東置賜郡
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人口34,191人、面積346.86km²、人口密度98.6人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
郡域
[編集]1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 南陽市
- 米沢市の一部(川井・木和田・新井・長手・上新田・下新田・浅川・万世町金谷)
- 長井市の一部(今泉・歌丸・河井・上伊佐沢・中伊佐沢・下伊佐沢・芦沢および日の出町の一部)
- 上山市の一部(中山)
- 高畠町
- 川西町の一部(時田・上小松以北[1])
歴史
[編集]郡発足までの沿革
[編集]- 上小松村、中小松村、黒川村、高豆蒄村、下小松村、窪田村、上平柳村、蛇口村、小其塚村、糠野目村、福沢村、山崎村、夏刈村、坂井村、西落合村、中落合村、長瀞村、法師柳村、郡山村、若狭郷屋村、島貫村、中目村、蒲生田村、萩生田村、大塚村[2]、西大塚村、東大塚村、大石村、伊佐沢村[3]、上伊佐沢村、下伊佐沢村、芦沢村、今泉村、河井村、歌丸村、羽付村、梨郷村、和田村、竹原村、石岡村、津久茂村、大橋村、椚塚村、長岡村、俎柳村、尾長島村、下平柳村、堀金村、時田村、莅村、吉田村、高山村、洲島村、赤湯村、金沢村、松沢村、中山村[4]、三間通村、二色根村、鍋田村、高梨村、沖田村、宮崎村、関根村、露橋村、砂塚村、漆山村、池黒村、宮内村、金山村、荻村、下荻村、太郎村、小滝村、金谷村、木和田村、川井村、長手村、浅川村、上新田村、下新田村、佐沢村、馬頭村、上和田村[5]、北和田村、中和田村、下和田村、露藤村、入生田村、船橋村、亀岡村、高畠村、泉岡村、塩森村、高安村、小郡山村、金原村、安久津村、二井宿村、中里村、相森村、柏木目村、一本柳村、川沼村、三条目村、深沼村、竹森村、根岸村、時沢村、小岩沢村、川樋村、新田村[6]、竹井村
- 明治元年12月7日(1869年1月19日) - 出羽国が分割され、置賜郡は羽前国の所属となる。
- 明治2年(1869年) - 中山村より元中山村が分立。(114村)
- 明治4年
- 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により山形県の管轄となる。
- 明治8年(1875年) - 大石村が上伊佐沢村に合併。(113村)
- 明治10年(1877年) - 金沢村・松沢村が赤湯村に合併。(111村)
郡発足後の沿革
[編集]- 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の山形県での施行により、置賜郡のうち111村に行政区画としての東置賜郡が発足。郡役所が高畠村に設置。
- 明治14年(1881年)(107村)
- 小松村より中小松村が分村。
- 中目村・鍋田村が合併して田中村となる。
- 下伊佐沢村・芦沢村が伊佐沢村に、下荻村が荻村に、新田村が川樋村にそれぞれ合併。
- 明治15年(1882年)(105村)
- 夏刈村・津久茂村が合併して夏茂村となる。
- 北和田村・中和田村が合併して元和田村となる。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により以下の町村が発足。(1町19村)
- 高畠村 ← 高畑村、安久津村、小郡山村、高安村、泉岡村、塩森村、金原村(現・高畠町)
- 二井宿村(単独村制、現・高畠町)
- 屋代村 ← 竹森村、根岸村、時沢村、深沼村、一本柳村、三条目村、川沼村、柏木目村、相森村、中里村(現・高畠町)
- 亀岡村 ← 亀岡村、露藤村、入生田村、船橋村(現・高畠町)
- 和田村 ← 元和田村、上和田村、下和田村、馬頭村、佐沢村(現・高畠町)
- 上郷村 ← 川井村、木和田村、竹井村、長手村、上新田村、下新田村、浅川村(現・米沢市)
- 糠野目村 ← 糠野目村、小其塚村、上平柳村、蛇口村、夏茂村、福沢村、石岡村、大橋村、山崎村(現・高畠町)
- 沖郷村 ← 宮崎村、萩生田村、中落合村、西落合村、法師柳村、長瀞村、露橋村、坂井村、関根村、郡山村、若狭郷屋村、島貫村、蒲生田村[大部分]、田中村、高梨村、沖田村(現・南陽市)
- 赤湯村 ← 赤湯村、二色根村、椚塚村、長岡村、三間通村、俎柳村、蒲生田村[一部](現・南陽市)
- 中川村 ← 小岩沢村、川樋村、元中山村(現・南陽市)、中山村(現・上山市)
- 吉野村 ← 荻村、金山村、太郎村、小滝村(現・南陽市)
- 宮内町(宮内村が単独町制、現・南陽市)
- 漆山村 ← 漆山村、羽付村、池黒村(現・南陽市)
- 梨郷村 ← 竹原村、砂塚村、和田村、梨郷村(現・南陽市)
- 伊佐沢村 ← 伊佐沢村、上伊佐沢村(現・長井市)
