリーズ 10』 郷土出版社、1982年5月16日。pp187
- ^ 斎藤功・石井英也・岩田修二 『日本の地誌 6 首都圏II』 朝倉書店、2009年3月10日。ISBN 978-4-254-16766-5
- ^ “松本のカタクラモール 2016年めどに建て替え”. 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2010年8月12日)
- ^ a b “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1984年12月号 (総合食品研究所) (1984年12月).pp156
- ^ a b 大町市史編纂委員会 『大町市史 第四巻 近代・現代』 大町市、1985年9月1日。
- ^ a b c 『大町市制施行50周年記念誌 やまなみ仰ぎて』(2004年10月、大町市発行)、p32。
- ^ a b 田村詩子 『ドイツにおける合併に関する基準日の設定とその変則例』 香川大学経済論叢 第64巻 第4号 (香川大学経済研究所) (1992年2月)
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。
- ^ “信州ジャスコ、22日新白馬店がオープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年10月23日)
- ^ a b c “経済日誌(93年9月分)”. 経済月報 1993年11月号 (長野経済研究所) (1993年10月).pp46
- ^ a b “食品スーパー競争が激化”. 市民タイムス (市民タイムス社). (2010年12月10日)
- ^ a b c d e f “エス・エス・ブイが6店舗改装開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年3月13日)
- ^ a b 『上田商工会議所百年史』 上田商工会議所、1998年。
- ^ 『写真集 昭和の上田・小県 思い出のアルバムシリーズ (14)』 郷土出版社、1983年8月27日。pp175
- ^ 有富重尋 柏尾昌哉 『日本の産業構造とマーケティング 流通・サービス業編』 新評論、1981年4月。
- ^ 『昭栄 第74期有価証券報告書』 昭栄、2004年3月29日 。
- ^ “イオン、「上田SC」オープン、佐久店に次ぐ店舗規模”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年8月6日)
- ^ a b c d e 『イオン株式会社 2011年2月期 決算補足資料(86期)』イオン(株) (2011年4月6日)
- ^ 『The Commercial Spaces 富山県の商業空間』(1994年6月、財団法人富山県産業情報センター、富山県小売商業支援センター発行)124頁。
- ^ a b “ミニ調査”. 北陸経済研究 1979年6月号 (北陸経済研究所) (1979年6月).pp78
- ^ a b c 『写真でつづる昭和の高岡』(2005年(平成17年)10月1日、文苑堂書店発行)101ページ
- ^ a b c 第1期高岡市中心市街地活性化基本計画 平成24年3月計画期間終了 (Report). 高岡市. (2012年3月).
- ^ 『北日本新聞』1980年3月29日付朝刊21面『きょうオープン 高岡の「MSの街」』より。
- ^ 『北日本新聞』1987年3月14日付朝刊22面『高岡・末広町商店街 「ミズの街」買収へ 将来、再開発ビルを建設 ジャスコと合意 候補地の一角入手』より。
- ^ 『北日本新聞』1988年7月28日付朝刊5面『2社入居 あすオープン 「末広プラザ」で再使用 再開発までの暫定措置 高岡・旧ミズの街』より。
- ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1994年版』 東洋経済新報社、1994年。
- ^ a b c 『北日本新聞』1990年12月29日付朝刊6面『ジャスコ上市店 来月20日に閉店 競合で売り上げ減原因か』より。
- ^ 『富山地方鉄道50年史』(昭和58年3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)538ページ
- ^ 『新上市町誌』(2005年9月30日、上市町発行)509 - 510ページ。
- ^ a b c “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1974年11月号 (日本ショッピングセンター協会) (1974年11月1日).pp9
- ^ a b c 北日本新聞 1989年8月8日付朝刊5面『市道北側 移転増床へ 北陸ジャスコ砺波店 北日本開発と共同で』より
- ^ 『砺波市五十年史』(2004年3月25日、砺波市発行)272ページ「大型量販店時代の幕開け」より。
- ^ “建て替えで閉店 イオン砺波店”. 北日本新聞 (北日本新聞社). (2013年3月1日)
- ^ 北日本新聞 1992年11月21日付朝刊6面より
- ^ a b c 井波光雄 (2013年1月10日). “イオン砺波店、規模拡大 現店舗は2月末閉店”. 北日本新聞 (北日本新聞社)
- ^ 『砺波市五十年史』(2004年3月25日、砺波市発行)280 - 281ページ「大型量販店の新増設ラッシュ」より。
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。
- ^ a b c 本田陽三 “北陸・金沢市における SC環境 "大店法・大店立地法"の狭間での動き”. ショッピングセンター 2000年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (2000年2月1日).pp43
- ^ “金沢市のジャスコグリーンシティ金沢店来年2月で閉店を決める 石川県金沢市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年9月26日)
- ^ a b c d e f g 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp289
- ^ 株式会社金沢名鉄丸越百貨店 第96期有価証券報告書 (Report). 金沢名鉄丸越百貨店. 24 May 2012.
