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東淀川区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひがしよどがわく ウィキデータを編集
東淀川区
崇禅寺
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
市町村コード 27114-4
面積 13.27km2
総人口 176,571[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 13,306人/km2
隣接自治体
隣接行政区
大阪市淀川区北区都島区旭区
吹田市摂津市守口市
区の花 コブシ
東淀川区役所
所在地 533-8501
大阪府大阪市東淀川区豊新二丁目1番4号
北緯34度44分28.2秒 東経135度31分46.1秒 / 北緯34.741167度 東経135.529472度 / 34.741167; 135.529472座標: 北緯34度44分28.2秒 東経135度31分46.1秒 / 北緯34.741167度 東経135.529472度 / 34.741167; 135.529472

地図
外部リンク 大阪市東淀川区
東淀川区位置図
ウィキプロジェクト

東淀川区(ひがしよどがわく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つ。

概要

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市域の北東部最北端に位置し、その北東端の北江口井高野には大阪市営の団地が立ち並んでおり、大阪都市圏ベッドタウンとなっている。人口は大阪市24区のうち、平野区淀川区に次いで多く、区域には主に住宅街が広がっている。

1925年に各町村が大阪市に編入され、東淀川区が成立した。その後、1943年大淀区1989年に旧北区と合区し、現在は北区の一部となっている)、1974年淀川区をそれぞれ分離し、現在の区域となった。

区名の由来

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淀川流域にあり、かつ同時期に誕生した西淀川区との相対的な位置関係による。当初案としては上淀区、中島区、長柄区などがあった。当初大阪市会は中島区を区名として決議し、大阪府参事会に答申したが、採用には至らなかった。[1]

地理

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区南部を淀川が、区北部を神崎川安威川が流れ、特に北江口井高野相川は安威川と神崎川に挟まれた場所に位置する。淀川の対岸に位置する旭区都島区北区とは道路橋や鉄道橋で結ばれており、淀川の河川敷には第二次世界大戦中の空襲によってできた「ばくだん池」が点在している[2]

区西端では東海道本線の線路によって淀川区と分断されており、東海道新幹線との交点に位置する新大阪駅付近にはオフィスビルやホテルが集中している(新大阪駅自体は淀川区に在する)。また、上新庄駅淡路駅を中心として商業地域が広がっている。

隣接している自治体・行政区

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大阪市の行政区

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  • 淀川区
  • 北区
  • 都島区
  • 旭区

自治体

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地名

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新旧の町名対応
住居表示実施時
1980年2月〜
旧町名[3][4] 東淀川区成立当時
1925年4月[5]
大阪市編入前(西成郡)
1925年3月まで
井高野 井高野町 江口町
小松町
北大道町
西大道町
南大道町
豊里町
橋寺町
豊里三番町
豊里菅原町
上新庄町
下新庄町
日之出町
国次町
山口町
飛鳥町
南方町
柴島町
浜町
薬師堂町
中島村
大道村
豊里村
新庄村
北中島村
西中島
北江口 北江口町、井高野町
南江口 南江口町、小松北通
相川 相川町、相川北通、相川中通、相川南通、小松町、北江口町
小松 小松中通、小松北通、小松南通、島頭町、瑞光通
瑞光 瑞光通、小松南通、島頭町
大隅 西大道町、大隅通
大桐 西大道町、北大道町、東大道町、大隅通
大道南 南大道町、東大道町、北大道町、豊里町
豊里 豊里町、豊里三番町、西大道町
豊新 豊里菅原町、豊里三番町、上新庄町、下新庄町、豊里町、西大道町
上新庄 上新庄町
下新庄 下新庄町
菅原 菅西町、豊里菅原町、豊里三番町、下新庄町
東淡路 東淡路町、柴島町
淡路 淡路本町、淡路新町、西淡路町
西淡路 淡路新町、西淡路町、下新庄町
東中島 南方町、山口町、飛鳥町
柴島 浜町、薬師堂町、柴島町、南方町、飛鳥町、山口町