- 大塚村 ← 大塚村、西大塚村、東大塚村(現・川西町)
- 犬川村 ← 小松村、下小松村、高豆蒄村、黒川村(現・川西町)
- 小松村 ← 上小松村、中小松村(現・川西町)
- 中郡村 ← 堀金村、高山村、莅村、時田村、南置賜郡下奥田村(現・川西町)
- 吉島村 ← 洲島村、下平柳村、尾長島村、吉田村(現・川西町)
- 金谷村が南置賜郡万世村、窪田村が南置賜郡窪田村、今泉村・歌丸村・河井村が西置賜郡豊田村のそれぞれ一部となる。
- 明治23年(1890年)10月22日 - 小松村が町制施行して小松町となる。(2町18村)
- 明治24年(1891年)
- 明治28年(1895年)12月12日(4町17村)
- 明治38年(1905年)1月13日 - 高畑町が改称して高畠町となる。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「東南置賜地方事務所」が米沢市に設置され、南置賜郡とともに管轄。
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 伊佐沢村の所属郡が西置賜郡に変更。(4町16村)
- 昭和29年(1954年)10月1日 - 高畠町・二井宿村・屋代村・亀岡村・和田村が合併して社郷町が発足。(4町12村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和32年(1957年)3月21日 - 赤湯町の一部(中山)が上山市に編入。
- 昭和42年(1967年)4月1日 - 宮内町・赤湯町・和郷村が合併して南陽市が発足し、郡より離脱。(2町)
- 平成13年(2001年) - 東南置賜地方事務所が廃止。「置賜総合支庁」が米沢市に設置され、米沢市・長井市・南陽市・西置賜郡とともに管轄。
変遷表
[編集]自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和39年 | 昭和40年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
宮内町 | 宮内町 | 宮内町 | 昭和30年2月1日 宮内町 |
昭和42年4月1日 南陽市 |
南陽市 | 南陽市 | |||
漆山村 | 漆山村 | 漆山村 | |||||||
吉野村 | 吉野村 | 吉野村 | |||||||
明治24年4月14日 金山村 |
金山村 | ||||||||
赤湯村 | 明治28年12月12日 町制 |
赤湯町 | 昭和30年6月30日 赤湯町 | ||||||
中川村 | 中川村 | 中川村 | |||||||
沖郷村 | 沖郷村 | 沖郷村 | 昭和30年4月1日 和郷村 | ||||||
梨郷村 | 梨郷村 | 梨郷村 | |||||||
高畑村 | 明治28年12月12日 町制 |
明治38年1月 改称 高畠町 |
昭和29年10月1日 社郷町 |
昭和30年4月1日 改称 高畠町 |
高畠町 | 高畠町 | 高畠町 | ||
二井宿村 | 二井宿村 | ||||||||
屋代村 | 屋代村 | ||||||||
亀岡村 | 亀岡村 | ||||||||
和田村 | 和田村 | ||||||||
糠野目村 | 糠野目村 | 糠野目村 | 昭和30年4月1日 社郷町に編入 | ||||||
小松村 | 明治23年10月22日 町制 |
小松町 | 昭和30年1月1日 川西町 |
川西町 | 川西町 | 川西町 | |||
中郡村 | 中郡村 | 中郡村 | |||||||
犬川村 | 犬川村 | 犬川村 | |||||||
大塚村 | 大塚村 | 大塚村 | |||||||
南置賜郡 玉庭村 |
南置賜郡 玉庭村 |
南置賜郡 玉庭村 | |||||||
吉島村 | 吉島村 | 吉島村 | 昭和30年2月1日 川西町に編入 | ||||||
伊佐沢村 | 伊佐沢村 | 昭和23年4月1日 西置賜郡 |
昭和29年11月15日 長井市の一部 |
長井市 | 長井市 | 長井市 | 長井市 | ||
上郷村 | 上郷村 | 上郷村 | 昭和30年2月1日 米沢市に編入 |
米沢市 | 米沢市 | 米沢市 |
行政
[編集]- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)11月1日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 6 山形県、角川書店、1981年12月1日。ISBN 4040010604。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]先代 置賜郡 |
行政区の変遷 1878年 - |
次代 (現存) |