- ^ 5月25日、石川県リニューアルオープン「クスリのアオキ鳴和店」のお知らせ https://www.kusuri-aoki-hd.co.jp/wp-content/uploads/2022/05/1a6f87c39279d01a0659c5fadf7a136e.pdf
- ^ “ジャスコ野々市店二月二十日で閉店 石川県石川郡野々市町”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年2月8日)
- ^ “ジャスコ野々市店跡地は更地にして来春4月迄返還で地権者と合意”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年12月3日)
- ^ a b “ミニ調査”. 北陸経済研究 1979年6月号 (北陸経済研究所) (1979年6月).pp79
- ^ “石川県津幡町のS・Cスカール1月28日で閉鎖 石川県河北郡津幡町”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年2月22日)
- ^ a b c 『小松商工会議所 50周年記念誌 小松商工会議所』 小松商工会議所、1992年12月。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。
- ^ 三家英治 『商業集積地における大規模小売店の競合分析-1-』 京都学園大学論集 第11巻 第3号 (京都学園大学学会) (1983年3月)。pp101
- ^ a b c 福井県 『福井県史 通史編6 近現代二』 福井県、1996年。ISBN 978-4938772062
- ^ a b “福井でおなじみ「ピア」最後の営業”. 福井新聞 (福井新聞社). (2003年5月12日)
- ^ “ピア組合独自の改装断念”. 福井新聞 (福井新聞社). (2003年4月10日)
- ^ 清兼千鶴 (2008年3月24日). “福井のピア閉店から5年 跡地の活用は進むが…”. 中日新聞 (中日新聞社)
- ^ 『経営者東京裁判 岡田 元也(上)「イオン商法」に迫る落日』 選択2015年10月号 (選択出版) (2015年10月1日)
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp299
- ^ a b c d 藤井雄次(2015年1月30日). “大野初のSC閉店 リブレ解体開始 市民らしんみり”. 中日新聞 (中日新聞社)
- ^ “北陸ジャスコが大野市のリブレから11月で撤退 福井県大野市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (1999年10月14日)
- ^ 『食料年鑑 1989年版』 日本食糧新聞社、1989年7月20日。
- ^ “寿がきや、3月に「Tほーと高浜店」「ジャスコ藤沢店」「ジャスコ大垣店」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年3月4日)
- ^ 『商店街実態調査 岐阜県内の商店街振興組合・商工会・発展会の現状』 (岐阜県産業経済振興センター) (2001年3月)
- ^ a b “ロックシティ大垣SCに『マックスバリュ大垣東店』7月29日オープン 岐阜県大垣市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2005年8月8日)
- ^ “イオン大垣ショッピングセンター 4月27日(金)オープン 岐阜県大垣市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年4月23日)
- ^ “イオン、「イオン焼津ショッピングセンター」オープン、地域商品を充実”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年11月13日)
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp334
- ^ a b c d e “静岡県中西部にジャスコ旋風 大型SCを98~99年7店開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年7月16日)
- ^ “島田市のジャスコとユニー撤退に地元引き止めの動き”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年6月26日)
- ^ “ヨシコンが分譲マンション新築に着工”. 建通新聞. (2013年11月6日) 2013年11月22日閲覧。
- ^ 物件概要|エンブルシティ島田
- ^ a b c d “ジャスコ掛川店、駐車場確保困難など業績上がらず8月末で閉鎖”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年8月12日)
- ^ “オープン情報=イオン「イオン浜松西ショッピングセンター」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年6月14日)
- ^ “イオン浜松西SC七月十三日(土)開店 静岡県浜松市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年2002-7月18日)
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp356
- ^ a b 『日本商業年鑑 1970年版』 商業界、1970年。
- ^ a b 『ダイヤモンドシティ「名西ショッピングセンター」6月20日(月)35年の歴史に幕』 ダイヤモンドシティ (2005年5月18日)
- ^ “ダイヤモンドシティ 名西ショッピングセンター 6月20日閉店へ 愛知県名古屋市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2005年5月23日)
- ^ 神谷満雄 『中部の経済 京浜・阪神とくらべる』 東洋経済新報社、1971年。
- ^ “マックスバリュ中部、イオンタウン名西の核店舗に「グランド」2店舗目オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年9月16日)
- ^ a b 『読売年鑑 昭和44年版』 読売新聞社。
- ^ “サワムラヤ、小牧に複合SC、7年秋オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年12月13日)
- ^ “ジャスコ「小牧SC」が11月15日オープン、年商120億目指す”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年10月20日)
- ^ “ダイエーが瀬戸進出!! 血みどろの流通戦争が起こらなかった理由”. 中部財界 1993年4月号 (中部財界社) (1993年4月).pp99
- ^ “日本のSC・稲沢グランドショップパ”. ショッピングセンター 1977年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1977年1月1日).pp57
- ^ “ジャスコ稲沢店、契約期間満了で10月12日閉店感謝セール”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年8月6日)
- ^ a b c d e f g h 貴島操子 『ジャスコ急成長の秘密 連邦経営がもたらしたもの』 評言社、1977年5月。ISBN 978-4828200057
- ^ “第9回国内研修(中京圏)報告 立地の創造と大型店の影響を現地にみる”. ショッピングセンター 1978年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1978年1月1日).pp50
- ^ “イオン、「マックスバリュ大府店」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年3月20日)
- ^ “マックスバリュ大府店 2月28日(火)オープン 愛知県大府市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年4月3日)
- ^ “ジャスコ、「岡崎店」を増改築オープン 雑貨・服飾など強化”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年9月27日)
- ^ a b 岡田卓也 『私の履歴書 小売業の繁栄は平和の象徴―岡田卓也 ―』 日本経済新聞出版社、2013年10月。ISBN 978-4-532-28018-5
- ^ 杉村暢二 『中心商業地の構造と変容』 大明堂、2000年7月。ISBN 978-4470540235
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1967年版』 商業界、1967年。pp113
- ^ “来秋のジャスコの増床きっかけに、蒲郡市で再び流通戦争? 競合3社の巻き返しも”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年8月6日)
- ^ “大型店攻勢に揺らぐ"座して商売のできた"街〈豊橋〉”. ショッピングセンター 1977年9月号 (日本ショッピングセンター協会) (1977年9月1日).pp38
- ^ 『東三河の経済と社会 第一輯』 愛知大学 中部地方産業研究所、1973年3月。
- ^ “"買収内定"=ようやく結着する 豊橋サンマート問題の"第一ラウンド"”. 中部財界 1981年6月号 (中部財界社) (1981年6月).pp37
- ^ a b “ジャスコ豊橋閉店 売り上げ減や老朽化で”. 中日新聞(中日新聞社). (2005年11月30日)
- ^ a b “ジャスコ「豊橋店」を増床・改装開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年7月27日)
- ^ “ジャスコ豊橋店、12日に閉店”. 東海日日新聞(東海日日新聞社). (2006年2月11日)
- ^ “バロー豊橋店 4月19日オープン 愛知県豊橋市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年5月17日)
- ^ “ジャスコ、「豊橋南SC」21日開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年6月6日)
- ^ “ネオン 近鐡四日市驛前の第一ビル”. 伊勢新聞(伊勢新聞社). (1958年4月24日)
- ^ “ジャスコ“発祥地” 四日市店43年で幕 売り上げ低迷”. 中日新聞(中日新聞社). (2002年1月21日)
- ^ “イオン発祥店のジャスコ四日市店1月20日で、閉店 三重県四日市市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年2月18日)
- ^ a b 吉岡雅幸 (2015年1月23日). “「ジャスコ四日市店」閉店13年 イオン発祥地にマンション”. 中日新聞 (中日新聞社)
- ^ “不況よそ目にマンション好調 四日市市中心部”. 中日新聞 (中日新聞社). (2008年12月1日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp382
- ^ ジャスコ 2000, p. 964.
