コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

平内町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひらないまち ウィキデータを編集
平内町
夏泊岬と大島
地図
平内町旗 平内町章
1963年3月22日制定[1]
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 青森県
東津軽郡
市町村コード 02301-9
法人番号 4000020023019 ウィキデータを編集
面積 217.09km2
総人口 9,185[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 42.3人/km2
隣接自治体 青森市上北郡野辺地町東北町七戸町
町の木 マツ
町の花 ツバキ
町の鳥 ハクチョウ
平内町役場
町長 船橋茂久
所在地 039-3393
青森県東津軽郡平内町大字小湊字小湊63
北緯40度55分34秒 東経140度57分21秒 / 北緯40.92606度 東経140.95589度 / 40.92606; 140.95589座標: 北緯40度55分34秒 東経140度57分21秒 / 北緯40.92606度 東経140.95589度 / 40.92606; 140.95589
平内町役場(2018年2月撮影)
外部リンク 公式ウェブサイト

平内町位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

平内町(ひらないまち)は、青森県東津軽郡夏泊半島に位置する東青地域に属する[2]

江戸時代には黒石藩の飛び地として盛岡藩と隣接していた[3]

夏泊半島の他白鳥の飛来地である浅所海岸や夜越山スキー場など自然レジャー・観光施設が多い。

地理

[編集]

町の東西を貫く国道4号、青い森鉄道線(旧・東北本線)の沿線付近に人口が集中する。小湊川の下流にある小湊周辺には町役場が置かれている。町の南部は山地になっている。

隣接している自治体

[編集]

地名の由来

[編集]

地名の由来はアイヌ語の「ピラ・ナイ」(崖・川)からとされている。峡谷を流れる川という意味がある。また「平内」の漢字名は「平氏(へいし)の内舎人(うどねり)」を意味するとの説があり、「平」は当初この地を治めていた桓武平氏津軽曾我氏北条氏)のことで、「内」は宮中の役職名である内舎人(うどねり)のことを表すともいう[4][5]

歴史

[編集]

行政

[編集]
  • 町長:船橋茂久 (4期目、任期:2027年11月14日
  • 町議会:定数12人(任期:2024年3月30日[7]
    • 議長:船橋健人(ふなばし たけひと)[8]
    • 副議長:木村良一(きむら りょういち)[8]

歴代町長

[編集]

特記なき場合『平内町勢要覧2021』による[9]

氏名 就任日 退任日 備考
1 細川重太郎 1955年5月
2 船橋茂 1961年12月 口広投票場不在事件による改選
3 佐々木善之助 1987年
4 逢坂雄一 1995年
5 船橋茂久 2011年11月 現職

地域

[編集]

行政

[編集]
  • 平内町役場
  • 山村開発センター(教育委員会)
  • 地方独立行政法人青森県産業技術センター林業研究所(青い森林業アカデミー)[10]

人口

[編集]

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、9.86%減の11,142人であり、増減率は県下40市町村中25位。

平内町と全国の年齢別人口分布(2005年) 平内町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 平内町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
平内町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 17,551人
1975年(昭和50年) 17,175人
1980年(昭和55年) 17,501人
1985年(昭和60年) 17,246人
1990年(平成2年) 16,103人
1995年(平成7年) 15,441人
2000年(平成12年) 14,528人
2005年(平成17年) 13,483人
2010年(平成22年) 12,361人
2015年(平成27年) 11,142人
2020年(令和2年) 10,126人
総務省統計局 国勢調査より


教育

[編集]

高等学校

[編集]

そのほか、「青森県立青森東高等学校平内校舎」が平内町小湊に所在していたが、本校への統合により2021年3月をもって閉校した[11]

中学校

[編集]

小学校

[編集]

所管警察署

[編集]

産業

[編集]

漁業

[編集]

養殖ホタテの生産量は日本一[12]

  • 小湊漁港(かつて青函連絡船用の岸壁と可動橋[13]があった)
  • 浪内漁港
  • 茂浦漁港(漁港設置前に未成線茂浦鉄道が建設され、北海道や大陸と結ぶ計画があった)
  • 稲生漁港
  • 東田沢漁港
  • 白砂漁港
  • 清水川漁港
  • 口広漁港
  • 狩場沢漁港

郵便

[編集]

直営郵便局

[編集]
  • 小湊郵便局〔集配局〕(84020)
  • 清水川郵便局(84150)
  • 東田沢郵便局(84180)
  • 西平内郵便局(84187)

金融機関

[編集]

交通

[編集]

鉄道

[編集]
青い森鉄道

町の中心となる駅:小湊駅

バス

[編集]

道路

[編集]

港湾

[編集]
  • 小湊港 - 付近に日本鉄道が開業前に一時期終着駅を設置する構想を打ち出したほか、1946(昭和21)年7月1日から1949(昭和24)年7月15日まで函館港との間で青函連絡船の補助航路としての小湊航路が開設されていた[3]

観光

[編集]
椿山海岸

名所・旧跡

[編集]

祭事

[編集]
  • 白鳥まつり(毎年2月、浅所海岸)
  • 夜越山洋ランまつり(毎年3月
  • 椿とサボテン祭り(毎年5月
  • ひらない夏まつり(8月15日16日
  • AOMORI ROCK FESTIVAL(2012年より毎年夏、夜越山スキー場特設ステージ)
  • ほたての祭典(毎年10月

出身有名人

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 図典 日本の市町村章 p27
  2. ^ IV 地域別情報”. 青森県. 2024年12月1日閲覧。
  3. ^ a b c 中園裕「津軽の街と風景 駅や築港は国策に翻弄=21」『陸奥新報』陸奥新報社、2015年3月9日。
  4. ^ 青森県三戸郡階上町と岩手県九戸郡洋野町にも同じ漢字で同じ読みがなの「平内」(ひらない)地名と駅名が残っているがこれら「ひらない」の場所は奥州藤原討伐後(承久年間当初)の桓武平氏北条氏の得宗領であった歴史的経緯も共通する。またそれぞれの「平内」とも北条得宗領の関東御免津軽廻船が寄港できる湊に面していた。七宮涬三『陸奥南部一族』新人物往来社、1987年12月
  5. ^ 編纂委員会編「新編弘前市史」、通史編1(古代・中世)、2002年6月
  6. ^ ロープ渡して乗組員を救出 強風・青森湾で座礁『朝日新聞』昭和45年(1970年)4月13日朝刊、12版、15面
  7. ^ ひらない議会だより No.203”. 平内町 (2020年4月30日). 2024年2月1日閲覧。
  8. ^ a b 平内町議会議員名簿 令和5年12月8日現在”. 平内町. 2024年2月1日閲覧。
  9. ^ 平内町勢要覧2021”. 平内町. 2021年9月17日閲覧。
  10. ^ 青い森林業アカデミー”. aoimori-ringyo-academy.com. 2022年7月12日閲覧。
  11. ^ 41年の歴史胸に 青森東高校平内校舎閉校式」『東奥日報』2020年11月7日。オリジナルの2020年11月7日時点におけるアーカイブ。2024年2月1日閲覧。
  12. ^ https://www.town.hiranai.aomori.jp/index.cfm/10,0,61,224,html
  13. ^ 小湊岸壁 - 昭和63年JR北海道発行「栄光の航跡」320ページ
  14. ^ 小湊のハクチョウおよびその渡来地 - 青森県
  15. ^ ツバキ自生北限地帯 - 青森県
  16. ^ 藩境塚 - 青森県
  17. ^ 青森県博物館等協議会 Archived 2009年12月13日, at the Wayback Machine.

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]