橋寺町は、1951年に豊里町へ編入となり、町名が消滅した。国次町は現在の淡路から西淡路にかけての地域、菅西町は豊里菅原町より分町された地域となる。

人口

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国勢調査の結果では2015年まで人口の減少傾向が続いていたが、2020年の調査の結果では微増している。大阪市内では2010年の調査の結果、平野区に続いて2位であったが、2015年の調査において淀川区に追い抜かれ3位である。

世帯数では2020年現在99,406世帯で淀川区に次いで2位であり、1世帯数当たりの人員数は1.75と大阪市平均の1.84と比べて少ない[6]

また、大阪市の昼夜間人口比率が131.7であるのに対して東淀川区の比率は97.1であり、1日のうち区内に通勤通学で流入する人口より区外に流出する人口が多く、ベッドタウンの様相を呈している[7]

東淀川区(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 154,757人
1975年(昭和50年) 162,242人
1980年(昭和55年) 165,370人
1985年(昭和60年) 170,831人
1990年(平成2年) 180,815人
1995年(平成7年) 185,931人
2000年(平成12年) 183,888人
2005年(平成17年) 178,343人
2010年(平成22年) 176,585人
2015年(平成27年) 175,530人
総務省統計局 国勢調査より

歴史

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淡路本町商店街

中世から江口は、渡辺津などの影響から神崎川〜淀川を経て京都へ向かう川港として栄えていた。また、三好政長が建てた江口城がある。

沿革

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交通

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鉄道

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阪急淡路駅
相川駅

バス

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道路

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一般国道
主要地方道
一般府道

教育

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大阪経済大学
大阪成蹊大学・大阪成蹊短期大学

小学校

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中学校

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高等学校

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大学・短期大学

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特別支援学校

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各種学校

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学校教育以外の施設

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施設

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住宅

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大規模マンション

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  • ファミール上新庄
  • エバーグリーン淀川

住宅団地

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  • 都市再生機構新豊里団地
  • 都市再生機構シティコート下新庄(下新庄団地を建て替えた住宅団地)
  • 市営淡路住宅
  • 市営淡路本町住宅
  • 市営井高野住宅
  • 市営南江口住宅
  • 市営北江口住宅
かつて存在した住宅団地

出身人物

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ゆかりの人物

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名所・旧跡・文化・観光施設

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柴島城址の碑
稲生神社(紅梅稲荷)
須賀神社跡の碑(須賀森公園)
天然記念物の樟(須賀森公園)
旧参天製薬本店・本社工場(下新庄)※現存せず

区内に本社を置く企業

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かつて区内に本社を置いていた企業

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 東淀川区創設三十周年記念事業委員会『東淀川区史』、1956年
  2. ^ 平和啓発冊子 「戦後70年 わたしの東淀川遺産」(平成27(2015)年10月発行)”. 大阪市. 2022年1月22日閲覧。
  3. ^ 東淀川区(87町丁)[表示]
  4. ^ 角川日本地名大辞典 27-1 大阪府 総説・地名編』角川学芸出版、2009年
  5. ^ 『東淀川区史』東淀川区創設30周年記念事業委員会、1956年、pp.9-10
  6. ^ 令和2年国勢調査速報集計結果”. 大阪市. 2022年1月22日閲覧。
  7. ^ 令和2年度版「区政概要」”. 大阪市. 2022年1月22日閲覧。
  8. ^ 大阪市東淀川区役所・出張所のご案内”. 大阪市. 2021年6月14日閲覧。
  9. ^ 【東淀川】「いしいひさいち」展 9月1日から10月31日まで - 大阪市立図書館
  10. ^ a b 三善貞司『わが町昔さが誌』コミュニティ企画、1989年、56−59頁。 
  11. ^ 稲垣泰平『シリーズわがまち 淀川右岸を散歩して「歴史散歩」の記録』文芸社、2008年、142頁。 
  12. ^ 大阪市淀川区:区内のスポット(5~8)光用寺/西中島7丁目 (osaka.lg.jp)

外部リンク

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