- ^ “ジャスコ川越町のサンリバーからは撤退?”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (1999年7月19日)
- ^ “ジャスコ、四日市北SCオープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年2月9日)
- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp383
- ^ a b c ジャスコ 2000, p. 961.
- ^ ジャスコ 2000, p. 976.
- ^ ジャスコ 2000, p. 966.
- ^ “マックスバリュ生桑店 6月19日グランドオープン 三重県四日市市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年7月5日)
- ^ “ジャスコ、100億円超の大型SC「四日市尾平SC」24日開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年10月16日)
- ^ a b ジャスコ 2000, p. 960.
- ^ a b ジャスコ 2000, p. 963.
- ^ a b “三っ巴 津のデパート合戦 切込む四日市資本 地元商店の反対尻目に”. 伊勢新聞(伊勢新聞社). (1957年1月30日)
- ^ “中心街空洞化に拍車 43年の歴史に幕 ジャスコ津店 従業員、最後の見送り”. 伊勢新聞(伊勢新聞社). (2000年8月7日)
- ^ “百五銀行 新本館ビル建設へ 平成23年完成予定 津のジャスコ跡地に”. 伊勢新聞(伊勢新聞社). (2008年1月9日)
- ^ a b 渡辺泰之、住彩子 (2012年4月5日). “百五銀行新本館建設に歓迎の声”. 中日新聞(中日新聞社)
- ^ “百五銀の新本館ビル完成”. 中日新聞 (中日新聞社). (2015年12月23日)
- ^ 堀川勝元(2016年1月13日). “百五銀ビル、2棟で災害対策 「丸之内本部棟」完成 総務・人事など移転”. 朝日新聞(朝日新聞社)
- ^ a b “津サティ23日オープン、売場構成など新機軸”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1994年4月27日)
- ^ a b c ジャスコ 2000, p. 965.
- ^ “ニチイ、三重県下1号店「津サティ」23日開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1994年4月8日)
- ^ “開店情報”. ショッピングセンター 1975年5月号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年5月1日).pp9
- ^ a b ジャスコ 2000, p. 962.
- ^ “ジャスコ新久居店、4月22日オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年4月29日)
- ^ “ジャスコ、三重県「新久居店」で育樹祭”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年5月28日)
- ^ “ジャスコ、小牧店開店記念で植樹祭”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年11月3日)
- ^ a b 矢作弘 『都市はよみがえるか 地域商業とまちづくり』 岩波書店、1997年12月19日。ISBN 978-4000233262
- ^ “JR桑名駅前の“顔”再出発 複合施設「サンファーレ」28日開館”. 中日新聞(中日新聞社). (2006年4月25日)
- ^ “ニチイ、「マイカル桑名」オープン カテゴリー専門化目指す”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年3月29日)
- ^ 渡辺聖子(2015年4月18日). “「東急ハンズ」県内初 イオンモール桑名が開店”. 中日新聞 (中日新聞社)
- ^ a b c d “日本のSC 星川ショッピングタウン「サンシティ」”. ショッピングセンター 1987年9月号 (日本ショッピングセンター協会) (1987年9月1日).pp8
- ^ ジャスコ 2000, p. 975.
- ^ a b “ジャスコ、「星川店」を新装開店、生活便利館へ衣替え”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年8月24日)
- ^ “ジャスコ星川店、競合激化に対応 DS転換で再出発”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年2月15日)
- ^ 『伊勢年鑑 昭和52年版』 伊勢新聞社、1976年11月10日。pp359
- ^ a b ジャスコ 2000, p. 959.
- ^ a b c d e “菰野町にジャスコ新店”. 中部財界 1982年10月号 (中部財界社) (1982年10月).pp65
- ^ a b 菰野町教育委員会 『菰野町史 下巻』 菰野町、1997年3月31日。pp274
- ^ 『伊勢年鑑 昭和60年版』 伊勢新聞社、1984年10月31日。pp586
- ^ a b ジャスコ 2000, p. 968.
- ^ “ジャスコ「イオンタウン菰野店」開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年5月8日). pp3
- ^ “ジャスコ、三重の「マックスバリュ」2店舗をマックスバリュ中部に譲渡”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年6月13日). pp3
- ^ ジャスコ 2000, p. 277.
- ^ “ジャスコなどイオングループ3社の「ベルシティ」開店で内覧会開催”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年12月2日)
- ^ “「イオン鈴鹿ベルシティ」ジャスコ最大規模の核店舗中心に29日開業”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年11月15日)
- ^ 『会社企業名鑑 昭和43年版』 日本統計協会、1968年。pp1371
- ^ “マックスバリュサンフラワー店 9月26日(日)オープン 三重県松阪市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年11月1日)
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp381
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1967年版』 商業界、1967年。pp115
- ^ “ジャスコ、「新伊勢SC」19日開店 介護用品売場も”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年4月4日)
- ^ “ジャスコ・岡田会長が会見、カンパニー制推進 地域に権限大幅委譲”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年4月28日)
- ^ “伊勢市駅前再開発 商業施設など起工式”. 中日新聞(中日新聞社). (2012年7月15日)
- ^ “8日に開店特別セール 伊勢SC「ララパーク」が完成 敷地内の緑化に力 キーテナント3店 51専門店と飲食12店”. 中日新聞(中日新聞社). (1981-10-2)
- ^ “伊勢のララパーク 20年の歴史に幕 解体、新築し来秋再出発”. 中日新聞(中日新聞社). (2002年6月1日)
- ^ “新SCに78店舗 伊勢 閉店跡地に今秋"新生" 競合店との差別化図る”. 中日新聞(中日新聞社). (2003年8月8日)
- ^ “伊勢・ララパーク 勇壮な太鼓 開店盛り上げ 買い物客で大繁盛 24時間スーパーも”. 中日新聞(中日新聞社). (2003年9月14日)
- ^ “ジャスコ玉城店 きょうオープン 買い物便利なワンフロアフルライン構成”. 伊勢新聞(伊勢新聞社). (1981年10月30日)
- ^ “1013台収容の駐車場も ジャスコシティ玉城 きょう開店 専門店は16店舗”. 中日新聞(中日新聞社). (1981年10月30日)
- ^ “ジャスコ玉城店閉店へ 開店から22年 競合店進出で売り上げ半減”. 伊勢新聞(伊勢新聞社). (2003年9月6日)
- ^ a b “ジャスコ伊賀上野店、26日開店 地区最大級のショッピングセンターに”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年7月11日)
- ^ “ジャスコ、伊賀地区最大級のSC「伊賀上野店」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年8月1日)
- ^ “上野市にジャスコ南下で“激戦の前兆””. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年1月31日)
- ^ a b c 番場哲晴 『中心市街地の活性化に関する研究 大店法問題と大店法以後について』 土地総合研究 第6巻第1号 (土地総合研究所) (1998年)
- ^ “スガキコシステムズ、オープン情報”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年4月26日)
- ^ “中部地区夏期特集 小売流通戦線異状あり、大手量販店より強く”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年8月12日)
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp396
- ^ “ジャスコ西陣店6月18日で閉店を決める 京都市上京区”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年6月12日)
- ^ a b c “生協がメガロプラザ西陣に進出”. 京都経済新聞 (京都経済新聞社). (2000年6月5日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp411
- ^ 『事業と人 1970年版』 中部経済新聞社、1970年。pp321
- ^ “大阪府警本部 福島警察署移転改築 基本計画を東急設計コンサルタントに”. 建通新聞 (建通新聞社). (2011年5月11日)
- ^ “4月開店のジャスコ野田阪神店、一躍ベスト10入りし上期販売実績47億7300万円に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年10月14日)
- ^ “ショッピングタウン エバーレ”. ショッピングタウン エバーレ. 2023年3月23日閲覧。
- ^ “【大阪市東淀川区】悲報。東淡路エバーレ内にあるスーパーの「ニッコー」が1月11日をもって閉店となります。”. 号外NET 東淀川区 (2020年12月17日). 2023年3月23日閲覧。
- ^ a b c “ダイヤモンドシティ第一号店 東住吉SC 10月2日(土)閉店 大阪市平野区”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年10月7日)
- ^ “ダイヤモンドシティ「東住吉店」改装、地域密着型へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年10月9日)
- ^ “駅前立地に一新 イオン喜連瓜破SC 12月12日(月)オープン 大阪市平野区”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2005年12月26日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp410
- ^ 『スーパーマーケット・レイアウト集 1964年版』 商業界、1964年。pp54-55
- ^ “ジャスコ安売り店に衣替え”. 流通情報 1983年10月号 (流通経済研究所) (1983年10月).pp44
- ^ “ダイエーグルメシティ豊中駅前店6月15日(火)オープン 大阪府豊中市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年7月5日)
- ^ 清宮信志 (2022年11月10日). “大阪府豊中市に「イオンタウン豊中庄内」 12月2日オープン”. Impress Watch. インプレス. 2023年6月8日閲覧。
- ^ “マックスバリュ瓢箪山店 11月25日(土)オープン =ジャスコ跡地= 大阪府東大阪市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年12月14日)
- ^ 緖方知行 『ジャスコの経営 小売業連邦を支えるマネジメント力の秘密を探る』 日本実業出版社、1978年12月。ISBN 978-4534005014
- ^ “マックスバリュ小阪店 11月28日オープン 大阪府東大阪市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年12月2日)
- ^ “https://twitter.com/aeon1758/status/1588892920480137216”. Twitter. 2023年3月23日閲覧。
- ^ a b c d “地域の開発”. 地域経済 1981年6月号 (泉州銀行) (1981年6月).pp16
- ^ “イオンタウン諏訪の森 ハイブリッド型KOHYOを核に 大阪府堺市” タイハン特報 (大量販売新聞社). (2009年7月2日)
- ^ a b “ジャスコ、貝塚市「貝塚店」全面改装開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年4月24日)
- ^ “イオン貝塚店 大阪府貝塚市地蔵堂”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2012年12月6日)
- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp440
- ^ “https://twitter.com/DENWA_WA_4126/status/1486988191572033538”. Twitter. 2023年3月23日閲覧。
- ^ “ジャスコ(株)『ジャスコ三十年史』(2000.12) | 渋沢社史データベース”. shashi.shibusawa.or.jp. 2023年3月23日閲覧。
- ^ “『ディスカウントスーパー サンディ 湊川店開店』”. 神戸の金庫屋4代目バカ息子のブログ. 2023年3月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp438
- ^ a b c d “阪神大震災復興への動き ジャスコ、伊丹、西宮は臨休 川西は平常営業に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年2月13日)
- ^ a b “イズミヤ、阪神大震災被災西宮店を閉鎖”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年4月19日)
- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp439
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp459
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp455
- ^ a b 末永陽子(2016年2月1日). “姫路フォーラス閉店 45年の歴史に幕”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
- ^ “姫路フォーラス45年の歴史に幕 最後のセール”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2016年1月4日)
- ^ 末永陽子(2016年1月20日). “姫路フォーラスの土地・建物 大阪の会社に売却へ”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp456
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp457
- ^ “ マックスバリュ白浜店 9月10日(金)オープン 兵庫県姫路市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年9月27日)
- ^ “マックスバリュ岩端店 9月18日(土)オープン 兵庫県姫路市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年9月27日)
- ^ 『姫路商工会議所創立70周年記念誌 おかげさまで創立70周年』 姬路商工会議所、1992年。
- ^ “ジャスコ飾磨店閉店へ 兵庫県姫路市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年1月23日)
- ^ “ジャスコ、「姫路リバーシティ」28日オープン、直営最大のSC”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年11月22日)
- ^ a b c 『スーパーマーケット・レイアウト集 1964年版』 商業界、1964年。pp136-137
- ^ 『姫路市主要指標』姫路市総務局総務部情報政策課 (2003年4月)
- ^ a b c “マックスバリュ西日本、「マックスバリュ網干南店」が開業”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年3月30日)
- ^ a b c d e f g 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp437
- ^ “マックスバリュ大久保店 6月7日オープン 兵庫県明石市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年7月3日)
- ^ “ジャスコ相生店、廃止 兵庫県相生市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年3月4日)
- ^ a b “そごうグループが不採算部門見直し、加古川店など業態転換へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年12月2日)
- ^ “加古川そごうの「アウトレット館」撤退へ”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (1999年10月25日)
- ^ 『赤穂 半世紀のあゆみ』 赤穂商工会議所、1998年。
- ^ 『イオンリテール(株) 10月度営業概況』 ダイヤモンドシティ (2008年11月14日)
- ^ “イオン加西北条SC 11月1日(土)オープン 兵庫県加西市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年10月27日)
- ^ a b c 『龍野商工会議所30周年記念誌』 龍野商工会議所、1981年。
- ^ “ジャスコ龍野店 二月末までに閉店へ 兵庫県たつの市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年1月23日)
- ^ a b c “マックスバリュ龍野店 7月31日(木)オープン 兵庫県たつの市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年8月7日)
- ^ 峰大二郎 (2006年12月27日). “イオン、ジャスコ龍野店跡地を姫路の業者に売却”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
- ^ 峰大二郎 (2008年1月17日). “たつの中心部のジャスコ跡地 マックスバリュ進出”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
- ^ a b 閉店時には長田店も営業していたが、阪神淡路大震災の影響で建て替えされているためフタギ時代の建物ではなかった。長田店は08年に閉店し、フタギから引き継いだ店舗は全滅した[要出典]。
- ^ a b “ジャスコ、新山崎店好調なスタート、開店1週間で月予算の50%強を達成”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年5月14日)
- ^ a b “関西大地震災害特報・食品界の被害甚大 流通・小売=スーパー倒壊相次ぐ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年1月20日)
- ^ a b c “兵庫県南部地震、流通業界対応に全力 大手チェーン=青空営業など迅速な対応”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年1月23日)
- ^ “胃心伝真=活断層の恐怖”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年2月3日)
- ^ “近畿・中四国小売流通特集:チェーンストア新売場戦略検証=イオン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年10月31日)
- ^ a b c 『宝塚まちづくり会社の破綻原因に関する報告書(アピア逆瀬川の再生に関する調査専門委員会中間報告書)』 アピア逆瀬川の再生に関する調査専門委員会、2009年10月2日。
- ^ 杉岡碩夫 『大店法と都市商業・市民 商業集積政策序説』 日本評論社、1991年11月20日。ISBN 978-4535579859
- ^ a b 川西市史縝集室 『川西史話』 川西市役所、1981年11月1日。
- ^ a b 太中麻美 (2013年9月26日). “阪急川西能勢口駅前 イオンが10月8日新店舗開設”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
- ^ “ジャスコ奈良南店跡にラ・ムー 奈良市南京終町 大黒天物産”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2010年10月18日)
- ^ a b c d e f g h i “酒販専門チェーンやまや、9月下旬メドに近畿地区で店舗展開”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年8月27日)
- ^ a b “SCに負けない商店街づくり 奈良「県内商業地はいま」”. 週刊新聞協会報 (日本新聞協会). (2009年6月9日)
- ^ “奈良県 ジャスコ生駒店跡(仮称)ロイヤルホームセンター生駒”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2011年4月18日)
- ^ “近畿・中・四国版 大型店が4店開業、地域間競争激化の様相”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年11月19日)
- ^ a b c “大型食品スーパー開店-旧ジャスコいかるが店跡地”. 奈良新聞 (奈良新聞社). (2010年10月25日)
- ^ a b c “イオン、斑鳩にショッピングセンター”. 週刊奈良日日新聞 (奈良日日新聞社). (2010年11月12日)
- ^ a b “イオンリテール、「イオンいかるが店」オープン 顧客ニーズ高い分野に特化”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2010年12月3日)、第12面
- ^ a b c d e f g h i “オークワにおんぶにダッコの加藤産業”. 総合食品 1983年6月号 (総合食品研究所) (1983年6月).pp33
- ^ “イオンオープン 開店前に6600人詰め掛け”. わかやま新報(和歌山新報社). (2014年3月17日)
- ^ “激戦地レポート 岩出町・貴志川町(和歌山県) 狭商圏に大型店の集中出店で共倒れ現象が発生”. 激流 2000年6月号 (国際商業出版) (2000年6月).pp121-125
- ^ “御坊市 津波緊急避難場所にNTTビル”. 日高新報 (日高新報). 2011年12月20日)
- ^ “海南市民病院がジャスコ跡地で起工”. わかやま新報 (和歌山新報社). (2011年3月30日)
- ^ a b 鎌倉三次 『地方を潰す「イオン不況」の研究「岡田幹事長」一族がシャッター商店街を量産している!』 週刊新潮 2010年12月30日・2011年1月6日新年特大号 (新潮社). (2010年12月22日)
- ^ a b c d e f g h 『山陰地方におけるサービス化の進展(4)消費環境の変化と小売業の新展開』 山陰の経済 1989年9月号 (山陰経済経営研究所) (1989年9月)。pp37
- ^ a b c d “山陰ジャスコが4店舗を譲渡”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年7月31日)
- ^ “ブランド商品売り場を新設 移転する一畑松江店 島根県内初 婦人用品中心に”. 山陰中央新報 (山陰中央新報社). (1998年2月11日)
- ^ “山陰ジャスコ、9号店SC「平田店」6月27日開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年7月17日)
- ^ “ジャスコ平田店 3月20日(月)閉店 島根県出雲市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年3月9日)
- ^ “スーパーセンタートライアル浜田店 04年12月8日オープン 島根県浜田市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2005年3月7日)
- ^ “8月末に閉店した「出雲サティ」イオンが購入して、10月6日オープンが決まる 島根県出雲市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年9月26日)
- ^ 細谷拓海 (2009年1月22日). “ジャスコ出雲パラオ店:閉店 後継店舗は決まらず”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ ジャスコ出雲パラオ店が20日閉店”. 山陰中央新報 (山陰中央新報社). (2009年1月6日)
- ^ 高田史朗、中村申平 (2012年3月1日). “「パラオ」自己破産申請 負債総額13億円 スーパーなど出店響く”.読売新聞 (読売新聞社)
- ^ “トライアル出雲店、22日オープン”. 山陰中央新報 (山陰中央新報社). (2009年4月16日)
- ^ トライアル出雲店、22日オープン”. 島根日日新聞 (島根日日新聞社). (2009年4月17日)
- ^ a b 永田滋史 『出雲市五十年誌』 出雲市役所、1992年3月1日。
- ^ 2020年現在店舗跡は、おろち通りの一部になっており、本館跡はローソン出雲今市町本町店となっている。[独自研究?]
- ^ “ザグザグ・イオンが資本提携”. 中国新聞 (中国新聞社). (2012年7月11日)
- ^ a b c d 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2005年版』 東洋経済新報社、2005年。
- ^ a b “ザ・ビッグ倉敷店 16年5月閉店 建て替え、新商業施設に”. 山陽新聞(山陽新聞社). (2015年11月26日)
- ^ イオンモール倉敷の中のジャスコが倉敷店になり、笹沖にあるジャスコが笹沖店になった。
- ^ “MV西日本(株)がテナント展開 ザ・ビッグ倉敷店 ”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2010年11月1日)
- ^ a b c “みどり、第29期(平成4年9月1日~平成5年8月31日)通期決算”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年12月1日)
- ^ a b c 『今月末閉鎖ビッグ可部店 テナントが出資し10月に再オープン』 - 中国新聞 1998年8月20日 9ページ
- ^ 『中国年鑑 昭和50年版』 中国新聞社、1974年11月10日。 pp808
- ^ 『中国年鑑 昭和49年版』 中国新聞社、1973年11月10日。 pp92
- ^ “イズミ、今年度からSM多店舗展開狙う 食品の安定した収益力を再認識”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年4月28日)
- ^ 『三原商工名鑑 1990年版』三原商工会議所
- ^ 三原市史 第三巻 通史編3 各説編
- ^ 1972年(昭和47年)に『やまてや』はジャスコと経営統合し、受け皿会社として『山陽ジャスコ』が設立された
- ^ ジャスコ三十年史 186ページ
- ^ ジャスコ三十年史 175ページ
- ^ a b c 下関市市史編修委員会 『下関市史 終戦-現在』 下関市、1989年3月。
- ^ “下関の旧ザ・ビック東駅店跡に(株)サンリブ、12月に営業 山口県下関市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年10月3日)
- ^ a b 池田町史編纂委員会 『池田町史 中巻』 池田町、1983年。
- ^ “ジャスコ阿南池田店を今秋9月20日で閉店を決める 徳島県三好郡”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (1999年8月26日)
- ^ “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1974年7月号 (日本ショッピングセンター協会) (1974年7月1日).pp8
- ^ a b 『流通会社年鑑 2001年版』 日本経済新聞社、2000年12月11日。
- ^ a b 『徳島年鑑 1982年版』 徳島新聞社、1982年5月10日。
- ^ “最後の客、名残惜しむ ジャスコ徳島店、28年の歴史に幕”. 徳島新聞 (徳島新聞社). (2009年2月2日)
- ^ a b “ジャスコ徳島、2月1日閉店”. 徳島新聞 (徳島新聞社). (2009年1月31日)
- ^ “イオン出店、東工高跡地に駐車場 県・徳島市が有償貸与を検討”. 徳島新聞(徳島新聞社). (2015年10月30日)
- ^ “イオンモールが来春開業 徳島市で起工式”. 徳島新聞(徳島新聞社). (2016年2月15日)
- ^ 立野将弘(2016年2月16日). “イオンモール徳島 来春開業へ起工式”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ “ジャスコが徳島に「ロックショッピングタウン上板」を開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年12月11日)
- ^ a b “トキワ街・ジャスコ跡に手作りビアガーデン開店”. 四国新聞(四国新聞社).(2009年7月25日)
- ^ “トキワ街に注目/香川大と高松市が新2施設”. 四国新聞(四国新聞社).(2009年2月2日)
- ^ a b “旧ジャスコ跡地をマルナカ落札-トキワ街再興へ”. 四国新聞(四国新聞社).(2007年9月27日)
- ^ a b “買い物客どっと-イオン高松SCがオープン”. 四国新聞(四国新聞社).(2007年4月27日)
- ^ “地域密着型のイオンへ/高松サティで「入社式」”. 四国新聞(四国新聞社).(2011年3月1日)
- ^ 『徳島年鑑 1999年版』 徳島新聞社、1999年7月。ISBN 978-4886060594
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1981年版』商業界、1980年12月5日、856頁。NDLJP:11940368/441。
- ^ “ジャスコ栗林店二月二十七日で閉店 高松市花ノ宮町”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年2月3日)
- ^ a b c “アニマート来春閉鎖−常磐ティシュ”. 四国新聞(四国新聞社).(2006年7月27日)
- ^ “製紙工場跡地、マンション建設着手/穴吹工務店”. 四国新聞(四国新聞社). (2008年10月4日)
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1980年版』商業界、1979年12月5日、828頁。NDLJP:11937810/426。
- ^ “2003年2月期 決算参考資料” (PDF). イオン株式会社 (2003年4月7日). 2021年11月25日閲覧。
- ^ “イオン九州、“新生”誓う入社式 相乗効果目指す”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年8月24日)
- ^ “イオン鹿児島SC 10月6日(土)オープン 鹿児島県鹿児島市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年10月11日)
- ^ a b c d 『会社総鑑 店頭・未上場会社版 1998年版 下巻』 日本経済新聞社、1998年5月20日。
- ^ “イオン九州、九州初の本格的3層モール型「イオン福岡伊都SC」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年5月8日)
- ^ “マックスバリュ九州、九州初の都市型小型SM「マックスバリュエクスプレス姪浜駅前店」開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2011年8月3日)
- ^ “イオン九州、 福岡市初のモール型SC「イオン香椎浜SC」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年12月3日)
- ^ “九州最大級SC「ダイヤモンドシティ・ルクル」の全体概要発表”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年5月5日)
- ^ “福岡東サティ4月23日 福岡県志免町に開店”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年5月18日)
- ^ そごう小史編集委員会 『株式会社そごう小史 創業百五拾年』そごう、1979年。
- ^ “SCファイルボックス”. ショッピングセンター 1998年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1998年8月1日).pp98-99
- ^ “SCファイルボックス”. ショッピングセンター 1999年6月号 (日本ショッピングセンター協会) (1999年6月1日).pp87
- ^ “イオンモール、「イオンモール福津」概要発表 震災後初の1号店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2012年3月9日)
- ^ a b c 『WEEKLY DIGEST ジャスコ 宗像の東郷店を来年2月閉鎖』 財界九州2001年9月号 (財界九州社) (2001年9月)
- ^ “九州ジャスコが東郷店を来年二月で閉鎖 福岡県宗像市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年10月22日)
- ^ a b “オープン情報=スガキコシステムズ、10~11月に4店開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年10月28日)
- ^ a b 平野久止 『ユニードは何故ダイエーに敗れたか ダイエーの九州戦略を見つめる』 葦書房、1989年7月28日。ISBN 978-4751201572
- ^ a b c “イオン九州:九州のダイエー総合スーパー24店引き継ぎ”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2015年8月21日)
- ^ a b c “イオン、ダイエー屋号変更前倒し 九州38店を9月承継、ショッパーズなど”. 西日本新聞(西日本新聞社). (2015年4月9日)
- ^ “大野城SCをリニューアルオープン イオン九州 新規で39専門店が入居”. 週刊経済 2011年4月26日発行 No.1201 (地域経済センター) (2011年4月26日).
- ^ “イオン小郡ショッピングセンター:来月8日に開店”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2013年10月9日)
- ^ a b c d e 『鹿島市議会会議録』 鹿島市議会、2013年6月21日。
- ^ a b c “ピオが再生計画発表 医療機関など誘致 鹿島市”. 佐賀新聞(佐賀新聞社). (2012年6月12日)
- ^ 『日経小売・卸売企業年鑑 2006年版』 日本経済新聞社、2005年12月。ISBN 978-4532211158
- ^ “ピオ買い取り可決 アスベスト撤去も確認”. 佐賀新聞(佐賀新聞社). (2013年9月28日)
- ^ a b c “九州ジャスコ、佐賀県下の第1号店「佐賀南店」を10日オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年6月8日)
- ^ “九州ジャスコが「イオン大和」オープン、北九州への展開を優先”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年9月18日)
- ^ a b c “フレスポ鳥栖、あす7日開店 ジョイフルタウンが装い一新”. 佐賀新聞(佐賀新聞社). (2009年11月6日)
- ^ a b c d “ジョイフルタウン内にあるジャスコ鳥栖店今年8月末閉店”. 佐賀新聞(佐賀新聞社). (2005年6月8日)
- ^ 『大分縣議會の步み 第七巻』 大分県議会事務局調查課、1977年3月31日。
- ^ a b 『読売年鑑 1994年版』 読売新聞社、1994年2月。ISBN 978-4643940015
- ^ “ジャスコ、大分フォーラス開店、ファッション専門に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年11月1日)
- ^ “大型店出店相次ぐ県内の小売業界(その3)”. おおいたの経済と経営 1999年10月号 (大銀経済経営研究所) (1999年9月25日).pp12
- ^ http://www.mrmax.co.jp/corporation/release/article.php?id=287
- ^ “ジャスコ、新生九州ジャスコ1号店「光吉店」3倍増床で5日オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年8月3日)
- ^ “大分ジャスコ、17日高城店オープン 地場鮮魚など品揃え充実”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年11月12日)
- ^ a b c d “九州ジャスコ、時津店も再開へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年5月8日)
- ^ a b c d 毛利聖一 (2010年7月23日). “ジャスコ宇土、玉名店閉鎖へ 来年1~2月”. 熊本日日新聞(熊本日日新聞社)
- ^ 中原功一朗 (2010年11月20日). “ハローグリーン出店へ ジャスコ宇土店の後継に”. 熊本日日新聞(熊本日日新聞社)
- ^ “宇土シティモール 21日改装オープン…新たに10店舗”. 読売新聞(読売新聞社). (2011年4月17日)
- ^ a b 西東靖博(2011年1月21日). “ビッグミカエル:ジャスコ玉名店の後継に地場スーパー 5月下旬オープンへ”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ “ジャスコ玉名店の後継に ビッグミカエル出店”. 西日本新聞 (西日本新聞社). (2010年12月24日朝刊)
- ^ 佐藤奈 “「ビッグミカエル玉名店」内にテナント店出店 ヒライ 飲食コーナー「どん丼食堂」も出店”. 週刊経済 2011年5月24日発行 No.1623 (地域経済センター) (2011年5月24日).
- ^ “ダイレックス玉名中央店”. 花しょうぶ 第222号(玉名商工会議所 広報・福祉厚生委員会).(2014年10月15日)
- ^ 鍵山整充 太田滋 『経営方針と経営戦略 大型倒産のケースに学ぶ』 白桃書房、1984年9月26日。ISBN 978-4561241065
- ^ “第8回国内研修〈九州〉報告 都心型SCと郊外型SCの商圏の重層性を激戦地九州にみる”. ショッピングセンター 1977年10月号 (日本ショッピングセンター協会) (1977年10月1日).pp44
- ^ a b 『沖縄年鑑 1986年版』 沖縄タイムス社、1985年12月26日。
- ^ a b c “ジャスコ、上海にGMS2号店開店 初の衣食住トータルセルフサービス”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年9月16日)
- ^ a b c d 徐方啓 『日中企業の経営比較』 ナカニシヤ出版、2006年3月20日。ISBN 978-4779500282
- ^ a b c “ジャスコストアーズ、香港にGMSジャンカンオー開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年11月10日)
- ^ a b c “イオン、台湾GMS事業を本格展開へ、新竹市に1号店、数年で7~8店出店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年8月1日)
- ^ a b 植木康則、広田実(2002年5月25日). “ハイライト2005 経済”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ^ a b 『東奥年鑑 昭和64年版』 東奥日報社、1988年9月。
- ^ “ヨーカドー八戸店 撤退の波紋<上>地盤沈下 郊外型SCとの競合に敗北”. デーリー東北 (デーリー東北). (2002年4月19日)
- ^ a b “ジャスコの三沢市出店は白紙となり、代わってマックスバリュが出店”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年1月31日)
- ^ a b “一関商圏(中)人の流れ中心部を離れる”. 岩手日報 (岩手日報社). (2003年10月7日)
- ^ a b “福ビルを買った仙台エンド― 注目される福島進出後の商策”. 財界ふくしま 1972年11月号 (財界21) (1972年11月).pp56-57
- ^ “福島に出來た東洋一のビルデイング”. 東洋建築材料商報 第17年(11月號) 1975年2月号 (東洋建材商報社) (1927年11月).pp9
- ^ a b c d 「ジャスコ 喜多方進出を断念」『福島民報縮刷版昭和52年4月号』、210頁(1977年(昭和52年)4月12日、朝刊2面)。
- ^ 「コープあいづホームページ 沿革」(2018年3月29日閲覧)。
- ^ a b “SC情報”. ショッピングセンター 1976年11月号 (日本ショッピングセンター協会) (1976年11月1日).pp7
- ^ a b “「イオン」出店を断念 県に2億7000万円支払いへ 笠間の工業団地”. 読売新聞(読売新聞社). (2009年1月21日)
- ^ 岩槻市役所市史編さん室 『岩槻市史 近・現代資料編 2 新聞史料』 岩槻市、1981年11月。
- ^ 丸木格 『トキハ・丸広の地域制圧戦略 地方百貨店の雄』 評言社、1979年9月1日。pp200
- ^ “百貨店、春の新店4店舗の特徴”. 販売革新 1990年6月号 (アール・アイ・シー) (1990年6月).pp223-225
- ^ “日本のSC 露木コミュニティーランド”. ショッピングセンター 1978年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1978年8月1日).pp7
- ^ “業界展望 流通業界の新しい動きと問題点を探る”. 商店界 1975年11月号 (誠文堂新光社) (1975年11月).pp44-49
- ^ “流通日誌(6月21日~7月2日)”. 流通情報 1976年7月号 (流通経済研究所) (1976年7月).pp47
- ^ “日本のSC 露木コミュニティーランド”. ショッピングセンター 1978年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1978年8月1日).pp3
- ^ a b 『北日本新聞』1981年6月16日付朝刊5面『「ジャスコ」黒部進出へ 大布施地区振興会 早期実現を決議』より。
- ^ a b 『北日本新聞』1991年8月30日付朝刊6面『魚津で「大型SC」計画 ジャスコなどに打診 商店主ら15人 近く協組設立準備委』より。
- ^ a b 『富山市史 第五巻』(1980年3月10日、富山市役所発行)919ページ。
- ^ 『富山市史 第五巻』(1980年3月10日、富山市役所発行)805 - 806ページ『51・9・27 ジャスコ進出阻止を決議』より。
- ^ 『富山市史 続年史〈上巻〉』(2015年3月20日、富山市発行)355ページ。
- ^ “ジャスコ 富山市針原で出店へ 県内最大級のSC 映画館など複合施設 5年春オープン”. 北日本新聞 (北日本新聞社). (1990年12月8日付朝刊1面)
- ^ “ジャスコ出店計画 反対組織を結成へ”. 北日本新聞 (北日本新聞社). (1990年12月14日付朝刊6面)
- ^ “ジャスコ針原出店を断念”. 北日本新聞 (北日本新聞社). (1992年6月12日付朝刊6面)
- ^ a b “イオン立山町出店断念 行政手続き進まず”. 北日本新聞 (北日本新聞社). (2010年1月27日)
- ^ “上市にSC建設計画 食品、衣類など複合施設 来年12月オープン”. 北日本新聞 (北日本新聞社). (1997年11月26日付朝刊27面)
- ^ a b 『イオンが壊した日本の「地方」 郊外巨大ショッピングセンター展開の罪』 選択2007年3月号 (選択出版) (2007年3月1日)
- ^ a b “イオン、坂井に建設計画 福井新聞”. 福井新聞 (福井新聞社). (2006年3月17日)
- ^ a b “井上の大型商業施設建設計画(2)~長野市で商業団体が加藤長野市長に”. 須坂新聞 (須坂新聞社). (2015年8月8日)
- ^ a b “ジャスコ、日東紡工場跡地出店を断念”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1999年4月2日)
- ^ “日東紡績、静岡工場跡地にジャスコを核テナントの大型SC3条申請”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年5月29日)
- ^ “日東紡績、静岡工場跡地再開発構想発表 核にジャスコ、県内最大規模出店へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年6月5日)
- ^ “ジャスコ核のダイヤモンドシティ・シズオカ、出店凍結認められず 13.2%カットで結審”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年5月28日)
- ^ a b “浜北市、「ジュビロ」誘致へ大型サッカー場建設へ 商業の核はジャスコ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年8月17日)
- ^ a b c “浜北市の第3セクター複合施設、ジャスコと西武を核に展開へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年12月18日)
- ^ “ジャスコ、西武百貨店 共同で新複合店に挑戦、静岡・RSC核出店へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年12月15日)
- ^ a b c “イオンモールを損害賠償提訴 名古屋紡績、出店中止で”. 中日新聞 (中日新聞社). (2009年10月30日)
- ^ “カーマが名紡績跡地を開発、総面積9万平方メートル 複合商業施設、来春にも開業”. 中部経済新聞(中部経済新聞社). (2013年5月4日)
- ^ “津市 ダイエーかジャスコか”. 月刊経済 1981年4月号 (月刊経済社) (1981年4月).pp67
- ^ 創立40周年記念誌 府中市商工業発展史 府中商工会議所
- ^ a b 奥田憲昭 『現代地方都市論 海橋のまち坂出市と住民生活』 恒星社厚生閣、1989年3月1日。
- ^ 「届出情報」『ショッピングセンター』第190号、日本ショッピングセンター協会、1989年8月1日、82 - 83頁、NDLJP:2838162/42。
- ^ 「瀬戸大橋と地域産業構造の転換 / 石原照敏」『岡山大学産業経営研究会研究報告書 第23集』、岡山大学産業経営研究会、1988年5月20日、20頁、NDLJP:2639317/14。
- ^ 「ストアニュース」『総合食品』第14巻第11号、総合食品研究所、1991年4月1日、100頁、NDLJP:3326391/53。
- ^ 「届出情報」『ショッピングセンター』第183号、日本ショッピングセンター協会、1989年1月1日、85頁、NDLJP:2838155/43。
- ^ 『高知商工会議所百年史 高知県経済一世紀の歩み』 高知商工会議所、1991年7月。